2011年7月5日火曜日

カップで変わる珈琲の味

 お気に入りだった珈琲専用のマグカップが欠けてしまい、飲むには支障がないので、そのままずっと使っていた。しかし、都心に映画を観に出かけた妻が、「いいのがあったわよ」とかナントカ言いつつ、新しいマグカップを買ってきてくれた。
 趣味嗜好には特別ウルさい私だが、結婚以来、自分用のマグカップはすべて妻の見立てで買ってもらっている。湯のみや飯茶碗は必ずしもそうではないが、なぜか珈琲カップに限ってはそうだ。

 前回の記録を調べてみたら、ちょうど1年前にやはり妻に買ってもらっていた。今回は割れる間隔が短いが、食器洗いは私の家事分担なので、おそらくは私のミス。


 今回のカップはガラリと雰囲気が変わり、基本が白で外側に緑色のアーティステックな模様が施されたもの。ずっと縄文土器風のカップを使ってきたので、最初は違和感があったが、もう慣れた。
 これまでのカップは捨てるに忍びなく、窓辺に置いてツタの水栽培に使うことにした。まだカップが大きめだが、今後ツタが育てばいいバランスになるはず。

 以前も書いたが、カップが変わると不思議に珈琲の味も変わる。同じブレンドなのに、なぜかマイルドに感じてしまう。
「歌は場によって変わる」という持論をかねてからもっているが、「珈琲の味もカップで変わる」というTOM論理もつけ足そうかな。