毎月上旬に電気代の検針がくるが、今日の検針票を見ると、月使用量は250kWh。前月分280kWhから30kWh減っているのは日が長くなったことと、暖かくなったことから当然として、注目すべきは前年同月と比べた増減量。
こちらは前年分から26kWhも減っていて、つまりは1年で10%の節電に成功したということだ。めでたし。
一般家庭の月平均電気使用量の最新データをずっと探していたが、ようやく見つけた。これによると、2007年の標準家庭年間電気使用量は約5,607kWhで、月平均では467kWh。
(出典:エネルギー経済統計要覧2009年版)
震災直後に記したブログでも同様の比較を試みたが、そのとき見つけたデータが1996年版の古いもの。電気使用量は年毎に増大を続けているから、いまはもっと大きいはず、と思っていたが、予想をはるかに越える量だった。
前回同様、我が家の最新データ(2010年分)と比較すると、年間電気使用量3,095kWh(月平均258kWh)で、平均値の55%だった。これに従い、前回記した関連項目を再び修正。全く忙しい話である。
今回の大震災は、今後の日本人の生き方を問う重要な位置づけとなる、とあちこちでササヤかれ始めた。つまり、「原発を拒否して、数十年前のような少し不便でも安全な生活に戻るか」、あるいは「リスクを承知のうえで、原発を基盤にした際限なき利便と発展を追求しつづけるか」という二者選択である。
このブログタイトルでもすでに宣言しているように、10年以上も前から「縄文的生活」を目指し、日々実践もしている。従って、震災後の世の中がどちらに動こうとも、いまの自分の生き方をなぞり続けるだけで、特に軌道修正する気はない。
(蛇足だが、現状の災いも喉元を過ぎてしまえば、多くの人々は何事もなかったように、再び利便性を際限なく求め始める気がしてならない。たどり着く場所は希望も未来もない破滅世界であるが、人間とは根源的にそういう存在だと思う)
「原発反対を声高に唱えるなら、原発分の電気を使うな!」という主旨のコメントを最近のネット掲示板で見つけた。この論理は一見無茶なようだが、かなり理にかなっていて説得力がある。原発に依存している分の電力を社会全体が恒久的に使わなくなれば、日本中に50数基ある原発をすべて止めることが可能になる。
調べてみたら、日本の電力量で原子力の占める割合は24%。(2008年統計)同じ年のフランスの80%弱という飛び抜けた数値と比較しても、まだ充分にやり直せる数値ではないか。
少なくとも原発反対を主張する政治家、文化人、学者、マスコミ、そして一般ブロガーは、まず原発依存分の電気を自ら使わないことを明確にデータで提示するべきだ。口先だけのキレイ事に騙されてはならない。
ヒンシュク覚悟で書くが、我が家の年間電気使用比率55%は、いますぐ北海道の原発が止まっても、何ら影響なく過ごせる数値である。
(北海道電力の原発依存度は日本の平均値よりも高く、約40%。したがって、北海道で原発に依存しないで暮らすには、差引で平均値の60%以下に電気使用量を抑える必要がある)
沖縄電力のように、原発依存度が0%の地域や、中国電力のように原発依存度がわずか8%という地域もある。(Wikipedia「原子力発電」より)要は国民の覚悟と政府のリーダーシップ次第である。
大震災の後始末が一段落したあとに行われるであろう衆議院選挙は、この原発の是非とそれに伴う国民自身の生き方そのものが争点になることだろう。それまでに各自が自らの生き方を冷静に問い直すことにしましょうか。