2011年4月16日土曜日

子供の港として

 夜遅くに首都圏で暮らす娘が友人の結婚式のため帰省した。折悪しく雪まじりの暴風雨が吹き荒れる悪天候。23時過ぎに札幌駅到着の連絡があり、最寄りのJR駅まで車で迎えに行った。
 ロクに話す暇もなく、今朝は午前中の結婚式出席のため、朝8時半には家を出たいという。暴風雨はまだ収まらず、気温は相変わらず2度前後と寒い。薄着の娘に駅まで歩かせるのは酷である。昨夜は遅くまで仕事をしていたが、たまに来る娘のためにと、目覚ましをセットして起き、再び最寄りの地下鉄駅まで車で送った。

 先日の息子の「ジンギスカン肉送って!」もそうだが、まだまだ老け込む年でもなく、子育ても無事に終わって、生活にも気持ちにも余裕がある。たまにやってくるこうした要請に従い、しばらくは子供たちの「港」「基地」としての役割を果たすべき時期なのだろう。
 短い時間に娘と大震災の被災地ボランティアについて話したが、行き先は福島県相馬市。放射能ダダ漏れで収束の先が見えない福島第二原発から、わずか35kmの至近距離をかすめつつ、東北自動車道を日帰りで物資を運んできたそうである。
 避難所を直接訪問はせず、相馬市役所に設けられたボランティア専用の窓口にまず連絡し、必要な物資の要望を事前に調べ、米や缶詰、乾電池、発泡酒など、すべて自分たちのお金で調達し、届けてきたそうだ。
 アルコール類は盲点のようだが、潜在的要望はあるらしい。被災地とはいえ、いや被災地だからこそ、少しばかりの息抜きがいま必要なのかもしれない。

 被災地の要望は日に日に変化しているようで、最新情報では主食関連ではなく、野菜ジュースの要望が強いとか。栄養バランスの不備を補えるからかもしれない。
 機会があれば、また行くようなことを娘は言っていた。「ガソリンの給油場所を含め、被災地に一切の負担をかけない」が大原則で、ヤル気さえあれば、ボランティアの働く場は、いくらでもあるようだ。しかし、音楽などの文化活動は、まだまだ早過ぎる印象である。