2010年2月7日日曜日

夫の自立・妻の自立

 最近よく考えるのが、中高年夫婦の自立のこと。一般的には家事を妻に任せ切りになりがちな夫の側の自立が叫ばれているが、それは偏見で、妻の側にも同様に自立が求められているように思う。
 各家庭によって事情は異なるだろうが、たとえば夫の手助けなしで以下のことが妻一人でできるか否か。

・切れた電球等の交換
・雪かき
・暖房ボイラのシーズン前リセット
・刃物を研ぐ
・預貯金の管理

 雪国特有のものもあるが、できなければ他に頼るしかなく、ときには費用もかかって煩わしい。もし頼っていた場合、夫のいる間はよいが、死ぬなり、施設に入るなりした場合、たちまち対応に困ってしまうだろう。
 我が家の場合、上記の5項目は、いまのところ私しかできない。(やらない)私に何かあったら、妻はかなり困るだろう。
 反対に、夫が60歳くらいまでに妻の手助けなしで身につけるべき家事は、およそ以下のようなことになろうか。

・料理 ・洗濯 ・掃除 ・衣替え ・ゴミ出し

 私の場合、夫の自立が重要であることに気づいてから、いろいろと修練を積み重ね、ほぼ妻なしでやれるメドがついた。現実に、3〜4日の旅行程度なら、何ら問題なく対応できる。
「自分は先に死ぬので、心配アリマセン」と豪語する方もよくいる。しかし、そうなるかどうかは、神のみぞ知る領域の話。まるであてにならず、そのときになってアワテテも、もはや手遅れ。

 両親などを例に観察すると、自立の基礎トレーニングとして大事なのは、夫や妻が不在のとき、自分の生活のペースをきちんと守ることだ。
 夫がいないから夕食は簡単に、入浴も省略、これがいけない。夫に対し、心理的に依存している証しである。すなわち、妻が自立していない証だ。誰がいようがいるまいが、食べるものは食べ、入るものは入って、観るものは観る、こうでなくては。それこそが自己のアイデンティティの確立、すなわち真の自立なのだ。

 高齢者の場合、日々の生活のテヌキや乱れは、そのまま認知症への道につながっている。伴侶に対する心理的な甘えや依存心が、認知症への伏線になっている気がしてならない。くれぐれも用心、そして備えよ。