行きの運転は息子。助手席では私がナビ役をし、後部座席では妻がのんびり荷物番である。
前夜の暴風雨も止んで、曇天ではあるが、まずまずの日和。高速に乗り、雨がまた降り出すのが怖いので、途中休憩なしで10時50分には早くも幌加内町に着いた。
秩父別町まで高速がつながって、以前よりはかなり故郷が近くなった。あくまで、「高速代2,700円を惜しまなければ」という前提ではあるが。
11時過ぎに道の駅でトイレ休憩。駐車場で持参のオニギリを食べる。
まずは墓参りと、懐かしい山や街並みを通り抜け、町営墓地に直行。きれに整備された墓地は、10数年前に父と訪れたときより、墓石の数々が立派になっていて驚いた。
狭い墓地なので、本家の墓はすぐに見つかった。しばらく墓参した形跡がなく、草取りと墓石の清掃にかなりの時間を費やす。家紋が父から聞いていた五三の桐で正しかったのか、やや不安だったが、間違いなく五三の桐でほっとした。
花はでがけに自宅の庭で摘んだアジサイと白のタチアオイ。他家と比べると実につましいが、丹精こめて自分で育てた花だから、ご先祖様もきっと喜んでくれただろう。
お茶と供え物の菓子を下げ、さて墓近くの土を持ち帰ろうとシャベルを探したら、どこにもない。前夜、あれだけリストアップしたはずなのに、玄関横にたてかけたのを入れ忘れたらしい。
仕方なく、手ごろな石ころを使ったが、土が硬くてうまくいかない。息子がどこかで見つけてきた割れた皿を使ったら、何とかきれいな土を一握り手に入れた。あとはお彼岸にでも、これを札幌の新しい墓に移すだけだ。
雨にも降られず、今日最大の用事を無事に終えたら、ちょうど正午。近くに住むカズノコさんのお宅にうかがう約束は午後1時なので、時間つぶしに、私の通った小学校に妻と息子を案内した。
小学校は去年廃校になったが、芝生のグランドはパークゴルフ場に整備されていた。校庭にある大木は、50年前のたたずまいと少しも変わっていない。
ついでに、私が生まれ育った山奥の地まで車を走らせる。徒歩だと子供の足で1時間近くもかかったが、車だとわずか5~6分とあっけない。
橋は新しいコンクリート製に変わっているが、下を流れる雨龍川は、当時と変わらぬ清流である。
画面中央右の川岸に我が家は建っていたが、周囲は耕作もされずに荒れ果てている。人の気配は全くなく、漠とした荒野がただ広がっている。はるかな時の流れを感じた。
その後、朱鞠内湖近くの学校跡に住むカズノコさん宅を訪問し、持参した手作りの「BOXチェア」をプレゼント。賢そうな黒ネコの歓迎を受けつつ、1時間近くあれこれ話す。
膨大な広さの庭が壮観。丹精こめた宿根草が美しく咲いていた。内外とも穏やかな空間が広がっている。少しずつ手を加えれば、徐々に自分らしい住みやすい場所になってゆく予感がした。
帰り道、私の生まれた集落に20数年前から住むYさんのお宅を伺うことになった。Yさんとは全く面識がないが、「都会から移り住んだ酪農家&ステンドグラス作家夫婦」として、ラジオやテレビで以前から知っていた。
一度お話ししたいとずっと思っていたが、いつも墓参りの折、自宅の横をただ通り過ぎるだけだった。カズノコさんと親しい間柄であることを知り、今日は直前に電話していただいて、図々しくお邪魔した。
ご主人と二人のお子さんも家にいて、これまた不思議な内外の空間を、短い時間に案内していただく。手作りのアート作品の数々は、よい刺激と創作のヒントになった。やっぱりプロのアーチストはすごい。
Yさんは、美大で同じくアーチストをめざしているお嬢さんと、定期的に札幌で個展を開いている。次回開催時に知らせていただくよう、名刺を置いてきた。
幌加内名物のおいしい手打ちソバも食べ、帰りは私の運転で車を発進させたら、まるでそれを待っていたかのように空から大粒の雨。帰路はちゃんと休憩もとり、夕方6時に無事家に着く。
「実にシゲキ的な一日だった~」と同行の妻。「私も、ちゃんと庭作りをやろっかな…」なんて言っている。まずは草取りからネ。