2008年8月15日金曜日

ケロリスト

 小さい頃からカエルが好きで、田舎に住んでいた頃は、雨上がりに跳ね回る緑色の小さなアマガエルをつかまえ、手のひらの上で遊ばせていた。
 オタマジャクシも卵からよく育てたが、こちらはいつも後ろ足が出たあたりで失敗。生き物を育てる難しさを思い知る。

 札幌に引越してからはしばし遠ざかっていたが、大学の寮に入った部屋の前に、薬屋の店頭に立っている大きなカエルの人形が置いてあり、持ち前の「カエル魂」がムクムクと蘇った。


 この学生寮では、カエルの人形を仮装させ、「カエル大明神」と名づけて、寮祭の部屋別出し物に使った。アイデアを出したのはもちろん私で、鳥居をくぐって台に乗ると自然に観音扉が開き、中のカエルが声で挨拶するというシカケである。声は私自身が声色を作ってテープに吹き込んだ。
 扉の開く仕掛けや声とのシンクロ、テープのエンドレス化など、工学部だったからそう苦心もせずにやれた。

 この出し物では、確か何かの賞をもらったはずだ。全部で62室もある大きな寮だったので、賞をもらうのは大変難しく、その部屋の歴史に残る快挙だと先輩からほめられた。
 月日は流れ、結婚して3人の子供に恵まれた。子育てのさなか、当時大流行したファミコンに反発し、「ゲームは自分で作れるものなんだ」というワケの分からない理屈を並べ、ただ遊ぶだけのファミコンではなく、自ら作ることも可能なMSXという小さなパソコンを買った。
 仕事を終えたあとの深夜、黙々とプログラム作りに励み、(ちなみに、言語はBasicとZ80マシン語)ついに自作ゲームがパソコン専門雑誌に掲載され、オヤジとしての面目を何とか保った。

 そのゲームの主人公が「ケロヨン」という名のカエルで、ストーリー上「ケロミン」という頼れる恋人も登場させた。この「ケロヨン」という名は、もともと芝居の着ぐるみとして登場したカエルのキャラクターだったらしいが、イメージとしては私の分身である。そして「ケロミン」は妻の分身だった。

「ケロヨンシリーズ」は、40代のおじさんが作ったプログラムという物珍しさもあり、当時のパソコン界で一世を風靡した。全部で5~6作が採用され、稼いだ賞金もかなりのもの。ケロヨンは私にとって、初期の孝行息子だった。


 子供たちの成長に伴い、パソコンのゲーム作りからは遠ざかったが、私が「カエル狂」であることを知った知人や親戚、そして子供たちから、いろいろなカエルの人形や置物が集まってくるようになった。
 写真がそのうちの一部で、中にはスペインやらドイツやらの海外のカエルまで混じっている。
 つい最近、「ケロガード」という名の新しいカエルグッズが発売された。写真の通り、足場用パイプを上下に2本通すと、簡易仕切りガードとして使える。
 家にあるのは小さなグッズばかりだが、何とかこの大型の「ケロガード」を手にいれ、守り神として庭の楓の木の下にでも奉りたいと思っている。
 重ねて最近、店中がカエルで溢れているという、ヨダレの出そうな喫茶店が札幌都心にあることを知った。その名もズバリ「カエルヤ珈琲店」。
 経営者は40代のカエル好きの女性とかで、カエル新聞を定期発行したり、お店でカエルの解剖やら、専門講義までやっているというから恐れ入る。上には上があるということ。いつか妻と二人で訪れる日を楽しみにしている。

 カエル好きの人々は世界中にたくさんいるようで、この種のマニアを特に「カエラー」と呼ぶこともある。しかし、「サユリスト」「コマキスト」で育った世代として、「カエラー」はいかにも新しすぎる。ケロヨンと一心同体の私の場合なら、やっぱり「ケロリスト」でしょうな。ケロケロ。