2016年6月18日土曜日

拍手の代りに握手

 かなり前にネット経由でライブを依頼されていた、隣区にある障がい者施設で歌った。場所は異なるが、系列のデイサービスで2度歌ったことがある。今回は聴き手が高齢者ではなく、30〜60代の障がい者で、対象がかなり若い。
 事前にFAXや電話で何度か打合せを繰り返したが、曲の好みがいまひとつはっきりせず、チカチカパフォーマンスで主に使っている315曲のリクエスト一覧を送付し、先方の希望を募る、という手法をとった。

 ライブの2週間ほど前に絞り込んだ55曲がFAXされてきて、その中から私の判断で1時間分を選んで欲しいという。そのほか、中間で休憩を入れて欲しいという要望も出た。
 初めて歌う施設で、事前調査もしていない。用心して早めに出発し、開始30分前の13時半に先方に着いた。
 ステージの位置を確認し、まず機材をセット。すでに利用者の方が集まり始めていたが、縦に長い会場だったので音の通りを事前に確かめたく、珍しくマイクテストをやった。

 予定ぴったりの14時に開始。数分の休憩をはさみつつ、60分で18曲を歌った。(※はリクエスト)

《前半》
「涙そうそう」「さよなら大好きな人」「22才の別れ」「恋」「いちご白書をもう一度」「時の流れに身をまかせ」「カントリー・ロード」「カサブランカ・ダンディ」「五番街のマリーへ」
《後半》
「愛燦燦※」「なごり雪※」「もしもピアノが弾けたなら※」「さくら(直太朗)※」「春夏秋冬※」「小春おばさん※」「2億4千万の瞳※」「どうにもとまらない」「浪花節だよ人生は(アンコール)」


 ライブは出入り自由だったので聴き手は時間帯で変動したが、およそ40名前後。男女比は半々ほどで、大半の方が車椅子だった。
 障がいの程度が重いせいなのか、歌い始めても場の反応は極めて弱かった。聞こえてくるのは私の歌声に合わせたタンバリンやマラカスの音だけ。歌い終えても拍手がほとんどない、という悲惨な状況が延々と続く。

 55曲の絞り込みリストに従い、前半はフォーク、途中からJ-POP系昭和歌謡に転じ、後半途中から演歌系を順に歌うつもりでいたが、あまりの手応えのなさに当惑し、(もしかして演歌を求めているのでは…?)と、途中で予定変更してテレサ・テンを急きょ歌う。しかし、場の反応に大きな変化はなかった。
 打開策を見いだせないまま、ひとまず前半を歌い終える。事前の打合せで、前半終了後に場のリクエストを募ってみる、という手はずになっていた。
 当日に知ったことだったが、入居者の希望だとばかり思っていた絞り込みリストは、実は職員の判断で作業が行われたという。ここに大きな認識のズレがあった。
 いざ場にリクエストを求めてみると、次々と飛び出す。検索が追いつかないほどの勢いなので、出た順に歌っていったが、前半と違って動作や声での反応が会場から出るようになった。

 そのまま後半はリクエストで進めることに方針変更。「春夏秋冬」は譜面がなく、記憶だけで歌ったが、何とか演れた。同様に「小春おばさん」も譜面がなく、こちらはアカペラで歌う。
 全く対応できなかったのが、「ありがとう(いきものがかり)」と「イヨマンテの夜」。どちらも過去にトライしたことはあるが、あまりの難しさに断念した経緯がある。全体的にマニアックなリクエストが多くて驚いた。


 リクエストはどんどん続きそうな気配になったが、終了時刻が迫ったことを告げ、ニギヤカ系の「どうにもとまらない」で歌い納めとした。
 ところが、担当のIさんがいきなり「アンコール!」と手拍子を始める。場も同調する雰囲気。打合せにはなかったが、短い曲で対応した。
 終了後、最前列で聴いていた若い女性が、モジモジしながら車椅子で近づいてきた。動作がぎこちないが、懸命に不自由な片手を差し出そうとしている。そばにいた職員さんがすかさず「握手?」と声をかけている。うなずく女性。
 こちらから近寄って、「どうもありがとう」と手を握る。(歌が全く受けてないのでは…)と、一時は落ち込んでいたので、ちょっと胸が熱くなった。

 これを機に、会場のあちこちから車椅子で近づいてくる姿がある。計4人の方と握手を交わす。自分の足で近寄ってきて、ていねいな挨拶をくれる方も数人いた。
 あとで知ったが、半身不随の方が多いそうで、基本的に拍手や手拍子はできないのだという。多くの方が打楽器を使っていたのは、片手でも音を出せるからなのだった。
 なぜ1曲毎の拍手がまばらなのか不思議でならなかったが、「拍手をしない」のではなく、「したくてもできない」ということらしい。ライブとしては決して失敗でなかったことが、最後の反応でも明らかだった。

 これまたあとで知ったが、弾き語りのボランティア自体が、施設として初めてだったという。そもそも娯楽系のボランティアを受け入れたことがほとんどないそうで、今回は試験的な位置づけだったらしい。職員さんの動きもどこかぎこちなかったが、ようやく納得できた。
 歌い手同様に、聴き手や主催者側にも「慣れ」は必要のようである。