ホームページを始めたばかりの頃で、自宅で仕事をしつつ、なにがしかの家事をやっている姿が、いかにも今風の「主夫」として担当者には映ったのだろう。
実はこの「主夫」だとか「主婦」という言葉が、私は嫌いだ。言葉の由来などには頓着しないが、世間がこの言葉に託している思いそのものを、本能的に嫌っているのかもしれない。
で、この依頼はあっさり断った。いまなら「主夫という言葉そのものが嫌いなので」とハッキリ書くかもしれないが、生きる覚悟がいまひとつ定まっていなかった当時は、「多忙なので」だとかの、当たり障りない理由を並べたように思う。
しかし、果たして家事は夫だとか妻だとか、あるいは男だとか女だとかの性の色分けで判別されるものなのだろうか?独身男性が家でやる料理や掃除は、果たして家事ではないのか?
だから、「私は家事をやっています」などと、ことさら胸を張って人前で宣言するのは、男であろうが女であろうが、ちょっとオカシイ気が私にはする。
私は世間でいう「家事」を、かなりやっているほうだと思う。掃除、洗濯、食器洗い、庭の手入れ、家の補修…。切れた電球を取り替えたり、庭のトマトのわき芽を摘んだりするのも、すべて「家事」のハンチュウだろう。
一方で生活費を稼ぐ手段としての仕事も、それなりにやっている。要は得手か不得手か、やれるかやれないか、ヤル気があるのかないのか、基準はそこだけのはずで、肩書きとしての「主夫」や「主婦」は、私にはほとんど意味がない。