正確に書くと、変色しているのは周囲の壁で、丸く残っているのは陽に焼けずに残った部分である。その丸い部分は、月日と共に次第に濃さを増しつつある。これぞ、時という見えないものが壁に描いた軌跡である。
妻と共に眺め、「月日が流れたね」などと、シミジミ感慨にふけったりしている。
我が家の壁は、木材チップスを有効再利用した「ハードボード」という特殊な材料で貼ってある。材質的には段ボールに似ているが、安価で丈夫、しかも成形時に接着剤は使っていないので、極めて安全エコロジーな製品だ。クロス張も不要で、工事単価を下げるにはかなり有効である。
いうことなしの材料のようだが、収縮が激しいことや色が濃いこと、変色しやすいことなどの性質が嫌われ、いまではほとんど使われなくなった。我が家のハードボード壁は、日本で現存する数少ない例かもしれない。
過去にこの材料に興味を示したお客様が一組だけいらしたが、あえてお勧めはしなかった。私や妻は前述の欠点など全く気にしないが、最初はよいと言いつつ、いざ変形や変色が始まってみると、「こんなはずではない」と言い始めるのがユーザーの常である。
些細な欠点にナンクセをつけ、安くてよい物の価値を見失い、高くてツマラナイものを選択しているのが世のごく普通の価値観である。おいしくて安くて安全でも、曲がったキュウリは捨てられる運命にあるのだ。
結局のところ、我が家の壁の丸い痕跡は、こうした私たち夫婦の偏屈な生き方そのものが描いた軌跡ということになる。そういうコトカ。