2007年6月23日土曜日

誰のために書く

 1996年春にホームページを開設して以来、リンクを介して11年間という長いつき合いのある方が、つい最近サイトを閉じた。最近はブログが中心で、それも数週間途切れたり、文体に覇気がなかったりと、徴候らしきものはあった。

 会ったことは一度もない。だが偶然住まいが近いらしく、同じデザイン業ということもあって、娘のような年代の方だが、細々と交際が続いていた。その方がブログに書いた詩に私が曲をつけたこともある。
 彼女の前で彼女との共作を歌うのがちょっとした夢だったが、あくまでホームページやブログを通してのつき合いだったので、それも難しいかもしれない。
 11年も続けたのだから、彼女なりの達成感はあるのだろう。なぜやめるのですか?などとヤボな詮索はしない。何となく、「ご苦労さま」とでも言いたいところだけれど、長年の同志を失ったようで、やっぱりどこか寂しい。
_8年前、自分のサイトで、「ホームページの寿命」というコラムを書いたことがある。愛と同じで、どんなものにでも飽きはくる。燃え方が激しいほど、冷えるのもまた急速なのかもしれない、といった主旨の文だ。
 そこでは、「2~3年で寿命はやってくる」という説を唱えているが、仕事ならいざしらず、単なる趣味のサイトを途切れることもなく、延々と続けてきた私や彼女は、例外中の例外だろう。

 最近はブログが巷で大流行だが、このブログの寿命もほぼ同じだと私は思う。要は誰のために書くか?である。
 自分の知的好奇心を満たす以外の理由、たとえば何らかの有形無形の見返りや報酬、名誉の類いを求めて始めたものは、それが叶った場合でも叶わなかった場合でも、数年で寿命はつきるだろう。
 ひとつの事を10年、20年と続けてゆくのは、並み大抵のことではない。