2011年10月15日土曜日

切ない旋律

 雨の予報が外れ、雲の間から晴れ間がのぞく。休暇で家にいた妻と紅葉狩りに出かけようかと迷ったが、ついこの前九州旅行から戻ったばかりなので、遠出は自重することにした。
 近隣のスーパーに買物があるという妻の求めに従い、昼食をかねて出かけた。

 紅葉がじわじわと街まで迫ってきて、スーパーの前にあるナナカマド並木の何本かは、真っ赤に色づいている。店頭にはすでに来年のカレンダーや年賀状の見本が並ぶ。今年も残り少ないと実感する。


「幸せのカエル」という新曲を作ったが、これが自分でもよく分からないファンタジー系の曲。といいつつ、ちゃんと曲に託したものはある。簡単に書くと、「幸せの在処はいずこに?」といった曖昧模糊としたテーマだが、詩もさることながら曲にこの曖昧さを吹き込むべく、「add9(アドナイン)」というコードをかなり使った。

 メジャー、マイナー、セブンス、メジャーセブン、マイナーセブン、等の系列がコードには存在するが、そのどれにも分類されないコードらしい。
 音楽的な意味は知らないが、たとえばAadd9なら、Amのコードから人差し指を抜けばよい。以下、Badd9、Cadd9も同様で、押さえ方自体はそう難しくない。
 このアドナイン系列のコードを使うと、ちょっと切ない感じの旋律になり、独特の気分が出せる。使い過ぎは禁物だが、「ここ」という場所に使うと、かなり効果的。

 同じ目的で「シックス」系列のコード(Dm6など)もたまに使うが、こちらは切なさがもっときつくなる。(故郷を歌ったオリジナルの「丁未」や、そのものズバリの「切ない夕暮れ」で使用)
 アドナインはこの「切ない夕暮れ」やシャンソン系オリジナル「メガネを買う」でも使った。使うのは確か今回で3度目。詩のメッセージを的確に伝えようとして手探りで会得したコードだが、アドナインという系列であることをのちに知った。60歳を過ぎて自然にたどり着いた旋律なのだ。