今回で3人の子供たちが暮らす街をそれぞれ夫婦で探訪し終え、いわば「子育て終了記念旅」が完結したことになる。子育ては大変でもあるが、こうした時間を子供たちと共有することで、何か報われたような気持ちにもなる。生きているうちに、そして、生きていればこその嬉しい旅である。
私は20歳のときに自転車放浪の旅で訪ねて依頼、41年ぶりの宮崎。そして妻は九州の地を訪れること自体が初めてだった。
長男の案内で私の青春の思い出の地、そして時間の都合で見逃してしまった地などを重点的に回ったが、天候にも恵まれ、新しい出会いもあり、充実した時間を過ごすことができた。
上の写真は自転車で訪れた際、道路上で不思議に光る数珠を拾った思い出の地、堀切峠である。新トンネルが完成し、国道ルートからは外れてしまっていたが、峠の佇まいは昔とほとんど変わってなかった。
頂上近くに新しくできた道の駅で美しい海岸線を眺めつつ、3人で美味しい珈琲を飲んだ。
上の写真は同じく自転車旅行の折、恩ある方が暮らしていた海岸である。(宮崎県日向市美々津)台風の接近で雨模様の海岸でテントを張っていたとき、家に招き入れて入浴やら食事、洗濯など、通りすがりの旅人に過ぎない私をまるで息子か孫のようにお世話して下さった
神武天皇にまつわる伝説が残る海岸と沖合にある2つの島は41年前と少しも変わっていず、泊めていただいたお宅の場所もすぐに見つかった。
神武天皇にまつわる伝説が残る海岸と沖合にある2つの島は41年前と少しも変わっていず、泊めていただいたお宅の場所もすぐに見つかった。
お世話になったKさんはすでに他界していて、海岸べりにあったお宅は建て替えられ、別の方が暮らしていた。しかし、Kさんをよく知る隣家の方が存命で、私が北海道から訪ねてきたことを告げるとたいそう驚かれ、涙ながらに故人のいろいろな思い出を懐かしく語ってくださった。
Kさんは私以外にも、しばしば見知らぬ旅人を家に泊めていたことを知った。慈愛に満ちた方だったのだろう。
この場所でKさんに出会い、私の人生の方向性が決まったのだと、いま振り返って思う。自分の辿ってきた足跡を妻や息子の立ち会いのもと、この目で確かめることができた。はるばる訪ねたかいがあった、生きてて良かったと思った。