「被災地支援」をうたいつつ、内情は上(プロかそれに近いポジション)を目指すシンガーの厳しい選抜の場であった、というのが参加しての実感である。趣味道楽としての音楽を追求するだけの還暦シンガーにとっては、やや場違いなイベントであったかもしれない。
文句なしで抜けた4組の演奏者が、いずれも20代かそれに近い若手であったこと。5位が同点で並び、審査員の話し合いでも決着がつかず、急きょ決勝枠をひとつ増やして2人とも選抜、という結果だった。
その後の調べで、この2人がそれぞれ45歳と47歳だった。やはり上位は若手、という審査結果はゆるがない。
(ちなみに、審査員は7人中5人がプロの音楽関係者である)
好みの問題はあるが、冷静に全体を見渡して、決勝選抜者とそうでない人とに、大きな実力差はない印象だった。すると選択の基準は、粗削りでも傑出した何か、たとえば抜群の声量であるとか、個性豊かな歌唱法とか、楽曲の個性的なメロディラインなどがまずあっただろう。
このほかに大きな基準があるとすれば、それは若さ、すなわち年齢である。つまり、同程度の実力ならば、将来の可能性で若い人を選抜するという、年長者にとっては冷酷な事実である。
この基準は音楽界に限らず、文学の世界でも同様である。たとえば芥川賞で同レベルの作品が並んだ場合、間違いなく若い方が選ばれる。理由は簡単で、若いほうがその業界に長く関わり、より貢献してくれる可能性(あくまで可能性である)があるからで、音楽でも文学でもいまや背景には商業主義が固く張りついているから、それは仕方がないことだろう。
「まだまだ若い者には負けない」などと粋がってみても、よほど抜きん出た力がない限り、年長者に勝ち目はない。
こうした事実がイヤであれば、最初から選抜を伴うイベントには一切参加しないことだ。あるいは、「応募条件は40歳以上」などと、年齢制限が明確なイベントに絞って参加する。
私は根が意地っ張りなので、あえて年齢制限のないフリーな選抜イベントにエントリーする傾向がある。
音楽や文学本来の姿を突き詰めてゆくなら、年齢など何の関係もないはずだ。しかし、今回も上記のような結果だった。単純な年齢以外に、年長者はおしなべて発想が固く、古いものに縛られる傾向があり、それも間違いなくマイナス側に働く。
今回のイベントでも音楽的なスタイルが古く、「いつかどこかで聴いたサウンド」といったパターンは、たとえ演奏はうまくて歌唱が優れていても、すべてふるいにかけられてしまった感じだ。
(若手でも古いパターンを踏襲している印象の人は落ちている)
くやしいが、私もその一人。だから痛みを伴う勝負を避け、自分を甘やかしてくれる場所に逃げ込むのか、はたまた新しいスタイルを追求しつつ、ショッパイ場所に挑み続けるのか、頭を冷やしてしばらく考えてみたい。