2011年2月22日火曜日

選択肢のない日本人

 政治がまたキナ臭い感じになってきた。民意の流れからすれば、解散総選挙は必至かもしれない。どっちにしても、またぞろリーダーが交代しそうで、無節操かつ忙しいことである。ブログで政治には努めてふれないようにしているが、今日は珍しく書く。

 ところで、「民意」というならば、一昨年の総選挙も、大いなる「民意」だったのではないか。要は選ぶ側と選ばれる側の両方に揺るぎない芯が存在せず、時に応じて水草のように、ゆらゆらとたゆたっているということか。


 あわれ日本人には、政治の選択肢というものがないのだな、とつくづく思う。総選挙を仮にしたとして、元の自公政権に戻しても何か画期的な転換があるとも思えず、他の政党に託したとて、おそらくは大同小異。
 むこう3年近くは変わらない参議院の状況を踏まえると、政界再編をし、多党連立政権が最も現実的な選択だが、やはり状況の劇的変化にはつながらない予感がする。
 そもそも政治は国民から乖離したものではなく、国民そのものである。国民の意識が変わらなければ何も変わらない。
 国民がアホであれば、政治はいつまでも愚かだろうし、国民が賢明であれば、政治もカシコクなってゆくはずだ。政治に何かやってもらおうと民がオネダリするから、いつまでも政治家はオトナになれず、票欲しさに安易にエサをちらつかせるだけだ。
 オネダリはもういい加減にやめましょうや。

 オカミはあまり当てにせず、選挙も行ったり行かなかったり、そして行かなかったりという、気ままな江戸時代の職人のような生き方をしているが、まあ、今後も極力政治に依存しない生き方を身の回りの些事から粛々と続けてゆくのが、いまの私にできる最良の選択と抵抗である。