「シャチョ~(私のこと)、ひとつどうですか。原油が値上がり中でして、いまが買い時なんスけどネ~」
だいたい私のことを「シャチョ~」だとか「センセ~」だとか呼ぶ人物は、まずそこで警戒してしまう。何かしらの下心が意識下に潜む場合が多いからで、ひとりぽっちのシガない自由業者のどこかシャチョ~で、どこがセンセ~なんですかい?と、こちらから聞きたいほどだ。
断るパターンはいくつかあって、相手によって使い分ける。こちらの事業形態が思わしくなく、高利の借金を抱えていて、その返済に追われていると告げると、たいていは電話を切る。
(この場合、それが真実か否かは別問題である)
以前は正論で応対していた時期もあり、あれこれ話すと相手は決まってひとつの言葉を投げかけてきた。いわく、
「シャチョ~、お金があって困る人はいないでショ。腐るもんじゃないし…」
いや、お金は必要以上にあると、とても困ることがあるんですよ。つまり、お金は腐ることもあるんですと告げると、そんな答えを予期してなかったらしい相手は一瞬沈黙し、これまたすぐに電話を切った。こちらを余程の変わり者か偏屈者と思ったのだろう。
途方もない額のサギでつかまった有名人がいる。月家賃が250万だとか、月の生活費が800万だとか、貧乏人には想像の難しい金額がポンポン伝わってくる。金はあればあるだけ使ってしまうものらしく、それはおそらく使い手の幸福感とは、必ずしも一致しない。
そういえば何億もの宝クジが当たったことで、ついには命まで落としてしまった気の毒な方もいた。必要以上の金は、やっぱり腐るのだ。そして辺りに災いをまき散らす。
ほどほどの貧乏人でいよう、これからも。