2008年11月30日日曜日

ビデオケースピック

 以前にも何度かふれたが、私のギター演奏に不可欠のピック探しに、相変わらず困っている。ずっと使ってきた手製ピックの手持ちが残り少なくなってきたのがそもそもの発端で、材料となるプラスチック板が入手できず、やむなく市販のピックをあれこれ試してみた。

 これまで4~5社のピックを使ってみたが、帯に短しタスキに流し。私の奏法に合うのはごく薄いタイプだが、弾きやすいものに出会うと、必ず数曲で割れてしまう。厚いタイプは比較的もつが、固くて感覚に合わない。
 さまざまなピックを試してみたが、実戦で使える市販品にはまだ巡り会っていない。わずか半年で20枚近くのピックが割れてしまい、1枚100円はするので、かなりの出費である。しかも、割れるのは大半が力の入るライブ本番のさなか。ライブの多かった今月は、すでに4枚が割れた。これは本当に困る。
 残る候補はクレイトンの0.56mmくらいで、ほぼ万策がつきた。


 思いあまってホコリをかぶっているビデオテープを再度調べてみた。実はこの3年間使ってきたピックは、ビデオテープのケースをくり抜いたもので、薄くてしかもしなやか。どんなに激しく弾いても決して割れることはなく、私にとってこれを超えるピックは現時点で見当たらない。
 これまで使ってきたのは、ソニー製のケースだったが、同じ物はもはや存在しない。ビデオケースなら何でもOKとはならず、厚さはおそらく0.6ミリ前後。大半のケースはこれより薄いか、はたまた極度に厚いかで、多くは使えない。

 丹念に調べてみたら、ノーグランドのケースでひとつだけ使えそうな物があった。さっそくくり抜き、今夜の居酒屋定例ライブの練習をかね、数曲歌ってみたが、なかなか具合がよろしい。
 1枚のビデオケースから作れるピックは、およそ35枚くらい。基本的にはタダで自分の生き方にもピタリ合致するが、弱点は柔らかいその分減りが早いこと。私の活動ペースだと、年に10枚は消耗する。
 仮に今回のピックが使える場合でも、3年後にはまた在庫が底をつく。そのときにまた考えるが、いらなくなったビデオケースを探すのが、一番てっとり早いかもしれない。

2008年11月27日木曜日

人生の終わり方

 一昨日夜のWさんの歌で気づいたことのひとつに、「曲の終わり方のうまさ」がある。ライブの場合、レコーディングと違ってF.O.などの音響技術は使えないので、終わり方にはいろいろ迷う。歌が終わったあとにギター伴奏であまり引っぱり過ぎるのも考えものだし、唐突にブッツリ切ってしまうのも愛想がない。

 私の場合はギター技術がないせいもあって、曲中のコードを短めにつなぎ、最後にギターをチャラ~ンとかきならし、「終わりです」と言葉に出す。
 聴き手に拍手のタイミングを歌い手自らが告知する、ある意味ではコソクなやり方だが、Wさんの終わり方には、しばしのリード伴奏のあと、ワンコードだけ転調して終わるという洒落た手法が結構あった。

 たとえばCで終わるべきところを、あえてラストにAでワンストローク弾いて終わるのだ。心の中に心地よい余韻が残る。
「いまのラストのコードは何?」と、ライブ中に直接聞いて確かめたりした。自宅ライブならではの出来事だ。


 曲の始め方より、曲の終わり方のほうが難しい気が私にはする。話が突然飛躍するが、人生もこれに似ていて、始まりは誰もが「ふと気づくと、いつの間にか自分がこの世にいた」といった感じではないか。
 人生の最初の記憶は私の場合、せいぜい3歳程度。それもごく断片的であいまいなもので、多少のつながりがある記憶はおよそ5~6歳あたりから。さしずめ私の「人生の始まり」はこの時期である。そこには何の備えや構えも必要なかった。

 これに対して、「人生の終わり方」は、誰しもが思い悩む重大事であろう。何の予告もなしに事故などでプッツリと人生の終わりがやってくる場合も当然あるが、この場合は余韻も備えもあったものでなく、まさに「突然さよなら」で、死への恐怖やら準備が不要なその分、むしろウラヤマしく感じさえする。
 普通に年齢を重ねた場合、ある程度の年になって平均寿命が迫ってくると、死への準備、つまりは「人生の終わり方」を、具体的ではなくても、誰もが意識のどこかに置き始めるだろう。
 先日の地元紙の投稿欄に、興味深い記事が載っていた。60歳過ぎから身の回りの不要品を着々と整理し、死に備えていた実母を振り返るエッセイだった。80歳過ぎに亡くなったその方には、タンスの引き出し2つ分の私物しか残されてなかったという。
 長く生きていれば、意識しようがしまいが、自然に生活の垢はたまる。死んだあとに残るのそれらの品々は、生者にとって想い出深い物ばかりではなく、多くは意味のない芥ガラクタだったりする。残された身内は、長い時間をかけてそれを整理しなくてはならない。そんな話をあちこちで耳にする。これを生きているうちに、そしてボケないうちに、少しでも片づけておけないか。

 50代の半ば、家にあったかなり多くの不要品を処分した。着なくなったサラリーマン時代のスーツを始め、今後使わないであろうスキーセット一式、その他もろもろで、当時乗っていたライトバン一杯に積み込み、処理場に直接持ち込んで安く処分してもらった。
 来年はいよいよ還暦で、つまりは60歳である。無用なものは極力買わず増やさず、「ひとつ買ったらひとつ捨てる」を夫婦ともども生活モットーにしているが、それでも知らぬ間にモノは溜まる。前回の「捨て残し」もある。そろそろ「人生のクリーニング第2弾」をやるべき時期かと、真面目に考えている。

2008年11月26日水曜日

初ツララ

 自宅の車庫&物置の屋根に、今年初めてツララが発生した。30センチほどの大きさで、しかも出入り口の真上。昨夜寝る前に外の寒暖計を見たら、マイナス10度近かった。この時期にしてはかなりの寒さで、雪は解けそうで解けない。
 車庫&物置は吹きさらしだから、ツララ発生に内部の熱は一切関わっていない。おそらく屋根に残った雪が日射で解け、そのまま凍ったのだろう。これまでこの屋根にこれほどのツララが発生した記憶はないが、もしかすると夏に改修して全面交換した新しい波板のせいかもしれない。

 母屋の屋根を調べると、割り箸ほどのツララが北側にだけ発生していた。ツララ出現には気温や日当たり、風や周囲の建物状況、建物の断熱や通気、屋根の材質や形状などの要素が相互に複雑にからんでいて、発生メカニズムは非常に難しい。三角屋根(落雪屋根)には、ある程度発生するものと考えておいたほうが間違いない。


 北海道の屋根で主流のフラットな無落雪屋根は、雪を屋根上にためて内部熱や日射で解かし、建物内部の樋から下水に流す仕組みなので、ツララは外部には発生しない。
 しかし、こちらも条件次第で、樋の中にツララかそれに近い氷塊が発生し、樋全体が凍結するなど、大問題になることがある。外から見えないから目立たないだけで、見えないその分、気づくのが遅れる。

 建物の立場から見ると、雪や雨はすんなり外に落とすか流すのがごく自然で、長い目で見ると落雪屋根のほうが負担は少ない。内部で暖房をする場合は熱が屋根に逃げないよう、断熱と屋根の通気に気を配ればツララ発生は最小限で済むが、それでも外部要因がからんできた場合は、ゼロにはならないだろう。
 写真のツララは、このあと専用の「ツララ落とし棒」で素早く撤去した。ひょっとして新聞配達の方などに落ちて当たる可能性がゼロではないからで、いわゆる「施主責任」である。
_かねてから手がけていたホームページの改変作業が、かなり進んだ。サブメニュー画像を全面変更し、見た目でもそれと気づく。
 今回、画像に初めてPNG画像を使った。JPG画像のように圧縮劣化がなく、その割には軽い。小さめの画像にはお勧め。

 このPNG画像は「透過処理」といって、背景などを透明に抜くことができる。うまく使うと、ホームページ構成の幅が広がる。
 今回のサブメニューにもそれを使っているが、テストしてみると、WindowsのIE6以下だけがうまく動作しない。(つまり、透明に抜けない)調べてみると、これがIE6の大きな欠点らしい。
 WindowsのIE6を使っている閲覧者はかなりの比重を占めるので、何とかしようと悪戦苦闘し、JavaScriptを使うと対応可能なことが分かった。さっそく修正してみると、サブページではうまく抜けるが、トップページでは駄目。
 トップではJavaScriptを使った別のイベント(サブメニューにマウスをあてがうと、画像が変化する)をやっているので、どうやらこの2つがコンフリクトしているらしく、片方を動作させると、もう片方が動作しないというジレンマ。

 結局、現段階ではトップページの透過処理を断念。画像の一部に薄く色違いの部分が残ってしまった。よく見ないと分からないが、作った側としては気になる。

2008年11月25日火曜日

プチ自宅ライブ

 予定よりも少し早く、午後6時半過ぎにWさん夫婦が我が家にやってきた。今回の来訪の目的のひとつは、半年ほど前からメールでずっと話題になっていた、我が家の住まいの様子、暮し方の様子の探訪である。設計事業の一環として一時期やっていた「Open Office」の延長といえるかもしれない。
 当初はWさん単独の予定が、急きょ奥様も一緒にということになり、なるべくゆっくりしていただくよう、夕食も準備した。

 すでにあたりは暗いので、家の外回りはよく見えない状態だったが、内部はじっくり見ていただいた。ブログやHPである程度の事前情報はあっても、実際に見るのとは、やはりかなりの違いがあるもの。狭い家でもただ見るだけで、それなりの時間が経つ。30分ほどして、さてこれからどうしましょう、となった。
 今回の来訪の目的はもうひとつあり、2階の「特設スタジオ」で、ちょっとしたセッション、つまりはプチ・ライブをやることだった。
 歌うのは食事の前か、はたまた後かという選択だが、「メシと酒は歌ったあとがフツーでしょ」という私の一声で、まずは歌うことに決定。あとで聞いたことだが、妻は準備した料理の段取りとその調整に、ちょっと困ったらしい。


 最初は私が歌うことになったが、若い割にはフォークには精通しているWさん、1曲目の「酔いどれかぐや姫」から、リード伴奏をアドリブでつけてくれることになった。
 その後、かぐや姫の歌を中心に、時には二人一緒に、時には交代で延々と歌う。はっきり数えてないが、合計で15曲前後は歌っている。
 聴き手はそれぞれの伴侶、あわせて二人だけだが、初めて聴く本格的なフォークセッションに、ソロでの私の歌しか知らない妻は、えらく感激していた。

 今回、ギターは2台とも私の物を使ったが、40年近く前に買ったモーリスのギターが、Wさんが弾くと実によく鳴るのに驚いた。道具は使いようによって、いくらでも変わり得るということである。
 いつも歌う立場でしかない自宅スタジオを、本格装備で聴き手に回ったのも初めての経験だったので、エラく新鮮だった。リバーブは自分が思っていたよりも控えめで、いかにも我が家らしい自然な音だった。
 ふとみると、時計は8時を回っている。かれこれ1時間近くも歌ったわけで、「ずっと聴いていたい」「ずっと歌いたい」という聴き手、歌い手それぞれの声を押しとどめ、続きはまたの機会にということで、プチ・ライブは終了。

 夕食は充分な量を準備したが、息子や娘と同年代の若い二人は、気持ちのよい食べっぷりで、招いた側も張り合いがあるというもの。本日のメニューは以下の通り。

・サモサ ・鶏の漬け煮 ・納豆チヂミ ・モヤシのナムル
・五目飯 ・卵のスープ ・ラズベリーサワー

 歌う時間が想定をはるかに越えた関係で、揚げ物系の食材が冷めて暖め直したが、相対的に味はよかった。納豆チヂミとラズベリーサワー以外はすべて妻の担当だが、磨いた腕はいまだ健在である。
 食事中は音楽関連や私の仕事関連の話題が中心で、あっという間の5時間が過ぎ去った。Wさんと会うのは今日で2度目、奥様とは初対面だが、人と人のつながりとは、本当に不思議なものである。

2008年11月22日土曜日

心地よい疲れ

 札幌市手稲区にあるグループホーム「笑顔の村」で、1年半ぶりに歌ってきた。複数の施設を運営している会社なので、ホーム長さんは前回とは変わっていたが、入居の方々が私のことをずっと覚えてくれていて、再度のお呼びがかかったという次第。歌い手としては、大変うれしくてありがたい話である。
 前回の反応もふまえ、にぎやか系の曲を多めに用意したが、予定していた15曲を40分で一気に全部歌い終えても、場の空気はなかなか収まらない。とにかく、多くの歌に即興で「踊り」がつくのである。あの「ポニョ」ももちろん歌ったが、その「ポニョ」にまで…。実に珍しいことで、施設によって場の雰囲気は実にさまざまだ。

 前回も同じことがあったので、アンコールに準備していた「ソーラン節」をとりあえず歌ったが、それでもまだ場は盛り上がったまま。もしかすると、「火に油」だったか?


 その後、いろいろリクエストなど出たが、あいにくどれも歌えず、我がレパートリーの狭さを思い知る。やむなく無難な「上を向いて歩こう」を歌い、どうにか終わらせていただいた。

 結局50分強で17曲を歌ったことになる。短めの曲を選んだせいもあるが、もしかすると新記録かもしれない。


 終わると私も含めて全員での記念写真撮影、そして入居者代表の方から花束をいただく。これまたどちらも初めての経験で、感激した。

 軽自動車に換えてから訪問ライブでのフル装備移動は初めてだが、後部トランクに全てがぴったりコンパクトに収まった。なかなか使えるヤツだ。
 かなりの遠方だったが、雪は完全に解け、車の流れはスムーズだった。力の入る曲が多く、少し疲れたが、心地よい疲れである。

2008年11月18日火曜日

勝負球

 晴れたり雨が降ったりと、忙しい一日だった。

 午前中の晴れ間に郵便局に行き、慶弔はがきを買う。すぐに戻って印刷したが、慣れないプリンタなので、3枚の印刷ミス。数には少し余裕をみて買ったつもりが、なぜかぴったりの枚数で、ひとまずある分だけを印刷した。
 レーザープリンタはにじみが一切なく、再生紙はがきでも文字は非常にクリアだが、やはり熱でかなり紙が曲がってしまう。家にあった紙ではあまり問題なかったが、どうやらはがきを保存してある郵便局の湿度が高いせいらしい。
(現在の自宅の湿度は、48~49%あたりで、安定している)

 しばらく時間を置いたら、そりもかなり戻ったので、刷り上がった分を出しに行った。ついでに、印刷ミスの3枚を交換してもらう。
 帰り道はかなりの雨。明日はいよいよ雪になるらしい。郵便局への片道2キロの道は2往復とも徒歩で、合計8キロも歩いた。ガソリン代の節約と生活習慣病の予防ね。
 3日前の自宅コンサートで、「トリル」というギター手法をかなり使った。押さえて弾いた弦を一度放し、またすぐに押さえるというもの。使えるコードは限られるが、「タリラ~ン」といった感じの、ちょっと気の利いた音になる。
 熟練したギタリストならどうということもない技だが、私にとってはかなりの進歩。流れの中で自然に入れられるようになったので、最近よく使う。

 そのことは妻には黙っていたが、あとで確かめたら、「気づいたけど、指がひっかかったのだと思った」と軽くいなされ、力が抜けた。ちゃんとリズムには収めたつもりなのだが、意気込んだ割には、聴き手の耳には届かなかったらしい。

「ギターはほどほどでいいから、あなたはボーカルに力を入れるべきよ」とその後、だめ押しされた。妻は聴き手としては、耳が肥えているほうだと思う。しかも私の歌を最も長く、そして数多く聴いている。その妻の言い分は、決して軽くはない。
 要は「あなたのギターで泣く人はいないが、歌でならそれができる」ということで、磨くべき勝負球は、やはりボーカルですか。

2008年11月17日月曜日

赤き枯野に

 ぬくぬくとした春のような陽気が続く。準備万端の年に限って、冬の訪れは不思議に遅い。今朝は布団の中で暑くて目がさめたほどだ。
 暖房も不要なので、どんどん価格が下がっている灯油も、ほとんど減る様子がない。来年は仕事が減りそうな気配が濃厚なので、助かるといえば助かるのだが。

 最近、夕方の月の出と日没とがほぼ同時刻になっている。
「菜の花や 月は東に 日は西に」という与謝蕪村の有名な俳句があるが、この句の背景は明らかに春。しかし、現実には秋から冬へと季節が移り行くいまも、全く同じ現象が起きているのだ。


 写真はほぼ真東から出た直後の月で、自宅前の道路から撮ったもの。同じ時刻に階段を駆け上がり、2階の仕事場から真西の方角を眺めると、手稲連峰にまさに沈まんとする太陽が同時に見られる。
 つまりは、天空をはさんで月と陽とが対峙しているというわけで、なかなか風情がある。

 久しぶりに一句詠んでみる。
風深く 赤き枯野に 月浮かぶ

 チラホラと喪中はがきが舞い込み始めた。もうそんな時期で、父を亡くした今年は、すぐにでもその手配をする必要がある。
 午後から私の分と母の分とをまとめて原稿を作る。妻の意見も聞いて修正を重ね、何度か試し刷りをした。費用を安く上げる手段をいろいろ調べてみたが、季節を問わず発売されている郵政の慶弔はがきを使い、自分で刷ってしまうのが結局は安上がりであることが分かった。

 残念ながらこのはがきには年賀のようなインクジェットタイプがない。原稿にはネットで探し当てた透かしのイラストを入れたが、すべてモノクロなので、買ったばかりのレーザープリンタが使える。
 ちょっとしたデザイン的処理も加え、試し刷りしてみると外注とほとんど変わらぬ仕上がり。母の分は個性を抑えたごく一般的なタイプにした。どちらも浄土真宗の総本山が推奨している形式を重視し、「喪中」の言葉は一切入れなかった。明日中には投函予定。

2008年11月16日日曜日

冬への備え

「自宅コンサート」という大きな節目を終え、あとは一気に師走へとなだれこむのみか。我が身を取り巻く諸事情は決して穏やかなものばかりではないが、あまり悲観的にならず、愛する人々と支え合って生きてゆこう。


 ということで、直接の関連性はないが、今年もタクアン用の大根を漬け込んだ。干し上がった大根の全重量を計ってみたら、今年は去年よりも2キロ多い12キロちょうど。いつものように長年培ったレシピに従い、各種材料を混ぜ合わせた。
 去年と重複するが、およそ以下の通り。

・干した大根:12Kg
・ぬか:1.2Kg(大根重量の10%→多めでもよい)
・塩:720g(大根重量の6%)
・赤ザラメ糖:120g(大根重量の1%)
・赤トウガラシ:5~6本
・昆布:10センチくらい
 その後、干した葉と色づけ用の柿の皮を上に載せて封印。重しの石を20キロほど上に載せ、タイヤ置場の横、外ムロの上に漬物容器を置く。
 外ムロを使いはじめる12月下旬には石も軽くなり、移動は楽になる。ともかくも、冬への備えがまたひとつ終わった。

2008年11月15日土曜日

2008夕映えコンサート

 都合5度目となる自宅での「夕映えコンサート」を無事に終えた。参加者は私たち夫婦を含め6名という、文字通り内輪のプチ・コンである。開始は午後4時半の予定だったが、4時20分には全員集合したので予定を5分早め、16時25分スタートとした。
 サブタイトルを「愛しき日々」と題した今回のコンサート概要は、以下の通り。
♪第1部「生きること」をテーマに、カバー曲中心で9曲
〜休憩5分〜
♪第2部「愛すること」をテーマに、オリジナル曲中心で9曲
♪エクストラステージ~カバー曲とオリジナル曲で計4曲

 合計22曲、1時間35分のステージで、終了は予定ぴったりの18時だった。


 カバーとオリジナルの比率は、およそ6:4程度。ただ、カバー曲もマニアックな曲が多く、耳新しさを重視した。
「エクストラステージ」とは構成の都合で選曲からもれたが、捨てるに忍びなかった歌で、要は「セルフ・アンコール」の位置づけである。

 今回、初めて小型のモニタスピーカーをつないで歌ったが、ボーカルのボリューム調整が自在にできて、抜群に歌いやすかった。全22曲はかなりの冒険だったが、喉の調子は尻上がりに良くなった。


 課題は前半、場をつかむまでの音程の不安定さか。特に低音域のバランスが悪かった気がした。モニタを使ったので、普段よりもアラが際立った感じだ。反対に、これまでの課題だったマイクの使い方は、モニタのせいもあってかなり向上したと思う。

 終了後の茶話会は、コンサートのテーマに相応しい、深くて濃い内容であった。

2008年11月14日金曜日

独学PA

 終日明日の自宅コンサートの準備に追われた。「内輪のプチ・コン」などと言ってはいるが、いざやるとなると夫婦とも力が入る。二人とも根がマジメだからね。だからナカヨシで一緒にいられる。
 昨夜のうちにメモ用紙に「やるべき準備」をリストアップしてあったが、これが結構な数。昨日のうちにできたのは、「靴の洗濯」(外用デッキシューズをライブ用に使う)だけだった。

 一夜明けて、さあ、まずは家の掃除からだと張り切っていると、休暇で家にいた妻が風邪気味で体調が優れない。それはイカンと薬を飲ませて2階の暖かい部屋でしばし寝かせた。掃除機の音はたてられないので、まずは去年のPA設定値資料をパソコンで調べる。
 PA一式は普通の市販品をバラで使っているが、本格的なエフェクターを買った去年からは、音が格段に向上した。そのときの各種設定値はデジカメで写して保存してある。


 左がオーディオテクニカのミキサーで、4本の入力、2本の出力が可能。右がZOOMのエフェクターで、入力2本、出力2本である。このように最適値やケーブル接続の様子を記録しておけば、いつでも同じ音が得られる仕組み。単純だが、安全確実な手段である。
 PAは素人だが、見よう見まねでそれなりに覚えた。高価な機器はないが、聴き手の評判は非常にいい。

 ただ自宅ライブの場合、企画~構成~弾き語り~PA、これらをすべて一人でやらねばならない。特に演奏して歌いながら曲毎にPAの設定を微調整するのは、事実上不可能。ボーカルはマイクの使い方や歌唱法で調整できるが、ギターは音量を手元で調整可能なエレアコが必須となる。
 つまり、アルペジオ系の静かな音の場合はギターのボリュームを上げ、ストローク系の激しい曲調では、ギターのボリュームを落とすということ。欲を言うとキリがないが、素人レベルとしては満足の出来る音にようやくたどり着いた。
 家中の大掃除とPAのセッティング、ライトの設営までが終わったところで、妻と二人で買物に行くことにした。妻の手元を見ると、何やらメモを握りしめている。何かと思ったら、何と明日のための買物リスト。いやはや、実にマジメですな。
 必要なものを買いそろえ、家に戻ってまたまたリハーサル。普段は移動用の簡易PAでしか練習していないので、本格PAだと随分感じが変わって一瞬戸惑う。しかし、じょじょに勘を取り戻した。

 残るはギター弦の張り換えと、終了後茶話会のための、居間設定変更(床の堀コタツをフラットにする)くらいか。準備は整った。

2008年11月13日木曜日

秋、散策

 新車の1ヶ月点検を無料でやってくれるというので、近隣の系列ディーラーに車を持ち込んだ。新車を買うのは20年ぶりだが、前回はそんなサービスがあったのかどうか、まるで記憶にない。
 車検証ケースには1ヶ月と6ヶ月の点検保証書が添付されていて、それを窓口で見せるだけ。買った店とは違うのだが、車が売れない世相も反映しているのか、対応は非常にいい。

 予約は午後1時だったが、出発直前に換えたばかりの冬タイヤに、シールが1枚ついたままなのを発見。そのまま走るわけにもいかず、苦心してはがしたら、30分遅れてしまった。
 そのせいかは分からないが、終わるのに1時間はかかるという。季節柄、冬タイヤの交換業務がたてこんでいるのだろうか。立派なロビーで待つように言われたが、近所のヤマダ電機に用事があったのでそこから歩いて行き、時間をつぶすことにする。


 場所は札幌都心から石狩へと抜ける通称「石狩街道」沿いで、ふと見ると、併行して流れる創成川沿いに、河川敷公園が整備されている。車窓から見たことはあるが、歩いたことはない。散策がてら、ここを通って行くことにした。

 川沿いの緑地はまるでヨーロッパのような美しい佇まいだった。繁る木々にも歴史を感ずる。12~13歳のころ、この近くに住んでいたことがある。その頃もポプラの木が生えていた。おそらく当時の木も残っているはずだ。


 公園は木道が整備されていて、歩きやすい。その木道に散らばる無数の落ち葉。その上をジョギングの人がゆっくりと走ってゆく。絵になる。
 ふとある歌を思い出した。脱サラ直前の時期、最後の東京の秋に流行っていた「恋人よ」のフレーズそのままの光景だ。

 散らばった落ち葉は、自然の織りなすオリジナルデザイン。人間がチマチマ工夫をこらしたとしても、このありのままの美には到底及ばない気がする。


 1キロほど北に歩き、そこから西にあるヤマダ電機へと向かう。幹線道路と併行し、これまた緑地公園が延々と整備されている。自転車と歩行者とが区別され、自転車通路は焼き過ぎレンガ敷。こちらの歩行者用通路はクラッシュレンガを混ぜた土である。雨によるぬかるみを避ける配慮だろうか。なかなか心憎いことをやってくれる。
 途中、紅葉が緑と黄色と赤の3段階に別れた見事な低木を多数発見。種類は不明で、あまり見かけない木だ。じっとながめるうち、自宅の庭にも欲しくなった。機会があれば、挿し芽で増やしてみるか。

 ヤマダ電機でプリンタの接続ケーブルを買い、別の道経由で戻る途中、古い農家の納屋を見つけた。以前にも車窓から見かけたことがある。住宅街のど真ん中だが、周囲にはまだ畑もあり、都会の中の異空間だ。
 北方住宅の原点のような家で、大工だったいまは亡き父がよく建てていた家も、ほぼこのような単純形状の三角屋根であった。私も自宅を設計する際、影響を受けている。


 壁はドイツ下見板張、屋根は長尺トタンの蟻掛葺で、サッシは一部断熱サッシが使われている。いまは車庫と納屋だが、もしかすると以前は人が住んでいたのか。
 壁も屋根もよく手入れされていて、シンプルな機能美を感じる。壁の濃い茶色と屋根のベンガラ色(濃赤)のバランスが絶妙。しばし、見とれる。

 あちこち見て歩いたせいで、店に戻ると1時間半が過ぎていた。車はスッキリと洗車までされていた。次回点検は来年の4月、今度は春の散策が楽しめるかな。

2008年11月10日月曜日

冬タイヤに交換

 気温は低いが陽射しが暖かいので、この機を逃してはならじと、車のタイヤを冬仕様(スタッドレスタイヤ)に交換した。
 軽自動車は車もタイヤも軽く、これまでの普通車バンより作業は楽なはずでいたが、出だしでいきなりつまずいた。夏タイヤのホイールがどうしても外れないのだ。
 夏タイヤはアルミの特製にしてもらった関係で、説明書にも外し方が書いてない。そもそもこれまでホイール付のタイヤなど、使ったことがないのだ。

 あれこれやってもダメ。下手にいじるとホイールを傷つけそうだったので、あきらめて車屋さんに「お助け電話」をかけた。すると何てことはなく、中央近くにある小さな円盤の隙間にマイナスドライバーを差し込み、こじればいいだけ。でも、聞いてよかった。


 冬タイヤにもしっかりホイールが装着されていて、こちらもいちいち外さなくてはならない。見てくれのいいものは、何かと手間がかかるもの。
 今回からタイヤの交換ローテーションを真面目にやろうと考えていたので、すべてのタイヤに番号をつけた。あれこれやってようやく終わったら、丸1時間が過ぎていた。以前は30~40分で片づけていたから、かえって時間がかかったわけだ。慣れれば短縮できるだろうけど。

 唯一よかったのは車体が軽くて小さいので、交換作業が車庫の中でそのまま出来たことくらいか。ともかく、またひとつ冬の備えが進んだ。

2008年11月8日土曜日

蘇るファイル

 風速10メートルを越す強い風が、終日吹き荒れた。自宅南壁を厚く覆っていたツタの葉も、半分ほどが落葉し、吹き飛んだ。わずか2日前には下のような鮮やかな紅葉だったが、記憶とカメラにしっかり写しこんでおいてよかった。
 寒いので、暖房ボイラも終日つけていた。室温20度以下だと、活動意欲も下がってしまう。


 黙々と続けていた歌詞譜の整理を半分ほど終えたとき、複製ファイルまでもが突然壊れてしまい、修復不可能。フォントサイズをいじると突然フリーズし、続行不能に陥る。完全に暗礁に乗り上げてしまった。
 どうしても納得がいかず、夕食もそこそこに復元作業に取り組んでいたが、夜半になってついに画期的な解決策にたどり着いた。もしかすると参考になる方がいるかもしれないので、手法を記しておく。
_使用ソフトはマックOSに標準装備の「AppleWorks」データベースモードである。

1)健全なファイルを開いてデータを全選択し、全消去。
2)壊れたファイルを開いてデータを全選択し、空白になった上記ファイルの中に直接ドラッグする。それだけ。

 1)2)のファイルは、データベースのフィールド数と仕様が一致していることが条件。(単純にバックアップをとったファイルなら、一致しているはず)これにより、すべてのデータがフォントや色、サイズもそのままに、健全ファイルとしてよみがえった。新規キーワードも無事に追加でき、今後のライブ活動に活きるだろう。
 丸1日ほど時間を無駄にしたが、日頃からバックアップをマメにとっておいてよかった。

2008年11月6日木曜日

ペン型消しゴム

 時代遅れかもしれないが、いまだに消しゴムをよく使う。つまりは鉛筆やシャープペンなどの筆記用具を使っているということで、柔らかい書き味と、何度でも修正可能な特質はなかなか捨てがたい。
 仕事場にはもちろん、居間のあちこちにも鉛筆が置いてあり、何か閃くとすぐにメモするクセがついている。このブログはもちろん、HPやDIYに関するさまざまなアイデアは、大半がこの鉛筆とメモ用紙から生まれている。

 常用している超小型のシステム手帳にも、100円ショップで入手した細いシャープペンがささっていて、こちらのメモや住所録もすべて鉛筆書き。この習慣からは当分抜け出せそうにない。
 消しゴムはトンボのMONO-LIGHTで、仕事が手描きだった時代の図面の下書きにも、ずっとこれを使ってきた。安い割によく消える。こちらも手放せない。


 消しゴムで最近困っていたのが、置く場所。これまで入れてあった引き出しは、パソコンの台頭で仕事場の片隅に追いやられてしまい、いまでは単に予備を入れてあるだけ。やむなくペン立ての中に1個ずつ入れてあったが、これがいざ使うときに取り出すのが面倒くさい。うまく取れずにペン立てを全部ひっくり返すことも多く、困っていた。
 例によってアイデアはずっと頭の中で発酵させていると、あるとき不意に解決策にたどり着く。
 以前にドイツ製の「ペン型消しゴム」という文具を買い、結構重宝していた。(写真中央の水色の製品)消えが悪いのでいまは使ってないが、「長い消しゴム」というのが、実は一番使いやすく、転がってなくす可能性も少ない。

 あれこれ思案するうち、棒などに消しゴムを固定させ、他のペンと同じ長さにしてペン立てにたてておけば見つけやすく、使いやすいことに気づいた。
 最初は古い編み針の先端を削り、消しゴムを突き刺して使っていた。(写真奥のペン立てに入っている物)なかなか使い勝手がいいので、本格的に作ったのが写真手前の物。10センチほどの木棒の先端に釘を打ち、ニッパーで頭を切ったあと、消しゴムを突き刺せば完成。
 もしかすると同じタイプの文具が市場にあるかもしれないが、安価な手作り品であるところがミソ。

2008年11月4日火曜日

カネは腐る

 最近はめっきり減ったが、アヤシゲな金融商品を買えという勧誘電話がしばしば舞い込む。いわく、
「シャチョ~(私のこと)、ひとつどうですか。原油が値上がり中でして、いまが買い時なんスけどネ~」

 だいたい私のことを「シャチョ~」だとか「センセ~」だとか呼ぶ人物は、まずそこで警戒してしまう。何かしらの下心が意識下に潜む場合が多いからで、ひとりぽっちのシガない自由業者のどこかシャチョ~で、どこがセンセ~なんですかい?と、こちらから聞きたいほどだ。
 断るパターンはいくつかあって、相手によって使い分ける。こちらの事業形態が思わしくなく、高利の借金を抱えていて、その返済に追われていると告げると、たいていは電話を切る。
(この場合、それが真実か否かは別問題である)
 以前は正論で応対していた時期もあり、あれこれ話すと相手は決まってひとつの言葉を投げかけてきた。いわく、
「シャチョ~、お金があって困る人はいないでショ。腐るもんじゃないし…」



 いや、お金は必要以上にあると、とても困ることがあるんですよ。つまり、お金は腐ることもあるんですと告げると、そんな答えを予期してなかったらしい相手は一瞬沈黙し、これまたすぐに電話を切った。こちらを余程の変わり者か偏屈者と思ったのだろう。
(その評価は実は正しいのだが)
 途方もない額のサギでつかまった有名人がいる。月家賃が250万だとか、月の生活費が800万だとか、貧乏人には想像の難しい金額がポンポン伝わってくる。金はあればあるだけ使ってしまうものらしく、それはおそらく使い手の幸福感とは、必ずしも一致しない。

 そういえば何億もの宝クジが当たったことで、ついには命まで落としてしまった気の毒な方もいた。必要以上の金は、やっぱり腐るのだ。そして辺りに災いをまき散らす。
 ほどほどの貧乏人でいよう、これからも。

2008年11月3日月曜日

雑食嗜好

_雨や風が吹き荒れ、カミナリが鳴ったり時に陽もさしたりと、忙しい一日だった。午後は外に出ず、終日ライブ用の歌詞譜(コード譜)の整理にいそしむ。
 コード譜管理はマックでいつもやっている。データーベースソフトを使っているが、今年になってOSを変えた関係でレイアウトを全面変更し、一部表記のズレが出ている。使用度の高い楽譜はその都度修正しているが、古い楽譜はそのまま放ってあった。雑事の一段落したいまが、やるべき時だろう。

 整理ついでに、コードの修正や不要な楽譜そのものを消したりもしている。演奏時間が空欄の曲は実際に歌い、時間を確認してデータを追記する。
 データは全部で500曲を軽く超えるが、今日は40曲ほど済ませたところで息切れ。そのうち半分以上は実際に歌ったので、いいトレーニングとリハビリにはなった。
 私の歌詞譜には、曲毎に以下のデータを記載してある。

・歌詞(パートのある場合は、青と緑で区別)
・ギターコード(赤で表示→前奏や間奏は紫)
・作詞者、作曲者、歌手
・ギターカポの位置
・ギター奏法の注釈(リズムパターンなど)
・曲の出来た西暦年
・演奏時間
・ジャンル(オリジナル、フォーク、演歌、唱歌、GS、ポップス、洋楽、他)
・対 象(Y:若い、M:中年、O:高齢者、A:万人むけ)


 どれもライブやその事前の準備に必要なデータばかりで、情報収集はすべてネット検索に頼っている。そのほか、「ゆっくり」「ミュート」「ハイコード」など、演奏に必要な情報も歌詞やコードの間に小さい文字で打ち込んである。
 データベースソフトには検索機能もあって、たとえば「涙がタイトルに含まれる曲」「唱歌をすべて」「井上陽水の曲をすべて」などといった絞り込み検索も瞬時。データの更新さえマメにやっていれば、非常に重宝する。
_今回、データを作って何度か歌い込み、確かにレパートリーに加えたのに、何年も歌ってなく、今後歌う可能性もない曲はバッサリ消去した。作った当時は何らかの思い入れがあり、熱心に作ったデータでも、時とともに色あせる。そういうこともある。
 反対に数年ぶりに歌ってみて、(やっぱりいい曲だ)と見直した曲もあった。具体的には、「僕は泣いちっち」「廃虚の鳩」「桃色吐息」あたり。これらの曲は今月後半に予定されているいずれかのライブで、もしかすると歌うかもしれない。

 私の曲の嗜好は食べ物でいうなら「雑食」で、ジャンルは雑多。いわば「なんでもあり」状態で、唯一無二の基準は、「自分が歌って気分がいいか?」だけである。
「~じゃなきゃダメ」という方には受け入れられにくいが、待ちは広いほうが、人生楽しい。

2008年11月2日日曜日

味噌か醤油か

 家庭菜園に唯一残っていたシソ(大葉)の実の使い道を調べるうち、やはり漬物にしている人が一番多いことが分かった。ネット上にレシピも豊富。
 醤油漬は以前に何度かやった葉の醤油漬に近く、手っ取り早い。しかし、味噌漬にしているという珍しいサイトを発見した。読んでいるうち、無性にこれを食べてみたくなった。
 まずはシソの実の収穫である。根元からばっさり切り取り、丹念に実をしごき取る。葉は食べつくしてしまい、ほとんど見当たらない。レシピには最低1カップ必要とあるが、ボウルにあけてみたら、軽く2カップはありそうだった。

 妻は味噌漬でなく、醤油漬を所望。意見が分かれたが、どちらにもミリンが必要で、あいにく切らしている。シソの実はひとまず塩水に漬けてアク抜きをすることにし、スーパーにミリンを買いに行った。


 考えたすえ、今回は1カップずつに分け、味噌漬と醤油漬の両方をなかよく作ることにする。夕食後、アクも抜けたシソの実をさっそく処理した。およそのレシピは以下の通り。

《シソの実醤油漬
・アク抜きしたシソ1カップ(水気を切る)
・みりん 大さじ2
・昆布 10センチ(小さく切る)
・醤油 0.5カップくらい

 上記を全部まぜ、空瓶などに入れて、醤油をひたひたに入れて蓋をし、冷蔵庫で10日ほど寝かせる。

《シソの実味噌漬》
・アク抜きしたシソ1カップ(水気を切る)
・みそ 0.5カップ
・砂糖 大さじ2.5
・みりん 大さじ1.5
・酒 大さじ1.5

 シソの実以外を全部まぜ、半分を空瓶などに入れる。キッチンペーパーにくるんだシソの実をその上に載せる。残った味噌ダレをさらに上にかぶせ、冷蔵庫で3日ほど寝かせる。
 まずは3日後を楽しみにしましょう。

2008年11月1日土曜日

いまでも小林君

 天気がいいので、昨日買った大根をヒモでしばり、さっそくテラスに干した。去年より少し早いが、見慣れたいつもの晩秋風景である。
 大根は10本で580円の洗い大根を30本購入。去年よりもやや太いので10本少なくし、総費用はやや安く済んだ。大根を干さないと何となく気が落ち着かないが、これで冬の準備も大きく前進した。

 外に出た勢いのまま、夏に食卓をにぎわしてくれたトマトの残骸を一気に処分。支柱やヒモも全部外して物置にしまい、来年に備える。最後に残っていた枝豆(大豆)の種も採取し、菜園はきれいさっぱり。残っているのは大葉だけとなった。
 鈴なり状態の大葉(シソ)の実は、もしかすると使い道があるかもしれない。可能性としては漬物だが、ネットでよく調べてみたい。


 全部終わって道具の片づけをやっていたら、「小林君が出てるよ!」と、妻が窓から呼んでいる。

 今日はサッカーのナビスコ杯決勝で、大分VS清水の対戦だが、大分トリニータのDF、小林宏之選手は小学校時代からよく知っている選手だ。その小林君が交代要員だったが、優勝間近のフィールドに立っている。
 地元サッカー少年団の指導に携わっていた10数年前、小林君の所属する近隣のチームとよく練習試合をやった。弱小チームの中で当時から秀でた才気を発揮していて、将来はプロ確実と言われていた。
 グランドで出会うといつも「こんにちわ」とキビキビ挨拶をくれるキモチのよい選手で、その後サッカーの名門清水商業高校~筑波大学と進み、筑波大では主将まで務めた逸材だ。

 卒業後はJ1の浦和レッズに入団し、当初はストッパーとしてスタメン起用されていたが、その後次第に出番が少なくなり、複数の地方チームを渡り歩いたあと、ようやく今日の栄光を得た。
 テレビ画面の中での小林君はとてもうれしそうで、その表情は最初に出会った18年前と、ちっとも変わっていない。人間、クサらずに努力と辛抱を続ければ、いつかは実を結ぶ。