2008年7月5日土曜日

炎天下ライブ

 真駒内養護学校での夏祭りライブが無事に終了。朝起きると晴天だったが、なんだかやけに暑い。雨よりいいやと荷物を積み込んで午前9時過ぎに家を出たが、クーラーのない車の中はどんどん暑くなる。気象の急変に備え、Tシャツの上に長袖シャツをはおっていたが、すぐに車内でシャツを脱ぐ。
 心配していた警察の「サミット検問」にも遭遇せず、すいすいと10時に先方に着いた。機材を運び込んで、すでに旭川から到着していたMさんと、ただちに音あわせ。互いのパート分けや間奏の入れ方、終わり方などで微調整を繰り返した。
 一通り終わると、11時。外に出て会場設営のチェックと、マイクテストをやる。舞台と客席が近すぎ、スピーカーの位置が後ろ過ぎる。しかも舞台が畳1枚分の台を横に二つ並べた形だったので、位置と向きの大幅な修正をやっていただいた。
 舞台の位置を5メートルほど後ろに下げ、台を客席にむけて縦に二つ並べて配置する。こうすると、マイクスタンドと譜面台を台の上に置いても、支障なく歌えるのだ。3年前に感じた不都合の修正である。

 マイクテストは会場のPAが以前とは格段の差で、持参したミキサーもPAも全く不要だった。ただ、リバーブ(エフェクター)だけは持参のものを使ってもらった。接続に不安があったが、ちゃんとつながなった。


 開始は12時15分ということで、12時少し前からマイクテストを開始。Mさんも私もギターはアンプ内蔵のいわゆるエレアコで、マイクを含めて全部で4本のケーブルが地面をころがったが、すぐにいい音にたどり着く。リバーブも問題なく作動した。音響専門のスタッフをつけていただき、大変ありがたかった。

 マイクテストでは本番では歌わない「どうしてこんなに悲しいんだろう」と「カントリーロード」を歌ったが、全く練習していないのに、Mさんもなぜか途中から参入。最後はアドリブでハモリまで入れていただき、まだ本番前というのに、歌を聴きつけてあちこちから人が集まってきだした。
 特に、ほんの思いつきで歌った「カントリーロード」は非常にうけた。マイクテストではもったいなかったが、いわゆる本番前の「後の祭り」というヤツか。
 予定通り、12時15分からライブ開始。最初は私のソロで7曲歌う予定だったが、リハの段階で「涙そうそう」が「祭りとしてはイメージが暗すぎるかも?」というMさんの意見で中止。ソロのラストで予定していたオリジナル「ありがとうagain」をライブ中に中止した。
 会場は早くユニットでの歌を聞きたがっていると判断したからだ。しかし、あとで妻に確かめたら、この判断は少し外れていたかもしれない。

 イベント系ライブの常だが、会場には純粋に歌を聴きにくる人のほか、屋台でのゲームを楽しんだり、食事を楽しんだりする人も混在している。舞台の上で見た感じでは、真剣に聴いてくれている人は、15~20人といったところで、舞台から遠い人は、ほとんど歌を聴いていない印象がした。
 3年前も同じ感じだったから、特にお祭り系のライブというものは、このようなものか。会場の全ての人々を注視させる力は、もちろんいまの私にはない。

 歌いながら、暑い太陽がじりじり真上から照りつけた。冷たい水を補給し、タオルで汗をぬぐいつつ歌う。トレードマークのバンダナは絶好の汗止めになった。
 あとで調べたら、この日の札幌はこの夏初めて30度を突破したそうで、どうりで暑いはず。Tシャツを準備していって、良かった。
 6曲目からMさんとのジョイントとなる。MCも含めて、ニギヤカ系の曲を無難にこなす。リハーサルで問題のあった部分は修正されていて、一部アドリブで別構成に変わっていたりしたが、全体としての出来は良かった。よく声が出ていたし、声にも絶好調時のツヤがあったと自分でも思う。
 アンコールは2曲。ラストはMさんの提案で、ゆずの「またあえる日まで」を選んだ。私の全然知らないアニメソングだったが、必死で覚えたかいあって、ラストに相応しい盛り上りだった。

 13曲歌ってほぼ予定通り、1時10分に終了。全てを見届けた妻が、「すごく良かった」と涙ぐんでいる。泣くほどのものではなかった気もするが、評価の厳しい妻の感想を、素直に受け取っておこう。
「オリンピックじゃないですが、4年後にまたぜひおいでください」とスタッフの方からもねぎらわれた。4年経ったら、62歳。生きていれば、たぶんまだ歌っていることだろう。生きてさえいればね。