2007年8月31日金曜日

ケシカラン

 人間という存在そのものがそうなのかもしれないが、日本人は特に「ケシカラン」という攻撃的思想にしばられ過ぎている気がする。特にオヤジね。私も立派なそのオヤジですけど。
 自分とは直接利害関係のない問題にも、とにかく「ケシカラン」。ネットやブログの普及で市井の庶民が自由に物を言えるようになったのは、基本的にはよいことだと思う。しかし、自己抑制のないこの「無差別ケシカラン攻撃」には、時にヘキエキさせられる。

 一級建築士の資格を持つ私も、例の構造偽造問題発覚後、この「ケシカラン攻撃」の矢面に立たされた。偽造とは全く無関係でも、一級建築士というだけで厳しい視線にさらされた。去年から今年にかけての事業の悪化とこれとは、決して無縁ではない。
 そして最近多いのが、年金問題に端を発した「公務員ケシカラン攻撃」。世の中全体がヒステリック状態に陥り、「水に落ちた犬は叩け」とばかりに、年金とは直接関係のない公務員までもが、バッシングにさらされている話も聞く。
 みんな生きるのに余裕がないのだなあと、つくづく思う。やられている側もやっている側も、どちらも哀れに思えてならない。

 私の場合、不公平な状態から逃れる算段を自ら考え出し、この一年余で緩やかに舵を切り直した。しかし、逃げたくとも逃げられない人たちもたくさんいるだろう。
 いわれのない「ケシカラン攻撃」を仕掛けた連中、いつかは我が身にも、全く別の火の粉が降り掛かってくるかもしれない。世の中一寸先は闇で、案外そんなふうに公平に出来ているものだ。そのとき、あわてずに対処出来るだろうか。