書き終えた小説はタンスにしまいこむということはほとんどなく、大半はどこかに投稿している。結果はパッとせずとも、第三者の評価が欲しい。私にとって小説は、ただ書いて自己完結するだけの存在ではなかった。
15年ぶりに書いたこの「八月の記憶」は、過去最高の評価を得た。いま読み返すと、作りの粗い部分も目立つ。だが、小説としての芯は通っていると思う。合評会でプロの作家の方々にも、同様の評価をいただいた。
小説の舞台は道北の寒村で、私の出身地である幌加内町がモデルになっている。小5の少年が主人公だが、児童文学のようでいて、そうでもない。
クライマックスは8月のちょうど今頃、小説の主人公とヒロインとの切ない別れのシーンで、実はこのラストを最初に思いつき、そこに突き進む形で小説を書き進めた。
別れに使った水浴シーンは、合評会でも高い評価を得た。このラストなくして、この小説は成り立たない。
最近になって、このシーンによく似た設定が登場する映画が作られていることを知った。私の小説の発表がはるかに先だったが、ネットで10年以上も前から公開しているので、そういうこともあるだろう。
偶然であってもそうでなくても、大監督の考えることよりも先に思いついたことを、むしろ誇りに思いたい。
偶然であってもそうでなくても、大監督の考えることよりも先に思いついたことを、むしろ誇りに思いたい。
写真はそのラストシーンに使われた雨竜川で、10年以上前のやはり8月に故郷を訪れた際に撮った。当時、夏には子供たちがしばしば水浴をした川で、この写真を撮った橋を小説のヒロインである由起子が駈けていった。
川の右岸にはかって木造の我が家が建っていた。懐かしい古里の記憶である。