「確か今日あたりは、山陰地方のどこかにいたはず」
そう思って旅日記を調べてみたら、ずばり8月22日は島根県から鳥取県にかけて走っていた。
「僕はどうして生きて行こうか…」
そんな歌の文句のような漠然とした思いに捕らわれつつ、あてのない旅路にいた。
妻の場合は前年に父親が突然亡くなり、働きながら通った高校も無事に卒業して、「さて、これからいかにして生きるべきか」という、私と似たような難しい命題と取込んでいたらしい。
それまでの事務系の仕事には飽き足らず、いわゆる「手に職」をつけるべく、当時あった職訓(公共職業訓練学校)のトレース科に願書を出し、翌月の試験に備えて、修練と漠然とした不安に苛まれる日々を送っていたという。
職訓には無事合格し、半年後に就職した会社がいまでいうエコロジー関連会社。放浪の旅を終えて2年後に私が受けて合格したのが、同じ会社であった。
つまり、2年半後に遭遇し、やがて結婚する運命にあった二人の過ごした夏が、くしくも似たような「自分探しの夏」であったらしい。
少し違っていたのは、私が日本中を旅したすえにたどり着いたエコロジー産業という選択が、妻の場合は「職訓から紹介されて合格したから」という、ごく平凡な動機であったこと。とにかくトレースという技能職で働ければ、どこでもよかったようだ。
ともあれ、同じような迷いの中で二十歳の夏をそれぞれ過ごした二人が、いま苦楽を共にしていることに不思議な人生のエニシを感じる。
二十歳の夏をどう過ごしていたのか、他の中年世代にも尋ねてみたい。