2007年8月10日金曜日

ヒッチハイク

 一昨日、仕事の帰りに都心から郊外の自宅にむけ、幹線道路を車で走っていたら、ふと視界に大きな紙を持った人間が飛び込んできた。思わず目をむけると、大きな段ボール紙に書かれた「留萌方面」の大きな文字。さらにその下には、「H大生」の文字。ヒッチハイカーだ。

 するとその若い男、車の私と目があったのを察知してか、車道に向けて一歩踏み出し、両手に持った段ボール紙をいっそう高く掲げてきた。
 一瞬止まろうかとアクセルから足を離す。留萌までは無理でも、札幌郊外の石狩あたりまでなら乗せてやってもいいかなと思った。だが、その日は厳しい仕事の締切に追われていた。しばし躊躇したが、結局止まらなかった。その後家に着くまでの短い時間、さまざまな思いが頭の中をかけめぐった。
 20歳の夏、自転車で日本中を放浪旅行したことがある。同じ時期、ヒッチハイクも2度やった。見知らぬ人々の暖かい思いに、幾度も触れてきた。その経験は、いまの自分を形成する大きな原点ともなっている。だから、同じような志を持った若者にはいまでも気持ちが動く。
 道路や街角で、この種の貧乏旅行をしている若者を見かけると、なるべく声をかけるようにしている。そうすることで、自分が若い頃に見知らぬ人たちからいただいた好意への、わずかなお返しになるような気がしている。

 ところで、ひとつ不可解なのは、前述の青年の紙に添えてあった「H大生」の文字のことだ。H大は地元の有名国立大だが、なぜあえてそんな事を公衆にむけて宣言する必要があったのか。まさか新手のパフォーマンスではあるまい。
 考えられるのは、「私は決してアヤシイものではアリマセン。天下のH大生です」と氏素性を明確にすることで、運転者に安心して止まってもらおうという意図である。
 ヒッチハイクの元祖ともいえるアメリカでは、主に治安面の理由から、ヒッチハイクという行為そのものが危険で、法律で禁止になっているとも聞く。私が放浪の旅を企てた37年前はそんな不安の全くない世であったが、もしかするとこの日本でも、見知らぬ人間を乗せること、見知らぬ車に乗ることが、アブナイ行為になりつつあるのかもしれない。

 見知らぬ青年のおかげで、少しだけ懐かしいキモチに戻った。夏がヒタヒタ駈けてゆく。