2007年6月29日金曜日

私の弱点

 月末と週末が重なるとキツい。このところずっと仕事は週末に動きがあり、今週も3件の物件が入った。うち1件は超特急仕事で、すでに納品を終えた。残る2件は来週まで持越しである。
 持越した分の仕事は1年振りに依頼のあったクライアントからで、数年前に一緒に打合せに出向き、名刺交換をした大手ハウスメーカーの担当者が、どうやら私を指名してくれたらしい。
 いつも書いていることだが、発注先のトップに気に入ってもらうと、中間代理店を飛び越して指名してくれることがある。やはり自分のやった仕事は、「物言わぬ営業マン」なのである。
 今月もよく働いたので、10通もの請求伝票をこれから作り、発送する作業が控えている。こんな時に限ってネット経由で、またしても住宅相談の依頼があった。明後日の日曜、我が家をある方が訪問する手筈になっている。

 長い間私のサイトを見てくださっていて、要点はプリントアウトしてまで読んでくれている。そこまで買ってくれると、時間をやり繰りしてでも相談に乗りたくなる。
 この種の家作り相談は、お金をいただかないケースも多い。ほとんど趣味かボランティアの領域に近づきつつあって、それはそれで構わない。金銭契約で重い法的責任にしばられるより、タダかそれに近い費用で、困っている人に喜んでもらったほうがお互いの幸せというものである。
「自分の好奇心を満足させてくれる」という一点でも、これに勝るものはない。

2007年6月28日木曜日

タネが飛ぶ

 庭にある撫子(シナノナデシコ)の花が満開だ。これまで2度タネを植えたが、あちこちに移動しつつ、ずっと咲いてくれる。
 咲く場所が動くのはタネが飛ぶせいだろう。撫子は宿根草だとばかりずっと思ってきたが、一年草と宿根草の両方の性質があるそうで、いつも同じ場所に咲き続けるわけではないらしい。


 撫子は可憐で変化に富んだ色が美しく、咲く時期も長いのでとても好きな花だが、この「咲く場所が毎年変わる」というキマグレな性質は非常にやっかいだ。放っておくと、隣地にまで入り込んでしっかり花を咲かせていたりする。このキマグレさ加減は、どこか家主に似ている。
 今年は四方に散逸した花の根を春先に掘り起こし、台所の窓の真ん前にまとめて植え換えた。それでもまだ掘り忘れがあり、今日もまた別の株を隣地で見つけ、移植した。
 場所を選ばず、どこでも飛んでいって雑草の中でもしっかり咲くという逞しさは見習うべきか。
 末の息子が小学校の高学年で性教育を受けてきたとき、「僕のセイシ(つまり、タネですな)が知らないうちにどこかに飛んで行って、誰かのランシとくっついちゃったっら、どうしよう」と真顔で心配していたことがある。
 心配するな、セイシは勝手に飛んでいったりなんかしない。好きな人が出来て、しかもその人が「いいよ」って言わなきゃ、飛んでかないものなんだ、と諭すと、少しは納得した様子だった。
 この論理は大筋では誤っていないと確信するが、高校生や中学生が学校や公衆トイレで密かに子供を産み、始末に困って殺してしまう昨今の世情では、その自信もちと揺らぐ。

 やっかいな世の中にしてしまったよな。ヤレヤレ。

2007年6月27日水曜日

空が落ちる

 とうとうWindowsパソコンを買った。中古パソコンショップにたまたまよい出物があって即断した。このところ途切れることなく仕事もあり、家と同じで「思った時が買い時」である。

 Pen4の1.9GHz、2次キャッシュ512KB、メモリは512MBで空きスロットもある。予備マシンとしてはまずまずの性能だろう。しかも2万円台という安さ。
 冷却ファンがないので消費電力も50Wと少ない。本体はわずか7センチの薄さで、写真のようにモニタの裏に隠れてしまう。


 仕事の合間にセットアップ作業に励んでいるが、昨日は丸一日費やしても、とうとう満足に動かせなかった。バーチャルソフトでWindowsのことは充分把握していたつもりでも、現実は厳しい。ちょっとナメていたかもしれない。
 パソコンとモニタ、マウスやキーボード、そしてOSのメーカーが全部違う。これらのバラバラな機能の摺り合わせが非常にやっかいなのだ。長年マックで慣れてきた身には、そこが面倒臭い。
 うまく働かないのは画像解像度の変更とインターネット接続機能。このうち、画像解像度はグラフィックドライバーなるものをネットから入手し、マックでCDに焼いてからインストール。これでようやく解決した。
 問題はインターネット接続機能で、こればかりは世界中の関連サイトで探しても適切なドライバーが見つからない。現在、メーカーに問合せ中だ。

 しかし、USBメモリなどを使えば、ひとまず予備マシンとしては機能する。ウィルス汚染を考えると、下手にネットになどつながないほうがよいのかもしれない。
 私が一番恐れるのは、2台あるマックが両方とも壊れてしまい、一時的にでも仕事が出来なくなってしまう事態である。それが3台目のパソコンを買った最大の理由だ。
 その時には新品のマックをまた買えばよいかもしれないが、価格が相当高い。いまあるCGソフトの対応も、最新のマックだと機能しない可能性が高い。

_買って4年目になるマックは、いまのところ普通に動いてくれている。予備のマックも問題ない。だが、中国の故事で「杞憂」という言葉もある。空が落ちてくるかもしれないと必要以上に恐れるのは馬鹿げているが、2台あるマックが同時に壊れる可能性は、これよりもはるかに高そうだ。
 Windowsに完全移行するつもりはいまのところないが、Windowsでしか動かないCGソフトも数多い。将来に備え、何も起きてないいまのうちに、安い中古マシンで慣れておこうと思っている。

2007年6月25日月曜日

冬の後始末

 夏至も終り、今年も半分が過ぎたというのに、まだ冬の後始末が残っていた。毛糸の帽子や手袋、セーターや冬物ジャンパー類を洗って片づける仕事である。
「そんなの、クリーニング屋に出せばいいじゃん」という方に、縄文暮し(モドキ)はつとまりません。冬物衣類を自分で洗うのは、大きな家計費節減になるのです。

 まず、自宅の洗面台にぬるま湯を張り、毛糸類から順に洗う。専用洗剤でただ押し洗いするだけで、これといった難しさはない。新築時に洗面台は21Lという大型シンクを取付けたので、セーターでも軽く3枚は入る。
 セーター類は気に入っていて、よく着る物から順に汚れがひどい。だから、あまり着なかった物を先に洗ってしまう。節水のためである。
 洗濯機の位置は洗面台の真横。さすがに脱水だけは1分ほど洗濯機を使うので、この位置関係は非常に重要。この動線が遠かったり、反転していたりすると、作業効率が悪くなる。
 毛糸類を洗い終えると、次にジャンパーをドライクリーニングする。これまた専用洗剤がドラッグショップで売っていて、手間さえいとわなければ、ごく簡単に出来る。過去にはブレザーまで自分で洗ったこともあるが、大きなトラブルはない。

 以前、すごく気に入っていた冬物ジャンパーをクリーニング屋で紛失された苦い経験があり、ある程度の弁済はしてくれたが、以来あまりプロを信用しなくなった。自分で洗えばこの心配は皆無だ。
 すべてを洗い終えると、丸一日ほど陰干しをする。2本ある室内洗濯ポールが完全に塞がってしまうので、ふだんの洗濯物がない谷間に洗うタイミングが難しい。家事ってのは結構、細かいものなのだ。

2007年6月24日日曜日

甘くてしょっぱい

 数週間前に受けた地区健康診断での血液検査の結果が届いた。心配していた血糖値はこの1年間の奮闘努力のかいあって、「異常なし」。
 去年は162という危険領域にあったが、今年は94まで下がっていた。ひとまずの安全圏で、いまの生活を保持してゆけばいいようだ。

 ところが今度は「血圧値に問題あり」との所見がついている。上が135で下が90。確かに去年よりは幾分高いが、そうひどい数値とも思えない。調べると、上が140未満、下が90未満が推奨値だそう。つまり、下がわずかに1だけ境界に触れているらしい。
 秋に再度の指導を受けよ、などとあるので納得できず、すぐに家にある血圧計で測ってみた。すると、時間を変えて何度測ってみても、上が100〜110、下が69〜75の範囲で、何ら問題ない。
 血圧は外で測ると高めの数値が出るとよく聞く。思い返すと、血糖値の不安に苛まれつつ、採血の直前に血圧を測ったせいで、高めに出たのではあるまいか?我が妻など、職場と自宅とで計測値が20は違う。そんなものらしい。


 添付されてきた「指導書」には、「塩分を控え目に」「運動をすること」「コーヒーやアルコールを取り過ぎないこと」「ストレスを溜めるな」等々、またまたストイックな字面が並んでいる。
 糖分をトコトン控え、ようやく糖尿病の危機を脱したと思ったら、今度は塩分を控えろときた。実にしょっぱい話だ。

 塩分の取り過ぎには以前から気をつけているし、運動もしかり。コーヒーやアルコールもほどほどだろうし、ストレスとのつき合い方は以前から慣れている。数値そのものも去年の血糖値ほど危険域ではなく、今回はあまり深刻に考えないようにする。
 仕事に追われているうち、数年前に挿し木から育てた庭のハマナスの花が、満開になった。ちょっと珍しい八重のハマナスで、花の数は軽く100を超える。
 同じ時期に普通の赤いハマナスも挿し木したが、こちらはいまだに10個ほどの花しか咲かせず、枝ぶりもごく小さい。陽当たり等の条件はほぼ同じ。どうやら花にも、土地との相性らしきものがあるらしい。

2007年6月23日土曜日

誰のために書く

 1996年春にホームページを開設して以来、リンクを介して11年間という長いつき合いのある方が、つい最近サイトを閉じた。最近はブログが中心で、それも数週間途切れたり、文体に覇気がなかったりと、徴候らしきものはあった。

 会ったことは一度もない。だが偶然住まいが近いらしく、同じデザイン業ということもあって、娘のような年代の方だが、細々と交際が続いていた。その方がブログに書いた詩に私が曲をつけたこともある。
 彼女の前で彼女との共作を歌うのがちょっとした夢だったが、あくまでホームページやブログを通してのつき合いだったので、それも難しいかもしれない。
 11年も続けたのだから、彼女なりの達成感はあるのだろう。なぜやめるのですか?などとヤボな詮索はしない。何となく、「ご苦労さま」とでも言いたいところだけれど、長年の同志を失ったようで、やっぱりどこか寂しい。
_8年前、自分のサイトで、「ホームページの寿命」というコラムを書いたことがある。愛と同じで、どんなものにでも飽きはくる。燃え方が激しいほど、冷えるのもまた急速なのかもしれない、といった主旨の文だ。
 そこでは、「2~3年で寿命はやってくる」という説を唱えているが、仕事ならいざしらず、単なる趣味のサイトを途切れることもなく、延々と続けてきた私や彼女は、例外中の例外だろう。

 最近はブログが巷で大流行だが、このブログの寿命もほぼ同じだと私は思う。要は誰のために書くか?である。
 自分の知的好奇心を満たす以外の理由、たとえば何らかの有形無形の見返りや報酬、名誉の類いを求めて始めたものは、それが叶った場合でも叶わなかった場合でも、数年で寿命はつきるだろう。
 ひとつの事を10年、20年と続けてゆくのは、並み大抵のことではない。

2007年6月21日木曜日

立つか座るか

 この1ケ月、週末には決まって仕事が入るので、完全に休むことが難しくなっている。今週はさすがに予定は入らないかも…、と思い始めたとたん、午後に新規の仕事が入った。
 納期はまたまた月曜の朝一番。普通にやると日曜がつぶれるが、今回は出来れば完全休養としたい。そこで、遅くとも土曜までには仕上げるべく、仕事に励んでいる。


 実は日曜夜には、フォーク居酒屋でのアマチュア定例ライブがある。新曲を中心に、4-5曲歌わせていただく。かっては毎回参加していたが、いろいろあったこの1年はすっかりご無沙汰。身辺も多少落着きつつあり、忘れられないうちに、また顔を出そうと思った。
 今月は青空ライブとイベントライブ、そして室内(いわゆる「ハコ」)でのライブと、バラエティに富んでいる。歌うスタイルもそれぞれで異なる。日々の練習もそれに合わせてその都度変える。

 青空ライブとイベントライブではアンプにつながないタイプのギターを使ったが、今回はアンプにつなぐタイプのギター(エレアコ)を使う予定。歌う姿勢もいつもと違って、椅子に座って歌うスタイルだ。自宅での練習もすべて座ってやっている。
 以前は立って歌うのがすごく苦手だったが、介護施設で歌う機会が増えてからはなぜか立って歌うほうが自然になってしまった。慣れとは恐ろしい。
 立って歌うか座って歌うかの選択は難しい。ほとんど場の空気と、歌い手の慣れに依存するのではないか。先週のフォーク祭りの舞台でも、立つ人と座る人との比率は半々だった。
 ギターを覚えたての頃は椅子さえ使わず、いつも畳の上にアグラをかいて歌っていた。いまでもこのスタイルが一番ギターの収まりがしっくりくる。しかし、現実にアグラでのライブは不可能。(「お座敷ライブ」とでも称し、ムリヤリ企画する手もないわけではないが、どんなもんでしょう?)

 さて、今夜もライブの時間帯にあわせて練習といきます。

2007年6月20日水曜日

気がつけば節水

 ふと思いついて、我が家の過去1年間の水道料を調べてみた。水道料は2ケ月毎に請求がくるが、15〜22m³の範囲だった。月に均すと約9.3m³、家族数は二人だから、一人一日平均に換算すると、
 9.3÷30日×2人×1000=155L という結果。一瞬計算間違いではないかと疑ったが、どこにもミスはなかった。

 若い頃に汚水処理の専門会社に9年間勤めていたことがある。一般住宅での汚水量(すなわち、使用水道料)の計算は、一人一日250Lでやっていた。世帯人数が少ない場合、この数値は300L前後になる。
 ネットで調べてみると、この概念はいまでも変わっていない。つまり、我が家の使用水量は、平均のおよそ半分というトンデモナイ数字になる。
 日々節水に努めてはいるが、ストレスの溜るようなことは一切していない。心当たりがあるといえば、以下のようなことか。

1)風呂の残り湯を一部トイレ洗浄水に使っている。
 これは一日中家にいて、トイレ使用頻度の高い私が主に実施。2Lくらいのポリタンクを使っている。一日におよそ5〜6回ほどこれで流す。
2)風呂は毎日入るが、やたらお湯を溜めない。
3)食器洗浄は手洗いで効率的に。
 私の家事分担だが、はっきり言って、食洗機にも負けません。
4)洗車を一切しない。
 どうしても必要な時は、風呂の残り湯をバケツに汲んでやってます。
5)朝シャンや思いつきのシャワー、トイレ二度流しの類いをしない。
6)洗濯は常に「節水モード」で実施。
 取扱説明書では「お急ぎモード」だが、立派な「節水モード」として使える。
 ざっとこんなところか。以前は「水の使用量は文化度に比例する」と言われた時期もあった。ところが二酸化炭素削減が地球的課題となったいまでは、「水の使用量は無知、無関心度に比例する」という、全く正反対の価値観が成立する。
 いまさらだが、節水は立派な二酸化炭素削減になるのだ。ついでに家計費も節減。これぞ縄文の暮しですな。

2007年6月18日月曜日

断る勇気

 進行中のライン業務をこなしつつ、昨日の日曜はネット経由で引合いのあった住宅相談を自宅(兼事務所)で受けた。つまり、最初の顔合せである。
 元請けとしての住宅相談や住宅設計からは、訳あってしばし遠ざかっているが、残念ながら今回も慎んでご辞退した。子細は守秘義務があるので、ここには書けない。しかし、どんなに魅力的な仕事であっても、時には断る英断が必要である。これはおそらく事業の大小に関わらず、大切なことではないか。

 元請けであろうが下請けであろうが、自分の手に負えない、あるいは負えないかもしれない、そして意にそぐわない仕事は勇気を持って断る。一匹狼での自営歴25年を経て、改めて身に染みた警句なのだった。
 大事なのは、自分の直感と誇りだ。金や名誉に目がくらんではいけない。
 この一週間続けている仕事は、先方の都合で再三の変更を経て、今日ようやく最終?かもしれないバージョンをメール納品。修正分のお金も多少は加算してくれるらしい。ありがたや、ありがたや…。
 で、これから日頃お世話になっている取引先への、お中元買いにいってきます。しばらくやめていたお歳暮やお中元を復活させたのは、実は昨年暮れから。これまた確かな心境の変化なのでありマス。

2007年6月16日土曜日

ぼんやり

 昨夜、FM三角山放送局主催の「北海道神宮フォークうたごえまつり」に出演した。3年連続ともなると、スタッフともすっかり顔なじみである。
 やっぱり今年も最高齢出演者で、司会者からもそこを盛んに強調されてしまった。もちろん、好意的な表現です。こうなれば、どこまで連続出場記録を延ばせるか、挑戦したい気持ちになってきた。
 歌は大方の予想通り、「千の風になって」。曲紹介だけで会場がざわめく。すごいもんです。無難にこなし、会場の手応えも確かだったが、自分ではそろそろこの曲は歌いおさめる時期かな…、と思ったりした。
 歌い手として、曲の力に頼り過ぎている気がする。リクエストを受けたまま、まだ歌っていない場と人がいるので、完全封印までは出来ないが、しばらく自粛しようかと思う。

 帰りには音楽ギフト券や豪華なお弁当、お神酒までいただき、オマツリとは無縁のはずの中年夫婦の楽しい一夜でありました。


 昨夜は直前に仕事の打合せが入り、楽屋入りが開始5分前という綱渡りスケジュール。もちろん、リハはなし。世間はお祭りでも、仕事は待っちゃくれない。普段、自宅で仕事と趣味を瞬時に切り替える訓練はしているので、このあたりの気分転換は早い。

 今日からの週末はこの仕事のほか、久し振りに入った住宅相談の打合せも明日ある。趣味、仕事、家庭のすべての拠点が自宅なので、これらの境界は常にぼんやりとしている。
 頭の中に境界線を引くのは、もちろん自分自身のエンピツなのです。

2007年6月13日水曜日

忘れてません

 先日実施した「モエレ沼・森のフォークコンサート」に、案内メールを出しても返信のなかった方が一人だけいた。取材で知り合った若い方で、私のオリジナル曲を高く評価してくれ、「次回、何かやるときは、必ず声をかけてください」と念を押されていた。

 全く音沙汰がないので、その後もう一度案内を出した。当日も開始時刻まで訪れるのを現地で待っていたほどだ。だが、結局現れなかった。
 YOSAKOIソーラン祭とスケジュールが重なったので、その関係かとも思ったが、何の連絡もないことが不思議でならなかった。


 その彼女から、突然連絡があった。ある事情でこの2週間、全く連絡がとれない状況下にあったという。
 2週間前といえば、最初の案内メールを送信した時期とぴたり一致する。そして、束縛から解放された時期が、これまたぴたりコンサートの終った翌日だった。

「私って、ついてないです。ぜひとも見届けたかった…」
 そう残念がってくれたが、コンサート中もコンサート後も、「Sさんがいたら、すごく喜んでくれたと思う」と、妻もしきりに話していた。私も残念でならない。
 それにしても、2週間分たまった何百もの迷惑メールの中から、よくぞ私のメールに気づいてくれたものだ。ナゾが解けたのと同時に、忘れずに連絡をくれたことが何よりうれしかった。
 今年は我が家の庭に、忘れな草の可憐な花が群生している。数年前に一株だけ買って植えた記憶はあるが、その後手を加えた覚えがない。どうやら種が自然増殖しているらしい。

 人は忘れてしまっても、花は忘れずに咲いてくれる。だから「忘れな草」なのか。たくさんあるので、摘み取って窓辺にも飾った。野に置いても窓辺に置いても、映える花は映える。忘れてないよ。

2007年6月12日火曜日

録画とエコロジー

 観たいテレビ番組はなぜか深夜が多く、基本的にDVDレコーダーに録画して観る。放送が仕事の締切に追われている時間帯だったり、疲れて眠っている時間帯だったりで、放送に合わせてテレビに向うことが、かなり難しいからだ。
 妻の場合は勤めに出ている時間帯に好きな韓流ドラマがあると、ほとんど録画して観ている。
 いろいろ理由はあっても、この「録画してテレビを観る」という行為が、果たしてエコロジーであるのかどうか考えてみた。

 当り前の理論だが、「テレビなど観ない」という生活が最もエコロジーなのだが、それは現段階ではちょっと難しそうだ。我が家の場合でも、たいてい夜の7時から10時半くらいまではテレビがついている。
 次にエコロジーなのは、「録画しないでテレビを観る」という行為で、消費電力はテレビの分だけ。我が家ではDVDレコーダーに衛星放送が内蔵されているので、衛星放送を観るときはこちらの電源も入る。
 録画で観る場合、テレビの電源は生で観るのと同じ。録画時と再生時のDVDレコーダー電源が余分になり、一見あきらかに録画で観るほうが二酸化炭素の排出量が多そうだが、深夜の放送を生で観ようとすると、その時の照明電気代が余分にかかる。放送時間まで起きていることにより、諸々の余分なエネルギーも消費される。
 加えて録画で観る場合、たいていは再生速度を1.5倍にして観る。60分の放送なら40分で終る。コマーシャルは早送りで素っ飛ばす。時間やエネルギーがその分かなり節約できる。

 エコ電球のようにキッチリした試算は難しいが、トータルで考えると、エネルギー面で論ずる限り、そう大きな差はなさそうに思える。だとすれば、「人生の楽しみ」をより多く、効率的に与えてくれる方を選ぶだろう。
 あとはなるべく長くDVDレコーダーを使ってやることか。

2007年6月9日土曜日

森のフォークコンサート

 近隣にあるモエレ沼公園で、これまで一度もやったことのない珍しい切り口のコンサートを実施した。名づけて「モエレ沼ウォーキン・森のフォークコンサート」。
 世界的な彫刻家、イサム・ノグチの代表作であるモエレ沼公園を散策しつつ、そのビュースポットにふさわしい歌をその場で歌う、という斬新な企画である。
 忙しい忙しいといいつつ、実はこの日に備え、選曲や構成、そして連日の歌の練習など、万全の準備を整えてきた。

 歌い手はこの私で、聴き手は妻とその友人二人。初めての試みなので実施前にはかなりの不安があり、大々的な告示は一切しなかった。だが、結果は晴天にも恵まれ、当初のイメージをはるかに越える満足のゆくもの。通りすがりの見知らぬ人たちもたくさん立ち止まって聴いてくれ、拍手をくださった。


 ステージは全部で5ケ所設定した。強い風のせいで一ケ所だけ変更したが、ほぼ予定通りの場所でやれた。
 歌った曲の6割はオリジナル。たとえば川べりでは川にちなんだ歌、森では森にちなんだ歌をそれぞれ歌った。
 オリジナルの多くはズバリ、このモエレ沼公園で生まれた曲である。ここが大きなポイントで、似たような企画は誰でもやろうと思えば出来るかもしれないが、「その場で生まれた曲をその場で歌う」という切り口は、独自性が強いはず。
 山も森も川も彫刻も、どこで歌っても、そこがたちまちユニークなステージへと変貌する。モエレ沼公園は歌う場としては本当に素晴らしいと再認識した。
 午後1時半に始めて、歌いながら公園をぐるり一周して終ったのが午後5時。あとで数えてみたら、21曲も歌っていた。歌い手も聴き手も時の長さを少しも感じない、至福のひとときであった。来年もきっとまたやります。

2007年6月7日木曜日

にんにくラーメン

 数年前のことだが、NHKの料理番組で「とんキャベ」という料理に出会った。豚肉とキャベツ、ピーマン、ワカメをゆでてタレをかけて食べるだけだが、これが実にうまい。以来、我が家の定番メニューとして定着した。

 タレはニンニクを薄切りにし、少量の昆布と共にカップ1杯の醤油に3日間つけこむ。使い終えたあとにはニンニクと昆布が残るが、最近この残り物の上手な使い方を覚えた。
 スーパーのイオンで買ってきた1個35円のインスタントラーメンの上に載せて食べるのだ。それだけで味が見違えるようになる。名づけて、「にんにくラーメン」。味が濃くなるので、附属のスープの量は半分に減らす。


 30年程前東京に住んでいた頃、銀座に「キッチンラーメン」という名のラーメン屋があり、「ベトナムラーメン」というお勧めメニューがあった。細かい部分は忘れたが、ニンニクの醤油漬が丸ごと5、6個載っていて、非常にうまかった。今回思いついた「にんにくラーメン」は、その味に限りなく近い気がする。
 当時、私の勤めていた会社は山手線の田町駅近くにあり、急げば昼休みに銀座でベトナムラーメンを食べ、1時間ぎりぎりで帰ってこれた。勤務時間が午前中だけだった土曜はよく食べに行った。仕事は午後もあったが、土曜日ということで1時を多少過ぎても許される空気が職場にあった。
 あまりにも旨いので、一度だけ妻も連れていったことがある。ただ、今回思いついたラーメンは、まだ妻は試していない。普通のインスタント麺で充分満足だそうで、安上がりではあるが、グルメ嗜好はどうやら私だけのようだ。

2007年6月6日水曜日

影の持つチカラ

 進行中の仕事がラストスパートに入った。1週間前に物件を依頼されたクライアントから昨日電話があって、納期を再確認。木曜中にメール納品ということになったが、出来れば今夜中にケリをつけたい。仕事は先延ばしせず、早め早めが肝心なのだ。

 7棟の住宅の出力と調整はすでに終り、最終段階の「添景」という物を貼りこんでいる。早い話が空や樹木、花のたぐいで、これらをすべてCGで作ることも可能だが、写真合成のほうが現段階でははるかに美しい。
 添景の貼りこみはパースにとって命を吹込むような作業で、これらをいかにバランスよく取捨選択し、配置するかで仕上がりが決まってしまう。デザイナーの腕の見せ所で、一番楽しい作業でもある。


 素材はネットでも簡単に買えるが、私は100%オリジナルを使う。空も木も花も、コツコツと足を使って好きなものをデジカメで撮影し、暇なときにこれまたコツコツと加工してきた。プロとしてのこだわりである。

 特に樹木を建物に合成するとき、樹木と建物との間に、淡い影を入れる。この処理をしていない作品にもよく出会うが、存在感がまるで違う。影の扱いひとつで、作品の完成度がガラリと変わる。
 写真の上が影なしで、下が影を入れたもの。影の濃さやぼかし具合は、全体のバランスを見て直感で決める。作業手順はかなり複雑だが、すべて独学で覚えた。
 物体の存在を際だてるのは影であると私は思っている。光があるから影や陰ができる。光だけでも影だけでもダメで、両方がうまく引き立てあってこそだ。
 つい最近作った歌に、「追いかけて 影を追いかけて 雲がついてくる」というフレーズがある。創造的な仕事のすべてが、影のチカラ抜きでは語れないのではないか。

2007年6月5日火曜日

甘いワナ

 進行中の仕事のメドもようやくつき、予定通り地区健康診断に行ってきた。自由業なので、健康診断とは一切無縁。しかし、町内会回覧で地区健康診断を無料でやってくれる場所を毎年連絡してくれるので、なるべく行くようにしている。自分の身体を管理するのは、自由業の必須条件だから。

 過去には高血圧で一度、不整脈で一度ひっかかった。どちらも辛い精密検査を受けたが、いずれも異常なし。どうなっているんでしょう?
 去年の検査で、今度は血糖値に異常がでた。数値が許容範囲をわずかに越えていて、糖尿病の予備軍なのだそうな。
 保健所で半日つぶして生活改善の指導を受けた。運動不足をまず解消し、甘い物もなるべく控えるようにとのこと。以降、晩酌の発泡酒を糖分ゼロに近いものに変えたり、コーヒーに入れる砂糖を極端に減らしたり、散歩を始めとする毎日の運動を欠かさないように努めた。
 酒と甘い物の両刀使いである我が身には、これまた辛い日々であった。ズボンのウェスト73センチの超ソップ体型の私が、何ゆえに血糖値検査でひっかかるのか、いまだに釈然としない部分はある。だが、検査は検査だ。

 そして約9ケ月が過ぎ、今日の検査である。数値への影響を極力減らすため、朝食を食べたあと、4時間近く何も飲まず食べずで検査を受けた。空腹でめまいがするほどだった。
 尿検査や血圧には何も異常がなかったが、問題の血糖値は血液検査で判明する。結果が出るのは数週間後だ。やるべきことはやった。改善されていることを祈ろう。さあ、運動運動。

2007年6月2日土曜日

足跡つぶし

 仕事で知り合った方から勧められ、とある会員制ネットワークサービスに入ってから、およそ1ケ月半が過ぎた。
 紹介状がないと加入できず、書き手の素性もある程度分かるし、書いた内容はネット検索にも一切かからない。感覚的には大昔にあったパソコン通信の会議室にかなり近い。
 制限があるその分、やや閉鎖的ともいえる。私は知人に勧められた通り、自分の情報をより効果的に出し入れする、ひとつの窓口として考えることにした。

_そう積極的な活動はしていないが、友人知人や参加するコミュニティの数もそれなりに増えた。比重としては仕事関係と趣味関係が、6:4ほどだろうか。
 ホームページのように、ここから仕事の受注につながるとよいのだが、いまのところそんな気配はないし、どうやらそのような位置づけでもないようだ。


 一番問題なのは、縁もゆかりもない人からいきなり、「友人になってください」とメールがきたり、意味ありげに自分のホームを訪問されることだ。(これを専門用語で、「足跡」と呼ぶらしい)
 これらの方々の素性を調べてみると、多くは金もうけがらみか、あるいはアヤシ気なサイトへのさり気ない誘惑だったりする。(「足跡」をたどって訪問すると相手の思うツボなので、ニックネーム等の情報を頼りに、検索機能で調べる)

 どのようにバリアーを強くしたとしても、この種のお誘いがこの世から消え去ることはないらしい。隠れミノがある分、かえってタチが悪い。あきれる。

2007年6月1日金曜日

仕事は人につく

 月末と仕事の山が重なり、請求書の発送作業が一日遅れた。ほとんどの取引先は締切が月末で、請求書は翌月5日必着である。市内であればそう急ぐこともないが、まだまだと気を緩めていると、月日はあっという間に過ぎるもの。遅くとも、翌月一日には必ず出すよう心掛けている。
 この請求書を作成する時間が、案外馬鹿にならない。その月の物件数にもよるが、小一時間は軽くかかる。

 請求書の書類は10年以上も前に、完全OA化した。物件名や請求先、金額等をデーターベース化されたソフト(自作)に入力してやれば、合計金額がすっと出てくる。それを用紙にプリントアウトし、捺印してやればよい。
 請求書には合計金額を記入した「鏡」と呼ばれる用紙を別に添付しなければならない。物件名、納品月日、金額の誤記入は許されないし、用紙や封筒を汚すのも論外。何しろお金を相手からいただくのだから、非常に神経を使う。発送前に誤りに気づき、作業を最初からやり直すこともしばしばだ。
 今月は馴染みのプロダクションの長い付き合いのある方から、全く新しい担当者の紹介があった。そんなわけで、請求書も1枚増えた。
 新規の担当者に気にいられると、以後その担当者ルートの新しい仕事がくる。仕事とはそういうもので、会社にではなく、人につくのである。

 25年に及ぶ私の事業のなかで、途切れずに仕事が流れてくるのは多くの場合、特定の会社(組織)からではなく、特定の「人」からである。人と人との信頼関係がいったん出来てしまえば、極端な話、相手が日本のどこにいようと、その人脈をたどって時空を越え、仕事はやってくる。
 ここをおろそかにしていると、一時的にうまくいったとしても、どこかで必ず痛い目にあう。もっとも自己研摩を怠り、やっている仕事自体のグレードが向上しなければ、ついてくる人もそれなりの人ということになってしまう。世の中、やっぱり厳しいけど正直です。