2009年5月30日土曜日

ライブのミス

 その年によってバラつくが、だいたい年に15~20本くらいの弾き語りライブをこなす。場は雑多で、別サイトにあるHPに詳しいが、居酒屋系、イベント系、介護施設系、路上系、自宅系といったあたりか。この年齢と体力からすれば、ほどほどの望ましい数であろう。
 どのような仕事や趣味、家事や学業に至るまで、人間である限りミスはつきものだが、弾き語りライブもその例外ではない。
 細かいものは別とし、ライブでの記憶に残る過去最大のミスは、あるプロ歌手の大きなコンサートを企画した際、本番で1曲だけ一緒に歌わせていただいた折のミスで、あろうことか、一度もミスったことのない2番の歌詞を間違えた。
「2番の出だし部を、1番で歌ってしまった」という単純なものだが、ミスはミス。譜面台に歌詞カードは載せてあったし、歌い慣れた曲であったのに、自分でもなぜそんなことをやらかしたのか、いまだによく分からない。

 すぐに修正して被害は最小限に留めたが、一部の人には気づかれた。ただ、全く気づかなかった人もいたので、ミスとしては、そう目立たなかったのかもしれない。
 ビッグイベントを長い期間リーダーとして取り仕切り、神経をすり減らしたあげくの大事な本番で、そこにあり得ないミスの入り込む隙間があったといえばあった。しかし、そんな我が身の事情をあとで優しく思いやってくれたのは、我が妻だけだった。


 ライブ終了後、真っ先に楽屋に飛び込んで詫びをいれた。
「ボクだった間違うことはあるから、気にしなくていいよ」と言ってくれたが、慰めにはならない。以降ミスにはこりて、念には念をいれて準備するようにした。

 その3年後、同じ歌手が馴染みのライブハウスで歌う機会があり、久しぶりに聴きに出かけた。しかし、(もしかして、また一緒に歌うことになるかも…)と用心し、危なそうな曲は一通り練習してから出かけた。
 予想は当たり、ライブの後半で予告なしにステージに呼ばれた。3年前の悪夢のあの歌で、プレッシャーはあったが、今度はちゃんとノーミスで歌い切った。どちらにしても、プロ歌手とのセッションはキツい。もうコリゴリだと思った。
 以前に井上陽水が、ライブ本番でとんでもないミスをしたことがある。私のと似ていて、1番と2番の歌詞の一部取り違えであるが、本人は何食わぬ顔で歌い切った。私はすぐに気づいたが、その場に居合わせた何人が気づいただろう。
 プロでも大きなミスをすることは確かにある。問題はその対処法だ。以降、その真似をすることにした。

 歌詞を間違えても、コードを間違えても、声が途中で一部途切れても、あくまで素知らぬふりを通し、最後まで歌い切る。あまりに自信に満ちた顔に、聴き手は自分の聴き間違いであったかのように錯覚してしまう…。
 およそこのような姑息な手段だが、かなり効果的であることは間違いなく、有名なカバー曲はともかく、オリジナル曲なら何ら問題なく終わる。

 喉の調子が悪く、途中で一部声が途切れてしまった場合は、さすがに歌い終えたあとで謝るが、他は終わったあとでも一切黙っている。
 最悪なのは、「スミマセン」だとか、「歌詞を間違いました」などと、クドクド終わったあとで弁解すること。聴き手に対する免罪符のつもりが、かえって気を遣わせ、聴き手の負担になるばかりである。何も言わないほうが余程マシ。

 久しぶりに今日のTOM語録。
《ライブでのミスは知らぬふりを通すべし》

2009年5月27日水曜日

ガラスのステージ

 昨日の夕方、秋のプライベートライブ「ガラスの時間」の下調査のため、妻と共にモエレ沼公園に行った。会場となるガラスのピラミッドには過去何度も訪れているが、夕刻にはほとんど行った記憶がない。夕方の会場の明るさがどの程度なのか、直接自分の目で確かめたかった。


 ライブの予定開始時刻は10/3の16:30だが、手持ちの日影ソフトで調べてみると、この日の札幌地区の日没時刻は17:05あたり。当日のステージ開始時刻の様子を推し量るには、日没30分前のステージにずばり、行ってみればよい。
(この後、ライブ開始時間は18:30に変更となった)
 そこで今度は5/26(昨日)の札幌地区の日没時刻を調べてみると、19:00前後だった。つまり、18:30あたりに会場となるガラスのピラミッドに行ってみれば、ちょうど日没30分前で、およそのイメージはつかめることになる。
 夕方6時少し前に出発。近隣のベスト電器でプリンタインクと電池を買って500円割引券を有効に使い、スーパーで買物などして時間をつぶしたあと、その足で施設に行った。

 上の写真がその様子で、ステージは沈む直前の美しい夕陽に照らされ、茜色に輝いている。(正面のガラスのエレベーターの前)なかなかいい感じだ。ここでもうすぐ歌える。


 一通り写真を写した帰り際、地平の彼方に沈むあまりに見事な夕陽に、(1曲目は「夕陽が泣いている」にすべきかな…)などとぼんやり考えていたら、期せずして横にいた妻が、「夕焼け~♪」なんて歌い始めた。考えていることは全く同じだったというわけで、思わず笑った。

2009年5月25日月曜日

煮物の極意

 早朝からカッコウの声で叩き起こされた。昨日、「カッコウが鳴かぬ」と書いたとたん、これである。この地には川や木々がふんだんにあるので、カッコウが家のすぐそばまで来て、朝早くからうるさく鳴く。ほとんど唱歌の世界である。
(ちなみに、「もう起きちゃいかがと…♪」のアレ)

 休暇の妻は、これまた早朝から帯広日帰りバスパック旅行へと、職場の友人と出かけてしまった。例によってこれといった仕事もないので、冬の後始末シリーズとして、冬物のセーターやらジャンパー類をまとめて洗濯した。
 セーターはあれやこれやで6枚、帽子や手袋、マフラーなどの小物多数、それにジャンパー2着である。
 厚いジャンパーだけは手洗い用のドライ洗剤で洗い、他はウール専用洗剤でこれまた手洗いした。20L入る大型洗面台を使い、ぬるま湯で洗いながらすぐ横の洗濯機に放り込み、脱水。すすいでまた脱水を繰り返す。冬の垢をためこんで、どれもかなり汚れている。
 毎年の恒例行事であり、いつも私がやっているので、大きな戸惑いはない。洗濯物はクリーニング屋に外注、という図式はサラリーマン時代にはよくあったが、最近ではほとんどなくなった。


 妻は午後7時に札幌駅帰着とのことで、夕食作りを頼まれていた。先日の法事旅行に続いての食事作りで、こちらもすっかり慣れてしまい、さほどの抵抗はない。

 今日は妻のたっての希望で、まずはカレーライスを作る。2人分なので、分量はいつも通りの楽勝。併行して酒のツマミとしての納豆チヂミを作る。これまたレシピなしで作れる私の定番。
 さらには、昨日採ってアクを抜いておいたフキを全部煮物にした。ネットで調べてみたら、煮物用のダシ汁は、一昨日作った高野豆腐のものとほとんど同じだった。およそ以下のような割合である。

・ダシ汁:180cc(ダシの素小さじ1+水180cc)
・酒:大さじ2
・みりん:大さじ1
・塩:小さじ1
・砂糖:小さじ1
・醤油:大さじ1
 煮る物の量により、上記の量は増減するが、比率は同じ。好みによって、醤油や塩は微調整するとよい。今回はカツオ節も少しだけ加え、弱火でじっくり煮含める。薄味の上品な風味に仕上がった。
 昨日の高野豆腐の煮物の残りと共に、おいしく食べた。妻に試食してもらおうにも、やがて10時になるというのに、まだ戻らない。夕方5時頃、少し遅れそうだとの連絡はあったが、明日の仕事に差し支えないのだろうか?

2009年5月24日日曜日

晴耕夜歌

 午前中はまだグズグズした空模様だったが、午後からようやく陽がさしてきたので、サッカーの試合をテレビで見終えたあと、さっそく外に出て家庭菜園廻りの外仕事に励む。
 まず、雨で元気いっぱいの雑草類を抜く。雨上がりは土が湿っていて、とても抜きやすい。玄関前アプローチに敷いたレンガの隙間にまでしっかり根づいたタンポポを、だましだまし抜き取る。
 続いて空地に立派に育っているフキを採取。短く切っていったん台所に格納した。
 次に枝豆のタネ、つまりは大豆をまく。まだカッコウの声を聞いてないが、気温も上がり、土も程よく湿っていて、どう考えてもまき時である。情報によると、札幌よりはるか北の地区でもカッコウがすでに鳴いたとか。何らかの事情で、今年はこの地に訪れるカッコウが遅れているとみた。
 まずは第1弾として、9株分のタネをまき、ペットボトル再利用のカバーをかける。写真のように、上に穴が開いているので雨水が入り、この地に多数生息する山鳩の餌食にもならずに済む。
 この処置をしなかった当初は、まいて芽が出たとたん、丸ごと山鳩にかっさらわれた。そうはいかないよ。


 その後、脚立を利用した長いハシゴを組立て、南壁に茂り始めたツタの剪定をやる。葉の出ない無用なツルをハサミで刈り取るだけなので、すぐに終わった。

 再び地面に降り、増えすぎた細ネギの株分けをやった。散歩の途中みかけた近所の農家の畑でやっているのを真似して、10センチ間隔くらいに分けて植える。全部で30株くらいは植え替えた。
 初めての試みだが、放ったらかしだと、どうしても根が密集し、ネギの出来が悪い。これでうまく育つなら、万々歳である。
 最後に家庭菜園の周囲の雑草をざっとカマで刈り取る。家に戻ったら、すでに17時を回っていて、軽く2時間は休みなく動いていた。
 一休みのあと、採ったばかりのフキをゆで、皮をむいて水に浸した。明日以降、煮物にする。
 この日はなぜか体力バツグンで、まだまだ動けそうな感じだった。そこで夕食の一品として、ひさびさに高野豆腐の煮物を作った。自分で作ったレシピを参照しつつ、無事に終了。今日はチクワでなく、生の椎茸を人参と一緒に煮た。試食した妻からも、合格点。

 夕食後、昨日に続いて、PAなしの生ギター&生歌で数曲を延々歌う。リハビリのかいあって、このところ落ち気味だった声量が、やや戻ってきた感じがする。
「晴耕雨読」ならぬ「晴耕雨歌」、いや、「晴耕夜歌」の一日であった。

2009年5月22日金曜日

ニャ~ゴの歌

 起きると外は雨で、その後ずっと降り続き、止む気配はない。予報によると、明日いっぱいはこんな調子のようで、植えたばかりの野菜の苗にとっては、恵みの雨だろう。

 庭のライラックがほぼ満開で、居間や台所のどこからでも窓越しに花がよく見え、この雨でいっそう映える。ライラックに限らず、庭に植えた多くの花々は、居間や台所の窓からよく見えるような位置を事前に充分配慮して決めた。
「この家は、四季の移ろいが窓からよく分かる」と、ある友人から指摘されたことがあり、気づいてくれる人はちゃんといたと、うれしく思った。


 散歩も買物もせず、CDラベルの作成や、秋のライブの情報送信などで気ままに過ごす。夕食前には、これまた気ままに弾き語りの練習を数曲やった。
 差し迫るライブは来月中旬のフォーク居酒屋における定例ライブだが、構成はほぼ決まっている。

 次回はある冒険をする気でいる。「作ってはみたが、いろいろな事情でまだ一度も人前で歌ってないオリジナル曲」、これにトライしてみるつもり。この種の曲がかなりあるのだが、30分の持ち時間があり、聴き手がツワモノぞろいの場だと、何とか聴いてもらえるのでは?と、淡い期待をしている。
 私にしては珍しいロック調の曲で、ある程度の歌い込みが必須。タイトルは「黒い森の青いネコ」。数年前に作ったが、いつかは歌ってみたかった「ニャ~ゴの歌」なのである。

2009年5月17日日曜日

眠れない夜

 昨夜未明までかかり、進行中の間取りプランの大枠をまとめた。時間の余裕はあるが、この種のことは熱いうちに一気に仕上げるのがよろしい。
 図はそのサンプル画像。(進行中の物とは無関係)間取り計画がまだ流動的な場合、このようにカラーパネルを使い、部屋を用途別に配置する。1モジュールは910×910、あるいは1000×1000で、素人でも一目瞭然分かりやすいと、評判がいい。

 元図は画像ソフトのレイヤー機能を用いており、入替え変更も自在。出入口には●マークをつけ、表現を補っている。家具や窓は一切ないが、検討段階ではこれで充分、いや、このほうが理解しやすい。
 大半の例では、この模式図で数案を出し、検討を進めるうちに決着する。大事なのは知り得た情報から、お施主さんの潜在的要求と問題点を導き出すこと。それができたなら、間取り計画は解決したも同然だ。
 今日は仕上げた3案の説明を延々とまとめ、画像と共に午後3時過ぎには先方に送った。


 夜半まで集中して仕事をしたせいか、熱くなった頭がなかなか冷えず、明け方まで熟睡できないモーロー状態が続いた。
 たかが間取りくらいで、なんてことだといぶかっていたら、もうひとつ「眠れない夜」の心当たりがあった。それは、旅行帰りの妻が持参した2枚の写真である。

 東京在住の姉からもらった複製写真とかで、6歳前後と13歳頃の妻が写っている。特筆すべきは、いまは亡き義父(妻の父)と一緒に自宅周辺で写した、妻が13歳(中1)頃の写真。当時としては珍しい家族との自然なスナップで、レトロなモノクロ写真の中に、シアワセそうな家族の風景が切り取られている。
(少なくとも私には、そう見える)
 少女時代の妻の写真は初めてみたが、抱きしめたいほどに愛らしい。オトナの女性への入口に差し掛かろうとしている時期で、すでにいまの片鱗がうかがえる。
 この10年後に私と巡り会い、その2年後に私と結ばれた。この写真なくしていまの妻はないし、おそらくいまの私もない。よくぞそこに生まれ、育ってくれたと心から思った。

 もちろん掲載はできないが、この写真の存在は、夫婦の晩年の大きな支えになるかもしれない。昨夜の興奮状態の伏線は、どうやらこの写真にもあったらしい。

2009年5月16日土曜日

妻帰る

 どことなく菊池寛の戯曲タイトルのようですが、特に意識してません。

 夕方に戻る妻のためというわけでもないが、車庫梁に吊るしてある「アウターリース」に、そこらに咲いている花を盛りつけてみた。
 去年の秋には、わざわざ花の苗を買ってきて植えたが、今年は節約して庭に咲いている忘れな草(青い花)とシバザクラ(濃いピンク)を植えるだけにした。それでもそれなりに見られる。背伸びをせず、お金をかけず、ありのままの形で花を楽しめればそれでいい。


 夕食は妻の土産話を聞きながら、スーパーで買ってきた生寿司がメイン。昨日、マグロの刺身をガマンし、メザシにしておいてよかった。

 京都まで旅行したそうで、カエルの小さなお守りが2個、お土産にあった。カエルグッズは私の数少ないコレクションのひとつで、結構な「カエラー」であることは以前にもふれた。
 そのほか、いまさらだが、夫婦湯のみセットなど。本当は一部が欠けたまま使っている茶碗が欲しかったが、まあ、妻の気持ちなので文句は言うまい。

2009年5月15日金曜日

永遠のライバル

 妻のいない一人暮しの最終日。明け方にやけに冷えると思い、トイレに起きたついでに外の寒暖計を見ると、マイナス2度。これは寒いはずだ。

 いつもより早めに起き、昨日仕上げたノレン風カーテンをかかえ、午後1番で実家にむかう。例によって予告なしで現れた息子に母は驚いていたが、今月は法事がらみで、よく顔を出している。
 開口部の寸法は頭に入っていたので、カーテンはぴったりだったが、支持棒だけは長いまま持参し、現物合わせして持参のノコで切った。支持棒の受け枠は、以前に自宅で使っていた端材を利用したもの。写真のように、15分ほどであっさり完成した。
 カーテンは中央にスリットがあり、閉めたままでもそこから自由に出入りできる。通ったあとは、自然に元の位置に戻る仕組み。私の家にも同様のノレンがあちこちにある。
「これで暖かくなる」と、母は大喜び。材料代にとお金を差し出すが、さすがに受け取れない。そもそも、かかった費用は支持棒の188円のみである。

 布は長女が演劇をやっていたとき、衣装として使った物の残りで、家を出るとき「捨てていいよ」と言っていたのを大切にしまってあった。
 白いので汚れが目立つ可能性もあるが、壁と同じ色なので、よくなじむ。陽当たりがあまりよくないので、部屋が明るくなるという思わぬ利点もあった。


 実家の設計はすべて父の主導でやった。父も建築士の資格を持っていたので、強いプライドがある。新築時に相談もされたが、私が意見を言うと、ことごとくぶつかったので、全面的に降りた。以降、設計や施工には一切関知していない。
 父と息子とは永遠のライバルのようなものだ。少なくとも私たちの場合は。

 この開口部は家の通気面では好都合だが、居間と台所の合計で、18畳の空間ができてしまう。セントラル暖房ならこれでもよいが、いまどきFFストーブの個別暖房で、母一人の節約生活になると、ストーブのない台所がどうしても寒くなり、冷風が流れてくる。
 本来ならそうした事態に備え、いつでも閉じられる引き戸なりを設けておくべきだが、そのあたりのセンスが父には欠けていた。もう仏様になった人を、いまさら責める気はないが。
 家に戻って図書館で借りた井上陽水に関する本を読む。「満月空に満月」(海老沢泰久著)というエッセイ風ノンフィクション。タイトルはいうまでもなく陽水の「東へ西へ」という曲の1フレーズで、著者は直木賞作家らしいが、いままで知らなかった陽水の一面がいろいろ書かれていて、一気に読んだ。

・陽水は幸徳秋水の子孫という説は誤り。
・陽水は中学時代、脇毛や陰毛がなかなか生えず、悩んでいた。
・高校時代は弓道部に入っていた。
・デビューのきっかけは、ラジオのアマチュア参加音楽番組への投稿から。
・曲を作るときはメロディが先で、あとから歌詞をテキトーにはめこむ。

 特に2~3番目は私と同じで、親近感を覚えた。性的にはかなりのオクテだったらしい。対して、曲の作り方は私と全く逆。私の場合はタイトルか歌詞の一部分がないと、まず曲は生まれない。
 他にもマニアックな内容満載なので、ファンには一読をお勧めする。

2009年5月13日水曜日

フキの佃煮

 妻のいない2日目。ひたすら仕事に励む。「ブログに暇だと書くと、仕事が入る」というジンクス同様、「妻が家を留守にすると、仕事が入る」というジンクスも、なぜかある。
 夕方までにほぼ終了。所要時間は4時間30分ほどで、前回よりも1時間短縮できた。図面ごとに新しいパターンの窓や収まりが出てくるので、どうしても新規の素材作りに時間がとられる。今後4時間を切るのは難しいかもしれないが、まあまあの数字である。

 夕食の買物に行く前に、家の周辺にどんどん葉を広げているフキを採取し、ゆでて水にさらした。毎年恒例の「フキの佃煮」を作るためで、今年すでに2度目である。
 以前はゆでたあと、一晩水にさらしていたが、ふと思いついて、ゆでたその日の夜に処理してみた。すると、アクが抜け過ぎず、ほどよいホロ苦さが残って絶品。


 我が家の周辺はトンデモナイ田舎なので、フキは道端や空地などで採り放題。毎年この時期になると自転車に乗った「フキ採りオバサン」が、どこからか忽然と現れる。

 台所の目の前の空地には、特に立派なフキが生えるため、目の前までやってきて、ズケズケとフキを刈り取っている。自分の土地ではないので文句は言えないが、採っているオバサンも、自分の土地ではない。
(地主はかなり遠方の人で、採りにはこない)
 川の土手にもたくさん生えているのに、なぜに好き好んで人の家の真ん前にまで採りにくるのか?ちなみに、オジサンは一度も来たことがない。何となく分かりますが。
 夕食は昨日の残りのトンカツ、納豆チヂミ、モヤシとホウレン草のおひたしで、酒のツマミにチーズか笹カマボコでも食べようと冷蔵庫を開けたら、昨日が賞味期限の豆腐を発見した。
 妻が旅立つ前、冷蔵庫や冷凍庫の買い置きはちゃんと打合せ、不在中のメニューもほぼ決めてあったが、豆腐のことは全く聞いていない。完全なる引継ぎミスで、急きょメニューを変更し、時期外れの湯豆腐を作った。
 この時期にしては妙に冷えるし、賞味期限が切れているので、暖めたほうが無難と判断した。家庭菜園から採ってきた新鮮なネギを薬味にして、なかなか美味しく食べた。

 まだ半分残っているが、明日も同じようにして残りを食べる。水を全部変え、パックに入替えて冷蔵庫にしまったので、たぶん大丈夫だろう。捨てるのは論外。

2009年5月11日月曜日

文体のリズム感

 母親の十三回忌で関東方面に明日旅立つ予定の妻が、そわそわし始めた。タンスをひっくり返し、着ていく衣類やら、着替えを準備している。ついでに、引き出しの整理まで始め、不要な衣類をまとめて処分していた。
 妻の母親と私の父との命日がいずれも5月なので、法事がぶつかると何かと忙しい。しかし、どちらも連休は微妙に避けているので、移動に限ると楽である。
 妻が留守中に食材が切れては何かと不便なので、乾物や酒類を中心に補充している。今回は姉妹での旅行もかねていて、4泊5日と滞在が長い。自炊もいつもより多くなるが、レパートリーはどんどん増えているので、あまり不安はない。
 インフルエンザが少し心配だが、生きている以上、身を屈めて一切の人ごみを避けることは不可能だから、せいぜいマスクでも持参して備えるしかない。

 今日はこの旅行のために買ったような妻専用の携帯電話を充電し、プリペイドカードも追加入力した。「かかってきた電話を受け、電話帳や着信を使ってかける」という基本中の基本は何とか会得しつつあるが、まだよく理解していない電源の入り切りの方法など、細かく教える。
 ライブの翌日なので歌は一切歌わず、喉の完全休養日。夕方から夜にかけ、以前に地域図書館から借りていた芥川賞受賞作「ひとり日和」(青山七恵著)を読む。
 20代前半の若い女性の作品だが、描写や構成は巧みで、非常に読みやすい小説だが、一本突き抜けた魅力は感じなかった。小説的に緻密過ぎて、ババ臭い印象がした。小説に出てくる重要な人物が71歳の老婆、というせいもあるのか。

 細かい人物描写や季節描写をコツコツと積み重ねるよりも、行動や思考そのものをトントンとリズムよく描く手法が、どうやら私の好みのようで、それはとりもなおさず、「菊地さんの文体には独特のリズム感がある」と、以前に複数のプロの方から指摘された事実と無関係ではないだろう。
 自分がやっていること、目指したいことを人は肯定するもの。そうですよね。

2009年5月10日日曜日

ミニライブSunday

「ミニライブSunday」という、馴染みのフォーク居酒屋のイベントに参加した。毎月の定例ライブの参加人数が増え続け、ついに月の中旬にも別の形での定例ライブをやることになり、その第1回目である。
 これまでとの違いは、一人2曲10分以内だったのが、一人30分前後に時間が拡大されたこと。ただ、時間や料金は同じなので、参加は7組限定である。
 一人30分前後のステージをやるということは、実はそう簡単なことではない。普通に歌うと軽く6~7曲にはなるから、歌の力はもちろん、聴き手を飽きさせない構成力も必要になってくる。
 やると決まったのは先月で、参加すべきか否か、ちょっと躊躇していた。ずっと保留にしていたら、お店の掲示板でママさんから誘われ、「それでは補欠で…」という半端な受け答えをした。
 実は参加人数が5組以下なら、ライブは不成立という、厳しい「掟」がある。初回から何もせずに企画を流してはマズイ。そう思って「補欠」としてエントリーしたわけである。


 いざ蓋を開けてみると、参加人数はちょうど上限の7組。店にはスタッフを含めて17名が集まり、なかなかの盛況である。1週間前に自宅コンサートをやったばかりだが、気持ちを切り換えて以下の7曲を準備した。

 ・誰も知らない夜(オリジナル)
 ・さりげない夜
 ・さよなら大好きな人
 ・待っているうた(オリジナル)
 ・帰郷
 ・Teimi/丁未(オリジナル)
 ・あたらしき世界(オリジナル)
~アンコール
 ・雨が空から降れば

 まるで意地を張るみたいだが、1週間前に歌った9曲とは、一切重複していない。短めに30分できっちり歌い終え、撤収しようとしたら、マスターからいきなり「もう1曲やってよ」。期せずして、会場からも「アンコール!」。
 曲はマスターからのリクエストでありました。やっぱり、うれしかったです。
 今回の目玉は、6曲目に歌った「Teimi/丁未」で、先月中旬に同じ店で歌った際、常連客のT子さんから依頼されて作ったオリジナルである。
 彼女の故郷である財政再建中の夕張市への熱い思いを綴ったもので、作詞は同じく常連客のFさん。少女からオトナへと変貌してゆく女性を、季節の移り変わりと故郷への思いとに重ね合わせていて、切なくて泣ける詩だ。

 そのT子さんもFさんも、この歌を聴きにわざわざ来てくれた。曲はかなり前に完成していたが、初めて歌う場は、この2人の前でなくてはならない。
 初披露なのでかなりの不安があったが、非常に喜んでいただいた。別の方々からも終わったあとでいろいろ声をかけていただいたので、出来は良かったらしい。タマシイをこめて歌ったせいか、ステージを降りると、ちょっとガクッときた。

2009年5月9日土曜日

可搬式スポット照明

 わけあって、手持ちのスポット照明用として、可搬式のスタンドを作ることにした。普段は天井近くに渡した支持棒に取付けてあるスポット照明だが、工事用のクリップ式なので、自由に取り外すことが出来る。
 訪問ライブを始めた4年前にも同様の木製スタンドを作り、数回使ったことがある。しかし、介護施設では必要ないことが分かり、部屋の片隅で眠ったままだった。そのスタンドを一部改良した。


 今回作ったのはあくまで試作品で、実際に歌う場合に必要な高さ、折りたたみの要領、足りない材料の見極めなどが目的だ。
 試行錯誤の結果、写真のように高さ190センチほどの二つ折り構造にし、支える台の重しには、2.5Kgのレンガ1個があれば、だいたい使えることが分かった。
 現状ではレンガはただ上に置いてあるだけだが、基礎となる台の木材に完全固定したほうがぐらつかず、持ち運びにも便利だろう。
 二つ折りの部分は、手持ちのボルトナットで2カ所を止めれば問題なく、折畳むとちょうど軽自動車の後ろトランクに、ぴったり格納できる。

 スタンド自体はもちろん市販されているが、かなり高い。自分で作れば、新しく買う材料は300円ほどで済みそうだ。
 こんな物をわざわざ作るのは、もちろん目的があってのこと。昨日の占いにもあるように、「新しい直感」が当面のキーワードなのである。実際に使う機会があるのかないのか、はっきりするのは半年後という、気の長い話なのだ。

2009年5月8日金曜日

新しい直感

 昨夜遅く、久しぶりにタロット占いをやった。前回やってから48日が過ぎ去り、「タロットは占い後1ヶ月ほどの未来を示す」という一般領域から、かなり外れてしまった。
 新規の占いをあえて遠ざけたのは、前回に出たカードがあまりに良過ぎ、その効用にしばし浸っていたかったからである。
 前回の占いでは、未来を暗示するカードに「The Lovers:恋人~正位置」が出て、「自分への好意を大切にすることで、成功が訪れる。将来につながる出会いや人間関係が築き始められる」と予言された。この48日間の出来事を振り返ると、大筋では外れていない。
 趣味の世界で大きな広がりがあったし、仕事では細いかもしれないが、確かな新しい得意先を得た。実によく当たっている。もしかすると、星占い以上の確率かもしれない。

 前回の結果を素直に受け止め、新たなる未来にむけての指針を得るべく、運気を占った。以下、その結果である。
(占い結果は《きつねのタロット占い館》を参考)


====================
過去の状況/The Magician:魔術師~正位置
 新しい変化や環境の中で、前向きな気持ちと新しい状況の中での発展や成功を得た。

現在の状況/The High Priestess:女教皇~正位置
 不透明だったものが次第にはっきりしてくる。直感に従うことが良い結果につながる。

未来の状況/The Fool:愚者~正位置
 現状に満足せず、直感力に頼って変化を求めることが、新しい始まりと発展につながる。
====================
 なるほどなあ、と今回もひたすら感心するばかり。「新しく」とか、「直感」という言葉が、あちこちに出てくるのは、決して偶然ではあるまい。
 最悪の状況は脱したのかもしれないな、という予感は何となくあり、占いにもそう出ている。悪いカードは出てないし、珍しく3枚とも正位置。そういえば、今月に入って不整脈もピタリと収まっている。

 現状に満足し、何も行動を起こさないのがよくないのは、充分に承知。だから水面下で、あれこれ動いている。その動きをやめないことですか。


 午後からは、掘り起こした家庭菜園に、先日買ってきたばかりの鶏ふんをまいた。このまましばし放置し、カッコウが鳴くまで種を蒔くのをじっと待つ。それが北の畑作りの極意なのだ。

 ふとみると、菜園の隅に芽を出した細ネギがかなり育ち、一部はもう充分に食べられそうだ。入居1年目に100円で買って植えた株で、もう10年目。以来、たいした手入れもしないのに、毎年たくましく育ってくれる。
 さっそく摘み取り、昼食のザルラーメンの薬味にした。夕食にはミジン切りにし、カツオブシを載せて醤油をたらし、生で食べた。強い香りが漂い、まさに春の味。美味い。

2009年5月7日木曜日

父の一周忌

 あれから1年経った。今日は父の一周忌である。母が高齢とあって、取り仕切るのは当然ながら長男である私。2ヶ月くらい前から、遠方に住む姉のスケジュール調整やお坊さんの手配など、あれこれ動いていた。
 連休中は仕出しのお寿司や供花の手配など、細かい作業に奔走。それでも去年の葬儀から四十九日法要、墓の購入に至る一連の流れから比べると、かなり楽である。何をどう処理したかの細かい記録があることと、気持ちの慣れであろう。

 遠方から来る姉の都合で、時間は午後1時開始。前夜にほぼまとめてあった荷物を車に積み、11時前には家を出る。途中で予約してあった寿司と供花を受け取り、11時半に会場となる実家に着く。
 休暇をとってもらった妻と共に、仏壇や部屋をまず掃除。喪服への着替えは後にし、普段着のままでやった。


 およそ1時間でお坊さんに出すお茶やおしぼりの準備まで整える。着替えも済ませ、準備万端。妙な話だが、4日前に自宅でやったライブの準備に、どこか似ている。まず大枠を押さえ、そして細部に気を配る。祭りも法事も、根っこにあるものに変わりはないのかもしれない。
 13時直前に、遠方の姉がタクシーで到着。飛行機を2便乗り継いできたので、朝5時半に起きて出発してもこの時間だ。

 やや遅れてお坊さんが到着。子供たちと母だけのひっそりした形式で、13時10分から読経が始まる。お経のあと法話などがあり、14時に無事終了。朝から動き回ったので、お経の途中、空腹で倒れそうになったが、懸命に堪える。
 会食後、まだ墓を一度も見ていない遠方の姉が、墓参りに行きたいと言う。墓参は明日のつもりでいたが、(もしかしたら…)と思い、念のため墓参グッズ一式は車に積み込んであった。
 もう一人の姉と妻との4人で、墓参りに行く。連休明けの道は混んでいて、片道1時間近くもかかったが、昔話にふけるうち、あっという間に時間は過ぎ去った。数週間前に自分で修理した花差しとローソク立ては、完全に固まっていて、何も問題がなかった。

 会食中や行き帰りの車中で、早くも三回忌の話題になったが、三回忌は再来年と思い込んでいる人が数名いた。しかし、三回忌はなぜか死後2年目なのである。
 ひとまず来年の三回忌も同様の時期に同様の次第でやるつもりだと話したが、その次の七回忌となると、5年後の2014年である。
「そんな先の話は、その時になったら考えようよ。それまで自分が生きているかどうかも分からないしさ」と私が言うと、そうだね、と皆うなづいている。そんな年になっているということだ。

 姉二人を再び実家に送り届け、家に戻るともう18時。ぐったり疲れたが、またひとつ子としての務めが終わった。

2009年5月4日月曜日

モエレの花見

 天気が良く、札幌のサクラが満開だとのニュースが飛び込んできたので、帰省中の息子と妻とで、近隣のモエレ沼公園に花見に出かけた。
 モエレ沼公園は札幌の北外れにあるので、気温が都心よりも低く、サクラの開花は例年4~5日は遅れる。しかし、5分咲きでもよかろうと期待せずに行ってみたら、8分咲きほどのいい案配であった。


 まずは息子が一度も入ったことがないというガラスのピラミッドを探索。陽気がいいせいか、いつもは閉じている屋上への扉が開かれていて、初めて昇ってみた。
 上の写真は、屋上から見たサクラの森。手前にあるクボミは、日本庭園の「ツクバイ」を模したと思われる、不思議な造形である。
 つまり、手前の窪みが巨大な「手水鉢」で、その向こうに見える緩い石の道が、水を導く「竹筒」にあたる。
 これは公園内はもちろん、関連するどの本にも説明されていないが、以前に設計者のイサム・ノグチに関する膨大な資料を調べていて気づいたこと。あくまで私の推測だが、たぶん外れていない。「ツクバイ」は彼の好きなデザイン原型だったのだ。
 本来は石の道を水のように導かれて歩いて来た人々が、手水鉢の窪みで何かを見るか、あるいは演ずるはずだが、現状では芝が植えてあるだけで、何もない。不審に思って館内に展示されているイサム・ノグチ作による模型を確認してみたら、「手水鉢」にあたる窪みは、石で作る設計になっていた。
 これも推測だが、ここは本来、石で同心円状の階段を作り、中心の丸い部分を野外ステージとすべきではなかったか。人々は周囲の階段に座り、コロシアムのように全方向からステージを楽しむことが出来たはず。予算面の制約かもしれないが、何とも惜しい。


 その後、サクラの森に分け入って、ブラブラと探索。こんなに見事なサクラをこの地で見たのは、おそらく初めてだ。

 充分堪能したあと、帰ることになったが、時間がちょうど帰宅時刻にぶつかったため、1,000台は停められる巨大な駐車場の出口が大混雑。あいにく停めた場所が一番奥で、しかも出口は1カ所のみ。イライラしつつひたすら待ったが、出られたのはおよそ2時間後。参りました。
 いつもは夕方近くに見に出かけるので、こんなひどい混雑もまた初めて。無駄な時間をなくすには、人とはちょっと違う行動をとることが肝要のようだ。

2009年5月3日日曜日

かぐやな宴

 私の発案で1月に4組が参加して盛況だったライブ、「かぐやな宵」の続編をぜひに、との声が多数あったが、同じ場で続けざまのライブ企画ほど難しいものはない。
 ただ、多くの声を無視することは出来ず、ではその「夏編」にあたるライブを、今度は場所を変えて我が家の特設スタジオでやりましょうか、との話になった。名づけて「かぐやな宴」。
 発想をガラリと変えて開始は昼と決め、お花見の時期でもあるので、「宴」としたわけだった。

 メンバーの慰労もかねているので、声をかけたのは当時のメンバーとスタッフ、そして私の家族と妻の友人、といった少なめの人選となった。
 集合は14時で、多少のリハーサルをやったあと、14時30分からライブ開始。ツワモノぞろいなので、集まった楽器もベラボーな数。ギター類だけで軽く10台は越えた。控え室にした4畳半が、楽器で埋まった。


 集まったのは私の家族を含めて11名。最初は1組30分6曲をメドに、4組が歌った。その後、トイレ&タバコ&お茶休憩をはさみつつ、2巡目を気ままに歌う。
 程よい緊張感は保ちつつも、どこかちょっと緩めの心地よさが漂う、これまであまり経験したことのない、何とも不思議なライブとなった。

 私のセットリストは、以下の通り。

1巡目:ソロ
 ・かぐやな宵(オリジナル)
 ・さみだれ川
 ・僕はここにいる
 ・僕のそばにいなさい
 ・向い風(オリジナル)
 ・黄色い船

2巡目:tiny-ZOO(息子とのユニット)
 ・恋のバカンス
 ・恋は桃色
 ・ありがとうdear(オリジナル)


 息子とのユニットは目先を変えるネライもあったが、入念なリハを重ねたせいもあって、なかなか良い出来。聴き手にも好評だった。
 他の参加者も場を上手に楽しんでいただけたと思う。特筆すべきは、初参加の女性ボーカリスト2人。1月のライブは男ばかりだったので、場によい変化と刺激を与えてくれた。

 終了は夜7時の長丁場だったが、なぜか少しも疲れは感じなかった。これはまさに「宴」であったアカシ。もしかして、ヤミツキになるかも…。

2009年5月2日土曜日

誰も知らない夜

 庭の南西角に植えてあるレンギョウが満開になった。黄色の花は風水を意識してのことだが、居間や台所のどこからでも見える位置なので、心がなごむ。
 レンギョウは生命力が強く、ほとんど構ってやらずとも、リチギに花を咲かせる。新芽の枝を切り、土に埋めておくだけでどんどん増える。手のかからないところが、ズボラな私たちむき。


 明日の自宅ライブに備え、コップや割り箸の用意、トイレの清掃など、細かい準備をする。基本的に場を提供するだけなので、ある面では気楽である。

 夕方、まず自分のリハーサルを入念にやる。夜は道南の某市から帰省した息子と、ユニットでの練習を数曲。2年近く一緒に歌ってなかったが、昔の感覚はまだ失われていない。明日は普通にやれるだろう。
 予定より早く、YouTubeへ新しいオリジナル曲、「誰も知らない夜」をアップした。サクラの時期にあわせ、サクラの登場する「バンダナを巻く」もあわせてリメイク。YouTubeへの動画アップ要領も、少し慣れてきた。
「誰も知らない夜」は、出来てからわずか2週間で録音、公開という暴挙である。老い先短い気もするので、やれることはやれるうちに、どんどんやってしまうのだ。

 例によって、興味のある方は、以下にてどうぞ。

2009年5月1日金曜日

終日カンヅメ

 朝7時過ぎに起き出し、朝食もそこそこに「管理建築士講習会」なるものにむかう。あの構造偽造問題に端を発した建築士法の改正により、3年毎の講習と試験が義務づけられたのだ。受けないと、建築士事務所の登録更新ができなくなる。
 普段は寝るのが明け方近くなので、朝は非常に辛い。しかし、年に数回あるかないかのこの早起きに、何とか堪えねばなるまい。
 場所は札幌コンベンションセンターという巨大な公共施設だが、駐車場が手狭なので、車で来てはいけないという。
 本当はちゃんと駐車場はある。しかし、参加者が最大1,000名の巨大講習会である。全員が車で来たら、トンデモナイことになる。やむなく、そこから歩いて20分ほどの実家の駐車場に、車を停めさせてもらうことにした。
 朝9時前に息子が予告なしに現れたので、母は驚いていたが、今日の用件を予めA4の紙に大きく印刷しておき、渡したらすぐに納得した。別の場所に停めても、かなりの駐車場代がかかるので、非常に助かる。

 過去にも何度か行っている施設だが、実家から歩いて行くのは初めてなので、少し探した。何とか着いたら、すでに事前説明が始まっている。参加人数を数えてみたら、600名くらいだった。
 分厚いテキストを渡され、9時半から講習は始まったが、内容はだいたい知っていることばかり。ネットで情報は日々仕入れているから、時代に取り残される心配はない。しかし、講習会の最後に試験があるというので、居眠りもせず、真剣に聞いた。

 参加人数が少なめだったせいか、席は詰めれば3人は座れる長テーブルの両端に2人ずつ。おかげで姿勢は楽で、あまり疲れることもなく、あっという間に時間が過ぎた。
 4時過ぎに試験前の休憩があり、ホールで息抜きしていたら、顔見知りの建築士にバッタリ出会った。どこも仕事がないらしく、あれこれ愚痴をこぼし合う。
 最後の試験は○×式の30問で、時間が1時間と聞き、(そんなにかからないのでは?)とタカをくくっていたら、始まってみると、これがかなりの難問。一見、簡単そうに見えて、巧妙なワナが随所にしかけてあった。

 分厚いテキストは試験中も参照してよく、あちこちページを繰りながら答えを探していたら、ふと30年前の建築士試験のシーンがまざまざと蘇った。
(建築士試験も「法規」は法令集の持込みが許可されている)
 なかなか終わらず、ギリギリまでねばって解き続ける。終了直前に、2問の引っかけ問題に気づき、あわてて修正。感触としては、限りなく満点か?たぶん。
(実は法規の試験は、昔から得意である)

 終了後、実家までまた歩き、仏壇に手を合わせたあと、来週の法事の打合せをちょっとする。もうあれから1年たったのか、と思う。
 月初めのバーゲン日なので、途中のドラッグストアで発泡酒を1箱買い、家に戻ると時計は7時。長い1日が終わった。