2020年4月30日木曜日

コロナ禍幅広く

 午前中から気温がぐんぐん上がり、札幌のアメダスでは20度を突破して6月上旬の陽気。いつものように散歩に出かけたが、春物ジャンパーでも汗ばむほど。午後には桜の開花宣言も発表された。
 敷地の南西角に植えたレンギョウ、一時はネズミ被害で瀕死の状態だったが、苦心の再生策が功を奏して、今年は多くの花を咲かせた。
 午前中に熊本の親戚から名物のスイカが届く。コロナ禍の折、受け取りはインタホンでの本人確認のみで、印鑑もサインも不要。ドアを薄く開けて「そこの階段に置いてください」と声をかけるだけで済んだ。
 さっそく礼状と共に、お返しのお菓子をネット通販で手配する。巣ごもり生活には、やはり甘い物が無難だ。


 連休明けに実施予定の納骨と法要に供え、墓のある霊園に電話で予約をした。こちらもコロナ禍の影響で、手続きはすべて郵送でやるとのこと。手数料は銀行振込となった。
 同時に葬儀業者に手配済みの法名軸の確認をする。なぜかこちらもコロナ禍の影響で仕上がりが遅れているらしい。連休明けには何とか間に合いそうだが、いまやあらゆる社会生活にコロナの影響が色濃く及んでいる。
 あれこれ動いてちょっと疲れ、居間ベンチで横になっていたら、妻が東側の土手からフキを採ってきた。雑事に追われていて、今年は山菜類を全く食べていない。さっそく煮付けにしたが、忘れていた春の味である。


 夕方から母の預金相続に必要な戸籍謄本の手配をする。母は福井県国高村(現、越前市)での出生以降、北海道幌加内町〜札幌市と3ヶ所にわたって戸籍を移動している。
 預金相続には出生から死亡までの連続した戸籍謄本が必要で、札幌市の戸籍謄本はすぐに手配可能だが、福井県と幌加内町の分は別途取り寄せる必要があった。

 12年前の父の死亡時には、計4通もの戸籍謄本を幌加内町から取り寄せた。当時は電話でやり取りした記憶があったが、今回調べ直してみると、どちらもネットで問い合わせを受け付けている。電話だと旧姓や住所の説明が難解なので、メールでやれるなら大歓迎だった。
 長い時間をかけて2つの役所にメールをしたためる。こちらもコロナ禍のせいで時間がかかりそうな気配濃厚。手配してすでに9日が経過したゆうちょ銀行の相続書類は、いまだに届かない。ひたすら待つしかなさそうだ。

2020年4月29日水曜日

巣ごもりスケジュール

 巣ごもり隠遁生活に入って以来、自律神経失調症を防ぐ意味でも、なるべく規則的な生活を心がけている。
(平均的な高齢者とはかけ離れた生活です)

・1時〜1時半就寝:もう1時間早く寝るべきか?
・9時半〜10時起床:コロナ免疫に8時間睡眠は必須
・10時〜11時:新聞を読みつつ、朝食
・11時〜12時半:散歩とネット閲覧
・12時半〜1時半:昼食とラジオ体操
・1時半〜3時:ネット閲覧や昼寝、雑事など

・3時〜3時半:珈琲タイム
・3時半〜6時半:買物や雑事など
・6時半〜7時半:入浴やラジオ体操
・7時半〜9時:夕食とテレビ、新聞
・9時〜1時:ネット閲覧、テレビ


 今日は午後から昨日の続きとなる母の衣類片づけに励む。リサイクル店での古布引取りが中断されているので、まとめてあった4つの大袋をいったんほどき、市指定の40L大型ゴミ袋に再度入れ直した。

 近隣の地区リサイクルセンターで古着だけを回収していることを知り、該当する洗濯済みで傷みのない古着を透明袋に分別する。
 この時期に受け入れているかどうか、調べてもよく分からない。直接行ってみるしかなく、ダメならこちらも燃えるゴミ行きだ。

 結果として市指定の40L袋が3個、20L袋が1個、45L透明袋が1個に収まった。明日から順次片づけたい。

2020年4月28日火曜日

実家から仏壇を運ぶ

 連休明けには母の納骨と四十九日法要を控えていて、父の十三回忌法要も墓前で同時に済ませる予定でいる。その後は自宅に骨箱や位牌がなくなり、いまは実家に置いてある仏壇が必要になってくる。
 コロナ緊急事態宣言発令中だが、一人で動く限り、空き家になっている実家での感染リスクはない。連休中とはいえ、まだ序章ともいえる平日なので、早めに取りに行くことにした。
 定番食料品を補充する必要があり、途中でトライアルに寄って素早く調達。以前はなかった消毒液が入口に準備されていて、買物を終えたあとにさっそく利用した。
 有人レジに遮へい用透明ビニールはなく、少し待って無人のセルフレジを使った。


 実家に到着後、まず前回リサイクル店で処分できずに置いてきた古布の袋4つを回収。仏壇はその古布をクッション代わりにした。
 予想よりも仏壇が大きくて重く、手こずる。軽自動車の幅ぎりぎりにどうにか収まった。父の形見として古いノミ2本とカンナをもらう。

 帰宅後に家に運び込んだが、仏壇を2階に運ぶのが一人では無理で、妻の手を借りた。全体を掃除して傷みを補修し、父の法名軸を内部に飾る。そろそろ母の法名軸も届くころで、準備は整った。
 あれこれやって疲れてしまい、古布の整理は明日以降。コロナ禍でリサイクル店での引取りがストップしたままなので、市の燃えるゴミで出すつもりでいる。

2020年4月27日月曜日

散歩や寿司にもリスク

 緊急事態宣言による巣ごもり隠遁生活により、運動不足解消目的で散歩やジョギングに励む人が急増中で、この私もそうだ。

 屋外はいわゆる「三密」とは無縁と思われがちだが、散歩でも社会的距離2メートルは保つべきらしい。これがジョギングになると10メートル離れないと飛沫感染の可能性があり、自転車だと20Mに増えるという。安全なはずの屋外で感染してはたまらない。


 コロナ感染リスクを下げるには、なるべく人と接しないこと。自宅は札幌北端の市街化調整区域に接していて、周辺は茫漠とした草地や川、畑に囲まれている。散歩コースには事欠かない。

 整備された遊歩道には多くの人が歩いたり走ったりしているため、なるべく人が寄りつかないようなルートを選んでいる。
 理想は15分歩いても全く人と出会わない道。万一出会いそうになったら、素早く脇道にそれたり、来た道を戻ったりもする。それぐらいの用心でちょうどよい。


 3月上旬から2ヶ月近くも行ってない回転寿司からテイクアウトWEB注文の案内メールが届いた。多いときは月に3度は食べに通っていたが、コロナ感染が怖くて足が遠のいた。しかし、テイクアウトならリスクは少ない。
 前日にネットでお好みの寿司を注文。決済はカード限定である。受取は翌日の16時を指定。いつもは昼食をかねて行くが、今回は夕食用に持ち帰ることにした。
 早めに出て銀行ATMで来月分の食費などを下ろす。妻を近くのスーパーで降ろしたあと、途中の六花亭で近所の方への香典返しを買った。
 駐車場に車がほとんどなく、休業を疑ったが、ちゃんと営業していた。香典返しである旨を告げたら、包装紙や袋、熨斗などを専用のものに換えてくれた。


 最後に回転寿司に行って寿司を受け取る。連休中だが、平日価格がありがたい。こちらも店はガラガラで、テイクアウトで凌いでいる印象がした。
 帰路に妻を拾い、その足で香典返しを2軒の家に届ける。運良くどちらも在宅していて、一気に用事が済んだ。

 初めて夕食で食べる回転寿司は、普段と同じネタだったが、店とはちょっと違う味がした。ビールや他のつまみもあって、落ち着けるせいかもしれない。
 家庭菜園の細ネギがいつの間にか伸びてきたので、ねぎオムレツにして美味しく食べる。長引く巣ごもり生活も、工夫次第でそれなりに楽しめる。

2020年4月25日土曜日

寒々とした連休初日

 GW初日、近隣の大規模公園の様子をみようと、わざわざ車で出かけた。今日の散歩は公園でやろうと考えた。

 駐車場は普段通りに利用できたが、車はほとんど停まってなく、歩く人の姿はまばら。園内を一周するトレインは運転休止で、各種センターや売店もすべて閉じている。動いているのは数台の自販機だけだった。


 唯一利用可能なのは遊具広場で、ここだけは数組の親子が遊んでいた。花壇のチューリップは固いツボミのままで、いかにも寒々としている。
 昼近くだったが、気温は9度ほど。小雨のぱらつくあいにくの空模様で、20分ほど歩いて散歩の目的は達成できたので、早々に退散することにした。


 母の葬儀の際、多方面から香典をいただいていて、四十九日法要はまだ少し先だが、連休や緊急事態宣言のからみもあり、早めに香典返しを送ることにした。

 リストに基づいてネット通販から手配したが、当然ながら宛先はすべて異なり、品物も微妙に違う。以前に使ったサイトはすんなり処理できたが、初めて利用した楽天市場で手間取り、悪戦苦闘。
 2時間近くもかけてようやく2件を処理し終えたが、疲れ果てて残りは明日やることにした。ご近所にはネット通販でなく、直接届けるつもりなので手順が異なる。

 まだまだ時間はかかるが、ひとつずつこなせばいつかは終わる。そう自分に言い聞かせよう。
(ネット通販分は翌日夕方までに終わらせた)

2020年4月23日木曜日

母の年金廃止手続き

 午前中の気温が5度くらいしかなく、あまりの寒さで日課としている散歩をパスしようかと迷ったが、ここでやめてはいけないと思い直し、いつもより短めのコースで15分ちょうどで終える。ラジオ体操はちゃんとやった。

 珈琲タイムのあと、正体不明の微熱のせいで先延ばししていた母の年金廃止手続きに行くことにする。
 場所は車で30分弱の年金相談センター。死亡届を提出した区役所で教えられた年金事務所に予約の電話をすると、10日ほど待つという。ところが廃止だけなら予約不要で手続き可能な「年金相談センター」なるものを紹介された。

 送ってもらった一覧を元に必要書類をそろえ、さあ行こうかと思ったとたんの微熱発症。コロナの疑いも拭いきれず、長期の巣ごもり生活を余儀なくされた。

散歩コースの土手に咲いた水仙

 体調は回復し、その後の待機期間も無事に乗り切った。一昨日から近くの金融機関を手始めに手続き再開。用心して1日休み、ようやく今日の手続きに至った。

 感染リスクを極力抑えるため、行く日時と天候は慎重に吟味した。人が集まりそうな曜日は避け、時間は高齢者が帰宅を急ぐ16時以降。天気は悪いほうがベターだった。
 幸いに朝から肌寒く、小雨に時折ミゾレが混じる悪条件。高齢者が外出を控えそうな空模様だった。


 16時ちょうどにセンターに着くと、駐車場には1台の車もなく、広い待合室に人影はない。申込書を記入して提出し、ただちに窓口に案内される。目論見通りの展開だった。

 膨大な必要書類をひとつひとつチェックされ、運転免許証やマイナンバーカード、銀行の預金通帳、戸籍謄本などを提示し、それぞれコピーをとられる。多少の記入もれなどもあり、30分ほどかかってようやく手続きを終えた。
 他の金融機関と同様、窓口はビニールで封印されていて、開いているのは下端の10センチほど。今後あらゆる窓口業務とレジ周りは、こうした透明遮へい板が標準仕様になりそうだ。

 さすがに消毒液は用意されてなく、そんなこともあろうかと、車に用意しておいた消毒液で手を洗い、ウェットティッシュで拭き取る。
 長く膠着していた母の死に伴う諸手続き、また少し前に進んだ。 

2020年4月21日火曜日

巣ごもり生活の楽しみ

 微熱の再発もなく、体調もよいので、母の死に伴う諸手続きをこなすべく、午後から2つの金融機関を回る。
 1つ目の銀行ATMでお金をおろし、店内をうかがうと、けっこう混んでいる。いったんパスし、隣りの郵便局へと向かう。こちらの客は少なく、待ち時間ゼロで応対された。
 まず実家の固定資産税と電気代を現金で振り込む。母の死で自動振替口座が凍結され、放置すると電気が止められたり、延滞税が発生したりする。現金振替に変更する旨は連絡済みで、振替用紙が自宅に送付されていた。
 続けて同じ窓口で母の預金相続手続きをする。別の郵便局で申請書類はもらってあり、必要事項は記入済みだったが、こちらは少し待たされた。
 免許証や戸籍謄本、死亡診断書などを提示し、最初の手続きが終了。調査後に再度の連絡がきて、別の必要書類を整えて2度目の申請をする段取りだ。

 窓口は透明のビニールで頑丈に区切られ、全行員はマスク姿。ただ、客の一部はノーマスクで、そんな人に限って大声でおしゃべりしている。おそらく手洗い等の衛生概念も甘いと思われる。
 危険極まりなく、近寄らないのが無難。なるべく離れてやり過ごした。


 局内に消毒液が見当たらず、隣りのスーパー洗面所で石鹸を使って手を洗う。もう一度最初の銀行に戻ったら、客が減っている。相続関連は別窓口になっていて、すぐに案内された。

 本部の担当者と電話で直接話したりし、延々50分近くもかかって最初の申請を終える。どちらの金融機関も12年前に父が亡くなった際に同様の手続きをしたが、かなり様子が変わっていた。
 こちらの銀行も窓口はビニールで完全に遮断されていて、用紙類は下端の10センチほどの隙間からやり取りする。出口には消毒液もあって安心感はあるが、相変わらずノーマスクの客が数人いる。民の意識がこの調子だと、終息はかなり長引きそうだ。
 駐車場で待っていた妻と合流し、近隣のトライアルへと向かう。必要な食材を補充したのち、車の中に準備しておいた消毒液で手を洗った。
 すべての店に消毒液や石鹸つき手洗いが準備されているわけでなく、しばらくは自己防衛が必要だ。

 帰宅後に銀行近くの店で買ったドーナツを食べ、珈琲を美味しく飲む。巣ごもり生活での大きな楽しみが食事や晩酌、そして3時のオヤツだ。甘い物やお煎餅はいつも多めに買っておく。
 昼寝もせずにあちこち動き回ってかなり疲れたが、夕方の定時検温では35.9度という安定した数値。体調不良でずっと停滞していた諸手続き、少しだけ前に進んだ。

2020年4月19日日曜日

社会生活復帰へ

 正体不明の微熱症状が改善されてから1週間が経過。ずっと平熱続きで、体調にも問題はない。単なる自律神経失調症だった可能性も高いが、ともかくもずっと続けてきた自主的自宅隔離を、そろそろ解除すべき時機到来だった。
 継続中の自律神経回復ルーチンのうち、午前中の散歩を近隣スーパーへの買物にあてることにした。
 午前中から気温がぐんぐん上がって、最終的には今年最高の17.2度を記録。川岸の柳も一気に芽をふいた。

 スーパーが近づいてきて、持参のマスクを装着しようとしたら、ポケットに入れたはずのマスクがない。ジッパー付きポリ袋に入れてあったが、途中で袋ごと落としたようだ。
 いったん家に戻ろうと思ったが、何か代替品はないかと考えた。バンダナやハンカチはなかったが、エコバックがある。長手方向に三つ折りにし、鼻から下へ覆面のように巻きつけたら、なんとかマスクの代用になりそうだった。


 布地が計6枚もあって相当息苦しく、見た目も悪い。しかし、時期が時期だけに誰も怪しいとは思っていない様子。切らしていた食パンのほか、妻から頼まれたマグロの刺身、大葉、きゅうり、ニラなどを大急ぎで調達する。

 スーパーに入るのは4月になって初めてだった。レジ周囲には感染防止用の透明ビニールが張りめぐらされている。床には社会的距離を保つテープ枠が貼ってあり、客同士が近づけない仕組みに変わっていた。
 何とか買物を終わらせ、帰り道を辿ると、途中でポリ袋に入ったマスクを発見。汚れてもいないため、拾って帰ってエコバックと共にただちに消毒した。


 10時の体温が36.3度あったが、ラジオ体操と散歩が効いたか、昼食後には35.8度に下がる。天気もよいので、冬タイヤホイールのサビ取りと塗装を再開することにした。

 同様にサビがめだつ自転車空気入れも一緒にサビ取りして塗装。体調もよく、珈琲タイムまでに休憩なしで一気に終わらせた。
 今後体調の悪化や微熱再発症がなければ、少しずつ社会生活を復帰させたい。不要不急の外出を控えるのは当然だが。

2020年4月18日土曜日

タイヤ空気圧の管理

 自律神経復調ルーチンを始めて5日目。今日の散歩は自宅西側土手を一周するコース。一部は昨日のコースと重複している。
 気温は10度を突破し、陽も差しているが、相変わらず風が強い。土手道の途中で自転車の女性と遭遇。川岸には社会的距離を保った釣り人が2人。あまり釣れている様子はないが、この時期に少ないリスクで時間を費やすには、絶好の手段に違いない。

 対岸の遊歩道に回ると、反対側の歩道で4人の散歩する姿あり。道沿いの児童公園では、元気に遊ぶ子供の姿も見える。市内の大規模公園は相次いで部分閉鎖が宣言されており、いまや子供が過ごせる数少ない場がこうした小規模公園である。
 帰宅後、昼食をとって体温を計測。平熱に戻ってはいても、1日に4〜5回、決まった時間に体温を測っている。まだまだ気は抜けない。
 36.1度の平熱だったが、なぜか眠い。昨日の疲れが残っているらしい。午後からやり残した冬タイヤホイールのサビ取りをやるつもりでいたが、2日続けの重作業は避けたほうがよさそうだった。居間ベンチに横になって、1時間ほど仮眠。


 珈琲を飲んだら、少し元気が出てきた。昨日までに妻が洗ってウッドデッキに干してあった漬物樽を物置内に片づけ、母の葬儀に使った供花が枯れてきたので大幅に整理し、小さな花瓶2つにまとめた。

 続けてタイヤの空気圧を調べる。直射日光や雨雪のあたらない安全な収納場所を物置内に確保したせいか、どのタイヤも200kPa前後で、適正値220kPaから10%ほどしか下がっていない。
 例によって自転車用の空気入れとアタッチメントで足りない分を補充したが、20〜30ポンプほどで簡単に終わった。今後の空気圧管理が大幅に軽減されそうな予感。

2020年4月17日金曜日

ようやくタイヤ交換

 母の葬儀や新型コロナ禍、それらに起因する体調不良などの事情で先延ばししていた夏タイヤへの交換を、ようやく終わらせた。

 午前中はこのところルーチン化している自律神経復調対策をまず実施。ラジオ体操後の散歩は昨日と同じコースを辿ったが、今日は10度を超す快晴。引きこもっていた人々も陽気につられて外に出てきたようで、出たとたんに土手道の上で除雪用ブルの手入れをしている人と遭遇した。


 その後、川岸で釣りをしている人を多数見かける。ところが社会的距離が保たれてなく、マスクをしている様子もない。外とはいえ、これでいいのか?

 経路の途中にある幼稚園では、10名を超す園児が園庭で元気に遊んでいる。マスク姿はごくわずか。
 教諭らしき大人の姿も見えるが、昨日の同時刻は静まり返っていた。緊急事態宣言が発令中で、大半の学校は休みのはずだが、隔日の解放事業でもやっているのだろうか?


 家に戻って昼食を食べ、体温を測ると35.9度の平熱。体調もよいので、タイヤ交換をやることにした。
 昨秋の冬タイヤへの交換手段をブログで調べ、車を50センチほど前に出して一気に交換。作業そのものは1時間弱で終えたが、まだ余力があったので、珈琲タイム後に外した冬タイヤホイールのサビ取りも実行。


 昨秋同様にドリルに装着した回転式ワイヤブラシで作業。思っていたよりもサビがひどく、表裏両面をていねいにやったら、2個終えたところで日が陰ってきた。この日の塗装は無理で、残りの作業と空気圧の調整は明日に順延とした。

 ずっと控えていた力の入るDIY作業をまとめてやったせいか、夕方に30分ほど仮眠。起きて体温を測ると36.2度で、昨日の同時刻より0.3度高い。調子に乗ってちょっと動きすぎたか?まあ、平熱の範囲なのでよしとするが。

2020年4月16日木曜日

自律神経復調へ

 今冬最後の灯油を給油。給油量は288.5Lで、前年同時期よりも30L増えた。過去2年の各種データと比較して寒さの条件は最もよかったが、日平均灯油消費量は中間的。
 加齢に伴って寒さを我慢しすぎないよう暮らし方を変えたので、その分の緩みが数値に出たかもしれない。

・2018.3(5.32L/日)
 月平均気温1.3度、真冬日2日、日照時間159.7h
・2019.3(4.53L/日)
 月平均気温1.1度、真冬日1日、日照時間160.9h
・2020.3(4.89L/日)
 月平均気温2.1度、真冬日0日、日照時間172.2h→今回
(直近の石狩アメダス値を参照)

 一冬分の合計灯油消費量は1181.4Lで、過去数年分と比べて大きな違いはなく、ごく平均的な数値だった。
 今回の灯油価格は61.6円/L、過去3回と比べて20円/L近くも下がった。世界的な原油安の恩恵らしい。経済面での悪影響はあるようだが、少なくとも貧乏人にとっては、ありがたい傾向である。
 新型コロナが怖く、第三者との接触は最小限にするべく、いつもは玄関ホールの中で支払う灯油代を、今回は給油終了を見計らって外に出て、車庫屋根下で払った。

 ふと見るとタンクローリー車の運転手さん、がっちりとマスク姿ではないか。普段はないことで、その企業姿勢に好感がもてた。
 こちらも家の中からマスクを装着して応対し、お金のやり取りも一瞬。念のためインタホンやドアノブは終了後に消毒し、感染リスクは最小限にとどめた。


 昨日に引き続き、自律神経失調の回復に努める。朝起きてまず自分流のストレッチ体操をやり、朝食後に新聞を読んでから、今度はラジオ体操をやる。
 続けて午前中から近所に散歩に出かけた。時間は11時過ぎだが、気温は7度前後と昨日よりも低くて寒い。まだまだ防寒コートは手放せない。
 昨日とは違う土手の内回りコースを辿って20分ほど散策。対岸に散歩する人を数人見かけたが、道で出会う人は今日もなかった。

 帰宅して昼食後に体温を測ると、35.9度という低さだった。夕方18時半の計測でも35.7度。
 記録がないのではっきりしないが、最近の健康時の体温は36度弱だったように思う。結果としてこの日のピーク体温は昼食後の35.9度で、1日を通して平熱を確保できた。
 3日目に入った自律神経復調ルーチン、いまのところ順調に進んでいる。

2020年4月15日水曜日

自律神経失調症かも

 発症7日目で平熱に戻り、翌日も平熱が続いて、すっかり治ったと思っていた微熱傾向だったが、9日目の一昨日になって再び36.5度を記録。翌日も36.6度が続いて、微熱のスパイラルに逆戻りの様相だった。
 いずれもピーク時間は正午過ぎで、当初の6日間のように深夜に2度目のピークを迎えることはない。しかし、頭がボンヤリしてピーク時には軽いめまいも感じる。
 長期戦も覚悟したが、相変わらず咳や痰、味覚異常等のコロナ他症状はなく、別の疾患を疑った。
 思い当たるのは自律神経失調症。さっそく調べてみると、微熱のほか、動悸、耳鳴り、胸痛、めまい等、このところ思い当たる症状がいくつか見つかった。
 ストレスによって自律神経のバランスが崩れるのが原因で、微熱以外は新型コロナには該当しない症状。これはかなり怪しい。


 わかりやすいサイトが見つかり、「適度な運動」「1日3回のラジオ体操」「15分以上の散歩」「午前中に太陽にあたる」等の対処法を知った。
 さっそく昨日の午後から実施。YouTubeのラジオ体操をまずやり、その後久しぶりに近所を15分ほど散策した。夕方の陽射しは弱かったが、心身がスッキリする思い。
 18時半に体温を測ると、35.6度まで下がっていた。夕方に36度を切るのは発症以来初めてだった。
 予想以上の結果に気をよくし、今日は午前中からラジオ体操をやって、11時過ぎに近所の土手を散策する。気温は8度と肌寒かったが、陽射しは強くて絶好の条件。

 周辺は札幌北端にある市街化調整区域で、行き交う人は全くなく、濃厚接触の不安は皆無。初夏には土手沿いの木にカラスが営巣して時に人を襲うが、まだその気配はない。
 芽吹き始めた緑に春の気配を感じつつ、昨日より長い25分弱の散策を終えた。


 家に戻って正午過ぎの体温を測ると、35.8度というこれまでにない低い数値。10時の体温も35.6度と低く、明らかに効果がある。

 その後18時半の数値が35.5度、23時で36.2度と安定している。まだ断言はできないが、足掛け15年にも及んだ両親の介護終了と、未曾有の新型コロナウイルス禍という、生涯にそうはない強いストレスが重なり、自律神経に支障をきたしたとしてもおかしくない。
 予定通り来週半ばくらいまでは巣ごもり生活を続け、並行して自律神経失調症の対処もやりながら様子をみたい。

2020年4月11日土曜日

自宅隔離モード

 微熱を自覚してから7日が経過し、ブログを読んだ多くの方から「大丈夫ですか?」とのご心配をいただいた。

 昨日まで35.4〜36.9度の不安定な乱高下を繰り返していたが、今日になって明け方の35.5度を最低に、起床後の10時から夜の11時まで、いつ測っても36.2度という安定した平熱を保つようになった。
 咳や痰、倦怠感、味覚異常などの他症状は見られず、正体不明の微熱症状は、ひとまず収束に向かいつつあるように思われる。
 ただ、陽性患者の場合、無症状になっても1週間は他に感染させる可能性があるとか。今回、体温は一度も37度を超えなかったので病院には行かず、保健所に相談もしなかったが、軽度感染者の疑いは拭いきれない。
 安全なのは向こう7日間は大人しくして、外出や面会を控えることだ。

夕食時の社会的距離

 信頼できる情報によると、最初の4〜5日で咳や高熱、味覚異常などの悪化がなければ、仮に感染していてもその後安静に努めていれば、ゆっくりと自然治癒するとか。
 人によっては自覚後の最初の山である4〜5日目で一気に悪化し、時には死に至っている。ここを何とか乗り越えたい。

 政府の対策がアテにならず、PCR検査の壁は山のように高い。自分の身は自分で守るしか術がなさそうだ。
 手洗いうがいはもちろんのこと、手が触れる場所はこまめに消毒をし、食事時間の重なりが避けられないときは、たとえ家族であってもテーブルを分けて2Mの社会的距離を保つ。時には家庭内でもマスクをする。そんな注意行動がしばらく続く。

2020年4月8日水曜日

微熱が続く不安

 4月5日に始まった微熱症状、その日は昼食後に身体のダルさを感じ、15時ころに体温を測ったら36.6度を記録。2時間昼寝をしたら夕方には36.1度の平熱まで下がり、単なる疲れと判断した。
 翌日は母がお世話になった施設に出向き、年金資格喪失届に必要な書類の証明印をもらったが、受付で念のため体温を測ったら、36.3度で問題なし。時間は14時だった。
 3日目の昨日、午後に再び頭のボンヤリ感を自覚。すぐに体温を測ったら、またまた36.6度というビミョウな微熱を記録した。
 気になって2時間毎に測ってみると、36.8度→36.9度→36.7度と下がる気配がない。夕方に予定していた母の年金手続きは、急きょ順延することにした。入浴後の夕食前に再度測ると、36.2度の平熱に戻っている。いったいどうしたことか?

 このまま平熱に戻るかと思いきや、就寝前に23時にまた身体が熱っぽいので測ってみると、36.8度まで上がっている。37度はギリギリ突破していないが、体温が激しく乱高下していて、油断ならない。この夜は早めの12時に床についた。


 夜半の2時半に目覚めると、額が妙に冷たい。体温は36.0度まで下がっている。悪化するときは夜半に高くなるらしいので、その真逆の傾向だった。
 いろいろ考えるうち眠れなくなり、起きて2時間ほどテレビを観る。外が明るくなり始めたころに布団に戻り、10時過ぎに起きて測ると36.3度。布団はたたまずにパジャマ姿で朝食を食べ、その後2時間毎に体温を測ったら、昼前に36.7度→昼食後に36.8度と、ダラダラ微熱傾向が続いた。

 咳や痰、鼻水や喉痛、頭痛などの風邪症状はなく、咳や味覚嗅覚異常もない。ストレスが原因で延々微熱が続くことがあるらしく、2週間前の母の死以降いろいろと無理をした。そのせいかもしれなかった。
 一方で、(新型コロナウイルスではないか…)という不安もぬぐい切れない。家族葬とはいえ、2週間前に葬儀会社を中心に多くの人と接し、諸手続きで多くの窓口を訪れたので、どこかでウイルスを拾っていてもおかしくない。体力が低下すると免疫力や抵抗力が落ち、ウイルスの格好のターゲットになる。2週間という潜伏期間もピタリ一致する。
 疲れやストレスが原因かもしれないが、コロナ感染の可能性も捨てきれず、当分は安静にして外出はしばらく控えることにした。  母の年金手続きや銀行預金&不動産の処理、実家の片づけ、大腸ガンの定期検診、冬タイヤへの交換作業等々が残っているが、いずれも緊急性は低い。
 昼食後に2時間眠ったら36.7度、その2時間後で36.5度、入浴前の18時で36.4度と悪化はひとまず免れている。
 ネットで調べると、37度の熱だけの症状が4〜5日続いたのち、急に38度を突破して咳と痰も発症し、一気に悪化してコロナ陽性が判明した例が東京であった。

 微熱が始まってから今日で4日目。今週いっぱいは悪化のリスクがあって油断できそうにない。万一を考え、全く症状のない妻とは食事の時間をずらし、入浴は私が最後。タオルは以前から分けているが、今夜から寝室も分ける。
 就寝前23時半に測ったら、昨夜の同時刻と同じ36.8度。まだまだ回復とは言い難い。今後仮に悪化を免れても、しばらくは寝たり起きたりの生活が続きそう。

2020年4月6日月曜日

もしやコロナ…?

 昨日の昼食後、ちょっと身体がダルくて体温を測ってみたら、36.6度というビミョウな数字。(もしやコロナ…)と、内心ドキリとした。
 このところ毎日1回は測るよう心がけているが、たいていは36度強。これはマズいと思いつつ、ひとまず予備寝室のベットで横になったら、いつの間にか2時間も眠っていた。再度体温を測ると、36.1度という平凡な数値。母の葬儀等でかなり疲れが溜まっていたらしい。

 諸手続きや実家の片づけなど、やるべきことは山のようにあるが、潜在的なコロナ恐怖もあり、無理せずに優先度の高い順にひとつひとつ片づけたい。


 母の年金資格喪失届に関して年金事務所に電話したら、必要書類一式を自宅宛に送ってくれた。リストに基づいて戸籍謄本等をそろえたが、「生計同一関係に関する申立書」という書類だけは第三者の証明が必要だった。
 今日は施設に連絡して事情を話し、別居していた理由、子供として定期的に施設を訪問し、面倒を見ていたことの証明、などを記載した書類に施設の証明印をもらった。

 年金事務所に連絡して手続きの予約をとろうとしたが、なぜか予約が詰まっていて、最短でも15日以降だという。何ということだ。
 あれこれやり取りするうち、年金の廃止だけなら「年金相談センター」というところで予約なしでの手続きが可能という。初耳だったが、札幌にある2ヶ所のうち、ひとつが割と近くにあることを知る。早く方をつけたいので、明日にでも行ってみる。
 昨日は45回目の結婚記念日だったが、母の喪中でもあり、マグロの刺身を買ってきて軽く乾杯して済ませた。
 70歳を過ぎ、これまでのように10年毎の人生目標をたてるのは、もはや現実的でない。ひとまずは5年後の金婚式を二人で無事に迎えましょうね、ということでお開きとなった。

2020年4月3日金曜日

3日間の行動

 この3日間の行動。

《4月1日》
 母の死と予約がぶつかり、丸1週間先送りしていた歯科の治療に行く。留め金が壊れた部分入れ歯の修理で、割と簡単に終わった。
 続けて隣りにあるスーパーで市指定のゴミ袋を調達。実家の片づけ用に20Lを10袋、40Lを5袋とりあえず買う。相変わらず歯科に消毒液が置いてなく、このスーパーで入念に手指を消毒した。

 その後、市役所出張所に行って戸籍謄本をもらう。母の年金の資格喪失に伴う未支給年金を受け取るのに必要だった。
《4月2日》
 妻の携帯のセットアップをようやくやる。3Gから4G LTEへの切替えをうながす案内がauから再三届いていて、直接の電話も何度かあった。
 終了はまだ2年先のことでずっと放っておいたが、ショップに行かずに宅配便で送ってくれるというので、ようやく応ずる気になった。よりによってそれが告別式の読経中に届いた。

 同梱の利用手順ナビに従ってセットアップ。赤外線でのデータ移行は簡単に終わったが、回線切替時に4桁の暗証番号を入れる段になってつまづいた。心当たりの数字を2度入れても承認されない。そうするうち、いきなりオペレーターにつながった。
 事情を話すと、本人(妻)に変わるよう促される。いろいろ聞かれて、ようやく本人確認が終了。同梱された5桁の申込番号を伝え、電源を切って1時間待つよう言われた。

 ところが、3時間経っても一向に切り替わらない。再挑戦しようにも、相変わらず暗証番号なるものが分からず、こうなればauショップに行くしかないと諦めた。


 母の口座が凍結されたので、口座引落になっている実家の電気代は、通常の銀行振替に変更する必要がある。実家にあった検針票から連絡すると、今月分から私の家に請求書を送ってくれることになった。
 ところが担当女性の応対がひどく、住所の地番を3度も聞き間違えた。さらには、私の名前を何度説明しても要領を得ない。
「規則のソクです」がまず通じず、「貝へんにリ」の説明で、「ってなんですか?」「貝へんってなんですか?」と、まるで小学生状態。
 怒りをこらえつつ、「もう結構です。名前は平仮名で送ってください」と打ち切った。電話で名前が伝わらなかったのは初めてで、あまりにもお粗末。

 夕方から会葬お礼ハガキを作る。父のときは葬儀会社に外注したが、今回は参加者が少なく、必要分だけを自力で作ることにした。
 年賀状を作る要領と同じで、文体は各種文例を参考に柔らかめにしたが、背景画像テンプレートが少なくて困った。会葬お礼には句読点を使わない慣習があることを初めて知る。
《4月3日》
 昨夜寝る前に電源を切っておいた新旧2台の携帯のうち、新しい携帯の電源を恐る恐る入れてみたら、アンテナマークのバツ印が消えている。やっとつながった!
 さっそく発信と受信のテスト。問題なく使える。auショップに行く煩わさでウンザリしていたが、一気に気持ちが明るくなった。

 機種は私と同じKYF38で、色は私の紺に対し、これまでと同じゴールドを選択。着信音も私とは変えた。

左側が新機種

 午前中から遺産相続に関する連絡書を作る。コロナ禍等の事情で相続人全員が集まれず、やむなく手紙で意思確認をすることにした。
 文案は数日前から作ってあり、今日は最終調整して印刷。会葬お礼ハガキと共に郵便局で出し、その足でスーパーに回って買物も済ませた。
 ちょっと疲れて昼食後に横になっていたら、妻の友人が弔問に来てくれた。コロナ禍の真っ最中なので玄関で帰ると言い張るのを押し留め、上がってお線香をあげていただく。
 30分ほど雑談したが、知人に新型コロナウイルスの濃厚接触者が出て、幸いに陰性だったが経過観察の対象になったという。コロナの足音が間近に迫っている。当分は気を抜けない。

 夕方、市税事務所に電話し、実家の固定資産税に関して問い合わせる。電気代と同様に口座引落になっていたが、こちらは銀行振替への切替え変更が簡単に終わった。役所でも窓口の対応は実にしっかりしている。こうでなくては。