2020年2月28日金曜日

トップのあるべき姿

 北海道の鈴木知事が新型コロナウイルスの拡大を阻止するべく、緊急事態宣言を出した。
 期間は明日から3/19までの3週間と長く、ひとまず明日と明後日の2日間、不要不急の外出を控えて欲しい、という訴えだ。

 テレビの会見を生中継で観たが、マスク姿で飾り気なく切々と道民に直接訴えかける姿は心に響いた。政治家特有の計算ずくのパフォーマンスからも遠く、トップのあるべき本来の姿を示している。本来なら国のトップがこうあるべきだが、現状では望むべくもない。
 一昨日の小中学校休校要請でも「結果責任は知事である私が全て負う」と明言。こんな潔い政治家が内閣に一人でもいれば、ウイルス危機は回避されていたかもしれない。

 母子家庭で育った苦労人という経歴のせいか、政治家に最も大切な「情(じょう)」がある。就任時は若さと経歴に不安があったが、見直した。道民の一人として、ウイルス撲滅に少しでも協力したいと思う。


 どこにも出かけず、ミシンとPCワークで終日過ごす。古くなったタオルを再利用し、台ふきん3枚と雑巾2枚を作った。
 さらには、一部にほつれの出たギターケースを補修。そろそろ買い替えの時期だが、もう少し使い続ける。
 午後から図書館に本を返却しに行った妻、帰りにスーパーで買物もしてきたが、いずれも短時間の滞在で手早く済ませたらしい。
 スーパーでは友人にばったり出会ったが、濃厚接触を避けて離れた位置で1分ほど立ち話しただけという。

「むこう1〜2週間が勝負」などと医療専門家がしたり顔で語っているが、そんな甘いシナリオは期待できそうにない。感覚的には最低あと2ヶ月、つまりはGWを過ぎるまで油断はできない気がする。当分はストイックな生活が続く。

2020年2月27日木曜日

お雛様がヘソ曲げる

 かなり迷ったが、今年もお雛様を飾ることにした。2年前に母の度重なる転倒と入院騒動、さらには私たち夫婦の副鼻腔炎も重なって、飾らなかったことがある。
 緊急時にはそんな心の余裕もなくなるもので、長男一家を招いてのひな祭り夕食会も中止にした。

 しかし、その年はあまりよいことが起きなかった記憶がある。秋に強力台風と地震に続けざまに襲われ、心身や経済に大きなダメージを食らった。家族にもさまざまなトラブルが相次いだ。


 最近テレビで観た番組で、「お雛様を飾らずにずっとしまっておくと、身の回りによくないことが起きる」などと言っている。ある種の祟りのようなものらしい。
 普段なら迷信と聞き流すが、新型肺炎騒動にかこつけて、今回もお雛様を飾らないつもりでいたので、内心ドキリとした。
 妻とも相談し、主役の孫娘はやってこないが、いつも通りにいつもの場所に飾ることにした。
 立ち雛なので10分もあれば飾り終える。もしやと思い、供え菓子のゼリーだけは買っておいてよかった。これでお雛様のご機嫌が戻るとよいが。

2020年2月26日水曜日

生き延びるために

 新型コロナウィルスによる北海道初の死者がとうとう出てしまった。場所は道南の函館で、「高齢者夫婦とその子供の3人暮らし」「無職」「最近の海外渡航歴なし」「濃厚接触なし」「高血圧症で治療中」と、多くの符号が私たち夫婦と一致する。
 感染ルートが不明なのが特に怖い。食品や日用品の買物程度しか外出していないのだとすると、いったいどこから感染したのか?
 同居する子供の情報が全くなく、周辺行動の詳細が不明なのが余計に恐怖心をあおる。これでは備えようがない。

 亡くなった方(性別不明)は16日に咳が出始め、翌日に入院。その後も病状は改善せず、25日に亡くなったという。陽性反応は死後に判明したらしい。
 発症9日後という、まるで転げ落ちるような死へのスピード。本当に怖いウイルスだ。
 実は一昨日の3連休最終日に、長男一家を招いて久しぶりに夕食会をする予定だった。しかし、世間がこのような状況で、孫娘に咳と痰の症状が出たこともあり、来月に延期することにした。
 マスクや手洗いの除菌対策は万全のようだったが、いまは全く症状のない患者も数多く市中にいるらしい。たとえ家族でも用心するべき時期だった。

 私には大腸ガンと咳喘息の持病があり、妻は高血圧症で2種類の薬をずっと飲んでいる。万一罹ってしまうと、悪化するのは目に見えている。用心しすぎるくらいでちょうどよい。

 延期の結論を出したその連絡メールに、「新型コロナウィルス防御対策」として、これまで自分なりに調べた手段を列記し、他の子供たちにも同時送信した。(真偽の程は各自でお確かめください)
すべての公共の金属プラスチック(ドア取手、手すり、スイッチ、レバー、ボタン類)に直接手でふれない。 ウイルスは金属プラスチックだと最長9日生きているらしい。
 やむを得ずふれる場合は毛糸などの手袋をする。衣類だと数時間で消えるとか。 手袋は定期的に洗う。
(手袋がないときは、袖などをつまんで代用)
(握ったゲンコツや肘、足を使うのも有効)
 公共のトイレは極力使わない。やむを得ないときでも、ハンドドライヤーは絶対使わない。
 うがいで最も効果的なのは、水で直接鼻孔を洗い流す鼻うがい。
 エレベーターは乗るなら一番奥でドア方向を向く。
 病院や宴会系の場など、不特定多数が長時間集まる場は避ける。
 部屋の換気をよくし、栄養と睡眠を充分にとる。

 究極の対策はどこにも出かけず、誰にも会わないことだが、最低限の生活を維持するため、現時点で自分がやれるささやかな防御策。なんとかウイルスから逃れ、生き延びるために。

2020年2月25日火曜日

隠遁生活の気分転換

 新型肺炎に対抗する究極の自衛策として、引きこもり的隠遁生活を継続中だが、ずっと座ってネットやTV、読書やデスクワークにまい進しているせいで、このところ起きると腰が痛い。
 DIY作業等のハードワークによる腰痛ではなく、明らかに「座りすぎ」に起因するもの。日々のストレッチで悪化を防いでいるが、隠遁生活は長期化しそうな気配濃厚。他の予防策も講じることにした。
 まず、以前にやっていた「立ってパソコン」の復活。普通は座ってパソコンを操作するが、これをあえて立ってやろうというもの。4年前にNHK-TVの特集で知って専用の作業台を作り、やる体制は整えた。
 使うパソコンは2階にあるMac-mini。厳寒期は1階のMacBookをもっぱら使ってきたが、寒さも和らいできて、陽射しのあたる午後なら問題なく2階で作業できる。

 今日は久しぶりに2階の専用台で作業したが、強い陽射しで1階よりむしろ暖かい。腰痛とも無縁で、快適に2時間ほどを過ごせた。


 珈琲タイム後には、徒歩で近くのスーパーまで買物に行く。車を出せば5分で着くが、気分転換と運動不足解消をかねている。
 マグロの刺身など、妻から頼まれたバーゲン品を中心に手早く購入。携帯内蔵の歩数計は4,600歩を記録していた。どこにも出かけないと1,000歩以下なので、この差は大きい。
 帰宅後に昨日から降り積もった玄関前の雪をスコップでどかす。通路は妻がやってくれていて、来客用駐車スペースを確保するのが私の役目。一晩でまた15センチ降ったが、暖気ですぐに解ける春の雪だった。
 いろいろやると、鬱々とした気持ちが少しは晴れる。昨日はこれまた久しぶりにオヤツ用のホットケーキを大量に焼いた。あれこれ工夫しつつ、新型コロナウイルス危機を無事に乗り切りたい。

2020年2月22日土曜日

オリジナルで泣かれた

 今月に入って3週連続で歌っているサ高住系列施設で、今日も歌った。昨年末のXmasライブで最初の依頼を受けて以来、計4度のライブを演らせてもらったが、今日がその最後となる。

 新型コロナウィルスを取り巻く状況が日を追うごとに悪化し、中国人を中心とする外国人観光客の多い北海道は、広がりの速さや範囲で全国でもトップクラス。外出や人の集まる場は極力控える方向に進んでいて、介護施設系ライブもその例外ではなさそうだった。
 施設からは特に中止や延期の連絡はなく、不安になってこちらから確認すると、ぜひやってほしいとのこと。正直気は進まなかったが、約束は約束なのでこれが最後と自分に言い聞かせ、覚悟を決めて出かけることにする。
 場所は市内南部の遠方。道は乾いていたが、45分かかって開始15分前に先方に着いた。
 素早く機材を組んでスタンバイ。予定ちょうどの14時に開始となり、2度のアンコールを含め、45分で14曲を歌った。


「上を向いて歩こう」「おかあさん(森昌子)」「バラが咲いた」「蘇州夜曲」「高校三年生」「みかんの花咲く丘」「サン・トワ・マミー」「神田川」「夜霧よ今夜も有難う」「函館の女」「星影のワルツ」「東京ラプソディ」「月がとっても青いから(アンコール)」「サクラ咲く(オリジナル・リクエスト)」

 過去のライブの手応えから、構成は微妙に変えた。

「幸せなら手をたたこう」→「高校三年生」
「仰げば尊し」→「みかんの花咲く丘」
「恋の町札幌」→「夜霧よ今夜も有難う」
「ケ・セラ・セラ」→「函館の女」
 聴き手は20名強。過去3施設に比べて集まりはよかった。男性は6名ほどで、どの施設も男性の比率が比較的高いのが特徴だった。
 職員さんはスタート時の開会宣言だけで姿を消し、ライブ中は入口のガラス戸越しに時折様子をうかがう程度。自分ひとりで場を取り仕切るという、難しい進行となった。


 場の反応は今回が最も弱く、手拍子や共に歌う声はほぼない。苦心の構成も当たったかどうかの判断は難しく、歌い終えた後の拍手だけがそれなりに熱いので、それを励みに淡々と歌い継いだ。

 ラスト前にリクエストを募ったが、特に声は挙がらない。それまでの空気からある程度予期はしていたので、そのまま歌い収めたが、終わっても誰も席を立とうとしない。
(これはセルフ・アンコールか…)と一瞬思ったとき、期せずして最前列の男性から「アンコール!」の声。地獄で仏とはこのこと。思わず「ありがとうございます」と頭を下げた。
 アンコールが終わったころに担当のKさんが会場に現れ、「菊地さんのオリジナルがぜひ聴きたい」と言う。系列施設の打合せ会で昨年末のXmasライブが話題になり、オリジナルを歌ったことを知ったらしい。
 あいにくニギヤカ系のオリジナルは持ち合せてなく、その時に歌った叙情色の強い「サクラ咲く」を再び歌ったが、皮肉なことにこれが最も受けた。
 終了後に近寄って労ってくれる方が多数。担当のNさんとアンコールをくれた最前列の男性は、「いいオリジナルでしたね」と声をかけてくれた。

 撤収して外に出ようとすると、中程に座っていた女性が玄関までやってきて、「オリジナルで思わず泣いてしまいました。亡くなった主人と聴きたかった。ありがとう」と涙目で言う。差し入れよ、とバッカスチョコを一箱握らせてくれた。
 場をつかめていないと思い込んでいたが、ちゃんと届いていたようである。

〜サクラをみたよ 今年もみたよ
 あなたとみたよ 二人でみたよ…(中略)

 日々を清かに重ねてゆきたい
 あのサクラの花のように…〜

2020年2月20日木曜日

忍び込むウイルス

 介護認定が更新となり、介護度5が3年間延長された母の新しいケアプランの打合せに、午後から施設に行ってきた。
 入口でまず消毒液で手を洗う。次に置いてあるマスクを装着。最後に額にかざすだけで瞬時に測れる非接触体温計で体温を測定する。37.5度以上の場合は家族でも入室できないルール。以前に一度だけ37.4度だったことがあり、面会は許されなかった。

 このシステムは新型肺炎の流行で始まったわけでなく、母が入居した3年前から11〜3月の冬季間はずっと採用されている。
 職員や家族、出入り業者に至るまで例外なしのルールで、ボランティア活動で数多くの施設を回ったが、これほど厳重な施設はどこにもなかった。


 それでも過去3年間で一度だけインフルエンザ患者が出たことがある。重篤ではなかったが、感染ルートは不明。治るまで部屋は完全に封鎖され、一切の面会が許されなかった。
 これだけガードが固くても、ウイルスはどこからか忍び込む。人間の英知などあてにならない。

 母の部屋には100歳の誕生日に使った飾り物がいくつか残されていた。前日に私が持参した花もギリギリ枯れずにあった。記念の銀杯は引き上げてくるつもりでいたが、なかよく収まっているので、もう少し置いておくことにした。
 いろいろやってもらったお礼に、職員さんに菓子折を持参。だいたい2ヶ月に一度くらいのペースで、夜勤のときにオヤツになりそうなものを持っていく。ささやかだが、要は気持ちである。
 デジカメを忘れてしまい、写真はガラホの内蔵カメラで撮った。ところがOSを10.13に上げたせいか、PCへのBluetooth転送が何度やってもうまくいかない。
(Mac側の共有設定でBluetoothがオフだったことが後日判明)
 ちょっと困って、ガラホをWi-Fi経由でネット接続し、苦労のすえに普段使っているGmailの起動に成功。自分のアドレス宛に画像を添付してメール送信することで、ようやくPCに転送できた。また少しスキルアップ。

2020年2月19日水曜日

屋根雪下ろしから解放

 春間近と思いきや、このところ断続的にまとまった雪がふり、近隣土木センターの積雪深は77センチに到達。いつの間にか平年値の71センチを超えている。累積降雪量でも平年値の88%で、決して少雪という傾向ではない。
 それでも雪が少なく感じられるのは、降ったあとに暖気がやってきて、雪をどんどん解かすから。例年より雪かきが少なく、過ごしやすいのは確かで、こんな冬なら大歓迎だ。


 初めての冬を迎えた新車庫の評価をするべく、脚立を出して屋根の様子を間近で見た。積雪深は横に位置する母屋外壁を固定した455のボルト間隔から推測し、最大部分で80センチほどか。土木センター数値とも一致する。

 気温の上昇で雪は湿って重く、屋根荷重としては最大の時期と思われる。脚立に上って梁を真横から観察し、たわみ量を眼視で追ってみた。

登り梁の様子

 計10本ある登り梁(38×220ツーバイ材)のたわみはほとんど見られない。設計値では140センチの積雪に対し、10ミリのたわみが発生する計算で、積雪80センチなら6ミリ程度になるはずだが、最も雪が深い母屋側の梁を見ても、はっきり確認はできない。
 実は10本のうち6本は2本1組の挟み梁を採用しているが、梁間隔が10センチと狭い関係で、計算上は安全側で1本として荷重計算をしている。この余裕分が予想以上に効いている。

桁の様子

 登り梁を支える桁(38×184ツーバイ材×2本)のたわみ量も観察したが、こちらも限りなくゼロに近い。設計値では140センチの積雪に対して2.6ミリ、積雪80センチなら1.5ミリ。仮に計算通りだったとしても、眼視では確認しにくいレベルだ。

 入居後20年で屋根積雪が100センチを超えたことはなく、仮に超えても強い風で飛ばされてそれ以上積もることは考えにくい。将来的に設計値140センチに迫る可能性は低く、長年苦しめられた車庫の雪下ろしからは、ようやく解放されたように思える。

2020年2月17日月曜日

引きこもり的隠遁生活

 今冬3度目の灯油を給油した。給油量は291.1Lで、前年同時期の286.1Lとほぼ同じ数値。前回給油時は前年より7.3%減ったが、暖冬傾向とはいえ、月平均気温や日照時間に大きな違いはないので、こんなものだろう。

・2018.1(6.86L/日)
 月平均気温-3.6度、真冬日14日、日照時間77.9h
・2019.1(6.81L/日)
 月平均気温-3.9度、真冬日19日、日照時間76.4h
・2020.1(6.93L/日)
 月平均気温-3.7度、真冬日19日、日照時間85.8h→今回
(直近の石狩アメダス値を参照)


 新型コロナウィルスが収束する気配がなく、感染ルートがはっきりしなくなりつつある悪い流れだ。札幌にも50代男性が罹患して重症だというが、現時点で明確な感染ルートが開示されてなく、受診した3つの病院名も不明。これは怖い。
 政府やWHOには期待できそうになく、自分の身は自分で守る必要がある。不要不急な外出は極力控え、引きこもり的隠遁生活を当面は決め込む覚悟。

 とはいえ、新型コロナ発覚前に引き受けたライブの約束は果たさねばならず、それも今週末のサ高住ライブで一段落する。
 以降のライブ予定は5月末までなく、「人の集まる場は極力避ける」という意味でも、ひとまず3月4月のライブは引き受けないことにした。
 今朝早くにさっそく来月のライブ打診があったが、事情を話してお断りした。今後の状況次第では、さらに自粛を延長する可能性もある。
 実は来月には大腸がんの転移検査とポリープ切除手術を控えている。1年前の検査で、がん化する可能性のあるポリープがいくつか見つかり、次回の検査時に切除することになっていた。
 ところが今回の新型肺炎騒動で、その予定が怪しくなってきた。規模の大きい総合病院なので、新型肺炎ウイルスが何らかの形で忍び込んでいる恐れがまずある。今後の感染拡大で、病院の診療体制が変化するかもしれない。

 いつもは2月末に電話予約をしているが、今回は自主判断でしばらく先送りしようと考えている。病院とタクシー、宴会系の場は現時点でウイルスリスクの高い場ではないかと、個人的に思う。
 ポリープはウイルスと違ってただちに悪化することはない。いまは動かずに様子をみるときだ。

2020年2月16日日曜日

恐る恐る歌った

 新型コロナウィルスの足音が間近に迫る気配のなか、漠然とした不安感にとらわれつつ、市内遠方にあるデイサービスで恐る恐る歌ってきた。

 昨日歌ったサ高住と比べ、利用者が自宅で普通に生活しているデイサービスは、格段に感染リスクが高い場のように思われた。週半ばにスケジュール確認の電話が先方からあった折、実施の是非を確かめたが、ぜひやりたいとのこと。
 よく考えると、体調の悪い利用者はデイサービスそのものを休むはずで、過去のインフルエンザ流行時もそうだった。ドア取手類には極力ふれないなど、個人的なウイルス対策を徹底させることで臨もうと腹をくくり、約束通りに出かけることにする。
 施設とは年2〜3回ペースで依頼が続く長いおつきあいがあり、今回が通算18度目のライブ。開始は15時だが、遠方なので14時10分前に家を出る。冬だと時に1時間かかるが、このところの暖気で道はすっかり乾いている。わずか40分で着いた。
 予定よりやや早くライブ開始。アンコールやリクエストが相次いで、50分で15曲を歌った。(※はリクエスト)

「上を向いて歩こう」「二輪草」「真室川音頭」「瀬戸の花嫁」「365歩のマーチ」「蘇州夜曲」「みかんの花咲く丘」「恋の町札幌」「矢切の渡し」「星影のワルツ」「ミネソタの卵売り」「東京ラプソディ」「丘を越えて(アンコール)」「影を慕いて※」「リンゴの唄※」

開始前に控室で自撮り

 聴き手は30名強で、8割が女性。時の経過と共に顔ぶれが大きく入れ替わり、当初の顔見知りは少なくなったが、新たな出会いもそれなりにあり、手応えは悪くなかった。

 共に歌う声が耳に届いたのは、「蘇州夜曲」「瀬戸の花嫁」「みかんの花咲く丘」「影を慕いて」など。「上を向いて歩こう」「二輪草」「真室川音頭」では自然発生の手拍子も出たが、中盤の「恋の町札幌」「矢切の渡し」あたりで、会場の元気がなくなった。聴き手に疲れが出始めたのかもしれない。
 終盤の曲で盛り返し、そのままラストになだれ込んで締めくくると、期せずして担当のSさんのリードで「アンコール!」の手拍子。打合せにはなかったが、職員さん先導のアンコールだった。
 手早く応えたあとも場に少し余韻が残ったので、こちらから「なにかリクエストありますか?」問いかけた。この日はライブ直前になめたのど飴が効いたのか、喉の調子が抜群によく、一度も水を飲まずに45分を乗り切るという快挙。余力は十二分にあった。
「影を慕いて」「お祭りマンボ」の声が上がったが、最初に出た「影を慕いて」に決定。昨日もリクエストで歌ったばかりで、今日のほうが出来はよく、1番を終えた段階でさざ波のような拍手が湧いた。

 これでお開きかと思いきや、職員さんから、「どのくらいレパートリーあるんですか?」「《ふきのとう》は歌えますか?」と矢継ぎ早の質問。
《ふきのとう》の代表曲は、だいたい歌えます。「風来坊」は昨年の北海道神宮祭ステージで歌いました。ここで歌っていいなら歌いますよ、と応ずると、Sさんから「やっぱりみなさんがよく知ってる歌がいいでしょう」とダメ出し。
 いろいろあって、会場から声のあった「リンゴの唄」で締めくくることに落ち着く。

 昨日のライブでも「菊地さんの《22才の別れ》が聴きたかった」と、終了後に職員さんから言われた。職員さんは利用者よりも年代が若いので、曲の好みが分かれる。自分としてはフォーク系の曲をどんどん歌いたいが、悩ましい。

2020年2月15日土曜日

終わってみれば好評

 車で30分強の距離にあるサ高住で歌った。1週間前に歌ったサ高住と同じく、昨年末に歌ったサ高住の系列施設である。1週間後にも別の系列施設で歌う予定で、計4つのライブがまとめて企画された。
 どの施設もホテルのような高級感漂う造りである点で一致している。最初に歌った施設で洋楽やオリジナルを求められたのも、こうした施設の有り様と無関係ではないだろう。

 偶然だが、今回の施設は私の通った高校のすぐ近くにある。ライブ開始時刻は他施設と同じく14時。13時過ぎに家を出て、20分前には到着した。
 三々五々と聴き手が集まってきて、定刻にライブ開始。およそ45分で13曲を歌った。(※はリクエスト)
「上を向いて歩こう」「おかあさん(森昌子)」「バラが咲いた」「蘇州夜曲」「幸せなら手をたたこう」「仰げば尊し」「サン・トワ・マミー」「神田川」「恋の町札幌」「影を慕いて※」「星影のワルツ」「東京ラプソディ」「月がとっても青いから(アンコール)」


 聴き手は開始時点で10名強。開始後に少しずつ増えて、最終的には20名弱に達する。
 系列施設でも、場所が変われば嗜好も変わる。今回は開始前の時点で、ある男性から「リクエストOKですか?」との質問があった。
 高齢なので古い曲がいい。古賀政男の曲をぜひに、との希望。電子譜面を繰って、「影を慕いて」を見つけた。後半に歌うことを約束する。
 いざ歌い始めると、これまでとは空気感が微妙に異なった。ひと言でいうと、ノリが悪いのだ。歌に合わせた手拍子や、共に歌う声がほとんど耳に届かない。
 気分を一発で変える力のある「幸せなら手をたたこう」でも、大きなな変化はなかった。職員さんが最初の紹介だけで会場から姿を消したことも関係していただろうか。

 反面、叙情系の「バラが咲いた」「蘇州夜曲」「仰げば尊し」などへの反応はまずまずで、場としては明らかに傾聴型だった。

職員さん多忙のため、自撮り

 いまひとつ場をつかみきれないまま、ラスト前の「星影のワルツ」を歌うと、これがこの日一番の手応え。
「千昌夫が聴けてよかった」とささやく声が複数届く。結果論だが、他施設の嗜好にとらわれず、演歌系の曲をもう少し増やすべきだったかもしれない。
 ラストの曲を歌って場を収めると、最初にリクエストを求めた男性からステージ名「トムノ」に関する質問があり、続けて「70歳とは思えない若々しい声に驚きました。できるだけ長く歌い続けてください」と労う声。さらには「もっとリクエストはありますか?」と不思議な問いかけ。
 一瞬戸惑いつつも、もしかしてアンコールですか?と、こちらから問い返した。場は大人しかったが、職員さんが終了を告げても誰一人席を立とうとせず、(もう少し聴きたい…)という気分が場に満ちていたのは確かだった。
「そう、そのアンコールです」と男性が応じる。職員さんも聴き手もライブに不慣れらしく、時にはこうした歌い手からの働きかけも必要だった。

 かの男性は終了後にも間近に近寄ってきて、いろいろ声をかけてくださった。「とても素敵な歌でしたよ」と、私にではなく職員さんに挨拶をして帰る方も多数いて、終わってみればライブそのものは好評、という不思議な結末だった。

2020年2月14日金曜日

最低限の外出

 午後からあちこち出かけた。新型肺炎の足音がヒタヒタと迫っていて、無用の外出は極力控えたいが、生きているうちは最低限の用事をこなさなくてはいけない。

 まず、近隣のスーパーで花とフルーツヨーグルトを買い、その足で母の暮らす施設に行く。13時ちょうどだったが、母はすでに寝ていた。
 明日100歳を迎える母の部屋に花と100歳記念に国からいただいた銀杯を飾る。好物のフルーツヨーグルトは職員さんに託したが、問題なく食べられそうだった。


 食堂には母のために「祝 100歳」の文字が壁一面に飾られていた。職員さんの気遣いがありがたい。
 明日は15時から簡単なお誕生会をやっていただけるそうで、立ち会いのお誘いがあったが、あいにく同じ時間にボランティアライブの予定がある。せめてもの罪滅ぼしが、1日前の花とフルーツヨーグルトだった。

 帰宅後に区役所から介護認定の更新届が届いていたが、介護度は5のままで、期間はこれまでの1年から3年に延長されていた。回復の見込みは薄いが、まずは無事に100歳の壁を超えられそうだ。


 その足で近くにある地区リサイクルセンターに向かう。実は先週の町内ゴミステーション当番で、一升瓶1本が回収されずに残っていた。びん類回収日以外の日に出したせいだろうと思い、たまたま週末が月に一度の資源回収日。玄関前に並べておいたら、なぜかこの一升瓶だけが残されていた。
 いろいろ調べると、札幌市では一升瓶やビール瓶等のリサイクル可能なびん類(リターナブル瓶)は回収してくれず、町内会の資源回収として出すように、との記載がある。その資源回収でも拒否され、いったいどうすればいいんだ!と、よく調べもせずにステーションに出したどこかの誰かをうらんだ。
 ストレスに苛まれつつ、さらに調べて、地区リサイクルセンターに持ち込めば予約や費用なしで引き取ってくれることを突き止める。一時は有料の「燃えないゴミ」として出すことまで考えたが、無事に引き取ってもらえた。
 今回は回収地点がたまたま近くにあったが、もっと簡単に出せるようにならないものか?

2020年2月13日木曜日

はやくもアリ出没

 朝起きると、IHヒーター横にうごめく黒いもの。アリだ!まだ2月中旬だが、昨日からのバカ陽気で地中の卵が一気に孵化したらしい。目についたアリを片っ端からつぶす。その数、ざっと10匹。

 ただちに超音波式の害虫駆除機を横にあるカウンター上に設置した。記録を調べると、昨年は2月20日に同じ場所に設置している。ただし、昨年はアリの姿を見かけないうちに「先制攻撃」として設置したもの。まさかこんなに早く本物のアリが現れるとは。
 用心して今年は居間のテレビ下にも別の1個を同時設置した。


 居間の3年カレンダーには出没したアリの数を「正」の記号で記録しているが、2018年は3月2日、2019年は3月27日に初めて数匹のアリを見かけている。
 アリは夕方までに断続的に現れ、合計20匹を超えた。出没する時期でもその数でも、記録的に早い。
 超音波式害虫駆除機の効果がすみやかに現れるとよいが、状況次第では床下への電気式蚊取り器の設置も検討したい。

2020年2月12日水曜日

体力勝負の新型肺炎

 大雪のあとに厳しい真冬日が延々10日近くも続いたと思ったら、一転して今日は4月上旬のバカ陽気。最高気温は8度に達し、降り積もった雪は一気に10センチほども解け、春間近を思わせた。

 初めての冬を迎えた新車庫、現段階で積雪深は平年値の90%、累積降雪量は83%ほどだが、積雪に対しては何ら問題なく、構造体の歪みはゼロに近い。雪下ろしの必要性は今後ともないと判断する。
 少しだけ気になっていた融雪時のすが漏り、今日はかなりの雪が解けたが、屋根からの融雪水はすみやかに屋根と雨樋から落下。構造体への回り込みや野地板からのすが漏りは一切見られない。
 初めて使ったフランス製屋根材「オンデュリン・クラシック」、重ね長さに十分な余裕をみたこともあって、問題なく機能している。残るは台風に対する評価だ。


 新型肺炎の波紋がジワジワと広がっていて、どことなく気が落ち着かない。人混みを極力避け、買物や外食は店が空いている平日昼間に済ませるようにしている。

 今月はあと3本のライブを残しているが、今日は週末に歌う予定のデイサービスから連絡があり、予定通りに演って欲しいとのこと。介護施設でも人が集まればウイルスのリスクは増す。正直なところ、いまは人前で歌う気分ではない。
 マスクの在庫は40枚近くあるが、あまり効果的ではないとの情報も多い。政府やWHOはあてにできず、外出をゼロにして生活することも難しいので、個人としてできることは、手洗いうがい(鼻うがいを含む)。あとはバランスよく食べてよく眠り、ウイルスが入り込まない体力&抵抗力をつけることくらいか。
 規模の大小を問わず、経営者は大変だろうな、と思う。新型肺炎の影響で収入が減った分は、備蓄分を吐き出して耐えることになる。出口は一向に見えず、こちらも体力勝負になりそうだが、厳しい。

2020年2月8日土曜日

悪条件にもめげず

 市内の中心地区にあるサ高住で歌った。実はこの施設、昨年末にXmasライブを演った別施設の系列である。終了後に系列施設でもぜひ歌って欲しいとの打診があり、快諾。今回のライブにつながった。
 新型肺炎の影響で開催そのものが危ぶまれたが、数日前に連絡があり、予定通りに実施とのこと。

 遅れてやってきた先日の大雪で、市内は交通事情がよくない。場所はよく知っていたが、用心して1時間以上も前に家を出た。
 車の流れはまずまずで、45分で先方に到着。開始までには25分近くあり、ゆっくりスタンバイした。
 サ高住という形態から、ライブは自由参加。前回の別施設と同様に、集まりがあまりよくない。やや遅れて14時過ぎから開始。45分で14曲を歌った。(※はリクエスト)


「北国の春(マイクテスト)※」「上を向いて歩こう」「おかあさん(森昌子)」「バラが咲いた」「蘇州夜曲」「幸せなら手をたたこう」「仰げば尊し」「サン・トワ・マミー」「神田川」「ケ・セラ・セラ」「恋の町札幌」「禁じられた遊び※(初披露)」「星影のワルツ」「東京ラプソディ」
 1曲目の「北国の春」は、早く集まった方々からこの日の予定曲を求められ、順に披露するうちに飛び出したリクエスト。稀にある開始前のセルフ・オープニングアクトのような位置づけだった。
 全く予定にはなかったが、この種の声が出ること自体、場が乗っている証。柔軟に応ずれば、ライブはたいていうまく運ぶ。

 予想通り、その後のライブはやりやすかった。歌い進むうちに参加者はじわじわ増えて、最終的には15名ほどになった。
 人前で歌うのはおよそ1ヶ月ぶりで、出だしの数曲は明らかに調子が悪かった。聴き手に後押しされるうち、じょじょにペースを取り戻す。


 プログラムは系列別施設での要望を取り入れたもので、シャンソンやフォークなど、ややリスクを伴う選曲だったが、問題なく受け入れられた。
 他施設に比べて元気のいい男性が多く、手拍子系の曲をもう少し増やしてもよかった気がする。

 後半でリクエストを募ると、最前列の女性から「禁じられた遊び」をぜひに、との思いがけない声。弾き語りむきの曲ではないが、以前にも別施設で同じリクエストが出たことがある。
 その際に覚えた弾き語り用のコード譜を探し出して披露すると、思いがけず受けた。クラシックギターによる本格演奏には程遠いが、転調部分も含めた和訳による弾き語りが、意外に新鮮に聴こえたのかもしれない。
 ラストの曲では職員さん2名も参加し、全員の手拍子でにぎやかにしめくくる。終了後に微妙な余韻が場に残ったが、アンコールの声はなかった。冒頭と終盤でリクエストに応えているので、先導すべき職員さんが遠慮してしまったかもしれない。

 直前まで迷ったが、戸口から戸口へ車での移動、人の出入りが少ない会場ということでウイルスの危険性は少ないと判断。マスクは一切せずに臨んだ。
 遅れてきた大雪と新型肺炎という想定外のアクシデントに見舞われたが、無難にまとめられたと思う。

2020年2月6日木曜日

火災保険を更新

 20年前の新築時、住宅資金を借りた金融公庫がらみで掛けた火災保険が2月10日で満期になると、保険会社から連絡があった。
 継続するか、別の保険に替えるか、はたまた保険自体をやめるのか、アンケートのようなハガキが同封されていて、熟慮のすえに別保険に掛け替えることにした。

 これまでの保険は20年分一括払いで14万円弱。年換算だと7千円ほど。地震や風災、家財の特約はついてなかったが、入居8年目にBSアンテナがカミナリの直撃で壊れた際、この保険が適用されて補修費用はゼロで済んだ。
 掛け金の大半はこのときに回収できたので、やはり保険は掛けておくべきと悟った。


 新しい火災保険はネット経由で探した。候補としては「道民共済」「こくみん共済(住まいる共済)」「ソニー損保」の3つ。
 どの保険も保険料の見積りがネット上でできるようになっており、補償範囲や条件選択の柔軟さなどから、自動車保険と同じソニー損保に最終決定した。
 一般的な火災(もらい火も補償)のほか、風災、雷災、雪災、家財の特約をつけた。地震と水災は札幌市のハザードマップなどを精査のすえ、危険度は少ないと判断して外した。

 建物は20年前と同じ金額にし、家財分が500万円、免責3万円で、証券はネット保存のペーパーレス。2年分一括払いで、掛け金は2万4千円だった。
 1年だと1万2千円となり、月額千円ちょうど。これまでの保険より年額5千円高くなったが、必要経費だろう。保険料は妻と折半にしたが、2年たったら見直す可能性はある。


 昨日から今日にかけて大雪警報が出て、直近の土木センターでは1日で40センチの積雪を記録。気温も今冬最低のマイナス15度まで下がって、暖冬傾向を一気に吹き飛ばす厳寒に見舞われた。

 建て替えた車庫にとっては初めての試練となったが、屋根の積雪は最深部で70センチほど。設計値の半分で、梁や柱の変形は皆無。雪下ろしの必要はもちろんない。
 玄関前の除雪は妻がやってくれた。吹き溜まりもほとんどなく、雪置き場には十分な余裕があって、ごく短時間で終わったという。冬を旨として設計した新車庫、いまのところうまく運んでいる。

2020年2月4日火曜日

初のWiMAX速度制限

 最近になって1階で使っているMacBookの調子が悪く、文字入力のレスポンスが極端に悪い。OSはまだ10.12のままで、起動USBを使ってシステムだけを再インストールしようとした。
 ところが、「このUSBは壊れています」とメッセージが出て動作しない。インストール用のappファイルは残っているので、取り出してもう一度起動USBを作り直そうと考えたが、(この際、OS10.13にアップデートするのが賢明かも?)と考え直した。

 2階で使っているMac miniはつい先日、OS10.13にアップデートしたばかりで、特に支障なく使えている。念のためまだ動作チェックしてなかったWindows仮想マシン、バーチャルボックスの起動を確認。MacBookもアップデートすることに決めた。
 動作が安定しているMac miniは上書きインストールにしたが、問題が出ているMacBookはHDをいったん消去するクリーンインストールを選択した。
 過去にも何度か試みているプロセスに従って実行する。


1)OS10.13インストールUSBからオプションキーを押して起動。ディスクユーティリティから「消去」、オプションで「0を1回書き込む」を選択して実行。約1時間で終了。
2)そのままOS10.13をインストール。35分ほどで終わった。
3)Macの標準アプリ「移行アシスタント」を使い、すでにOS10.13にアップデート済みのMac miniから各種データやアプリ、システム設定などをそっくり移送する。

 Mac miniとMacBookをEthernetケーブルでつなぎ、Mac miniから「別のMacへ」を、MacBookでは「Macから」をそれぞれ選ぶ。1時間40分で終了した。
(移行時のホームフォルダとアカウント名設定に関しては後述)

 その後各種アプリケーションを起動して動作確認したり、ツイッターやDropboxにログインして以前の使用モードに設定し直す。
 夕方から始めて深夜にはひとまず使えるようになり、問題点はすべて解決していた。
 翌日になってホームフォルダとアカウントの名前が気になってきた。データ移行の際に仮につけた名が、なぜかそのまま使われている。動作とは無関係だったが、変更することにした。
 ところがどこかで手順を間違えてしまい、MacBookが正常起動しなくなった。詳細は省くが、いろいろやっても回復せず、OSをまたまたインストールし直すことになった。アカウント名の変更など安易にやると痛い目にあう。

 手順は上記と同じだが、3)の段階でMacBook側のホームフォルダとアカウント名を新規に「bookTOM」で統一こうするとホームフォルダとアカウント名は移行元のMac miniと同一になり、スムーズに運ぶ。
bookTOM」のユーザーは終了後に消去する
 連日のOSアップデート作業でWiMAXの「3日で10G」の通信量制限が厳しくなり、移行時にセキュリティ関連の自動更新がされないよう、Wi-Fiは切断して作業した。

 作業がようやく終わって、念のためWiMAXの通信量を確認した。すると、14G弱まではね上がっている。制限値をあっさり超えていた。
 思惑では9Gあたりでギリギリ収まっているはずだったが、完全に想定外。理由をいろいろ考えてみたが、終了後にDropboxとGoogleDriveにログインして全ファイルを同期したことが原因と思われた。
 上書きインストールなら同期のやり直しはないが、クリーンインストールの場合は同期作業が必須。合計4G弱あるので、数値のつじつまは合う。
 一夜明けてWiMAXからメールがあり、今日の18時から明日2時まで、3日で10Gを超えたことによる速度制限に入ることの連絡があった。ホームルータ本体にも黄色の警告ランプが点灯した。

 これを書いている時点で速度制限の真っ最中だが、ツイッターやニュースサイトの閲覧、ブログの記載に大きな支障はない。通信速度は実測値1Mbpsくらい。画像表示がやや遅れる程度で、インターネット黎明期のダイヤルアップ接続と比べると、はるかに快適。
 速度制限は明後日まで続く。セキュリティ関連の更新は、制限が解けてからゆっくりやる。

2020年2月3日月曜日

抗ヒスタミン薬

 収束したつもりでいた蕁麻疹、翌日の朝方に再び激しい痒みに襲われた。範囲は狭くなったが、腹部を中心にミミズ腫れが広がり、眠れない。
 3日目となる月曜の朝にも、やはり痒みが襲ってきた。前日よりも範囲が広がった感じで、脇の下や首周りにも発生。昼間はほとんど症状がなく、決まって深夜に痒みと腫れがやってくる。もはや自然治癒は難しい。
 朝一番に皮膚科で診てもらおうと決め、深夜に持っていくものを準備した。
 3時間くらいしか眠ってないが、朝食もそこそこに皮膚科に行く。診察開始の9時半前に受け付けし、30分待って3番目に診てもらった。
 診断はやはり蕁麻疹で、原因はサバとは断定できないという。ともかくも、アレルギー系の痒みに効く抗ヒスタミン薬を3種類処方してもらう。

 ついでに残り少なくなった爪水虫の薬をもらおうと思ったら、しばらく来ていないので、白癬菌の検査をやるという。ここで20分余待った。
 ずっと使ってきた薬の効果がいまひとつで、今回から薬の種類を変えることになった。


 その後、処方箋薬局に行く。皮膚科の入っているビル1階の薬局にいつも行くが、混んでいて待たされる。今回は隣にあるイオン1階の薬局に行くことにする。皮膚科に張り紙があって存在を知った。

 初めて行ったが、食品売り場の前にさりげなくパーティションで区切られている。客は一人もいず、10分ほどで出してくれた。同じ薬なので、待たされないのは歓迎だった。
 薬代2,440円は珍しくカード払いOKで、ポイント還元の対象。これまたありがたい。
 夕食中に背中付近が痒くなり、調べたら赤い発疹がまた出始めている。急いで食べ終え、処方された薬を2種類飲んだら、気のせいかだいぶ楽になった。
 薬は朝食夕食後と就寝前の3回飲む。今夜痒みで起こされなければ、効いていることになるが、果たしてどうか?
(一晩が経過。薬が効いて痒みは発症せず、よく眠れました)