まず、病気が私と同じ大腸系のガンであったこと。部位は私のS字結腸より下側の直腸だが、大腸にもポリープがあって、内視鏡手術を繰り返していたという。
発症は2011年3月だったそうで、4年半ほどの余命だったということに結果としてなる。発見時のステージがどの程度だったのか、はっきりしない。
そして、死の前日にあたる11月19日に、旅行で壮瞥町の「横綱北の湖記念館」のすぐ横を車で走っていたこと。
「ああ、ここに北の湖の記念館があるよ」と、家族と言葉を交わしたものだ。スケジュールの都合で立ち寄ることは叶わなかったが、不思議な縁を感じてしまう。
いずれにしても、死の前日までごく普通の社会生活を営んでいたことが脅威である。おそらくは自分のイノチの期限を悟ったうえでの行動ではないだろうか。その強い精神力と体力に、ただただ敬服する。
先日、胆管ガンで亡くなられた女優の川島なお美さんもそうだったが、死の直前まで命の火を輝かし続け、ふっとこの世から消えてゆく。そんな人生の終わり方に、潔さと同時に、ある種の憧れさえ感じてしまう。
こちらもつい先日亡くなったばかりの阿藤快さんの場合は、大動脈瘤破裂が死因だったそうで、眠ったまま亡くなったという。もしかすると本人は死の自覚すらなかったのかもしれない。
「苦しまず、長患いせず、ふっとこの世から消える」という点では、同じようにある種の憧れを感じてしまうが、ガンと違って死に対する心の準備が具体的にできなかった部分が、残された家族にとっては心残りだったかもしれない。
大腸ガンが再発する場合、その95%が術後5年以内におこるという。自分の場合、やがて丸2年が過ぎようとしているが、あと3年を果たして無事に乗りきれるのだろうか?
考えられる生活改善はすすめつつも、「人生のゴールラインがぼんやり見えてきた」という状況に、大きな変わりがあるわけではない。だからこそ、残された限りある時間を悔いなく楽しく、そして慎ましくとも輝きながら生きゆく。
「死」がいつ何時おとずれても慌てないように。
「死」がいつ何時おとずれても慌てないように。