2014年3月17日月曜日

ユニットの限界

 気温が一気に5度くらいまで上がり、雪解けが一気に進んだ。今日は玄関横に積み上げられた雪山にスコップで切り込みを入れた。いわゆる「雪切り」と呼ばれる作業で、これをやると雪解けが一層速くなる。
 この暖かさが続けば、だいたい1日5~6センチほどのペースで雪解けが進むので、あと3週間ほどで雪はなくなるはず。ただ、彼岸前後に大雪が降ることがよくあるので、ベランダや車庫屋根の雪割り作業は、用心してまだやらない。


 昨日受けたチカチカオーディションで指摘された、「ソロでのパフォーマンスを、ユニットが超えていない」という講評をずっと考え続けているが、褒められたのかケナされたのか、いまひとつ釈然としない。
 ソロで歌い続けてきたのは他でもないこの私で、仮にそのパフォーマンスを量的に置き換えて「1」としよう。このパフォーマンスを私と息子のユニットが超えていない、ということは、「1」に達していない、つまりは1以下(0.8とか0.9とか)であるということなのか。
 手前味噌の褒め言葉で考えるなら、「それほどアナタのソロパフォーマンスは秀でてますよ」となろう。2年間オーディション免除の恩恵を受けた背景の一面も、おそらくそのあたりにある。

 ところが、ユニットの半分を構成しているのも、他ならぬこの私。リードボーカルやギター演奏、編曲構成面などで、ユニットにおける私の比重は大きく、数字でいえば70%ほどか。それがソロを超えられないということは、「自分の敵は自分自身だった」ということにもなりかねない。
 ユニットとしてのパフォーマンスはかくも難しい、とも言えそうだが、ではどう工夫すれば、せめて「1+1=1」、つまりは、ソロなみのパフォーマンスをユニットで得られるのか、現時点ではちょっと分からない。
 冷静に判断して、父子で歌うことで聴き手にある種の「物語」を期待していた甘さがあったように思う。介護施設系や家族系の場であれば、この「物語」がプラス方向に作用し、熱い聴き手の支持が得られる。
 ところが、第三者の評価となるオーディションのような場では、この「物語」が全く作用せず、審査員の目には逆に物欲しげに映ってしまう可能性すらある。

 当面はユニットでの活動をこれまで通り、介護施設系や家族系の場に限定するのが無難かもしれない。路上系の場では息子の助けを期待せず、ソロでの活動に磨きをかける方向となりそうだ。
 第三者の評価を得て、自分の目指すべき方向が、より鮮明になった。ユニット不合格は、ひょっとすると天の啓示であったか。