2009年11月15日日曜日

森の広場の音楽会

 昨日のことになるが、アルテピアッツァ美唄という彫刻公園内にあるアートホールにて催された、「森の広場の音楽会」というクラシック系コンサートに参加した。
 この彫刻公園には先月初め、還暦コンサートにやってきた東京在住の友人の強い要望により、始めて訪れた。その際、現地を案内していただいたTさんからのお誘いだった。

「彫刻公園の中で歌う」という設定そのものに強く惹かれたが、問題は参加の大半がクラシック系の演奏者であること。フォーク系の弾き語りなど、果たして参加可能なのか?という、根源的疑問が湧いたが、その点に関しては問題ないとTさんは言う。
「ジャンルの垣根を取払い、音楽仲間の輪をさらに広げたい」という意向が主催者側にあるようで、それではと、ありがたくエントリーさせていただいた。
 会場はPAなどの音響設備がなく、生音で歌うことが条件である。参加費はないが、協賛するユニセフに、1組500円以上の寄付をすることが、参加条件といえば条件。
 会場は旧小学校の体育館を改装したもので、かなり広い。声が届きやすいよう、そして遠くから見えやすいよう、路上ライブや介護施設のように立って歌うことに決めた。


 あいにく徹夜仕事続きの忙しさで、体調は最悪。しかし、すでにプログラムにも記載されているので、キャンセルなどはもってのほか。多忙のなかで必死に体調を整え、準備した。

 当日は朝からかなりの雨で、前回訪問時も雨に降られた。どうやら、美唄とは雨に縁があるらしい。開始は午後1時で、1組15分の持ち時間で、合計15組が参加する。私の出番は8番目で、およそ2時30~45分あたり。
 早めの11時30分に家を出たが、途中でガソリンを入れたり、冬タイヤの空気圧調整をしたりして手間取り、着いたのは午後1時50分だった。


 会場の床には、彫刻家・安田侃の作品が、あちこちにさり気なく置かれている。雨ということもあり、室内は仄暗いが、スポットライトが随所に配置され、いい空間を作っている。
 到着時はちょうど5番目の演奏が始まったばかりだったが、その後の演奏者の時間が短めで、予想よりも早めの2時30分に出番が回ってきた。

 直前の自宅でのリハーサルでは、高音部の声が一部途切れた。喉の状態が悪いときにしばしば起こる現象で、本番でこれは避けたい。ショウガ湯や喉アメで必死に調整したが、まずは大きなミスを避けるべく、守りの気分で歌い始めた。


 この日のセットは以下の通りで、「大半の参加者がクラシック系」という特殊条件を考慮し、場にふさわしい曲を慎重に選択した。

・りんご撫ずれば(作詞作曲:及川恒平)
・コンドルは飛んでゆく(オリジナル訳詞)
・永遠の木(オリジナル)

 いざ歌い始めると、やはり声が遠くに届かない感じがした。PAがないのは承知だったが、聴き手はざっと60名近くもいて、反響音が吸収されてしまうのか、自然な音の返りも全くない。
「歌えど歌えど届かず」といった不安な感触のなか、歌は進んだが、不思議なことに聴き手の反応自体は悪くなく、ちゃんと聞いてくれているのが演奏中の身体の動きや視線、そして終了後の拍手などからわかった。
 ともかくも、無事に演奏終了。続いて同じ弾き語り系のTさんのステージで、持参の脚立を椅子代わりにした熱演が続く。二人合わせてちょうど30分という、絶妙の長さで歌い終えた。

 終了後の妻のコメントが、「Tさんのほうが、ずっと声が通っていた」という手厳しいもの。分かってますって。
 言い訳になるが、Tさんは私よりも一回り以上若く、場数やキャリアも私に比べて、はるかに豊か。今回のステージを二人セットとして考えると、後になるほど盛り上がるという、ほどよい流れになっていたはず。おそらく一般の聴き手に対しては、それなりの世界を築けたのではないか、と自己評価している。

 ほろ苦い反省はあったが、これまで一度も体験したことのない、独特の空気感漂う場であったことは間違いなく、その意味では貴重な経験をさせていただいた。
 声楽、室内楽、ピアノ、琴など、バラエティに富んだ演奏が続き、聴き手としても充分に楽しめたが、仕事の都合でコンサートを最後まで見届けることが出来ず、16時に会場を抜け出す。
 帰宅後、詰まっている仕事のスケジュールをさばくべく、すぐに仕事にとりかかる。予定分を仕上げて眠りについたのは、明け方4時だった。