3月いっぱいで放送局を退職し、秋には結婚して北海道から遠く離れた地で暮らすという。去年の秋に自宅コンサートに来てくれたとき、その兆しを多少は感じていたが、話があまりに唐突で、正直ショックだった。
末の息子と同じ年の若い年代だが、フォークに強い関心を持ってくれて、取材が自分の音楽活動の自信になったし、新たな創作のきっかけにもなった。
私のライブの数少ない常連になりつつあり、「若い世代にフォークの神髄を伝える」という意味でも、大切な存在だった。だが、暮らす街がここからはちょっと遠すぎる。ライブへの参加は事実上ムリだろう。残念だ。
一昨年の2006年は、仕事や家族のあらゆる面で悲惨な年だったが、翌年早々のこの取材から、薄皮がむけるように運気が上昇していったような気がする。その意味で、彼女の出現は運気的には、「女神登場」と位置づけてもいい。
それにしてもまあ、忙しいなかでよく忘れずに電話をくれたと思う。そのことだけでもありがたく、うれしい。
生きてさえいれば、人と人とのつながりが途切れることはない。それは世界のどこにいても同じこと。20年以上も前に1週間だけホームスティしたカナダの家族との交流が、細々とだがいまだに続いていることからもそれは立証できる。
大切なのは、心の底でつながりが保たれていることだ。それがなければ、すぐ隣で暮らしていても気持ちが通じ合うことはない。
赤の他人であるのに、まるで家族のような親近感を抱くことが稀にある。私にとって彼女はそのような不思議な存在だったが、自宅にパソコンを持たず、仕事以外ではネットもブログも一切やらないという、いまどき化石のような価値観の持ち主だ。今後どのようなつながりがあるのかないのか、それは神のみぞ知ることかもしれない。
新しい扉を開いた彼女の未来をまずは祝福し、私の晩年の人生に輝きを取り戻すきっかけを与えてくれたことに心から感謝しよう。ありがとう。