折からの新型コロナウイルス騒動で、施設は先月末から封鎖されている。家族も含めて面会は一切できないが、最初に連絡があった日には特別の計らいで面会を許された。
その後は電話での様子確認だけになっていたが、確かめてみたら今日の面会はOKだという。意識のあるいまのうちにと、すぐに車を出した。
10日近く食べることも飲むこともできず、ずっと点滴だけの母だったが、前回より顔色はよくなっているように感じた。酸素吸入も今日はやってなく、「お〜い、分かるかい?」と声をかけると、薄目を開けて私の名を呼んだ。誰が来たかは分かっている様子。
しかし、すぐに目を閉じて眠ってしまう。昼夜を問わず、ずっとこんな状態らしい。血圧は正常だが尿量が減っていて、予断を許さない状況であることに変わりはない。
この時期に長い面会はまずいので、10分ほどいて帰ることにした。先月に100歳を迎えた高齢で、いつ何があってもおかしくない。備えだけはしておく必要がある。
帰宅後、国税庁のサイトから「青色申告取りやめ届」「個人事業の廃業届」をダウンロードし、見本を参照しつつ、必要項目を埋める。作成の終えた確定申告書類と共に、まとめて提出することに決めた。
珈琲タイム後に車を出し、税務署に向かう。昨年と同じ16時過ぎに到着。今年は提出期限が延びたこともあってか、駐車場の待ち時間はゼロ。書類もすんなり受け取ってもらった。
調べてみたら、1982年8月に事業開業してから、あっという間に38年弱が経っていた。70歳という自分の年齢、建築系業務の減少、コロナウイルス禍…、いろいろな意味で、ここらがやめ時だった。
脱サラのタイミングと同じで、事業でもやめる時期は向こうからやってくる。
脱サラのタイミングと同じで、事業でもやめる時期は向こうからやってくる。
実家に用事があり、税務署から向かっていたら、途中で突然の閃光と同時に大雷鳴。付近の信号が全部消えた。幸いに実害はなく、交差点は徐行しつつ慎重に通過した。
しばらく走ると信号は回復している。春雷は珍しくないが、これほど近いのは初めての経験。完全な狙い撃ちである。事業をやめることに特に感慨はなかったが、もしや天からの手荒い祝砲とでも考えるべきか?