2020年3月31日火曜日

初七日法要

 長男一家を招いて、母の初七日法要を執り行った。四十九日や一周忌等の法要に比べて近年は簡略化される傾向にあり、告別式当日に火葬場から葬儀場に戻ったあと、繰り上げ実施するケースも多い。
 母の場合は参列者の負担も考慮し、繰り上げ初七日はやらなかった。参加人数を絞り込んだ関係で葬儀に参加できなかった長男のお嫁さんと孫娘に焼香してもらう意味もあり、家族夕食会の延長という形でやることにした。
 長男の都合で16時にマンションに迎えに行くことになる。午前中に回転寿司のトリトンにコンビニからFAXし、食事用の寿司を持ち帰りスタイルで注文した。

 13時に家を出て、まずGSでガソリンを給油。その後、近くにある資源回収施設「じゅんかんコンビニ」に寄って昨日分類したゴミのうち、古布を処分しようとしたら、古布のパーティションだけが固く閉ざされている。
 扉には「コロナウイルス対策として、5/7まで古布受入れができません」との表示が。繊維の裁断時にウイルス拡散のリスクがあるらしい。ここまでコロナウイルス禍が…。


 諦めて、母の住民票のあった区役所へと向かう。死亡届は亡くなった翌日に提出済みだが、通夜の準備に忙しく、その後の諸手続きはやっていない。
 3ヶ所の窓口を回り、健康保険や介護保険の資格喪失届を提出。窓口は意外に空いていて助かったが、年金関係の手続きは別の年金事務所でやるとのこと。戸籍謄本や事前予約も必要らしい。この日の手続きは無理だった。
 続けて実家に寄って、宙に浮いたゴミ袋をいったん置く。費用はかかるが、いっそ全部燃えるゴミとして出そうかとも思う。
 時計を気にしつつ、少しだけ片づけをする。部屋の中はまだまだ寒く、暖房なしで長く作業するのは無理。本格作業はもっと暖かくなってからだ。

 近所の町内会役員の家に寄り、母の死を報告。10年間の留守中もずっと町内会費は払ってきたが、それも終わった。


 15時半になって長男のマンションに向かって出発。家族3人を乗せたのち、途中にあるトリトンで注文してあった寿司を受け取る。コロナ禍のせいか、店は極端に空いていた。家族会の延長なので支払いに葬儀費は使わず、私のポケットマネー。
 家に戻ってただちに法要を始める。全員普段着だが、いちおう法要なので、孫娘を含めて地味な無彩色でそろえた。いただいた菓子やお嫁さん手製の豆腐ドーナッツを供える。

 読経は僧侶を呼ばず、以前から準備しておいた浄土真宗の高僧によるCD音源を使う。15分ほどかかる定番の「正信偈」を流した。
 私から順に祭壇前で焼香。孫娘もいつもとは少し違う雰囲気を察してか、神妙に合掌している。途中で飽きると思っていたが、終わるまで大人しく座っていた。なかなかのお利口さんである。


 17時ころに終わって珈琲を飲みつつ、故人の思い出話などにふける。孫娘と少し遊んだあと、一緒にお風呂に入ってから、みんなでお寿司を食べた。握った直後より味は落ちるが、ゆっくりくつろげて感染リスクが低いのは持ち帰り寿司の利点だ。

 21時少し前になって孫娘が眠そうな顔をしたので、ここでお開きとする。感染リスクを避け、今回も車で完全送り迎え。雑用を片づけつつ、最初の法事を無事に終えた。

2020年3月30日月曜日

母の私物を分別整理

 母の死から5日が経ち、高ぶっていた気持ちも、ようやく落ち着きつつある。今朝は明け方に目覚めたあと、再び布団にもぐって二度寝。久しぶりによく寝た。
 午前中に母がお世話になった施設に電話し、入居費の精算を依頼する。これまでは口座での自動引き落としになっていたが、死亡によって凍結される。請求書を郵送してもらい、直接振り込むことになった。
 同時に私物の引き取りに関して尋ねてみたら、今日にでも対応可能という。15時に受け取りに行くことになった。

 葬式に追われて食材が切れてきた。買い出しに行く必要があり、午前中からトライアルに出かける。ついでに100均ダイソーで20枚入りの45L大型ゴミ袋を調達。実家を含めた不用品の処理に必要だったが、20枚で足りるだろうか?


 昼食後、早めに家を出る。施設近くの六花亭に寄り、職員さんへのお礼として、菓子の詰め合わせを3個購入。普段は1箱しか買わないが、今日が最後なので、1階事務室、2階と3階詰め所にそれぞれお渡しする。
 3年半近くの長きにわたってお世話になったので、内部移動で職員さんが各フロアーに散っている。遺体搬送時に玄関まで見送ってくださった方たちだ。

 私物の取りまとめは職員さんがやってくれた。時期が時期だけに、施設内への立ち入りは最低限に、という配慮からだった。
 玄関ホールで台車に積まれた箱4つを受け取る。一人で行ったので、軽自動車にギリギリ収まった。


 珈琲タイム後、妻と共に荷物の分別作業をやる。使えるもの、燃えるゴミ、燃えないゴミ、リサイクル古布の4つに分類。リサイクル古布は大型ゴミ袋3つに収納。思っていたよりも簡単に片づいた。
 まだ始めたばかりだが、この調子で実家の片づけも進めたい。

2020年3月29日日曜日

母の死

 3月中旬から容態が悪化し、食べることも飲むことも出来ずにいた母が11日間もがんばった末に、とうとう亡くなった。3月25日、13時35分のことだった。
 亡くなる2日前にコロナ封鎖中の施設から容態に関する連絡があり、特別な計らいで短時間の面会を済ませてきたばかり。手を握って「誰だか分かるかい?」と呼びかけると、目を開けて珍しく私の名を呼んだ。
 最近は「あんた誰だっけ?」と、顔を思い出せないことも多くなっていて、急な覚醒に胸騒ぎがした。結果としてこれが最後となった。
 2日後の昼過ぎ、スーパーで買物を終えた直後に携帯が鳴り、臨終を告げられた。午前中までは職員さんの声掛けにも普通に反応があったという。急に静かになったので不審に思い、調べたら心音が止まっていた。
 死因は老衰で、苦しむこともなく、眠るような最後だったという。母が生前に望んでいた通りの形だった。


 先月中旬に100歳を迎えたばかり。心の準備は常にあって、狼狽えることはなかった。ただちに施設へと向かい、身内に連絡。かねてから資料を取り寄せておいた近隣の葬儀社に葬儀の依頼をする。
 医師である施設長さんの死亡診断書をもらい、16時に葬儀社の方と施設で待ち合わせることになる。葬儀は自宅で家族葬として執り行うことに決めていた。
 いったん家に戻って1階居間の西側を片づけ、仮通夜の場所を確保する。再度施設に行って葬儀社と合流。たくさんの職員の方が玄関まで見送りに来てくださり、最後に深々と頭を下げると、挨拶が涙声に変わる自分がいた。

 夕方に市内在住の長男がやってくる。相談のすえ、通夜は翌日の16時に、告別式は2日後の9時と決まる。世間は新型コロナウイルスの嵐が吹き荒れていて、遠方の身内は誰も葬儀に参加できない。長距離の移動は感染リスクが高まるので、やむを得ないことだった。
 その夜は仮通夜で、長男はいったん自宅に戻った。私は1階に安置された母の横に布団を敷き、あまり眠らずに一晩中心の対話を続けた。
 翌朝も早くから葬儀社の関係者が入れ替わりやってきて、ドライアイス交換、葬儀写真の打合せ、供花の飾り付けなどを慌ただしく済ませる。

 午後からは住民票のある実家近くの区役所に行って死亡届を提出し、火葬許可証を受け取る。なぜか混雑していて、30分以上も待たされた。マスクをつけていない人が多く、感染が怖いので椅子にも座らず、離れた場所に立ったままでいた。
 ようやく終わって実家に立ち寄り、骨上げ以降に使う仏具を袋に詰める。その後近くに住む次姉を車に乗せた。長姉は体調が悪く、参加できない。


 15時過ぎに自宅に戻ると、西の窓際に立派な祭壇と障子衝立が設営されている。湯灌を終えた母は、すでにお棺の中にいた。予定通りお坊さんがやってきて、16時から読経開始。祭壇には四十九日まで使う母の法名が記された木の位牌があった。
 母は寺の娘なので、生まれたときから法名(他宗の戒名に相当)が決まっていて、幼き頃からずっとその存在を聞かされていた。
 実家の仏壇引き出しにしまってあることを知り、亡くなる2日前に100年前の古い書き付けを持ってきたばかり。万一に備えて、葬儀用の写真も同時に選んできた。間に合ってよかった…。

 4人の身内と葬儀社の女性担当者(湯灌師の資格があり、とてもよくしていただいた)、それに僧侶を加えた6人だけのつましい通夜だったが、倹約家だった母には相応しいものだった。
 公共交通機関で帰ると言い張る次姉を説得し、車で自宅まで送り届けることにする。次姉も高齢なので、感染リスクの高い移動は極力避けるべきだった。
 家に戻って今夜は泊まるという長男、そして妻と3人で夕食。通夜らしく、お酒も少し飲む。食卓は居間の東側にずらしただけなので、母は間近にいた。

 この夜も私だけは母の横に布団を敷く。早めに床についたが、気が高ぶっていてなかなか寝つけない。4時間ほど眠って夜が明けた。


 翌日8時に長姉の夫から電話がある。告別式に出たいが、道に迷ったという。急ぎ車で迎えに行った。具合の悪い長姉に変わって参列してくれるとのこと。今日は次姉が来られず、長男と妻の3人だけで執り行うつもりでいたので心強かった。
 やがて葬儀社の方がやってきて、葬儀費用の支払いを済ませる。家族葬をベースにしている会社のせいか、12年前の父の葬儀費用よりも安い。それでいて、体裁は父のとき以上に整っていた。よい葬儀社に巡り会えた。
 9時前に僧侶がやってきて、10分ほど早く読経が始まる。30分弱で滞りなく終了し、ただちに祭壇を解体して搬出。棺の蓋を開けて副葬品(花、家族と父の写真、百寿の表彰状、法名の書き付け、菓子など)を入れつつ、最後のお別れをした。
 唇に薄く紅をさされた母の顔は穏やかで美しく、まるで生きているよう。「お母さん、きれいよ」との妻の呼びかけに、思わず熱いものがこみあげる。「がんばった、がんばった」と声をかけるのが精一杯だった。

 自宅から車で30分ほどの火葬場に向かい、10時半から火葬が始まる。11時50分に終わって、身内の4人で骨上げ。
 この日は全部で20体強の火葬があったが、コロナ禍のせいか、どの家も参列者は少なかった。


 小さくなった母を長男に抱かせ、家に戻ってささやかな祭壇を作る。お線香をあげてようやく全てが終わった。少し慌ただしくはあったが、うまい具合に雪も解けて雨も降らず、恵まれた条件の中で無事に葬儀を執り行えた。
 欧米では看取りはもちろん、葬儀も満足にやれずに病院からただちに火葬される事態になっているという。そうした未曾有の世界情勢のなかで、普通に母を見送ることができたのは幸いだった。

 丸10年にも及ぶ長い介護で、入院も10回近く。長男としての責務を無事に果たし、ようやく肩の荷が降りた気持ちでいる。かねてから自分に課していた「親よりも先に死ねない」という願いも、どうにか達成できた。
 諸手続きや実家の片づけなど、やるべきことはまだ山のように残っていて、当分は忙殺されそうだが、しばし心を休めることにしたい。

2020年3月23日月曜日

個人事業の廃業届

 午前中に母が暮らす施設の看護師さんから電話がある。今月中旬(3/14)から具合のよくない母の容態に関する内容で、意識はあるが症状はゆっくりと悪化しているという。
 折からの新型コロナウイルス騒動で、施設は先月末から封鎖されている。家族も含めて面会は一切できないが、最初に連絡があった日には特別の計らいで面会を許された。

 その後は電話での様子確認だけになっていたが、確かめてみたら今日の面会はOKだという。意識のあるいまのうちにと、すぐに車を出した。
 10日近く食べることも飲むこともできず、ずっと点滴だけの母だったが、前回より顔色はよくなっているように感じた。酸素吸入も今日はやってなく、「お〜い、分かるかい?」と声をかけると、薄目を開けて私の名を呼んだ。誰が来たかは分かっている様子。
 しかし、すぐに目を閉じて眠ってしまう。昼夜を問わず、ずっとこんな状態らしい。血圧は正常だが尿量が減っていて、予断を許さない状況であることに変わりはない。

 この時期に長い面会はまずいので、10分ほどいて帰ることにした。先月に100歳を迎えた高齢で、いつ何があってもおかしくない。備えだけはしておく必要がある。


 帰宅後、国税庁のサイトから青色申告取りやめ届」「個人事業の廃業届」をダウンロードし、見本を参照しつつ、必要項目を埋める。作成の終えた確定申告書類と共に、まとめて提出することに決めた。
 珈琲タイム後に車を出し、税務署に向かう。昨年と同じ16時過ぎに到着。今年は提出期限が延びたこともあってか、駐車場の待ち時間はゼロ。書類もすんなり受け取ってもらった。
 調べてみたら、1982年8月に事業開業してから、あっという間に38年弱が経っていた。70歳という自分の年齢、建築系業務の減少、コロナウイルス禍…、いろいろな意味で、ここらがやめ時だった。
 脱サラのタイミングと同じで、事業でもやめる時期は向こうからやってくる

 実家に用事があり、税務署から向かっていたら、途中で突然の閃光と同時に大雷鳴。付近の信号が全部消えた。幸いに実害はなく、交差点は徐行しつつ慎重に通過した。
 しばらく走ると信号は回復している。春雷は珍しくないが、これほど近いのは初めての経験。完全な狙い撃ちである。事業をやめることに特に感慨はなかったが、もしや天からの手荒い祝砲とでも考えるべきか?

2020年3月22日日曜日

一歩も外出せず

 昨日から水に漬けておいた黒豆50gを1時間かけてとろ火で煮た。煮汁は喉&咳止めの薬に、豆は砂糖と醤油で味付けし、オカズにして食べる。
 黒豆煮汁は年明けから喉の調整用として飲んでいるが、よく効く。数年前から風邪に起因する咳喘息を患うようになったが、やっかいなことに新型コロナウイルスの初期症状も咳や発熱であるらしい。
 普通の風邪なら黒豆煮汁で咳はひとまず治まる。これでも効かない場合は、消去法でコロナの可能性が高まる。ライブの予定は当面ないが、しばらくは飲み続けるつもり。
 昨日に引き続き、雪解けが進む外回りの片づけに励む。砂と枯葉で汚れた駐車場の床をブラシで掃除し、玄関横にずっと置いてあった除雪スコップ2本を物置に収納。ブーツ系の冬靴は1足だけ残し、2足は掃除して床下奥に片づけた。
 床下に置いたまま、今冬一度も出番がなかった電動除雪機は、いずれ処分するかもしれない。


 冬の間床下に置いてあったサツマイモのことを昨夜不意に思い出し、あわてて調べてみた。まだ5本残っていたが、状態は悪くない。1本ずつていねいに新聞紙でくるんだのが正解だった。

 今日は太い1本だけを残し、小さめの4本はすべて芋甘納豆にするべく調理。300g強あって、できたての一部を珈琲タイムに美味しく食べた。太い1本は近いうちに天ぷらにしよう。
 珈琲タイムの後、確定申告書の仕上げをやる。下書きはすでに終わり、昨日は決算書の清書をやった。今日は残る確定申告書の清書をやり、全体を見直して必要箇所に捺印した。
 新型コロナウイルスの影響で提出期限が1ヶ月延び、今年は納税も還付税もないので、いまひとつ力が入らなかったが、ようやく終わらせた。

 開業2年目あたりから35年以上も長く続けてきた青色申告、建築デザイン系の仕事が昨年はついにゼロとなり、所得はわずかな音楽系雑収入のみ。白色申告でも充分やれるので、今回で取りやめにしようと思う。
 調べると、やめるには2つの届出書が必要らしい。確定申告書と共に、近日中に税務署に提出してくる。


 夕食は妻の求めに応じ、カレーライスを作る。レーズンや冷凍ラズベリーを加えたフルーツカレーを最近は作っているが、甘くて芳醇で評判がいい。そのうち孫娘にも食べさせたい。
 今日は昼食の卵パスタも自分で作った。まさに料理漬けの一日だった。

 北海道では新型コロナウイルスの緊急事態宣言が解除されたが、まだまだ油断はできない。結局この3日間は一歩も外出せずに過ごした。出歩かないことが最大の自己防衛策だろう。
 世間では気の緩んだ行動も一部に垣間見えるが、このまま収束に向かうとはとても思えない。人々が動き始めた1週間後の月末あたりに、感染爆発がありはしないか?

2020年3月21日土曜日

ネズミ食害皆無

 裏庭の雪解けが進んだので、庭木類の冬囲いを順に取り外すことにした。まずは最も巨大なラズベリーから。
 数が多いため1本ずつ囲うのは難しく、全部まとめて木材の雨よけに使った大型シートで周囲を巻いた。ロープを何本も使い、風で飛ばないよう大型のブロックやレンガを重しに置いた。端部は太い庭木に結び、シートの一部はホチキスで封印した。

 苦労のかいあって、ネズミの食害は皆無。雪の重みで枝の一部が折れたが、全体からみれば問題ないレベル。今年も美味しいラズベリーにありつけそう。


 続けてクレマチスやレンギョウの冬囲いも外す。こちらもネズミ食害はない。家庭菜園のネギと道路側のアジサイ周辺はまだ雪が残っているので手つかずだが、見た限りではネズミの被害は見られない。
 外したシートは泥を落としてからウッドデッキで乾かし、ロープやヒモとまとめて物置に収納。冬囲い外しの第一弾は終わった。
 まだ結論は早いが、2年続けてネズミの食害はなかったので、もしかするとエゾヤチネズミそのものがいなくなったのかもしれない。
 南北の空地に住宅が建ってから2年が経ち、周辺の環境は大きく変わった。ネズミの巣があったらしい我が家の車庫は全面解体し、道路側の敷地はコンクリートと防草シート&砂利で全面的に覆った。暮らしにくくなったネズミが、どこかに引っ越した可能性は大いにある。

2020年3月20日金曜日

医療費は健康の証

 このところの暖気で、車庫屋根の雪がどんどん解けている。午前中の段階で残りわずかとなっていたが、午後からの雨でそれも解け、ついにゼロを記録。
 例年なら通路に落ちる融雪水が気になって屋根に上り、残った氷塊を一気に落としてしまうが、今年から危険を伴う雪下ろしの類いは一切やらないことにしたので、あくまで自然まかせ。彼岸の中日という、ほどよい時期に解けてくれた。

 記録上の積雪深はまだ25センチほどあるが、雪置き場だった南駐車場の雪も残りわずか。あと数日で消え去るだろう。


 午後からは母の介護保険関連の書類を作り、確定申告書類作りも少しだけやった。
 確定申告の医療費控除は今年も使わないが、1年分の医療費領収書の集計だけは例年通りやった。昨年の医療費は夫婦あわせて8.4万円。私と妻の比率はちょうど半々だった。
 一昨年と比べて8%弱増えたが、過去7年の平均値9.8万円と比べると少なめ。その年によってバラつくが、加齢にも関わらず、ここ数年は減少傾向。

 日本人の年間平均医療費は65〜69歳で49.5万円、3割負担なら自己負担額は14.9万円となる。(2017年統計)夫婦2人なら29.8万円。私たち夫婦の負担額8.4万円は平均の28%に過ぎない。
 昨秋から自己負担割合が2割に減ったが、医療費の少なさは健康の証し。光熱費と違って特に節約は意識していないが、今後も節制して抑制に努めたい。

2020年3月18日水曜日

まだまだ節約

 先日調整したばかりの部分入れ歯がわずか2日で壊れたので、やむなく歯科に行った。この時期になぜか予約が詰まっているとのこと。2日待って朝一番の患者が少なそうな時間を予約。移動時間を短くするべく、近いが今回も車で行った。
 診察開始より5分早く到着。患者は誰もいない。バネの一部が折れていて、そっくり作り直すことになる。型取りだけで、10分足らずで終わった。次回は1週間後の午後一番を予約。
 帰宅後、ただちに手と顔を念入りに洗ってうがい。万一ウイルスが喉に付着しても、15分以内なら洗い流せると聞いた。続けてマスクを消毒し、着ていたコートは風通しのいいボイラの上に半日吊るしておく。
 北海道のコロナ緊急事態宣言が明日で終了するらしいが、まだまだ油断できない。万が一の共倒れを防ぐべく、最近になって洗顔&手拭きタオルも夫婦で別々に分けた。


 午後からは進行中の確定申告書類作りをする。昨日は売掛帳の転記と青色決算書の下書きまでやり、今日は所得内訳書を作成したが、たいした項目もなく、あっさり終了。残るは確定申告書の作成のみとなった。
 書類作成の過程で昨年の家計収支が明らかになったが、トータルでは23万円ほどの赤字。この赤字分は昨年満期を迎えた簡易保険の配当金で補てんした。
 昨年は車庫の建替えという、生涯に一度あるかないかの大型修繕工事をやっていて、隔年ごとの車検の年でもあった。そうした悪条件の中では大健闘した数値といえる。

 特別支出と位置づけられる車庫建替え費用を除くと、月額平均支出は概ね10万円ほど。年額では120万円となり、かねてから目標としている「年間100万円生活」には少し及ばないが、年間収入と比べて余裕のある数値なので、ひとまずよしとしたい。
 光熱費のうち、水道料は年額2万5千円ほどで、ここ数年大きな変動はない。灯油代は2年続けて年額9万円ほどで高止まり。灯油使用量は変わってなく、金額は世界情勢で流動する灯油価格次第だ。

 節約の結果が最も表れやすい電気代は年額5万7千円弱で、前年より8%減った。月額だと5千円にも満たない。5年前は年間7万7千円も使っていたが、創意工夫のかいあって大幅削減に成功した。
 総務省統計局家計調査によると、2018年の北海道の電気代平均は月額10,622円、年額だと12万8千円になる。我が家は炊事にIHヒーターを使うが、それでも平均の44%強。これはすごい。努力次第では、まだ減らす余地があるかもしれない。

2020年3月15日日曜日

綱渡りの夕食会

 2ヶ月半ぶりに長男一家を招き、夕食会を実施した。当初は2月下旬に予定していたが、孫娘の咳が止まらず、折からのコロナウイルス騒動もあってやむなく順延した。
 前日に参加者全員の健康状態を確認したが、熱や咳はない。感染リスクを避けて公共交通機関は使わず、車でマンションまで送迎することにした。

 久しぶりなので孫娘は少しはにかんだ様子。どこにも寄ってないが、念のため家に入るとすぐに手を洗った。お嫁さんと孫娘はずっとマスクをしていたが、家の中では外してもらった。


 少し遊んだあと、みんなでオヤツを食べる。昨日から仕込んでおいたラズベリーシフォンケーキをまず出す。お昼近くにホイップクリームとラズベリージャムで飾り付けをしたが、冷蔵庫から取り出してみると形が少し崩れていて残念。

 ロウソクを立てて2ヶ月遅れのお嫁さんの誕生祝いをする。ケーキにふんわり感がなく、空気抜きが不足で部分的に欠損もあった。孫娘は半分しか食べなかったが、味は甘すぎず大人向きでまずまず。
 お嫁さんは手作りの豆腐ドーナッツを持ってきてくれて、こちらは市販品にはない珍しい味。美味しく食べた。
 孫娘に新しいオモチャは特に用意してなかったが、テレビやYouTubeにはあまり興味を示さず、ずっと古いアナログ系の手作りオモチャで遊んでいた。

 遊びあきると「私は誰でしょう?」というナゾナゾ系ゲームを母親とやっている。途中から私も参戦し、
「私は野菜です」「緑の帽子をかぶっています」「身体は土の中に隠れています」「カレーライスに入ってます」「オレンジ色です」(→答えはニンジン)
 といった具合。イメージだけで誰でも出題者になれる、道具いらずの言葉遊びだった。


 夕食は鶏の唐揚げとポテトサラダ、竹輪のナムル風。生姜とニンニクのタレに6時間浸けたという唐揚げが絶品だった。
 遊び疲れた孫娘は半分だけ食べてベンチで寝てしまい、残った大人たちでコロナウイルスに関する情報交換をする。

 長男一家のマスク在庫は万全で、まだ100枚近くあるらしい。普段からの備えで、転売品には一切手を出してないとか。長男は私同様に洗剤で洗いつつ、1枚を繰り返し使用。コロナ禍が長期化しても不安はない。
 21時くらいに孫娘が目覚めたので、ここでお開きとする。昨日までに調整した子供椅子の高さはちょうどよかったが、脚載せ台が窮屈になったので、次回までに2センチ下げることにした。
 新しくした車のチャイルドシートを今回初めて試したが、手作りしたベルトカバーや枕カバーも含めて、ぴたり収まった。着脱は大人と同じで一段と楽になり、またひとつ成長を感じる。

 コロナウイルスの家族内感染が全国で起きていて、やや綱渡りの夕食会となったが、どこにも遊びに行けない息の詰まる状況下で、格好の息抜き場となったのは間違いない。

2020年3月14日土曜日

シフォンケーキ焼いた

 昨日氷塊をどかしたウッドデッキがすっかり乾いたので、さっそく孫娘用の子供椅子を持ち出し、修正することにした。
 成長によって座面がまた高くなってしまい、脚を1センチ切断して全体を低くした。一昨年11月にも同じ理由で1センチ切ったが、もう少し切ってもよかったか?


 実は前回コロナウイルス騒動で中止にした家族夕食会を明日やる予定でいる。
 たとえ家族でも5人が集まれば感染リスクは増す。各自の直近2週間の行動をチェックし、体温も測って誰も症状がなく、危ない場所にも近づいていないことを確認した。
 よほどの急変がない限り、やれるはず。椅子の修正はそれに備えたものだった。


 夕食後には明日のオヤツ用にシフォンケーキを焼いた。前回やるつもりで材料は全て準備してあり、日持ちのするものばかりで、そのままスライドして使える。
 昨夏に自宅菜園で採れ、冷凍保存しておいたラズベリーを使った。シフォンケーキは初挑戦だが、まずまずうまく焼けた。明日はホイップクリームとラズベリージャムで表面を仕上げる。

2020年3月13日金曜日

春準備

 気温は低いが、天気はよい。このところの陽気で道路の雪がすっかり消えたので、物置北側の壁にロープで吊るしてあった妻の自転車を昨日の夕方に下ろした。
 物置屋根からの融雪水が一部落ちていたが、車体にサビはない。空気圧やブレーキにも問題はなく、いつもの雪に埋もれる場所より、はるかに保存条件はよい感じだ。

 妻は待ちかねたように郵便局からスーパーへと自転車で出かけた。雪とコロナウイルスでずっと行動が制約されていたが、これで少しは動けるようになるだろう。
 屋内でのマスク、帰宅後の手洗いうがい等のコロナ対策は当分欠かせないが。


 ウッドデッキに積もった雪もどんどん解け始めたので、スコップで氷塊を砕き、すべてどかした。こちらも春の恒例作業だ。

 冬季は玄関や車庫下で細々とやっていた木工系のDIY作業、やはりウッドデッキが一番やりやすい。
 今年は昨年のような車庫や物置といった大型DIYの予定はないが、解体した古い物置材料を再利用して、まずは傷みの激しいBBQ用の椅子を作り直したい。

2020年3月12日木曜日

やむなく歯科に

 上の部分入れ歯の具合が突然悪くなった。左側のバネがぐらつく。噛むに支障はなく、この時期にコロナ感染リスクの高い病院には、たとえ歯科とはいえ、なるべく行きたくない。
 しかし、歯の手入れを怠ると認知症のリスクも格段に上がるという。考えたすえ、結局行くことを選択した。
 事前に電話して16時を予約。早めに行ったが、患者はゼロ。信じがたいが、この時期でも入口に消毒液の類いは一切なく、ドア関連はすべてコートの袖口をつまんで操作し、治療の直前までマスクを装着した。
 医師と事務員はさすがにマスクを装着。入れ歯をあわせるために何度も口をさわられる。医師は両手に医療用手袋をしていたが、あまり気分のよいものではない。
 治療中にリスクの高い回転系の器具や吸引器具は一切使わなかったが、1回ごとに入念にすすぎとうがいをする。


 30分ほどで終了。結局最後まで他の患者は来なかった。やはり病院は警戒されているのか?
 その足で隣にあるスーパーに向かい、妻に頼まれていた買物を済ませる。平日ともあって、店は空いていた。

 数日前に来たときより、心なしか客のマスク装着率が減った気がする。無能政府による慢性的マスク不足が原因と思われるが、人々の「コロナ疲れ」もあるのかもしれない。
 私たち夫婦は以前に記した防衛策「台所洗剤による洗浄」で繰り返し使っているため、特にマスクには不自由していない。マスクによるウイルス防御には依然として懐疑的だが、他に対するエチケットやウイルスに対する前向きな姿勢を他に示すという意味で装着している。
 この店の入口には、全ての出入り口に消毒用スプレーが用意されていて、好感が持てる。歯科での接触に不安があったので、入店前と後の両方で消毒した。

 帰宅後、手洗いとうがいをまずやり、顔も洗った。マスクや入れ歯は台所洗剤で入念に消毒。
 ついでに家中のスイッチ類や手すり、リモコンや電子機器類の手がふれる部分も消毒した。ウイルスとの終わりなき闘いは続く。

2020年3月9日月曜日

当分終息しないかも

 一気に気温が上がって、最高気温は10度を突破。雪もどんどん解けて、その気になれば自転車にも乗れそうな感じだった。
 用心して冬物からの衣替えを遅らせてきたが、さすがに暑い。長袖シャツ、肌着、上衣、靴下などをまとめて春秋物に交換した。同時に、ズボンの下に着ていたインナータイツも脱ぐことに。
 まだ寒さが戻る可能性もあり、ズボンだけは裏ボア付きの冬物をはいている。就寝前に寒くなったときには、オーバーズボンで凌ぐことにしよう。
 いつ終わるともしれない引きこもり隠遁生活が継続中で、過ごし方にもじょじょに慣れつつある。仕事やボランティア関連で追われるものは当面なく、地区図書館は19日まで休みで、本も借りられない。最近の日常は、新聞、テレビの映画かスポーツ、インターネットが中心だ。
 これに進行中の青色申告書類作りや散歩&買物がときどき加わる。差し迫るDIYはないが、雨樋のない車庫屋根東半分からの融雪水が気になるので、雪解け状況を見ながら、なにか対策を講ずるかもしれない。


 5月末に有料老人ホームのライブ予定が1件入っているが、今後の展開次第では中止の可能性も大いにある。
 いまは思い出したころにギターをとり、普段は歌えないマニアックなフォークやオリジナルを中心に歌っているが、ギター弾き語りを始めた50年前もこんな感じに気ままにやっていた。
 誰かに聴かせるためでなく、純粋に「歌いたいから歌う」という、弾き語りの原点のような立ち位置にいまいる。これはこれでなかなかいいものだと思った。
 新型コロナウイルス騒動は暑くなっても終息せず、有効な治療薬ができるまで延々続く可能性があるらしい。薬の完成までには予測として最短8ヶ月〜1年半という幅があり、簡単には運びそうにない。
 つまりは早くて8月、最悪で来年の夏というシナリオとなり、そこまで長引くと内閣どころか、国民生活そのものが大混乱に陥って破綻するだろう。そんなことまで心の隅に置きつつ、今後の耐乏自衛生活を組み立てていく必要がありそうだ。

2020年3月6日金曜日

用心して回転寿司

 新型コロナウイルスの先行きが不透明で、ずっと家に引きこもっているのもストレスが溜まり、免疫力が弱まって、結果的に感染リスクが増す。妻とも話し合い、しばらく行ってなかった回転寿司の「はま寿司」に行くことにした。

 コロナの影響と平日の13時半という時間帯もあってか、店はガラガラ。普段の1/3くらいの感じだった。
 ウイルスのリスクを少しでも軽減するべく、出入り口のドアは全て肘で操作。席を予約するロボットのペッパー君を手袋で操作しようとしたが、なぜか動作しない。やむなくゲンコツを握って関節で操作し、直後に消毒液で手を洗った。
 席についたあとの注文は液晶タッチパネルでやるが、消毒はしているはずと思っても、接触感染がやはり怖い。
 そこで予め持参したワインのコルク栓を使って操作してみると、指と変わりなく反応してくれた。
 コルク栓は予めラッピングしてあり、食べたあとはオシボリ袋にそっくり入れて持ち帰り、ラップはゴミ袋へ直行。コルク栓は中性洗剤で洗って消毒するという段取りだった。

ラッピングしたコルク栓で操作

 いつものように食べて、コロナウイルス抑制効果があるという青さ汁もしっかり飲んだ。途中で自由に食べられるガリ(生姜)のトングを思わず素手でつかんでしまい、あわてて洗面台に走って消毒液で手を洗う。(店内には自由に使える洗面台がある)
 ちょっと過敏すぎるかもしれないが、どこにウイルスが潜んでいるか分からない状況では、これくらい用心するべきだろう。

 寿司は回転台ではなく、個別にレールで席まで運ばれてくるシステムなので、この点では安心できる。(以前は回転式だったが、最近変わった)
 まだ残っている回転式の店は、注文ごとに直接手渡すシステムに変わったとか。ウイルスによる客足減の影響を最小限に留めるには臨機応変の対応が必須で、それがないと経営はたちまち窮地に追い込まれるだろう。
 帰路は妻だけがマスクを装着し、ディスカウントスーパーに寄って買物。私は店に入らず、車の中で待機した。
 戻ってからはマスクとコルク栓を念入りに消毒して乾燥。同じマスクは3度目だが、まだまだ使えそう。

 その後、家の中にあるドア取手、手すり、スイッチプレート、リモコン、PCキーボード、携帯などをまとめて消毒する。いつものように0.5%台所洗剤に浸した雑巾を使った。
 費用をかけずにコロナウイルスを乗り切る術も、じょじょにルーチン化しつつある。

2020年3月3日火曜日

マスクを洗って再利用

 妻が散歩をかねて近くのスーパーに買物に行くという。高血圧症の治療中で、運動が至上命令の妻。自転車は雪でまだ乗れず、徒歩での買物が実益をかねた絶好の運動機会になっている。
 3日前に私が行った際のマスク装着状況は教えてあり、普段はマスクをしない妻も、さすがにこの時期のノーマスクはまずいだろう、ということになった。

 先日自作した紙皿マスクは拒否。ストックのある市販マスクを使うことにしたが、眼鏡が曇るのがイヤだという。
 そこで1枚だけ箱から取り出し、チャック付きポリ袋に入れて持参し、入店直前に装着することに。買物が終わって外に出ると、マスクを外してポリ袋に戻し、チャックを閉めて家に戻る。
 つまりは、私が紙皿マスクを作った際に考え出したルーチンだった。


 1時間ほどして戻った妻から、ただちにポリ袋を受け取る。普通はマスクを取り出してゴミ袋に捨てるが、ウイルス騒動の長期化に備え、今回は洗って繰り返し利用が可能かどうか、テストしてみることにした。

 そのまま洗面台で袋を開け、0.5%台所用洗剤を投入してチャックを閉める。感染症疫学センターの情報では、5分間浸せば消毒できることになっているが、余裕をみて15分ほど浸す。
 その後、洗剤液は捨てて再度水で満たし、チャックを閉めて揺さぶって洗う。もみ洗いは一切しない。
 取り出して袋と共に浴室に干し、水気を切る。水気がとれたらボイラの上にある洗濯ハンガーに吊るし、ポリ袋と共に半日程度乾燥させる。

 マスクの素材は紙でなく、ポリエチレンとポリプロピレンなので、揺さぶり洗い程度なら繊維の傷みはほとんどない。消毒にさえ気をつければ、繰り返し使用にも充分耐えられそうだ。

マスクの使い回しに関する記事がこちらにもあります
マスクの洗い方に関する記事がこちらにあります

2020年3月2日月曜日

最後の青色申告か?

 終日家に引きこもって過ごす。ギックリ腰が黄信号を発しているため、普段よりもストレッチを入念にし、午前中から珈琲タイムまで、ずっと立ったままでPC作業に励んだ。
 時間を見つけては青色申告書類作成に励んでいるが、現金出納簿とカード決済書からデータベース書類「経費帳」「売掛帳」への転記はすでに終え、昨日からはソートしたデータベース書類から、紙の台帳への転記を始めた。

 いったん印刷して転記する手法を今年から改め、PC画面を見ながら直接転記するようにした。1階にあるMacBookだと画面が小さく、2階のMac-miniを使うほうが画面が大きくて見やすい。


 新型コロナウイルスの影響で確定申告期限が1ヶ月延びた。今年は開業以来初めて建築デザイン系の仕事がなくなり、事前納付の源泉税もゼロを記録。
 従って戻ってくる還付金はゼロで、いまいち作業にも力が入らない。だが、昨年は30年間払い続けた郵政簡易保険が満期となり、配当金をあわせてそれなりのお金が入った。やはり確定申告は避けられない。
 税務署に相談しなくてはならないが、開業以来40年近く続けてきた青色申告は、もしかすると今年が最後になるかもしれない。確定申告は必要な状況になった年だけやればいい気がする。
 とはいえ、1年分の収支を項目別に分類する作業は、単純に家計を振り返って問題点を探る、という一点でも充分に意味がある。確定申告をするしないは別にして、項目の入力とソート分類作業だけは今後も続けたいと思っている。