札幌都心で実施された「すすきの祭り」の屋外ステージに出演。復興支援コンサートの縁で依頼されたが、チカチカパフォーマンスも間接的に関わっている。この種のイベントは、いろいろな縁が重なって結実するもので、人とのつながりは大事にすべきと思う。
会場はススキノ十字街、つまりはススキノのど真ん中である。48回も続く由緒あるイベントだ。幸いに暑さも程よく、カラリと晴れ上がった。
私のステージ開始は18時30分で、35分前に会場入りした。完全に閉鎖した車道中央にステージは設営されている。
ちょうどお神輿行列が始まったばかりで、あたりは大変な賑わい。18時10分くらいからステージ開始で、まずは8人組のダンスパフォーマンスが始まったが、1曲だけであっという間に終わってしまう。
持参した譜面台を組立て、楽譜と磁石式クリップもセットして準備していたので、ただちにステージに上る。
テレビでよく見る女性司会者の紹介のあと、予定より少し早い18時20分から開始。お神輿行列はステージ前から移動してはいたが、まだ2ブロック先あたりにいて、周囲には人だかり。ステージ周りは人が引いてしまい、ソロの弾き語りとしては難しい条件のスタートだった。
お囃子の音が遠くから響くなか、25分で以下の7曲を順に歌った。
「季節の中で」「恋のバカンス」「サン・トワ・マミー」「空港」「ハナミズキ」「青春時代」「また逢う日まで」
特に上がることもなく歌い始めたが、出だしから喉の調子が抜群にいいことを直感した。喉の調整がうまく運んだことが第一だが、PA(音響)が大型で抜群に聴きやすい。自分のボーカルがビルの谷間に轟き渡るような感じなのだ。
場としてはトップクラスなので、音響はいいだろう…、という予感はあり、選曲もそれを見越した聴かせどころが多いものとしたが、正解だった。
「1曲目からすごい歌唱で、びっくりした」とは同行の妻の弁。調子のよさ、音響のよさを裏づけている。
選曲は先日のチカチカパフォーマンスでの予行演習に沿ったものだが、その日の反応をふまえ、微修正を加えた。具体的には中盤での「夜霧よ今夜も有難う」を「空港」に変更、「つぐない」は中止とし、ラストを「また逢う日まで」に変更した。
スタートから「フォーク」「昭和歌謡」「シャンソン」「演歌」「J-POP」という順に小さな変化を加え、ラスト2曲を昭和歌謡でまとめた。
進行と共にじわじわ人が集まってきて、場の反応も次第に熱くなってくるのが分かった。聴き手の後押しで歌はますます乗るという好循環。晴れがましい場に負けない会心のステージである。
「サン・トワ・マミー」や「空港」では曲紹介の時点で会場から拍手が起こり、「青春時代」では歌が終る前にさざ波のような拍手をいただく。
5曲目のあと、予定通り「あと2曲で終わります」と宣言したら、係員の方がステージ下に近寄ってきて、「もう少しやっていただけませんか」と小声でさややく。時間に余裕があったせいもあろうが、会場の手拍子にも後押しされ、(もしかして…)と準備してあった「グッド・ナイト・ベイビー」をアンコールで歌わせていただく。
結果として30分も続けて歌っていた。ステージを降りると、事前に連絡のあった知り合いの方々が近寄ってきて、ねぎらってくれた。そのほか、見ず知らずの方々からも「よかったよ!」「いい声してるね!」などと、たくさんの声をかけていただく。
その後エアロビ系フラ、よさこいソーランとステージ前の路上を使ったパフォーマンスが続く。最後まで見届けてはいないが、弾き語り系のパフォーマンスは異色。全体の中でよいアクセントになっていたように思える。お呼びがかかった理由はこれだったかもしれない。まあ、臆せずによくぞ歌った。ストリートライブでの修羅場経験が効いている。
苦手としていたお祭り系ライブだったが、どうすればいいのか、きょうでほぼ方向性をつかんだように思う。場にもよるが、昭和50年あたりを基準とした昭和歌謡をベースに肉付けしてゆけば、当面はやっていけそうな気がする。
いろいろな意味で、これより上のステージは今後難しいような感じがしないでもないが、しばらくは満たされた余韻に浸っていたい。