2012年8月31日金曜日

演奏の騒音

 地区センター勤務の知人から連絡があり、視聴覚室の騒音に関して相談された。夏になって近隣住宅の窓を開け放つことが増え、視聴覚室の窓を固く閉ざしていても音が漏れるのだという。クレームになっているので、何か有効な対策はないか?ということだ。

 いちおうは建築のプロであり、そのことは先方も承知。少ない経験の中から対策案をいろいろ出したが、一番の問題は築後30年を経て、窓自体の気密性や防音性が損なわれているという事実。鍵を締めていても、隙間風がピューピュー入り込むそうだ。
 根本的には窓をペアガラスに交換するか、二重窓に改造することだが、施設そのものは市の管理下にあり、運営だけをNPO法人が請け負っている関係で、好き勝手にはできないらしい。


 窓の交換や増設が無理なら、50ミリくらいのロックウールを挟んだ防音扉を内側にたて込む手段が有効と思われるが、こちらは予算面と毎回の着脱作業に問題がありそうだ。
 安価で手っ取り早い対策は、劣化しているであろう窓サッシのゴムパッキンを全て交換すること。さらには、防音効果の高い特殊カーテンを二重に吊るすことか。
 目下問題になっているのは、週一回の和太鼓の練習と10人ほどの女声合唱団の練習。推測だが、どちらも発生源では100dBを超えているように思われる。
 上記の対策を施したとして、減らせるのはせいぜい20dB前後だろうか。効果があるのは確かだが、窓を開放する夏の間は視聴覚室を利用しない、というのが根本解決のようにも思われる。

 チカチカパフォーマンスをやっている札幌駅地下歩行空間では、騒音規制値が客席で最大75dB以下という決まりがあり、これ以上のパフォーマンスはオーディションの時点でふるい落とされる。公的空間での演奏や練習には、自ずと制限があると知るべし

2012年8月30日木曜日

CD用透明OPP袋

 DIYオリジナルCD作成作業で唯一残っていたCD用透明ビニール袋(OPP袋)の調達に関し、大きな進展があった。
 少し離れた地区にある100均ダイソーで、B6サイズG-92の大量在庫を発見。買い占めようかと迷ったが、ひとまず25枚入を1セットだけ買ってきた。

商品名:クリアポケット(テープ付)B6サイズ〜G-92


 さっそく入れてみたら、測ったようにピッタリ収まる。これにて全ての問題解決と思いきや、袋を裏返すと何もラベルがなく、いかにも寂しい。10ミリ厚の通常サイズではなく、個人的に好きな薄型5ミリ厚のCDプラケースを使っているので、ケース裏内部にラベルは入れられない。
 考えたあげく、歌詞カードの最後のページを単体で印刷し、バックカードとしてプラケースと透明ビニール袋の間に入れることにした。これにより、手にとった段階で全曲を裏面で確認できるので、まあ何とか格好がついた。ちなみに、薄型ケースなので背面のオビ(キャップ)は作らない。(邪魔なだけで、好きではない)

 あとは暇をみて粛々と作り続けるのみだが、あくまで手作業なので、やっても日に5セットが限界と思われる。まずは透明ビニール袋の数25セットを目標にする。

2012年8月29日水曜日

物置の横折戸

 車庫の片隅にDIYで取り付けた物置の扉が壊れた。折戸式の扉を縦ではなく、横に使っている珍しいオリジナル扉だが、一番上から吊るす部分の蝶番がサビて脱落した。
 合計4ヶ所あるが、数年前にも別の蝶番が壊れ、交換している。建物系の諸設備はおよそ7~10年目あたりでかならず傷み始めるので、点検を怠ってはならない。

 壊れたのはかなり前だが、もう片方の蝶番は正常なので、扉の開け閉めは何とかできる。ついそのままにしてあった。
 先日、自転車の空気入れを取り出そうとした妻も異変に気づいたらしいが、私に言うのを忘れ、そのまま放置していたという。どっちもどっちである。


 工具備品箱を調べたら、1個だけ蝶番の予備があったので、今日ようやく交換した。扉は9ミリのOSB合板をベースに木枠で補強しただけだが、毎日のように開け閉めしつつ、13年も持った。
 写真のようにスペースはごくわずかだが、園芸系の備品や漬物樽と石、外回り系の工具や車用の備品など、最低限の備品類を効率良く収納している。ここに入りきらないものは買わないし、増やさない。「モノは収納に応じて増える」というのが我が哲学なり。
 懸案事項であるオリジナルCDの作業、やはり紙厚0.15mmでは大きめの写真をジャケットに印刷すると紙が変形してしまい、裏面を歌詞カードとしては使えないことが判明。急きょ0.225mm厚の両面印刷用紙を新たに買うことになった。
 同じヤマダ電機でB5版が20枚で480円。歌詞カードを見開きで作る場合、サイズは244×120なので、B5版でも充分足りるのだ。

 さすがに今度はうまくいった。紙が厚いので乾燥時間も短時間で済み、仕上がりも薄い紙に比べてはるかに勝る。ただ、厚すぎて二つ折りにする際、カッターの背で真ん中に軽くスジを入れないときれいに折れない。
 今回は表紙を含めて二つ折り8ページ、つまりは2枚の用紙を使ったが、ホチキスや糊では止めずに、単純に挟み込む方式とした。この場合、紙厚の関係で内側の幅をわずかに小さくする必要がある。
 完成品をCDのプラケース(5ミリ厚の薄型)に差し込んでセットしてみたが、折りたたむと合計で4枚、0.9ミリ厚となるので、これがぎりぎり。仮にこれ以上ページ数が増える場合、もっと薄くて丈夫な用紙を調達する必要があるだろう。1ページに2曲載せるとして、表紙と裏表紙をのぞいた6ページ、つまりは12曲がこの方式の限度ということになる。

 CD用の透明ビニール袋(OPP袋)の適当な品がなかなか見つからない。100円ショップでB6のテープ付袋があり、サイズはピッタリなのだが、なぜかB6版だけが品切れ。他の店をあたってみよう。

2012年8月28日火曜日

CDひとまず完成

 作業中の全曲オリジナルCD「誰も知らない夜」、夜半までにジャケット&歌詞カード、CDレーベルデザインも含め、何とか格好がついた。印刷用のファイル5つ(ジャケット&歌詞カード4、CDレーベル用1)は昨夜未明までかかって完成させたが、肝心の両面印刷用紙がない。アマゾンで発注すると時間がかかりそうだったので、暑さの和らいだ夕方に調達に出かける。
 まずは100円ショップダイソー。さすがのダイソーも両面印刷用紙は売ってなかった。CDケースを入れるビニール封筒も探したが、シール付のがなく、ひとまずパス。

 その後、ホームセンターも回ったが、ここにも手頃なものはない。ヤマダ電機に回って、ようやく見つけた。0.15mm厚A4サイズ30枚入りが490円だったが、厚めの0.225mmもある。かなり悩んだが、前夜のテストであまり厚いと二つ折りした際にゴワゴワする感じがしたので、結局0.15mmを買う。


 夕方から夜にかけ、こちらも買ったばかりのエプソンプリンタを使ってさっそく印刷してみた。
 最初は普通紙でテストしたが、ソフト上で表側にトンボマークをつけたので、両面ズレは皆無。色合いもまずまずだが、表面印刷後24時間乾燥させてから裏面を印刷せよ、との指示。明日まで待つしかない。
 0.15mmは予想よりも薄い感じで、ちょっと拍子抜け。CD1枚に2枚の用紙を使うので、15セットで在庫はなくなる。次回は0.225mmを試そうか。

 併行してCDレーベルも印刷。悩んだが、デザインはジャケットに合わせた。こちらも新しいプリンタで印刷するのは初めてで、まずは不要のCDでテストしてみたが、使い勝手はこれまでのキャノンよりむしろいい。
 色合いが紙よりも濃く出てしまうのが難点か。同じ画像ではなく、濃度を薄くした別画像を用意すべきかもしれない。
 完成したCDをCDコンポで通しで聴いてみたが、ボーカルの出来、選曲、曲順なども含めて悪くない。現時点での自分がよく表れていると思う。反省としては、リバーブをややかけ過ぎたかもしれない。ここらが素人仕事か。ギター伴奏がお粗末なのは、言わずもがな。
 1枚あたりの費用はインク代を含めても150円前後で収まりそうだ。
(作成労力と機器減価償却費は含まず)

 以前にもふれたように、今回の作業は限りなく自己満足の世界である。ただ、ストリートライブやイベントライブで「CD出してます?」と問われた際に差し上げる分には、これで充分のような気がしないでもない。少なくとも「ありません」よりはマシ。自分にとっても、よい記念になりました。

2012年8月27日月曜日

夏のうちに冬準備

 また30度を突破した。湿度も高く、しかも無風。窓を開け放しても2階室内は30.6度まで上昇した。何ともしつこい暑さである。

 自宅の北東角に置いてある灯油タンクを、夏のうちに90度妻側に移動しようと思う。いまは落雪屋根の真下にあり、雪は雪止めがあるので落ちてこないが、屋根端部に発生するツララや氷塊がときどき落下し、タンクを傷める。これは計算外だった。
 対策として手製の木製屋根カバーをタンク上部に設置したが、今度は屋根の上に積もった雪が隣地に落ちる心配がある。たまたま北側隣地が売りに出ていて、いつ家が立ってもおかしくない。タンク裏側にある電力計の検針にも邪魔になっているので、建てて13年を経たいま、タンクの洗浄や傷んだパイプの交換をかね、思い切って移動することにした。
 実家近くにある灯油配達業者が夏季限定で灯油タンクの洗浄や移動工事を請け負っている。実家に母が住んでいたころ、何度か代行して給油を依頼したことがあったが、今日電話してみたら、ちゃんと覚えていてくれた。
 9月一杯まで工事予定が入っているとのことだったが、何とかやってくれそう。ただし、時期はむこう任せ。寒くなるまでが勝負だ。


 オリジナル曲限定のCD音源10曲は全て録音し終え、夕方までに音の調整も終わった。iTunesを使って通しで聴いてみたが、なかなかいい感じに仕上がった。一昨日のライブに喉のピークを合わせたので、その前後2日間で一気に録音したが、この判断は正解。
 録音はCDレコーダーでやったが、ゲインを小さめに設定し、バランス調整はソフト上でやるのが最適のようだ。録音技術も手探りで向上しつつある。

 いくつか気になったノイズや聞き取りにくい箇所を再調整。今夜からジャケット&歌詞カードの作成に取り掛かる。楽しみはもう少し続く。

2012年8月25日土曜日

過酷なライブ

 午前中から蒸し暑く、またも30度を突破した。しつこい残暑である。16時20分という遅い時間から都心の総合福祉施設でライブがあるので、午後から自宅でリハ開始。
 早めに出て16時ちょうどに先方に着いたが、会場では入居者やその家族、元職員などによるカラオケ大会の真っ最中で、大変な盛り上がりよう。4人の審査員による採点方式で、出場者も応援も力が入る。

 私のライブは16時20分に開始予定だったが、審査員全員の総評、上位3名の表彰式や賞品贈呈式などがあり、進行がかなり遅れた。
 控室でそんな気配を察知し、マイクスタンドやPAなど、事前に組立て可能なものはセットして備える。終了後ただちにステージに運んだ。
 2分くらいでスタンバイ。時計を見ると、16時27分あたり。かなり押していたが、進行の方に確認すると、多少遅れても予定曲は全部歌って欲しいという。挨拶もそこそこにライブを始める。
 盛り上がった場の直後で、外は30度を超える暑さ。14時から始まった夏まつりイベントの最後の出し物で、すでに開始から2時間半を経過している。ライブとしては非常に難しい条件だった。


 ともかくも予定曲を順に歌っていった。事前の打合せでリクエスト7曲を含めた全16曲を歌うことになっている。時間に余裕があれば中間にMCをかねた軽い休憩を挟む予定でいたが、もはやそんな余裕はない。
 結局のところ、50分で以下の16曲を一気に歌った。
(※印は初披露、◎印はリクエスト)

「ブルーライト・ヨコハマ」「瀬戸の花嫁」「草原の輝き」「丘を越えて」「月がとっても青いから」「恋する夏の日」「青い山脈」「まつり(北島三郎)※◎」「川の流れのように◎」「大空と大地の中で◎」「星のフラメンコ※◎」「秋桜~コスモス※◎」「恋のバカンス」「酒よ※◎」「神田川◎」「また逢う日まで」
 カラオケ大会では職員を含めて60名前後の人が場にいたが、私のライブになるとかなりの方々が帰るか自室に戻ってしまったらしく、40名前後に減っていた。場全体が疲弊した印象で、曲に対する反応もいまひとつだった。
 とはいいつつ、喉の調子はピークに近かったので、暑さもなんのその、余計なMCも挟まずトントンと歌い進んだ。


「草原の輝き」あたりで、場の反応が少しずつよくなり、特に求めてはいないのに、自然発生的手拍子が起きる。アグネス・チャンの曲はこれしか歌えないが、いつどこで歌っても受ける。非常に強い曲である。
 20代から90代までという幅の広い層が居住する複合介護施設なので、リクエストも多岐にわたり、それに伴う構成も難しい。前半9曲までを小さな区切りとし、自分の得意とする懐メロ系を多めにして高齢者向きとしたが、この方向は間違ってなかった。

 ただ、聴き手の体力が残っていたのは9曲目の「川の流れのように」までで、ここから場の反応はじょじょに弱くなり、席を立つ方も増えた。「30分を超えると高齢者にとって危険な時間帯」という、これまでの経験から得た教訓はここでも活きていた。
 開始35分から終わりまでの時間は、まるで反応の弱いストリートライブをやっているかのようだった。残り4曲になって再度進行の方に確認すると、予定通りにやって欲しいという。私の喉はまだまだ余裕があったが、聴き手は限界を超えているようにも思えた。しかし、要望通りに最後まで歌った。

「神田川」を歌い始めると、ステージの後ろにあるトイレに向かっていた入居者の方が、ドア付近でバッタリ倒れる音がした。職員数人が血相を変えて走る。一瞬歌を中断しようかと迷ったが、怪我はなかった様子。そのまま進めたが、動揺して2番の歌詞を一部飛ばしてしまった。
 ラストの「また逢う日まで」ではシングアウトらしく盛り上がったが、全体としてやはりライブが長すぎたのだと思う。

 終了後、責任者のNさんが、「いろいろ無理をいって、すみませんでした」と労ってくれた。ライブとしての評価は難しいが、やるだけのことはやった。
 個々の歌では、「月がとっても青いから」「まつり」「川の流れのように」の反応がよかった。いずれも前半で、聴き手に余裕があった時間帯である。
「まつり」は初披露だったが、この曲は使える。リクエストだったが、思わぬ拾い物をした。「川の流れのように」は過去にあまり歌ってなかったが、たぶんこの日が最高の出来。歌い終えてライブ録音を録ってなかったことを後悔したほど。この歌の自分なりの歌唱法を、ほぼつかんだと思う。
 これ以上ないほど過酷な条件のそろったライブだったが、それなりに収穫はあった。

2012年8月24日金曜日

夢の旅路

 先日買ったエプソンのプリンタについていたインクの残量が半分くらいに減った。どうも容量の小さい品が付属していたらしい。予備がないと不安なので、しばし考えたあげく、中国製と思われる互換品を買った。

 アマゾンでの評価が高かったこともあるが、決め手は何といっても価格。純正品の1/10という安さなのだ。15セットくらいで新しいプリンタが買えるくらいの差。以前から叫ばれているが、プリンタインクの価格体系って、いったいどうなっているのか?
 もはや仕事でプリンタを使う可能性は限りなくゼロで、使っても趣味の範囲。せいぜいマメにクリーニングをして、少しでも本体の寿命を延ばすとしようか。


 これまた考えたあげく、完全手製のオリジナルCDを作ることにした。最近になってライブの場で「CDを出していたら譲ってください」との要望が急増している。著作権にふれない内容であれば、8~10曲入りのCDを常時持参し、要望のあったときに、その場で廉価で譲りたいと思う。
 昨日から過去のオリジナル曲のリストアップを始めたが、他の作曲者や作詞者がからんでいる曲は、原則として外した。例外はすでに著作権の切れている曲、たとえば過去のクラシック曲にオリジナルの歌詞をあてた曲などはOKとした。
 全体に1本芯を通したいので、だいたいそれに沿った選曲となったが、やや流動的要素はあって、12曲くらいの候補から再度の絞込みをしようと思う。
_1曲目は「誰も知らない夜」と以前から決めていて、アルバムタイトルもたぶんこれになる。問題はラストで、ぴったりくる曲がない。あれこれ悩んでいたら、昨夜遅くに過去の曲に別の歌詞をぶつける手法を思い立った。

 1番はすんなり出来たが、2番が出てこない。そのまま寝てしまったら、明け方に目覚めて絶好の歌詞を思いついた。思わず飛び起きてメモ。午後から微調整し、夕方には録音まで一気に済ませた。かなりの早業だが、この種の事は勢いが大事である。
 タイトルは「夢の旅路」。ラストに相応しく、いまの自分の生き方を率直に語ったもの。他の候補曲には過去の音源もあるが、聴いてみたら全然満足できない。全曲を新たに録音し直す予定。喉はいまがピークかもしれない。

2012年8月21日火曜日

暑さと体力

 暑くて目が覚めた。午前中に音楽仲間のUさんが家庭菜園で採れすぎた野菜を届けてくれるというので、そのまま起きてしまったが、午前9時過ぎですでに外も室内も30度近い。
 その後ジリジリと気温は上がって、11時頃には30度を突破した。午前中にどうしても投函したい郵便物があり、帽子をかぶって外に出たが、目眩がしそうになるほどの蒸し暑さだった。

 一番近いスーパー横のポストが小さすぎて郵便物が入らず、やむなく店内でちょっとだけ涼んだあと、郵便局までさらに歩く。途中、木陰で座り込んでいる高齢者数人を発見。暑さに不慣れな北国人には危険な陽気で、とても人ごとではない。


 帰路、少しでも日陰をと、川べりの散策路を通ったら、足元に小さな洋梨の実が散らばっている。(なんでこんな場所に…)と上を見上げると、梨の実が鈴なりである。
 誰が植えたのか知らないが、この地区に10数年も住んでいて、まるで気づかなかった。秋は確かに近づいているのだ。
 戻ってネットで確かめたら、都心ではすでに32度を突破している。8月最初の真夏日である。仕事をする気にはとてもなれず、そのまま予備ベットの上で昼寝。暑い日は昼寝に限る。
 少し涼しくなった夕方にようやく仕事を始めたが、長いブランクのせいか、あれこれ手間取った。キリのよいところで歌の定例練習。暑くとも、こればかりは欠かせない。

2012年8月19日日曜日

ミキサーの固定手段

 昨日のライブは初めて訪問する施設だったので、用心して乾電池駆動のPAではなく、一回り大きい交流電源駆動のローランドCM-30を持参した。
 会場の大きさや聴き手の数からして、結果的に乾電池駆動PAでも足りたかもしれないが、箱の大きいCM-30のほうが音は安定する。リバーブが内蔵されてないのが小さな欠点だが、特に制限がない限り、こちらを使うべきだろう。

 札幌大谷学園百周年記念館で先月実施されたクラシック系復興支援コンサートでもこれを使ったが、ミキサーは黒のガムテープでPAの上に固定し、移動撤収がスムーズに行えるよう工夫した。
(ミキサーなしでも使えるが、あったほうが音は遥かに安定する)


 ところが、ガムテープ方式には欠点がある。ミキサーを上部に固定したままなので、自立式の脚をつける際、PAを逆さまにすることが出来ない。組立てと分解はPAを横に寝かせたままやらざるを得ず、下端の脚を広げる際にかなりの不自由とタイムロスを強いられた。
 熱に弱いという問題もあった。放っておくと30度近い夏の暑さでガムテープが緩んでしまい、その都度貼り直すことになる。便利ではあったが、限界があった。

 別の手段をずっと考えていたが、PAやミキサー本体に傷を一切つけず、かさばらず、ライブの場で短時間に着脱が可能な方法には、なかなかたどり着けなかった。
 一昨日になってゴムで止める単純な方法を思いつく。古い自転車チューブがとってあったので、PAを一周する長さに切り、リング状にしばって予めPAに巻いておく。脚の固定には支障がなく、ミキサーの固定も瞬時。色も黒でPAになじむ。
 ゴムの幅がやや広く、ミキサーの操作ボタンに少し干渉するので、その部分だけビニルテープで巻いて細くしてみると、ピタリ収まった。

 昨日のライブで実際に試してみたら、何ら問題なく使えた。高い位置にあるのでライブ中のミキサー操作が簡単で、ケーブル類に引っ張られて落下する心配も皆無。今後移動を伴うライブでも力を発揮するだろう。またひとつ前に進めた。
 機材の細かい改良、歌そのものや構成と並んで非常に重要で、DIYに勝るものはない。

2012年8月18日土曜日

過去にしがみつかぬ歌

 近隣のグループホームでの訪問ライブを無事に終えた。インターネット経由で初めて依頼された施設だったが、たまたま車で15分ほどの近距離。時間も14時開始と余裕がある。
 こんなときに限って忘れ物をしがちなので、久々に「備品チェックリスト」を取り出し、出発前に入念に指差確認した。
(以前にこれを怠って、マイクを忘れた苦い経験あり)

 13時40分に先方到着。夏まつりイベントの一環だったが、周辺地区の子供たちを招いたスイカ割り大会などがあり、玄関ホールの椅子でしばし待機。開始5分前にようやくステージとなる食堂に移動し、素早く機材をセット。14時ちょうどからライブを始めた。
 開始前に担当の方から私の経歴に関し、簡単な紹介がある。最近、事前に「経歴書を送って欲しい」との依頼が急増している。

 以前はこうした肩書き的経歴にさほどの関心はなく、歌い手にとっての勝負は歌だろう、という拘りもあり、かなり適当に出していた。しかし、最近は少し考えを改め、先方が求めているであろう内容に沿って記すようになった。
 20代前半からギター弾き語りを始めたこと。2004年からボランティア活動を始めたこと。得意なジャンル。以前はここまでだったが、最近は「札幌駅地下歩行空間パフォーマーライセンス取得」を必ず書き添え、過去に出演したビックなイベント、さらには出演したテレビ・ラジオの放送局名も記すようにしている。


 しかし、あれこれいっても結局は歌だ。どんなに輝かしい経歴を並べ、過去の栄光にしがみついたとしても、いま歌う歌が貧しければ何の意味もない。
 ということで、この日は職員やご家族の方々を含めて40名ほどの聴き手の前で、以下の13曲を35分で歌った。

「草原の輝き」「瀬戸の花嫁」「宗谷岬」「ゆりかごの歌」「砂山」「二人は若い」「エーデルワイス」「月がとっても青いから」「埴生の宿」「お富さん」「青い山脈」「丘を越えて」「知床旅情」
 担当のKさんからは事前に「地域の子供さんも来るので、唱歌を多めに」との要望。しかし、子供たちは皆お土産を貰うと、歌の前に帰路についてしまった。よくあることだが、状況の急変である。
 5曲目までは予定通りに歌ったが、途中から路線変更。アニメソングを外して予定にはなかった手拍子系懐メロの「二人は若い」を試しに歌ってみたら、これが大受け。合の手を聴き手に求めたことも幸いして、場は一気に盛り上がった。
 このまま懐メロ連発で突っ走ろうか…、と一瞬思ったが、思い直して予定の唱歌に懐メロを随所に混ぜ、無難に進めた。

 施設母体がグループホームなので、やはり手拍子系の歌が好まれた。あいにく電子譜面内蔵の中華Padが修理中で、譜面も用意してなかったが、「お座敷小唄」「炭坑節」「真室川音頭」「ソーラン節」あたりも間違いなく受けただろう。
「ずっと聴いていたい」という嬉しい声援も飛び出したが、施設側の都合もあって35分でお開き。それでも予定より3曲も多く歌ったので、聴き手は大満足の様子だった。
 終了後、4~5名の入居者の方から「また来て歌ってください」と順に頭を下げられ、応対に忙しかった。職員の方々からも「思わず職務を忘れて聞き惚れた」と労われた。初訪問の場としては大成功である。

 この日、歌ってみて不思議な感覚に陥った。これまで出てなかったような自分の声を聞いた気がした。うまく書けないが、「強く響く」感じの声だ。およそ5ヶ月ぶりの訪問ライブということがそうさせたのか、その正体は不明。今年になってさまざまな修羅場をくぐり抜けてきた成果だとしたらうれしい。

2012年8月17日金曜日

喉の老化防止


「喉の老化度」という概念が気になり、いろいろ調べてみたら、こちらのサイトに自分でチェックする方法が記してあった。
老化の源はのどにあり!声からはじめるアンチエイジング術

「大きく息を吸い、一息で何秒間声を出し続けられるか?」がその要旨。男性で15秒、女性で12秒が目安で、この数値を切ると老化が始まっているとか。
 2度試してみたがいずれも14秒で、やや危険領域である。すでに還暦シンガーなので、やむなし。
 声を出し続けるのだから、要は肺活量の問題だろうと思ったら、どうも違うようだ。支配しているのは声帯の強さだとか。
 声帯の老化を防ぐ手段は、単純にたくさん歌うことのほか、人とよく話すこともよい鍛錬になるらしい。ヨタ話にふけることの多い我が夫婦、自然に声の老化防止に役だっている。

2012年8月16日木曜日

懐かしのガリ版

 エッセイが連載中の雑誌、「オトン O.tone」の最新号(Vol.46)が今月も出版社から送られてきた。今月号では懐かしの簡易印刷機「ガリ版」について書いている。中学校時代に新聞部編集長を務めた私にとって、ガリ版は創作の原点でもあった。


 ところで、連載中のエッセイ「Oh!昭和レトロ」は当初全6回で完結する予定で、そのつもりで書いてきた。ベースはHPに連載のエッセイのリライトだったが、6回のうちに新作を3回書き、自分なりに達成感はあった。
 本来なら今月号で終了のはずが、故あって連載延長が決定した。仕事薄き折、大変ありがたい話である。
 ちなみに、掲載済みの過去6作のタイトルは以下の通り。

・Vol.41「噴水ジュース自販機」
・Vol.42「三角乗り」
・Vol.43「丸井のニュース劇場」
・Vol.44「サッポロジャイアンツ」
・Vol.45「穴のない50円玉」
・Vol.46「ガリ版」

2012年8月15日水曜日

カモミール化粧水

 3ヶ月余り使い続けた手製のカモミール化粧水がなくなったので、新しく作りなおした。製法は前回とほぼ同じだが、目分量だった前回の反省をふまえ、今回は各種数量を厳密に数値化してみた。
 製法は以下の通り。

・乾燥カモミール:大さじ2
・乾燥ミント:大さじ1
・水:大さじ4
・果実酒用35度焼酎:大さじ8


 全ての材料を鍋に入れ、沸騰させてよく混ぜる。紅茶用の網を経由して瓶に注いで終了。実に簡単である。理論上、液体は180ccあるが、蒸発等で実際には100cc程度に凝縮される。
 自然素材なので効果が表れるのに時間はかかるが、シミ、イボ、吹き出物、おできなど、皮膚病全般に効用がある。おかげで最近は皮膚科から遠ざかっている。お試しあれ。


 電動草刈機で周辺空地の草刈りをしようかと思ったが、お盆のせいか、あたりがあまりに静まり返っているので自粛。溜まっている雑事のうち、かなり隙間が目立ってきた玄関ポーチと布基礎の間をモルタルで補修することにした。
 建物本体は杭を打ってあるので大きな沈下はないが、DIYで仕上げた玄関ポーチは経年で少しずつ沈下し、どうしても隙間ができてしまう。数年に一度の定期補修は欠かせない。

 市販の簡易モルタルを水でこねて埋めるだけで、それほど難しい作業ではない。モルタルで汚れたレンガを水で濡らしたブラシで何度か拭き取れば終了である。
 作業直後に雨が降りだしてヒヤリとさせられたが、すぐにやんだ。これを記している夜には、すでに固まっている。

2012年8月10日金曜日

達成感

 オリンピック中継を観ていて思ったが、銀以上のメダル確定時点で泣いてしまうチームは、すべて決勝で負けているような気がする。最終目標が金メダルではなく、メダルそのものだった場合、2位以上が決まった瞬間に目標達成となり、感激の涙が流れる。
 しかし、この時点で決勝はまだ残っているので、それにむけてのモチベーションは当然下がる。スポーツにおいて精神の占める割合はかなりのものだろうから、ほぼ闘う前から勝負は決していることになる。

 弱小チームがいきなり金メダルを目標とするのは現実的ではないから(実際にはとってしまう例もあるが)目標はあくまで段階的に設定するものだろう。メダル確定の時点で涙にくれ、結果として銀メダルに甘んじるのもやむなし。


 好奇心の趣くままに創作活動を続けている私のような者でも、「以前とは少し向上している自分」を日々めざして活動している。たとえばストリートライブなら、何人の通りすがりの方が耳を傾けてくれるか?がそれだ。
 直近の「すすきの祭り」のステージレポでもふれたが、日々努力してこれまでないような確かな手応えを感じたとき、先の「メダル確定」に似た達成感に包まれる。「これを超えるライブは無理かも…」という、漠然とした思いに酔う。
 今年はこの種の満足感に2度も遭遇した。「すすきの祭り」のほか、その少し前に実施した通算15回目のチカチカパフォーマンスがそれで、60名に迫る通りすがりの人が足をとめてくれ、増えすぎた人が通路にまで溢れて通行に支障をきたし、途中でライブを中断せざるを得なかったほどだった。
 これといった告知や集客活動をせず、妻の引率もなく、サポートや共演なしの完全ソロ演奏であっても、現象としてこうしたことが起きる。その背景は定かではないが、「ある位置に到達した」という思いは強い。今後、どのような位置をめざして活動を続けてゆけばよいのだろうか。

2012年8月8日水曜日

早めに墓参り

 午後から墓参りに行く。週末に天気が崩れるとの予報があり、大きな霊園なので、お盆間近になると1本しかない山道が大渋滞を起こす。だから、彼岸もお盆も少しだけ避けて墓参りしている。

 休暇で家にいた妻もついてきた。5月に墓参した際にいつもの店で買った花が、値段は同じでも明らかに質を下げている。花の本数が少ないのだ。このご時世に、実質的な値上げである。少し遠いが、今回は途中にある別のディスカウント店で買った。
 花の数はまずまずで、価格もかなり安い。今後はこの店で買うことにする。生活のあらゆる面で合理化を図る時期。墓参もその例外ではない。


 片道1時間半かけて到着。いつもながら遠い。しかし、運転できるうちは通っておきたい。
 空に浮かぶ雲は、はや秋の気配。8月に入ってから、極端に涼しくなった。このまま秋到来かもしれない。
 帰路は道を逆戻りせず、そのまま迂回して実家へと向かう。新築して9年ほど経つ実家の外壁の傷みがひどく、先月末に調べてみたら、塗り替え工事の時期がきている。
 ガルバリウム鋼板を外壁に使っている我が家は、建てて13年を経てもまるで無傷だが、窯業系サイディング材の場合、7年を過ぎると塗り替えを考える時期である。

 傷んでいる箇所は前回確認ずみなので、今日は妻に手伝ってもらい、外壁の寸法を測った。新築計画は全て建築士の資格を持つ亡き父が取り仕切ったので、図面もどこにあるのか不明。そもそも私が関わった物件であれば、メンテナンスに手間と金がかかる窯業系サイディングなど使ったりはしない。
 概要がほぼ分かったので、簡単なスケッチを書き起こし、業者と工事の調整に入る。誰も住んでいない家だが、放置するわけにもいかない。

2012年8月5日日曜日

ピン芸人の道

 午後から母の暮らす施設で夏祭りイベントがある。早めに起きてオヤツや飲み物などを準備し、いざ出かけようとしたら、急に雨が落ちてきた。予報では確かに雨だったが、まるで狙い撃ちである。
 1時間弱で施設に着いたが、雨は止まない。当然ながら、外で予定されていた屋台村は中止となり、すべての行事は屋内ロビーでやることになった。

 いつも日中を過ごしている食堂に母を迎えに行くと、仲の良い友人と歓談中。「生バンド演奏があるから、行こう」と誘うと、すぐについてきた。


 少し遅れて13時35分から余興開始。なじみの中高年バンドの歌と演奏、フラダンス、かっぽれと続く。休憩を挟みつつ合計1時間40分という、高齢者にとってはかなりの長時間イベントだったが、母と友人は飽きることもなく、最後まで楽しんだ。

 この日ばかりは「入居者の家族」という特権で、高みの見物。途中、顔なじみのバンドリーダーママから声をかけられ、お久しぶりですと、握手まで交わす。私が施設訪問ライブをやっていることは先方も知っているので、今日も「飛入りで歌いませんか」と誘われたが、ありがたく固辞。
 フラとかっぽれは初めてみるグループだったが、バンドはこれが3度目。メンバーにかなりの入れ換えがあり、去年とは音が少し変化していた。
 それにしてもバンドが9人、フラが5人、かっぽれが4人と、どこも大所帯。メンバーが高齢化しつつあるのは私も似た事情だが、いまや個人でボランティア活動する者は極めて少ないのが現状である。
 その良し悪しは別にし、グループで動く場合は芸の研磨と同時に、人間関係の調整が大きな課題であるのは明白である。他との協調性に欠ける私のような人間は、ピン芸人(ソロシンガー)としての道を必死で貫くしかないのである。

2012年8月3日金曜日

すすきの祭りステージ

 札幌都心で実施された「すすきの祭り」の屋外ステージに出演。復興支援コンサートの縁で依頼されたが、チカチカパフォーマンスも間接的に関わっている。この種のイベントは、いろいろな縁が重なって結実するもので、人とのつながりは大事にすべきと思う。

 会場はススキノ十字街、つまりはススキノのど真ん中である。48回も続く由緒あるイベントだ。幸いに暑さも程よく、カラリと晴れ上がった。
 私のステージ開始は18時30分で、35分前に会場入りした。完全に閉鎖した車道中央にステージは設営されている。


 ちょうどお神輿行列が始まったばかりで、あたりは大変な賑わい。18時10分くらいからステージ開始で、まずは8人組のダンスパフォーマンスが始まったが、1曲だけであっという間に終わってしまう。
 持参した譜面台を組立て、楽譜と磁石式クリップもセットして準備していたので、ただちにステージに上る。
 テレビでよく見る女性司会者の紹介のあと、予定より少し早い18時20分から開始。お神輿行列はステージ前から移動してはいたが、まだ2ブロック先あたりにいて、周囲には人だかり。ステージ周りは人が引いてしまい、ソロの弾き語りとしては難しい条件のスタートだった。
 お囃子の音が遠くから響くなか、25分で以下の7曲を順に歌った。

「季節の中で」「恋のバカンス」「サン・トワ・マミー」「空港」「ハナミズキ」「青春時代」「また逢う日まで」


 特に上がることもなく歌い始めたが、出だしから喉の調子が抜群にいいことを直感した。喉の調整がうまく運んだことが第一だが、PA(音響)が大型で抜群に聴きやすい。自分のボーカルがビルの谷間に轟き渡るような感じなのだ。
 場としてはトップクラスなので、音響はいいだろう…、という予感はあり、選曲もそれを見越した聴かせどころが多いものとしたが、正解だった。

「1曲目からすごい歌唱で、びっくりした」とは同行の妻の弁。調子のよさ、音響のよさを裏づけている。


 選曲は先日のチカチカパフォーマンスでの予行演習に沿ったものだが、その日の反応をふまえ、微修正を加えた。具体的には中盤での「夜霧よ今夜も有難う」を「空港」に変更、「つぐない」は中止とし、ラストを「また逢う日まで」に変更した。
 スタートから「フォーク」「昭和歌謡」「シャンソン」「演歌」「J-POP」という順に小さな変化を加え、ラスト2曲を昭和歌謡でまとめた。
 進行と共にじわじわ人が集まってきて、場の反応も次第に熱くなってくるのが分かった。聴き手の後押しで歌はますます乗るという好循環。晴れがましい場に負けない会心のステージである。
「サン・トワ・マミー」や「空港」では曲紹介の時点で会場から拍手が起こり、「青春時代」では歌が終る前にさざ波のような拍手をいただく。

 5曲目のあと、予定通り「あと2曲で終わります」と宣言したら、係員の方がステージ下に近寄ってきて、「もう少しやっていただけませんか」と小声でさややく。時間に余裕があったせいもあろうが、会場の手拍子にも後押しされ、(もしかして…)と準備してあった「グッド・ナイト・ベイビー」をアンコールで歌わせていただく。


 結果として30分も続けて歌っていた。ステージを降りると、事前に連絡のあった知り合いの方々が近寄ってきて、ねぎらってくれた。そのほか、見ず知らずの方々からも「よかったよ!」「いい声してるね!」などと、たくさんの声をかけていただく。
 その後エアロビ系フラ、よさこいソーランとステージ前の路上を使ったパフォーマンスが続く。最後まで見届けてはいないが、弾き語り系のパフォーマンスは異色。全体の中でよいアクセントになっていたように思える。お呼びがかかった理由はこれだったかもしれない。まあ、臆せずによくぞ歌った。ストリートライブでの修羅場経験が効いている。
 苦手としていたお祭り系ライブだったが、どうすればいいのか、きょうでほぼ方向性をつかんだように思う。場にもよるが、昭和50年あたりを基準とした昭和歌謡をベースに肉付けしてゆけば、当面はやっていけそうな気がする。

 いろいろな意味で、これより上のステージは今後難しいような感じがしないでもないが、しばらくは満たされた余韻に浸っていたい。

2012年8月1日水曜日

最後の開業記念日

 独立開業30年の記念日であった。30年前の今日、前夜まで妻と二人でアパートの一室で宛名を書き、封をした開業案内DM200通をポストに投函した日である。いろいろあったが、滑ったり転んだりしつつ、ともかくも30年間事業を続けてきた。

 妻がお祝いにと買ってきてくれたサッポロ黒ラベルの缶を開け、ありあわせの肴をテーブルに並べて、ささやかな宴を妻と二人で開いた。普段は糖質ゼロの発泡酒だから、これでも立派な祝いの膳なのである。


 記念日といいつつ、この3ヶ月ほど、主たる業務であるはずの建築デザイン系の仕事が全くない。以前と違って追われるものがこれといってなく、つましく暮らせば何とかやっていける我が身。仕事が切れたとて営業に勤しむこともなく、なすがまま、あるがままの暮らしである。
 何があるのか分からないのが人生ではあるが、感触としては今日が最後の開業記念日となる可能性が高い。悲しいが、どんなものにも終わりは必ずやってくる。それが揺るぎない宇宙の摂理だ。問題は生きてゆく中で、それを意識するかしないかだ。
 先日参加した小学校の同窓会幹事会で、渡されたリストに灰色に塗られた名前がいくつかあった。(なんだろう…)と思いつつ注釈を見ると、死亡者を意味するものだった。
 全270名ほどのリストのうち、分かっているだけで10名を超える方々がすでに鬼籍に入っていた。住所判明者は30%ほどなので、実数はこの数倍であろう。あの顔もこの顔も、すでにこの世にはない。そういう年代なのである。
 元気で生きていられて、なにがしかの社会活動に関わっている我が身を、ひとまずは喜ぶべきではないか。