2010年4月3日土曜日

最後のブログ

 近隣のグループホームからの電話で起こされた。札幌在住の作家、音楽家であり、私と少しだけ関わりのあった小山心平さんが亡くなったとの訃報。つい先日、その施設で一緒にライブをやったばかりだったので、にわかには信じがたい思いだった。
 気管支炎をこじらせ、心臓を患ったという。その方も又聞きらしく、子細は定かではない。
 新聞のおくやみ欄を確認すると、確かに載っている。まだ65歳、私と変わらぬ年代である。いったい何が?

 確かブログを書いておられたはずと、検索してみたら、関係者の方だろうか、亡くなった翌日に、「小山心平氏 急逝のお知らせ」と題したブログが記されていた。
 それによると、死因は劇症心筋炎という、聞き慣れないものだった。ウィルスが心臓の中に入り込み、死に至らしめる病という。初期は風邪に症状が似ていて、非常に気づきにくいという。まだ対症法のよく分かっていない病気らしく、ほとんどポックリ病に近い、と書いてあるサイトも見られた。
 氏のブログ「一杯のコーヒー」をたどると、ご本人による最後の書き込みは、「死ぬまで生きるのだが」と題した、亡くなる2週間ほど前のもの。
 驚くべきことに、「これといって病気はないが…」と前置きしながらも、差し迫る自分の死をまるで予言するような文章だ。これぞまさに「人生最後のブログ」であろう。強くて重い言葉に圧倒される。

 実は小山氏とは10年前に別の作家集団の総会で初めてお会いし、代表の方に紹介されて名刺を交わした。珍しいお名前であり、肩書きに「音楽家」ともあるので、興味を持ってたまにブログなどは拝見していた。
 10年後の今年2月中旬、今度は音楽の場で偶然再会したが、私はしっかり覚えていても、氏はすっかり忘れているようだった。

 その後、トップバッターで歌った私の歌を大変評価していただき、「菊地さん、今度ぜひ一緒にフォルクローレ(氏の専門分野であるラテンアメリカ民族音楽)をやりましょう」と声をかけられた。
 いまはシャンソンを始めたばかりですので無理ですが、いずれ機会がありましたらぜひに、と答えたが、その機会はもう訪れない。
「朝は紅い頬をしていた人間が、夕方には白骨と化している」という格言のようなものがあったと思うが、そんな言葉を思い出した。
(その後の調べで、蓮如上人の「白骨の御文」)

 このブログに以前、「60歳過ぎたら、すべてのライブが人生最後のライブと思い、魂をこめて歌う」といった主旨のことを書いた。その意識はもちろんいまも変わっていない。
 ライブはもちろん、春の桜や秋の紅葉、季節折々のさまざまなイベント、日々の暮らし、そして短いひとときひとときが貴重で愛おしいものと悟るべし。人生は儚く、そして短い。