ある中年女性タレントが、テレビでこんなことを言っていたのを小耳に挟んだ。
「人生の目的ってなんだろう?って、若い頃からずっと考えてきたけれど、最近になってようやくそれが見えてきた。それはきっと『幸せになること』なのよ」
ちょっと心に引っかかりを感じたが、忙しい仕事の合間だったので、そのまま聞き流した。だいたい私と同年代の50〜60歳くらいの方だったと思う。
いまから40年ほど前のこと。地方大学で学んでいた私は、実家からの仕送りがあると、返信の手紙には近況と共に、そのときの雑感などを記す習慣があった。相手は母親である。
あるとき、何を思ったか、手紙にこんなことを書いた。
「人生に目的などないと近頃考えるのです。それでもあえて生きる意味を問うとするなら、《日々をただ粛々と生きる》それこそが人生の目的と言えるのではないでしょうか」
いま思うと、20歳前後でよくこんな途方もないことを考え、わざわざ母宛の手紙にしたためたものだと自分で感心する。
「なぜ生きるか」「自分はどこからやってきたか」「そしてどこへ行くのか」といった答えのない自問自答は、たぶん10歳くらいから繰り返してきた。
このことは結婚後に妻にも話したが、議論好き、本好きの妻でも、さすがにそんなことを考えたことはないという。
40年の時を経て思うのは、いまでもその「人生の目的」に対する考えに、そう大きな隔たりはないという実感だ。少しだけつけ加えるなら、「ただ日々をつましく、ささやかに、粛々と生きてゆく」といったあたりか。
冒頭でふれた女性タレントの人生訓がややアヤシク感ずるのは、「幸せの追求」→「そのためにカネモウケに走る」→「時には人を蹴落としてのしあがる」という、ありがちな危険性をはらんでいるからで、自分だけの幸せを追求しようとしてもおのずと限界があるし、それがただちに人生の目的にはなり得ないのではないか。
やはり40年近くの交流がある75歳の作家の先生と、昨年ゆっくり話す機会があったが、その際にこんなことを言われた。
「人生、人のために尽くすことが最高だよ。この年になって、ようやくそのことに気づいた。生きることの究極の目的は、ボランティアかもしれないよ」
100冊近くのノンフィクション作品を世に出した先生の言葉を、私は重く受け止めた。「金モウケ」も「名誉」も「幸せの追求」もそこにはない。あるのはただ、「無償で人のために尽くすこと」。
私もそんな枯れた境地に、いつかたどり着くことができるだろうか。