2010年4月17日土曜日

「時」という薬

 木々が芽吹きだし、季節がゆっくりと移ろい始めるにつれ、このところずっと悩まされていた不整脈の持病もじょじょに治まりつつあり、常備薬の救心のお世話にも、このところなっていない。
 昨年は桜の花を見始めてからようやく治まったと記憶しているが、根本解決からは遠くとも、抱えていたもろもろのストレスもいちおうの決着を見て、今年に限れば、仕事がないという昨年同時期の悩みとは無縁。快癒が早めの所以はそこか。

 生きている限り、何かしらのストレスは常につきまとうもので、逆にストレスが皆無の人生など、退屈で味気ない限りかもしれぬ。


 幼きころ、学校の友人関係でグズグズと悩み、行き場のない思いで手元にある大人用の本を片っ端から読みあさっていたとき、ある本の中で、「どのような悩みであろうとも、すべて《時》という薬が確実に癒してくれるであろう」という一文に出会い、(そうか、そうなんだ…)と、救われる思いがしたことを、いまでもはっきりと覚えている。
 この一文は時を経てオトナになったあとも、さまざまな問題にぶつかった際、いつも自分を励ます言葉として寄り添ってくれた。

 少年少女よ、青年よ、だから本を読みましょう。iPadでもいいからさ。