2010年4月30日金曜日

悔いなきライブ

 昨日に引き続き、GW中に実施の自宅ライブ「桜の宴」の準備に励む。「桜」などと洒落てはみたが、この寒さでGW中の開花はとてもムリ。そもそも、札幌の北端にある我が家では、いつも花見はGW以降なのであった。
 それでも気分だけはサクラ。今日はギター用小物置き場とPAの台を作った。その後、食器や飲み物、喫煙所の準備等もする。
 写真上は新しく作ったギター用小物置き場で、いつもは小型の手製椅子を脇に置き、その上にカポや予備ピックなどを置いているが、今回は家中の椅子を総動員する必要があり、小物置き場に椅子を使う余裕などない。
 そこで昨夜閃いた、譜面台を利用した小物置き場を作ることにした。


 捨てずにとってあった端材を利用し、譜面台の中間部の棒がピッタリはまるような穴をドリルで開けた。元は我が家の壁材で、それを換気口の蓋に再利用していたが、開閉が容易な既製品に換えたので、いらなくなった。
 それを再々利用したので形状が丸く、余分な穴も開いてはいるが、まあ使うのに不自由はない。

 PAの台も手製の木製椅子をずっと代用していたが、同様の理由で専用品を作ることにした。
 こちらも以前はテーブルの脚に使っていた部材の再利用。MDコンポを転用した本体に、ミキサーとエフェクターが具合よく載っている。
 夕方、妻と二人で銀行やスーパーに行く。月末なので、いろいろとやるべきことが多い。スーパーで割り箸や食材を少しまた買った。
 妻とはぐれて店内を探しまわっていたら、どこかで見た覚えのある顔とバッタリ出会う。向こうも同じ気持ちだったようで、しばらく互いに見つめ合ったが、先にむこうが「菊地さんでしょ?」という。その声でようやく思い出した。
 12年前まで同じグランドで戦っていた、隣の石狩市にある少女サッカーチームの監督のOさんだった。

 なんでこんなところに?とお互いに言い合ったが、Oさんは家がスーパーに近く、私は10年前に引っ越してきて、互いにご近所になったということらしい。
 近況を懐かしく話し合ったが、私と同年代のOさんはいまだに地元の少年チームの指導に関わっているそうで驚いた。やはり同年代で親しかった指導者のMさんが、去年癌で亡くなったことを初めて知る。まだ58歳だったという。
 最近身近でこんな話が頻発している。明日は我が身と考えておいたほうがよかろう。

2010年4月28日水曜日

ダジャレ文化

 天気予報で風雨は午後3時に治まる、とあったので、じっと待っていたら、3時過ぎに本当に陽がさしてきた。すかさず妻を誘い、集配局まで請求書を投函しに車で行く。
 ついでに、切れかけているFAX用紙をホームセンターで調達する。出がけに確認して切れかけていた家庭菜園用の石灰もここで買った。

 ホームセンターをブラついていたら、観葉植物売場で70歳くらいの見知らぬ夫婦に、突然話しかけられた。
「知人にプレゼントするのですが、この観葉植物は長持ちすると思いますか?」
 詳しそうに見えるので、教えてくださいと言う。人サマに教えるほど詳しくはないが、過去に観葉植物でいろいろ失敗しているのは確かだ。
 夫婦が手に持っているのは、サトイモ系の鉢だったが、品種改良されているのがはっきり分かる。見た目はきれいだが、そもそもサトイモ系の観葉植物は育てるのが難しい。まして改良品となると、なおさらだ。
 過去の失敗経験をそのまま伝え、自宅で6年間水だけでうまく育っているパキラとシダを勧めた。
 しかし、なぜか店には大型のパキラとシダしか売ってなく、値段も高い。「3,000円以内の予算で…」と夫婦は訴えるが、その予算ではとても無理である。
 いっそ切り花でもと思い、「入院見舞ですか?」と確認したら、違うという。根のつくものは入院見舞には「病院に根づく」と嫌われ、タブーであるからだが、違うとなると、新築祝いだったのかもしれない。
 新築祝いなら、「土地に根づく」という意味で、植木関連は好まれるはず。どのみち「ダジャレ」の世界だが、日本人ほど生活に広くダジャレを取り入れている国民は、世界に類を見ないのではないか?

「4と9のつく病室や客室は不可」
「結婚式の祝辞に重ね言葉は使うな」
「友引に葬儀はご法度」
「受験時に滑ったり落ちたりする行為は厳禁」

 これらはほんの一例だが、いずれも全く科学的根拠のない「ダジャレ文化」に過ぎないことは、よく考えれば分かることで、そんな些細なことでシアワセになれるのなら、誰も地道な努力などせずに済むというもの。
 いちおうフツーの社会人であるので、人サマに関わる事柄にはひとまず合わせるが、いざ自分のこととなると、この種の迷信には一切こだわらない。それでも山あり谷ありの、まずまずの人生でしたよ。
 縁もゆかりもない夫婦のためにアチコチ店内を探しまわっていたら、入り口付近に手頃な大きさの丈夫そうなシダの鉢が、わずか1,280円で売られているのを見つけた。
 シダは手がかからず、プレゼントにも最適。縁起とやらもよいはずだ。さっそくかの夫婦に教えようとしたら、いつの間にか姿を消していた。あ〜あ。

2010年4月27日火曜日

ネコ2題

 追加分を含め、47棟分の大修正作業がようやく終わった。現在火曜日の明け方5時近くで、気の早い人はもう起きだす時間だ。この仕事、おそらくあと数回の手直しがくるだろう。大きなヤマは越えたと信じたいが。
 ブログを記すのも4日ぶり。ブログ1本書くのに写真を吟味調整し、文章を何度も推敲しつつ進めるので、軽く1時間は費やす。いよいよ仕事がせっぱ詰まってくると、もはやブログなど書いてはいられない。
 この厳しいスケジュールを割き、一昨日の日曜にはライブ居酒屋の定例ライブに参加してきた。よほどキャンセルしようかと直前まで迷ったが、ブログは無理でもライブは極力こなしたい。
 かなり前に予約してあり、予定よりも少し早めに作業が進んだので、わずかな時間を作ってアタフタ出かけた。


 開始はいつものように午後7時。時間の経過とともにジワジワと人が集まってきて、最終的には20人を超えた。私の出番は出演10組中の5番目。
 月末ライブなので歌えるのは2曲のみ。練習をする時間的余裕がほとんどなく、仕事の疲れが溜まっていて、全体的に集中を欠いた。
 この日のテーマはずばり「ネコ」で、ネコにちなんだ歌を2曲そろえた。最初が六文銭の「ネコの歌」で、おけいさんこと、四角佳子さんが40年近く前にソロで歌っている。
 劇中歌で、摩訶不思議な歌詞に独特の雰囲気がある。以前から一度歌いたいと思っていたが、ようやく念願かなった。
 偶然だが、会場となった居酒屋「ありがとう」で、6月末に四角佳子さんと猫のジョイントライブがあるらしい。ネコとおけいさん、まるでネラったような企画だが、こんなこともある。

 2曲目はオリジナル曲で、「黒い森の青いネコ」。1曲目に登場するネコが、お嬢さんが涙を流して別れを惜しむ「良いネコ」なら、2曲目に登場するネコは、ズルくて小賢しい「悪いネコ」である。
「ボクの大切に育てた小鳥を、勝手に奪って逃げてゆく」不届きなヤツなのである。まあしかし、それを「さあ、気のすむまでお食べ」と、笑って許してしまう、ナンジャクなボクなのだが…。
 テーマはなかなか良かったと思うが、曲が難解すぎた印象だ。しかし、最近はだんだん難しい曲を歌いたがる傾向にある。ネタ切れというヤツだろうか。
 多忙な時間の隙間なので、出来はいまひとつだった。歌は気持ちにある程度の余裕がないとやれない。

 1曲目のアルペジオのピッキングはまずまずだったが、2曲目でBのコードが数カ所アヤしかった。BとBフラットは最も苦手なコードだが、オリジナルではなぜかBをしばしば使う。
 この曲でも構成上「B」が必須で、どうしても避けて通れない。比較的おさえやすいハイコードのBにすべきだったかと、いまごろになって反省。

2010年4月23日金曜日

カレーは3度美味い

 この2週間で納めた46棟分の仕事の修正に、延々と追われている。確認してないが、ひょっとするとGW前の仕上がりではないのかもしれない。だとすると、今後も延々とメーカーが納得するまで、修正は続くことになる。この分だと、GWも仕事漬けか。

 事前に元請けのやり方のクセを読み、大きな修正が出ないように手を打つことは可能なのだが、それは下請けの代理店の裁量。孫請けの身ではそれも叶わぬ。
 そもそも、お金を握ってる側は、ギリギリの時間までドン欲に完全なるものを要求するのが世の常。長いものには、巻かれざるを得ないのだ。


 旅行疲れが残る妻は、疲労困憊で勤めから戻った。アソビもよいが、年齢を考えて、ほどほどにしておかないと、ナキを見る。人のことは言えんが。
 今日の昼食は昨日の残りのカレーで、初めて「カレーサンド」を作ってみた。写真のように、パンを片側だけ焼き、反対の柔らかいほうに暖めたカレーを載せる。半分に折って食べると、売っているカレーパンに遜色ない味。美味い!
 残ったカレーの食べ方にはいくつかあるが、我が家の場合、時間があれば「サモサ」というインド料理を作る。ちょっと面倒なので、滅多に食卓に上がらない。お客さんで食べた方がもしいたら、相当幸運な方だろう。
 一般的なのは水で薄めて暖め直し、カレースープで食べること。あとは今日の妻がやっていたように、うどんか冷や麦をゆで、上にかけて「カレー南蛮」として食べる。

 どのやり方でも、おいしく食べられる。「ボタモチ(おはぎ)は3度美味い」と小さい頃に母から聞いた。「作った直後」「作った日の夜」「翌日」で、これは確かにそうだった。
 同じように、カレーも3度美味いのではないか。もっとも、最初に作ったカレーがまずければ、お話しにならないが、我が家の秘伝のカレー(特に私の作ったもの)は、そこらのカフェで出すカレーより、はるかに美味いと妻も認めている。

2010年4月22日木曜日

ぐい飲みコレクション

 昨夜も結局明け方まで仕事。本当は夕方納品でよかったのだが、夕方には歯科の予約があり、その後は旅行から戻る妻のために夕食の準備をし、さらには札幌駅まで迎えにゆく約束になっている。従って、仕事は早めに終わらせたかった。

 仕事そのものは午前2時くらいで終えたが、その後一昨日のブログに書いたNHKのS子さんに送るためのライブCDをチェックしていたら、真夜中についつい聴き入ってしまった。
 妻は不在で、家の中は私だけ。四方は空き地の「野中の一軒家」なので、深夜にCDを鳴らしても、どこからも苦情はこない。夢のような恵まれた環境である。

 ダビングしたのは、昨秋のシャンソンコンサートのライブCD。自分で自分の歌に聞き惚れていれば世話はないが、シャンソン風アレンジで歌った「独り」というオリジナルが秀逸。
 終了直後に妻からも、「あの曲の出来はスゴク良かった」と言われていたのだが、確かに。


 仕上がったCDをメール便で送り、歯科に行って部分入れ歯の調整をし、夕食の買物を済ませ、こちらも以前から頼まれていたGWの自宅ライブ案内状を、近所の奥さんに届ける。

 すべて終わって自宅に戻ったら、はや6時。すぐに米をとぎ、夕食のカレーライス作りにとりかかる。野菜が高いので、付け合せはモヤシとほうれん草の合わせオヒタシにした。
 できあがって食卓に並べたところで、妻から電話。飛行機が1便遅れ、札幌到着は午後10時くらいとのこと。車で迎えに行くので飲み物はノンアルビールにし、おやつ抜きで空腹だったので、いつもは1杯だけのカレーを1杯半食べる。
 疲れがたまっているのか、食後にウトウトしていたら、時計は9時半を回っている。あわてて車を出し、30分足らずで札幌駅に着いた。
 いつも迎えに行く場所は決めてあるので、携帯の連絡なしで、一発で妻を見つける。お土産は私の実用的コレクションでもある、韓国製のぐい飲み。渋くてシンプルで、なかなかよい。これで5,000ウォン(500円)とは安い。

 食器棚には、こうして妻が買ってくれたぐい飲みが軽く10個はあり、まとめてカゴにおさめてある。その日の気分であれこれ使い分ける。

2010年4月21日水曜日

三回忌の下調べ

 相変わらず寒く、外は冷たい雨がシブシブと降り続く。本日の最高温度は5度くらい。東京では夏日、沖縄でははや真夏日とのことだが、はるか異国の出来事に聞こえる。

 少し時間ができたので、夕方近くに実家の様子を見に行く。母の入院中に寒波で水道管が破裂し、1階の床が5センチほど水浸しになったことは以前に書いた。
 その後、業者に修理を頼んだのだが、合計で5カ所もの破裂が見つかった。どうやら寒波がくる以前に、すでに破損していたらしい。真冬に満足にストーブを炊かなければ、断熱の悪い家は当然こうなる。
 他にも蛇口や給湯ボイラの破損、はては水抜き管の施工ミスまで発覚し、すべて修理してみたら、驚くような多額の費用になってしまった。
 今日はその工事の確認と、来月上旬に迫った父の三回忌の下調べ。水に濡れた畳や家具類は、実家近くに住む二人の姉が通って処理してくれていたが、まだまだ家の中は雑然としたまま。
 幸いに、仏壇のある和室はほぼ乾いているので、5月になれば何とか畳は元に戻せる感じだ。

 実家はストーブを炊いていないので室温が7度しかなく、まるで外のような寒さ。最低限の確認だけ済ませ、早々に帰ってきた。
 お坊さんの手配はかなり前に済ませたが、これから花や供え物、お布施、食事の用意をしなくてはならない。実家でやる法事は安上がりだが、細かい準備が実に面倒だ。まだ4年も先のことだが、七回忌はもっと簡易な手段でやろうかと思案中。大事なのは形式ではなく、死者を弔う心だろう。

2010年4月20日火曜日

結婚プラス

 妻が短い旅行に出かけていて、2日間不在。仕事のスケジュールが厳しいので食事の準備など、何かと時間がとられてしまうが、旅行は妻の数少ない趣味道楽。まあ文句はいうまい。

 作業を一部持ち越してしまったので、今日は早めに起き、残りを片づける。夕方までにだいたい終わらせ、休憩をかねて車で買物に出かけた。
 本来なら散歩がてら歩いて行くのだが、朝からの雨が間断なく降り続き、とてつもなく寒い。昼過ぎになっても室温は19度を切ったままで、妻のいない一人の家でもったいないと思いつつも、たまらず暖房をつけた。

 買物を終え、今晩のメインである納豆チヂミを作る。食材は完璧にそろえたつもりが、食べる段になって大根を買い忘れたことに気づいた。しかし、あとの祭り。大根オロシなしでも食べられないことはないが、やはりあったほうがうまい。


 4年前に音楽活動の件でNHK札幌テレビから取材された際、担当したレポーターのS子さんから、久しぶりにメールが届いた。末の息子と同じ年だが、取材終了後も自宅ライブに来てくれたりし、年賀状を主に、細いが確かな交流が続いている。

 その後結婚して札幌を離れ、道外の某都市で暮らしていたが、何とその地にあるNHK地方局にキャスターとして契約したという嬉しい知らせ。実力のある彼女は元来キャスター志望だったが、札幌ではその望みは叶わなかった。
 そんな彼女の思いを感じていたから、吉報を自分のことのように喜んだ。
 もしかすると、結婚が彼女にとって、運気を切り開く大きなきっかけになったのではないだろうか。以前に我が家に来たとき、「結婚が怖い」と訴える彼女を、「大丈夫、結婚って、すごくいいもんだよ」と、励ましたことがある

 私にとっても結婚は大きなプラスだったし、妻も同じだという。互いに感化し合い、欠点を補い合い、成長できた。独身時代は、世間に受け入れられない不満をただ持て余す不完全燃焼の自分だったが、結婚後は薄皮がむけるように運気が向上していった。
 結婚を人生でプラスとするかマイナスとするか、すべては一個人としての裁量に実はかかっている。結婚以前の自我(アイデンティティー)の確立がなければ結婚生活は不幸になるし、つまりは自分が不幸だということ。
 妻も私も結婚を機に人間として、一社会人として、一回りも二回りも成長できたと確信する。

2010年4月17日土曜日

「時」という薬

 木々が芽吹きだし、季節がゆっくりと移ろい始めるにつれ、このところずっと悩まされていた不整脈の持病もじょじょに治まりつつあり、常備薬の救心のお世話にも、このところなっていない。
 昨年は桜の花を見始めてからようやく治まったと記憶しているが、根本解決からは遠くとも、抱えていたもろもろのストレスもいちおうの決着を見て、今年に限れば、仕事がないという昨年同時期の悩みとは無縁。快癒が早めの所以はそこか。

 生きている限り、何かしらのストレスは常につきまとうもので、逆にストレスが皆無の人生など、退屈で味気ない限りかもしれぬ。


 幼きころ、学校の友人関係でグズグズと悩み、行き場のない思いで手元にある大人用の本を片っ端から読みあさっていたとき、ある本の中で、「どのような悩みであろうとも、すべて《時》という薬が確実に癒してくれるであろう」という一文に出会い、(そうか、そうなんだ…)と、救われる思いがしたことを、いまでもはっきりと覚えている。
 この一文は時を経てオトナになったあとも、さまざまな問題にぶつかった際、いつも自分を励ます言葉として寄り添ってくれた。

 少年少女よ、青年よ、だから本を読みましょう。iPadでもいいからさ。

2010年4月15日木曜日

北原白秋

 思うところあって、北原白秋の歌をさかんに練習している。きっかけは、先日歌唱法を変えてから俄然歌いやすくなった「城ヶ島の雨」。
 歌そのものはかなりこなれてきて、いつでも人前で披露できる状態になった。あれほど悩んでいたのがウソのようで、自分に向いている歌だと思い始めた。ゲンキンなものである。

 難しい曲調に惹かれ、あれこれ調べているうちに、北原白秋の持つ世界そのものに、改めて興味を持った。
 試みに、手持ちの電子楽譜ファイル(パソコンのデータベースファイル)で検索してみると、北原白秋の作詞による私のレパートリーは、以下の4曲あった。

「城ヶ島の雨」「ペチカ」「この道」「砂山」

 どの歌にも独特の世界観があり、ジャンルで分けるなら、「日本歌曲」ということになろうか。最近打ち込んでいる叙情歌の世界からも遠くない。
 他にも歌える曲があるはずと思い、さらに調べを進めてみると、以下の曲が見つかった。

「ゆりかごの歌」「待ちぼうけ」「あわて床屋」「ちゃっきり節」「からたちの花」

 歌詞を集めてちょっと練習してみたら、ほぼいける。「からたちの花」だけは例外で、「城ヶ島の雨」ほどではないが、かなり手強い。
 城ヶ島の雨と同様、リズム感覚を無視し、気分のおもむくままに歌ってみると、なぜかうまくゆく。気ままに歌うのが、北原白秋を制覇するコツなのか。
 実はあるところから、「MCを中心にしたコンサートをやってみないか」との打診がある。まだ構想の段階だが、曲にまつわるトークを6〜7分、曲を3〜4分といった配分で、合計1曲10分を割り当てる。
 全体をひとつの世界観で貫き、1時間強のトークライブに仕立て上げる、というもの。

 トーク中心のライブそのものは決して珍しくはないが、問題は構成。「作詞者がすべて同じ」というのは、願ってもないキーワードではないか。その作詞者が日本を代表する詩人、北原白秋ならなおさらだ。先にあげた9曲は、バラエティに富んでいて、世によく知られた曲。構成もしやすい。
 いつもは曲中心で、MCは1分以内、極力短くするよう努めているが、その全く逆をいくライブ。切り口としては非常に面白く、好奇心をそそられる。実現するといいな。

2010年4月14日水曜日

人生の目的

 ある中年女性タレントが、テレビでこんなことを言っていたのを小耳に挟んだ。
「人生の目的ってなんだろう?って、若い頃からずっと考えてきたけれど、最近になってようやくそれが見えてきた。それはきっと『幸せになること』なのよ」

 ちょっと心に引っかかりを感じたが、忙しい仕事の合間だったので、そのまま聞き流した。だいたい私と同年代の50〜60歳くらいの方だったと思う。
 いまから40年ほど前のこと。地方大学で学んでいた私は、実家からの仕送りがあると、返信の手紙には近況と共に、そのときの雑感などを記す習慣があった。相手は母親である。
 あるとき、何を思ったか、手紙にこんなことを書いた。

「人生に目的などないと近頃考えるのです。それでもあえて生きる意味を問うとするなら、《日々をただ粛々と生きる》それこそが人生の目的と言えるのではないでしょうか


 いま思うと、20歳前後でよくこんな途方もないことを考え、わざわざ母宛の手紙にしたためたものだと自分で感心する。
「なぜ生きるか」「自分はどこからやってきたか」「そしてどこへ行くのか」といった答えのない自問自答は、たぶん10歳くらいから繰り返してきた。
 このことは結婚後に妻にも話したが、議論好き、本好きの妻でも、さすがにそんなことを考えたことはないという。
 40年の時を経て思うのは、いまでもその「人生の目的」に対する考えに、そう大きな隔たりはないという実感だ。少しだけつけ加えるなら、「ただ日々をつましく、ささやかに、粛々と生きてゆく」といったあたりか。
 冒頭でふれた女性タレントの人生訓がややアヤシク感ずるのは、「幸せの追求」→「そのためにカネモウケに走る」→「時には人を蹴落としてのしあがる」という、ありがちな危険性をはらんでいるからで、自分だけの幸せを追求しようとしてもおのずと限界があるし、それがただちに人生の目的にはなり得ないのではないか。

 やはり40年近くの交流がある75歳の作家の先生と、昨年ゆっくり話す機会があったが、その際にこんなことを言われた。
人生、人のために尽くすことが最高だよ。この年になって、ようやくそのことに気づいた。生きることの究極の目的は、ボランティアかもしれないよ」

 100冊近くのノンフィクション作品を世に出した先生の言葉を、私は重く受け止めた。「金モウケ」も「名誉」も「幸せの追求」もそこにはない。あるのはただ、「無償で人のために尽くすこと」。
 私もそんな枯れた境地に、いつかたどり着くことができるだろうか。

2010年4月11日日曜日

半割ラーメン

 仕事に打ち込んでいると明け方に決まって空腹になるが、夜食もほどほどにしておかないと、身体に響く。かといって、空腹のままだと、まるでヤル気が起きない。ほどほどの量がよろしいのだが、こんなときによくやるのが、「半割ラーメン」。
 何のことはない、市販のインスタントラーメンを半分に割り、普通に作って食べるだけだが、ほどほどにお腹に溜まって、具合がよい。スープをやや多めにすると、身体が温まる。


 使えるラーメンはスープが顆粒状で、簡単に半分に分けられるタイプ。いろいろ試したが、味のバランスまで考えると、マルちゃん(東洋水産)の塩ラーメンしかない。
 このラーメンはかなりのロングセラーだと思うが、あっさりしていて飽きない。我が家では切らしたことがない。カップ麺に比べて、はるかに経済的なのも魅力だ。

 半割ラーメンのちょっとしたコツは、袋に入ったままの状態で、縦に割ること。これ以外の方法だときれいに割れず、乾麺の屑が散らかってしまう。
 残った半分は食材専用の引き出しに入れておくが、いつの間にか消えていることも多い。仕事から戻った妻が、残りご飯などと一緒に、スープ代わりにして食べるらしい。うまくできてます。

2010年4月8日木曜日

パキラの新芽

 去年二つの鉢に株分けしたパキラのうち、ひとつの鉢に珍しい6枚葉が出たことは以前に書いた。調べてみたら、9月下旬のこと。
 その後冬になって葉の成長は止まり、パキラもじっと休んでいるふうだったが、4月になって両方のパキラから、また新芽が出た。春になったことをちゃんと知っているのだ。

 何とそのうちのひとつから、またしても6枚葉が出た。去年出たのと同じ鉢で、よほど状態がよいと見える。
 珍しい花が植木鉢に咲いたりすると、「今年は何かいいことがありそう…」などと、新聞の電話投稿欄によくコメントが載っていたりする。その種のゴヘイカツギはしないことにしているが、珍しい事例であることは確か。しかも、1年以内に2度もだ。ちょっとだけシアワセ気分かも。


 以前から格闘していた「城ヶ島の雨」の歌唱法に関し、昨夜未明に布団の中で思いついたことがあり、さっそく試してみた。
 この曲の難しいのは、リズムがうまく合わせられないところ。そこで思い切って途中で拍子を変えて歌ってみた。出だしは4拍子で、途中のBメロを3拍子にし、Cメロから最後のAメロを、再び4拍子で歌う。

 すると、なぜかピタリ決まった。本来は3拍子で作られている曲なので、おそらくは邪道。しかし、いまのところこれしか歌える方法が見つからない。当面はこれでやる。
 歌詞は北原白秋で、曲は梁田貞だが、歌詞を受け取ってわずか2日で曲をつけたという。まるで奇跡のような話だ。名曲ほど短時間で完成するという話も聞くが。

2010年4月6日火曜日

ブレンドハーブティー

 2年ぐらいずっと使っていた乾燥ラベンダーがなくなったので、ストック分をほぐし、缶に補充した。満開のときに花だけを摘み取り、コップに入れて乾燥させておき、深夜に飲むハーブティーに少しだけブレンドして飲む。
 ベースは乾燥カモミールで、花を7-8個。そこに微量のドライラベンダーと紅茶を入れる。紅茶はティーバックの袋をバラし、小さな瓶に入れたもの。あくまでブレンド用なので、袋1個で軽く10杯は飲める。

 以上の3つをポットに入れ、熱湯を注いで約1分蒸し、白いカップに移してリンゴ酒を少しだけ入れて飲む。紅茶以外はすべて自家製で、カモミールで胃腸を整え、ラベンダーで精神を落ち着かせる。深夜にはうってつけの飲み物である。


 ハーブティーはいろいろ試したが、カモミールだけだと少しものたりず、ラベンダーだけだと香りがきつすぎる。いまのところこのブレンド手法が最も落ち着く。
 今後試したいのが、ミントティー。ドライではなく、採りたてを数分蒸せばよいらしい。ミントは実家の庭に自然に根付いていたものを昨年春に株分けし、今年は充分使える大きさに育った。
 いろいろ効用があるらしいが、まずは一度試してみること。
 先週挨拶に行った近隣の地区センターで歌うために必要な経歴書を作った。型通りのものだが、いざ略歴や活動歴となると、何をどう書くべきかちょっと迷ってしまい、結局一晩考えた。
 ついでにコンサートの具体的な企画書も作り、同封することにした。プログラムもあったほうがよいというので、「叙情歌暦」を切り口に18曲を選曲構成し、企画書に盛り込む。いつ依頼されても準備OKの状態である。

 さらについでに、昨年秋にやって好評だったシャンソンコンサートのCD音源も同封。初めての場で自分をアピールする場合、この種のサンプル音源はちゃんと準備したほうがよいことを、最近学んだ。
 本当は今日中に投函するはずが、仕事や歯科の治療があって、出せずじまい。もう一晩寝かせて、明日出します。

2010年4月3日土曜日

最後のブログ

 近隣のグループホームからの電話で起こされた。札幌在住の作家、音楽家であり、私と少しだけ関わりのあった小山心平さんが亡くなったとの訃報。つい先日、その施設で一緒にライブをやったばかりだったので、にわかには信じがたい思いだった。
 気管支炎をこじらせ、心臓を患ったという。その方も又聞きらしく、子細は定かではない。
 新聞のおくやみ欄を確認すると、確かに載っている。まだ65歳、私と変わらぬ年代である。いったい何が?

 確かブログを書いておられたはずと、検索してみたら、関係者の方だろうか、亡くなった翌日に、「小山心平氏 急逝のお知らせ」と題したブログが記されていた。
 それによると、死因は劇症心筋炎という、聞き慣れないものだった。ウィルスが心臓の中に入り込み、死に至らしめる病という。初期は風邪に症状が似ていて、非常に気づきにくいという。まだ対症法のよく分かっていない病気らしく、ほとんどポックリ病に近い、と書いてあるサイトも見られた。
 氏のブログ「一杯のコーヒー」をたどると、ご本人による最後の書き込みは、「死ぬまで生きるのだが」と題した、亡くなる2週間ほど前のもの。
 驚くべきことに、「これといって病気はないが…」と前置きしながらも、差し迫る自分の死をまるで予言するような文章だ。これぞまさに「人生最後のブログ」であろう。強くて重い言葉に圧倒される。

 実は小山氏とは10年前に別の作家集団の総会で初めてお会いし、代表の方に紹介されて名刺を交わした。珍しいお名前であり、肩書きに「音楽家」ともあるので、興味を持ってたまにブログなどは拝見していた。
 10年後の今年2月中旬、今度は音楽の場で偶然再会したが、私はしっかり覚えていても、氏はすっかり忘れているようだった。

 その後、トップバッターで歌った私の歌を大変評価していただき、「菊地さん、今度ぜひ一緒にフォルクローレ(氏の専門分野であるラテンアメリカ民族音楽)をやりましょう」と声をかけられた。
 いまはシャンソンを始めたばかりですので無理ですが、いずれ機会がありましたらぜひに、と答えたが、その機会はもう訪れない。
「朝は紅い頬をしていた人間が、夕方には白骨と化している」という格言のようなものがあったと思うが、そんな言葉を思い出した。
(その後の調べで、蓮如上人の「白骨の御文」)

 このブログに以前、「60歳過ぎたら、すべてのライブが人生最後のライブと思い、魂をこめて歌う」といった主旨のことを書いた。その意識はもちろんいまも変わっていない。
 ライブはもちろん、春の桜や秋の紅葉、季節折々のさまざまなイベント、日々の暮らし、そして短いひとときひとときが貴重で愛おしいものと悟るべし。人生は儚く、そして短い。

2010年4月2日金曜日

ささやかな珊瑚婚

 午後から週末を挟む日程の仕事が2件入った。4月も何かと気ぜわしくなりそうな感じなので、少し早いが予定通り、結婚記念日と珊瑚婚をかねた食事会をするべく、妻と二人で都心にでかけた。
 記念日なので、アルコールは必須。風がやたら強かったが、完全武装でJRの駅まで歩いて行った。

 目指す店は5年ほど前に新聞に載っていた韓国料理の店。早く着きすぎたので、近隣のイオンに寄ってしばし時間をつぶす。昼過ぎからお腹の調子が悪かったが、店内で急に腹痛がひどくなり、あわててトイレにかけこんだが、なかなか治まらない。急きょ薬屋で正露丸を買って飲み、備えた。


 事前に入念に調査していったので、目当ての店には迷わず着いた。小さな店だったが、運良く入り口のボックス席が空いていた。
 店主の勧めに従い、チャプチェ、キムチ、チヂミ、ビビンバを順に頼む。

 チャプチェと秘伝のタレで漬けたというキムチが美味だったが、チヂミは肉の脂が強すぎ、やや期待外れ。自分で作る納豆チヂミのほうが美味いかな、と思った。
パフォーマンス型の店主にあおられつつ、珍しくビールを2杯も飲む。落ち着く店ではないが、味はまずまず。この種の店には珍しく、完全禁煙なのもうれしい。
 1時間半ほどいて、再び駅までの道を10分ほど歩いて戻る。ガード下にあった宮越屋珈琲に寄り、食後の珈琲をいただく。ジャズが低く店内に流れる、落ち着いた雰囲気の店だ。
 結婚記念日には余程のことがない限り、非日常的な場で食事などすることにしているが、今年のコーディネイトはやや滑ったかもしれない。しかし、こんなこともある。要はささやかでも続けること。その気持ちが大事だ。

2010年4月1日木曜日

突然セッション

 昨日のブログに書いた新しい音楽仲間のチロリンさんからさっそく今日電話があり、ちょっと時間が空いたので、いまからうかがってもよいかという。
 来週半ばに大きな仕事が入る予定だが、今週は幸いに暇。チロリンさんも私同様、介護施設関連の事業を営む自営業なので、互いに時間が空いたときが、セッションどき。こういうことは、早いほうがいいに決まっている。すぐに来ていただいた。
 持参のベースとギターをPAにつなぎ、さっそくセッション。まずは私の定番曲である「雨が空から降れば」「面影橋から」をいきなり歌う。
 直前まで寒い屋外で引っ越しの手伝いをしていたというチロリンさん、最初は音が固かった。指がよく動かないらしい。

 その後、目下練習中の2曲を歌う。チロリンさんも次第にリラックスしてきたのか、指の動きもじょじょに滑らかに。


 2曲とも全く知らない曲だと聞いたが、1曲はリードギターで、もう1曲はベースで、それぞれアドリブでの伴奏をつけてくれた。
 ほぼ私のイメージ通りで、ベースを使ったロック系のオリジナルは、「洒落たコード進行の曲ですね」と、お褒めをいただく。

 ギターはどの曲でもカポなしで自在に弾くので、不思議に思って尋ねると、その場で転調して合わせるのだという。なるほど。
 2曲とも近々ライブハウスで歌う予定だったが、都合がつけばサポートしてくれることになった。今日の何度かの練習でほぼ完成した感じだが、本決まりになった場合、最低もう一度は合わせる必要がある。
 2時間くらい雑談を交えてあれこれ歌ったが、フォークにこだわらず、どのジャンルの曲でも合わせられるという。よくよく聞いてみたら、若い頃に10年近く、学校や各種施設を回るプロのミュージシャンだったそうだ。そのグループは、私も知っていた。どうりで。
 自宅にはギター8台を始め、各種楽器がいろいろ。バンジョー、ピアノもできるとかで、最も苦手なのがボーカル。(本人の談)どうやら、互いの足りない部分を補いあえる関係らしい。

 その後の情報で、チロリンさん宅は我が家から歩いて20分ほどの距離であることを知った。しかも、妻の職場仲間が住む近所で、私も何度か行ったことのある地区。
 ライブ後に突然声をかけられたのがきっかけだが、縁があるのだろう。「窓の外を何気なく通り過ぎる青い鳥」というヤツだ。逃してはならぬ。