2008年5月31日土曜日

森の記憶

 あれこれ迷ったが、私の代でどうしても一定の道筋だけはつけておきたくて、墓を買うことにした。場所は札幌南部にある小高い丘の一角で、いわゆる民間霊園である。
 すぐ近くに国営の滝野すずらん公園があり、子供たちが幼いころ、何度も遊びに連れていった。たくさんの家族の思い出が詰まっている懐かしい場所だ。

 まだ父が元気だったころ、その霊園の折込チラシを握って私の家を訪れ、「墓でも買おうと思うのだが…」と相談されたことがある。
「買うなら、俺の生きている間は墓守は責任持ってするよ」と応えたが、しばし考えたあと、「お前に任せるから、好きにしてくれや」とだけ言い残し、そのまま死んでいった。
 今回、その父の生前の願いを叶えることになるのかもしれない。
 墓の場所を決め、契約書に署名なつ印するために、午後から妻を同行して現地に行ってきた。
 途中、実家によって母に最終確認をとる。母はさかんに墓守のことを気にしていた。遠い将来、無縁墓になってしまうことを恐れているのだ。父が墓を買わずに逝ってしまったのは、このあたりにも原因があったのか。
 事前に詳しく調べた霊園のシステムを説明してやると、ようやく安心した様子。私としては四十九日法要に納骨も済ませたいと思っていたので、話は急ぎたかった。

 うっそうとした木々に囲まれた山道をひた走り、巨大な石の像が立ち並ぶ公園を抜け、ようやく目的地にたどり着く。
 売り出し中の墓の場所は管理事務所のすぐ横で、水場も駐車場も目の前。墓参りに来たとしても、場所を探し回る心配はない。
 運良く東向きの眺めのよい場所が空いていて、即決。宅地の販売と同じで、少し単価は高いが、いわゆる「角地」から先に売れてゆくとか。偶然だが、9年前に買った我が家も、ごく普通の東向きの宅地。墓も宅地も、角地に特別の思い入れはない。

 1時間弱で諸手続きは終了。妻の希望もあり、墓の文字デザインはごくありふれた大人しいものに落ち着く。しかし、墓石そのもののデザインはシンプルな洋風で、悪くはない。


 帰り道、娘が5年間学んだ札幌芸術の森近くにある高専(現在は大学に改編)の横を迂回することにした。目当ては校門前にあるしゃれた喫茶店で、以前はよく通っていたが、札幌の北の果てに引っ越してしまってからは、しばし訪れていない。
 霊園からはわずか5分で着く。写真のように、道路から階段を昇ってゆく造りで、周囲は白樺の木々に囲まれている。いわば「森の喫茶店」だ。

 経営者の顔が違っている感じがしたので、確かめてみたら、以前の方はつい最近亡くなり、ときどき手伝いに来ていた近所の方が経営を引き継いだという。新装開店してまだ2週間とのことで、いろいろな偶然に、しばし言葉を失った。
 飲んだコーヒーの味は、ほとんど変わっていない。建てて19年経つという建物も、あまり変わっていない。変わったのは、周囲を囲む木の高さだけだった。
 娘のことや、以前の店に通ったことをしばし話す。すぐ隣の霊園に墓を買いに来た帰りです、と脈絡もない言葉が喉まで出かかるが、静かに胸の奥でかみ締めた。
とうとう終の住処にたどり着いたのかな…)と、コーヒーを飲みながら漠然と考えていたら、妻も全く同じことをそのとき考えていたことを、あとで知った。

 私も妻も、来年は六十路である。