2008年3月31日月曜日

33年目の春~後編

(前回の続き)
 時間にしばられない気ままなウィンドウ・ショッピングを充分堪能した私たちは、夕方5時過ぎ、開店直後の居酒屋「花ごころ」に入った。

 ネットである程度の事前情報はあったが、居酒屋といっても雑然とした雰囲気は一切なく、どちらかというと割烹風のたたずまい。
 店に入った直後、妻がバックから前日に印刷してあったクーポン券を取り出し、「ネットで探し当てました」と従業員に素早く手渡す。「クーポン券は会計時に」とネットには記載があったが、とかくトラブルになりがちなのがこのクーポン券。事前に提示しておくのが無難というものだ。
 店内に大部屋はなく、通されたのはこじんまりとした4人がけの独立席。すべての席が堀コタツ式になっていて、足元がかなり楽だ。
(ちなみに、入口に銭湯のようなカギ付の下足箱があり、靴はそこに納めてしまう)
 壁はすべて和紙貼で、隣との仕切りは障子。背後の間接照明もあんどん風になっていて、あくまで和風のデザインが貫かれている。

 外は結構寒かったので、最初に鍋物風の「ゆり根とロールキャベツの釜」「揚げ出し豆腐ウメしそ風」を頼み、まずは赤ワインで乾杯を交わす。
 以降、自宅では簡単に食べられないものを中心に、気のむくままにあれこれ頼む。後半に頼んだ「クリームチーズの味噌漬」がかなりいけた。

 味は全体的に上品な薄味。値段は400~600円といったところだが、量は少ない。女性客が中心というのもうなずける。私は小食なので充分満足したが、「モリモリ食べたい」という方には、やや不満が残るかもしれない。
 普段は飲まない生ビールを2杯飲み、あれこれ昔話にふけるうち、お腹もすっかり満ち足りた。
(5,000円強くらいか…)と思って会計をしたら、約6,500円。ただし、ネットで得たクーポン券で一人分で500円が割引され、実際に支払ったのは5,500円だった。静かな落ち着いた雰囲気の中だから、まあ妥当な金額だろう。
 帰ってから伝票を調べると、「お通し、500円/一人」「深夜料、総計の5%」とあり、これが胸算用とのズレの要因である。この二つを別会計とする居酒屋って、もしかすると少ないかもしれない。外食はほとんどしないのでよく分かりませんが。


 店を出ると7時。まだ宵の口で、「コーヒー飲んで帰ろうよ」と妻が誘う。寒い表には出ず、階段を下って地下道からそのままパセオ(札幌駅地下街)に抜けた。
 マップで調べると、かなりの数のコーヒー店がある。いまさら歩き回るのもタルいので、一番近くにあった店に入った。
 妻はサクラアイス付ケーキセットを、私はコーヒーだけを頼んだが、オマケの手焼きクッキーが2枚ついてきた。

 居酒屋の支払いは私で、ここでの支払いは妻。行き帰りの交通費も妻が負担した。このへんのイーブンな案分バランスは、恋人時代と全く変わらない。妻に独立したサイフがあるからこそ、こうしたことが叶う。
 結婚前から妻は、「支払いは男の裁量」などという古い概念からは遠い価値観の持ち主で、そこは私が信頼を寄せる大きな要素のひとつであった。

 すっかり陽の暮れた夜道を二人で歩いて家に戻ると、9時少し前。夫婦の新しい思い出が、またひとつ積み重ねられた。よき一日であった。

2008年3月30日日曜日

33年目の春~中編

(前回の続き)
 帽子売場をあとにした私たちは、食器売場へとむかった。デパートの食器類は高いが、デザインに秀でた物が多く、夫婦茶碗や夫婦箸はほとんどデパートで買う。飽きずに長持ちするので、結局はお買得なのだ。
 箸をしばらく取り替えてないと妻が言うので、あれこれ見繕う。台所用品は若い頃から、たいてい二人いっしょに品定めする。

 1,000円以内という予算とデザインのバランスのとれた品が見つからず、結局買わないことになる。前回買った箸は1年以上使っているが、まだそう傷んではいないので、無理はしない。


 売場のワゴンセールに、1個100円の箸置きを多数発見。今年の正月に子供たちが帰省した折、箸置きが足りずに何かのオマケでもらった物で間に合わせた。必需品ではないが、結構好きなグッズで、価格が安い割に生活を豊かにしてくれる。
 河原の自然石を探すのも「縄文暮らし」には似合っている気もしたが、最近はすっかり出無精になり、アウトドアライフとはとんとご無沙汰。ガソリンの高騰で、わざわざ拾いに出かけるより、ここで買った方が安くつくし、結婚33周年のささやかな記念にもなる。

 あれこれ見繕って候補を絞り込み、最後は写真の二つに落ち着いた。渋くてさり気なく、落ち着いたデザインが自然素材の多い我が家に良く似合っている。
 その後、目的の居酒屋近くの西武デパートで、妻がまたまた財布をみたいというので、しばしつきあう。そうこうするうち、時間は夕方5時を回った。開店時間だ。

 一度も行ったことのない店なので、場所が分からず、地下鉄に降りる階段をウロウロしていたら、予期せずして、街角のゴミを拾う和服を着た3人のパフォーマンス集団に遭遇する。
 背中にしょった竹カゴに、道のゴミを火バサミで拾って入れるのだが、その拾い方が一つの「型」になっているのがミソ。まるで芝居の「見栄」のようで、キマっている。

 新聞やテレビで噂は聞いていたが、直に見るのは初めて。その志は私がたまに仕掛ける路上ライブと、どこかで通ずる。いわば「同士」のようなものだ。
 思わず「おぉ~っ」と声をあげて妻に教えたら、相手も気づき、礼を返してきた。すかさず、「ご苦労さまです」と声をかけ、妻は賛辞の拍手を贈った。ひとときの交流である。

 さて肝心の店はどこだろうと探すが、どこにも見当たらない。もう一度階段を昇ってみると、パフォーマンス集団と出会った階段の踊り場付近に、地下街に通ずる別の入口がある。挨拶に気をとられ、見落としていた。
 入口を抜けてすぐの場所に、目的の居酒屋「花ごころ」はあった。
(次回で完結です)

2008年3月29日土曜日

33年目の春~前編

 妻との結婚33年目の春が訪れた。本当は4月5日が結婚記念日だが、あいにくその日は町内会の大事な会議がある。少し早いが、仕事の切れたいまのうちに記念イベントを前倒してやろうということになった。
 結婚記念日には都心に出かけ、食事をするのがこのところの恒例行事になっていたが、事業の立て直しに追われていた去年は、これといったイベントをやっていない。
 事業回復の確かな兆しを感じる今年は、晴れて再開できるというわけだ。

 数日前からネットや古いスクラップを使い、どこに出かけようかあれこれ調べていたが、寒さが少し戻ったこともあり、都心のホテルにテナントとして入っているしゃぶしゃぶ店に行くことに決めた。以前にネット仲間で一度だけ行ったことがあり、安い割にはなかなか美味い店だ。
 偶然だが、名前が「三十三間堂」。33年目のイベントとして、これほど相応しい場はない。
 しばらく行ってなかったので、念のため、昨夜確認の電話を入れた。するとつながったのは、なぜかホテルのフロント。胸騒ぎがして店の事を尋ねると、都合で撤退したという。
 栄華盛衰は世の常とはいえ、あてが外れてかなりガッカリしてしまった。しかし、事前に電話で確認したのは正解だったと、前向きに考え直す。

 急ぎ、次なる候補を見繕う。「札幌駅の近くで買物をしたいので、駅周辺がいい」と妻がいうので、選択肢は限られていた。
 手元にあったチラシから、ようやく一つの店にたどり着く。たまたまだが、3月末まで限定の割引クーポンがネットから入手できた。サイトからそのクーポンを直接プリンタに印刷し、翌日に備えた。


 一夜明けた今日、妻は昼前からそわそわ落ち着かない。普段はめったに着ない友人からもらった高級ニットセーターを着込み、30周年の真珠婚にプレゼントした真珠のネックレス(私にしては高価な品)なんか首にかけている。
 上着は短めの白いショートコートと、これまたバブル期に私がプレゼントした高級イギリス製スカーフ。ううむ、我が妻ながら、なかなかキマっている。
 私も妻のイデタチにある程度あわせ、ふだんはあまり着ないジャンバーをはおり、同色のハンチングをかぶって洒落てみる。

 まだ午後3時前だったが、珍しくオヤツもコーヒーも抜きにし、歩いてイソイソと最寄りのJR駅にむかった。
 JRに乗るのも1年ぶりくらいかな、などとと話すうち、あっという間に札幌駅に着いた。
 改札に出るまでのコンコースで、不思議なデザインのベンチを発見する。時間は充分にあるので思わず立ち止まり、シゲシゲと観察。デザイナーとしての虫が騒ぐのだ。太い金属パイプと、丸太のようにごつい集成材とで出来たシンプルなデザインがいかにも良い。
 近寄ってなで回し、実際に座ってみると、要所に丸みをつけてあるせいか、座り心地もなかなかのもの。私があまりに熱心なので、妻がすかさず写真を撮ってくれた。

 駅周辺の買物に関しては妻のほうがはるかに詳しいので、夕食の時間まで、黙って妻のあとをついて回った。
 大丸百貨店の中にある書店で、妻が欲しいというヨン様系の本を一冊買う。ささやかだが、今年の私からのプレゼントだ。

 途中、帽子の専門店を見つけ、入ってみた。以前からチャコールグレーのハンチングが欲しいと思っていたが、「安いこと」(できれば2,000円以内)が必須条件である。いまのハンチングは1,000円という破格値だったが、合わせる服が限定されるという難点があった。
 ハンチングは好きで、ライブでも時々かぶる。父も若い頃にかぶっていたが、なかなか似合っていた。聞けば亡き妻の父もよくかぶっていたという。

 さすがに都心とあり、色はイメージぴったりの物がいくつかあったが、価格はすべて5,000円以上。さすがにそこまで投資する気はなく、「私が買ってあげる」という妻を押しとどめ、またの機会を待つことにした。
(長いので、次回に続きます)

2008年3月27日木曜日

運気の女神

 去年の一月にネット経由で取材の打診があり、その後「フォークブーム再燃」という切り口でテレビに出してもらった時の担当のSさんから、昨夕突然の電話があった。
 3月いっぱいで放送局を退職し、秋には結婚して北海道から遠く離れた地で暮らすという。去年の秋に自宅コンサートに来てくれたとき、その兆しを多少は感じていたが、話があまりに唐突で、正直ショックだった。

 末の息子と同じ年の若い年代だが、フォークに強い関心を持ってくれて、取材が自分の音楽活動の自信になったし、新たな創作のきっかけにもなった。
 私のライブの数少ない常連になりつつあり、「若い世代にフォークの神髄を伝える」という意味でも、大切な存在だった。だが、暮らす街がここからはちょっと遠すぎる。ライブへの参加は事実上ムリだろう。残念だ。


 一昨年の2006年は、仕事や家族のあらゆる面で悲惨な年だったが、翌年早々のこの取材から、薄皮がむけるように運気が上昇していったような気がする。その意味で、彼女の出現は運気的には、「女神登場」と位置づけてもいい。
 それにしてもまあ、忙しいなかでよく忘れずに電話をくれたと思う。そのことだけでもありがたく、うれしい。

 生きてさえいれば、人と人とのつながりが途切れることはない。それは世界のどこにいても同じこと。20年以上も前に1週間だけホームスティしたカナダの家族との交流が、細々とだがいまだに続いていることからもそれは立証できる。
 大切なのは、心の底でつながりが保たれていることだ。それがなければ、すぐ隣で暮らしていても気持ちが通じ合うことはない。
 赤の他人であるのに、まるで家族のような親近感を抱くことが稀にある。私にとって彼女はそのような不思議な存在だったが、自宅にパソコンを持たず、仕事以外ではネットもブログも一切やらないという、いまどき化石のような価値観の持ち主だ。今後どのようなつながりがあるのかないのか、それは神のみぞ知ることかもしれない。
 新しい扉を開いた彼女の未来をまずは祝福し、私の晩年の人生に輝きを取り戻すきっかけを与えてくれたことに心から感謝しよう。ありがとう。

2008年3月24日月曜日

やる人間やらない人間

 請け負っていた仕事の最後の3点を仕上げている。厳しかった仕事の嵐も、ようやく収まりつつある気配。長かった。
 いまやっているのは、1年前にもやった「住宅ができるまで」をイラストで工程順に説明するというもの。ミリ単位の細かい収まりを描かなくてはならず、現場に精通していないと、とても出来ない仕事。

「ただ単に美しいCGが描ける」というだけでは、業務にも限界があるという時代になりつつある。本業が技術者の私にとっては、歓迎すべきことだ。
 独立開業して26年になるが、ひょっとすると、今月は月単位での仕事量の最高記録に到達するかもしれない。歴史風に言うなら、いわば「平成ルネサンス」、「平成の中興」といったところ。

 ちょっと気になって過去の記録を調べてみたら、現段階でバブル期の記録に限りなく迫っていた。
 当時は押し寄せる仕事の波をさばくため、妻をも巻き込んだアビキョウカンの毎日だった。ユンケル栄養剤は欠かせなかったし、過労のせいで消化不良にも陥り、毎日トイレで吐いていたものだ。神経は尖り、引いてはそれが夫婦不仲にもつながったりした。
(これに関する詳細は、私のメインサイトにある「脱サラ日誌」でどうぞ)

 ところがそれに比べると今月は忙しいことは確かに忙しかったが、それほどのダメージは受けていない。ユンケルのお世話には一度もなっていないし、もちろん過労で吐くこともない。夕べ体重を量ってみたら、平常時と大差ない54Kg。
 この理由を考えてみたら、要はパソコンとネットを業務に有効に取り入れたからで、手描きと比べるとひとつの仕事にかかる絶対時間が、大幅に短縮されているわけだった。そのため、たとえば住宅1点あたりの価格も26年前と全く変わってないが、それでも充分やれる。
 最近、取引先などで自分よりも若い人にパソコンやネットのことを教えることが多くなった。MacとWindows、ハードとソフトの全部にそれなりの知識を持っている人は、なかなかいないらしい。

 来年ははや還暦だが、好奇心にまかせて自分でいろいろ調べ、新しい知識や技術を会得する意欲に関しては、たぶん若い人にもひけをとらない。
 それにしても、「やる人間、やる気のある人間、やれる人間」が損をしない時代が、この日本にも案外早くやってきた。喜ばしい

2008年3月22日土曜日

タリラリラ~ン

 忙しい割には、喉の調子がいい。ライブの予定は当分ないので、休憩時間にたまにパソコンの前で弾き語る程度。
 最近、「トリル」という技をそれなりに使えるようになった。ライブでしか発表してないが、昨秋に作ったオリジナル、「切ない夕暮れ」の伴奏にも取り入れた。

 普通に押さえるべきコードの指を一部押さえずにおき、弦を弾いたあとすぐに押さえ、間髪をいれず、すぐまた離すというもの。耳では、「タリラリラ~ン」といった風に聴こえる。私にとっては難易度が高い。
 似たテクに「ハンマリング」があるが、こちらは押さえずにおいた弦をやや遅らせて押さえるだけ。「タリ~ン」といった感じ。


 プロでも結構使う人は多く、私の好きな及川恒平さん、青木まり子さんもライブで時々使っている。
 なかなかオシャレな音だが、ハンマリングと違って多用するとかえって耳障りでうるさく感じるだろう。使ってもせいぜい1曲で数ヶ所程度か。「ここぞ」という場所に、スラリと入れると効く。

 私が使うのは、ほとんどD7かD。前述の「切ない夕暮れ」でもD7で使っている。メロディ展開の面で、セブンスコードが一番合っている気がする。

2008年3月21日金曜日

木製ペーパーホルダ

 連日「忙しネタ」ばかりだとヒンシュクを買いそうなので、たまにはDIYネタを。
 といっても、こう忙しいとまず真っ先にカット、もしくは順延されるのがDIY作業。そこで、我が家のあちこちに点在する過去の「遺産」を披露する。

 写真は台所のキッチンペーパーホルダ。引っ越して2年目くらいに木材の端材で作った。手作り品は私のアイデアから生まれる物が大半だが、これは妻の要望で作った珍しい例。


 それまでキッチンペーパーはカウンターの上か棚にそのまま立てたり横にしたりして使っていたが、やはりホルダにセットしてあったほうが使いやすいと妻は言う。

 実は20年前くらいにも同様のホルダをベニヤ合板で作ったのだが、いつの間にか使われなくなっていた。新婚時代にも市販プラスチック製ホルダを使っていたが、これもいつしか見えなくなってしまった。
 その理由を調べてみると、どうやら両端支持方式のホルダは着脱が面倒で、使いにくいらしい。作業の都合で、本体をホルダから外して使うことが結構多いらしい。
 そこで今回は構造のより単純な、「片持支持方式」にした。要は突き出た棒に突きさすだけのこと。これなら着脱が簡単で、邪魔にもならない。すべて無垢材なので、この家のコンセプトにもぴったり合っている。
 取付け場所は、同じく手作りの無垢材食器棚の横壁。使うのも片づけるの一瞬なので、なかなか使い勝手がよいらしく、今回は末長く使うことになりそう。

2008年3月19日水曜日

あれこれ多忙

 あれこれ多忙。昨日は夕方に取引先での打合せが2件あり、都心に出たついでに知人の絵の個展をデパートで見てきた。
 一流のプロが描いた絵やイラストは、ジャンルは少し違っていても、創作のエネルギー源は同じ。忙しい忙しいとこの種の「充電」を怠っていると、デザインでも音楽でも文学でも、新しい創作イメージにつながっていかない。
 自然を対象にしたリアリズム追求の絵だったが、よいシゲキとなった。

 家に戻ったら、21時近く。前日から左の眼や肩、そして後頭部が重くて痛い。あきらかに疲れがたまっている。ゆっくりと風呂に入り、遅い夕食を食べたら少し気分がよくなった。そのまま仕事に移り、未明までかかって進行中の6件をほぼ終わらせた。
 本当は休み明けの21日までの仕事だが、毎日のように新規の仕事が入ってくるので、納期を前倒しして片づけないと、たちまちパンクしてしまう。

 実は昨日も新しい仕事が入った。電話が鳴ると、(また仕事かも…)という恐怖に捕われる。こんな複雑な心境は、本当に20年前のバブル景気以来だ。
 今日は午後から父の入院の立ち会い。膨大な量の書類や同意書に署名、なつ印をする。医療トラブルが頻発するせいか、病院側の対応は以前よりもはるかに慎重である。
 父の容態はよくない。身体のあちこちに水が溜まっていて、「低栄養」(充分な栄養がとれない)状態だそう。当分は鼻から管を通し、直接栄養分を長しこむ。
 もうすぐ93歳で、一族の過去の最高寿命を着々と更新中である。しかし、年が年だけにもう無理はきかない。幾多のトラブルを強靭に乗り越えていることが不思議なくらいだ。

 帰宅後、昨日打ち合わせた5棟の住宅集合パースの仕事にかかる。明日もまた休みなし。仕事の予定は今月一杯、すでに埋まっている。明日なき「戦いの日々」は、まだまだ続く。

2008年3月17日月曜日

嵐止まず

 庭の雪解けがかなり進み、塀の代わりに自作した境界杭や樹木の回りに、ぽっかり丸く土が見えている。ウッドデッキの雪も今日で完全に消えた。洗濯物を外に干せる日も近い。
 冬の間中食べ続けた自作のタクアンが、残り少ない。冬眠中のぬか床に手を加えて復活させなくてはならないが、何かと忙しいので、米ぬかを買うのをついつい忘れている。漬物なしの食生活は考えられないので、早く何とかしなくては。
 施設に入居中の父の容態が悪く、先週病院に連れていったが、咀嚼力と飲み下す力が弱っていて、口からでは栄養が充分にとれない状態のようだ。今日再度の連絡が施設からあり、再入院して治療することになった。
 忙しいが、こればかりは子のつとめ。長男である私がまず動かねばならない。何とか時間をやり繰りするしかない。


 多忙のなか、午前中は町内会の仕事を片づける。街灯保守点検の担当部長をやっているが、先日町内の街灯がひとつ切れた。その修繕手配をFAXで業者にし、修繕費用の補助申請もあとでする。
 やってもやらなくてもいいボランティア業務だが、引っ越してから8年のうち、5年は何らかの仕事を引き受けている。やれる仕事があるうちが華である。

2008年3月16日日曜日

ライオンと将軍

「冬のライオン」もどうやら長い眠りについた模様。道路に雪はすでになく、妻は今日から厚いコートを脱ぎ捨て、さっそうと自転車に乗って勤めに出かけた。

 西洋のコトワザによると、冬は「ライオン」ということになっている。対する日本では「冬将軍」。語源はナポレオンのシベリア遠征らしいが、言葉としてあっさり定着した。
 かたやケモノの王様で、かたやオカミの代表である将軍。このあたりに民族性の違いが出ていて、大変興味深い。
 祖先が狩猟民族である西洋では、厳しい冬が強いケモノであることは理解できる。しかし、力を合わせて知恵を絞れば、何とか退治することは叶うはず。
 ところが農耕民族を祖とする日本では、相手がとにかく「将軍」だ。ジタバタ手向かうことはあきらめ、ただひたすらヒレ伏して相手のなすがまま、といった印象。
 この二つの異なる思考回路は、文明とやらが進んだ現代でも、ちっとも変わっちゃいない気がする。私しゃ冬なんぞに迎合しませんが。


 雪かきという格好の運動がなくなってしまったので、運動不足気味。溢れかえる仕事の山で、つい閉じこもりきりの生活に流されがちで、油断しているとまた病魔が忍び込んでくる。
 そこでしばらく中断していた昼休みの散歩を再開した。いつもの散策コースのひとつを辿ったら、途中が雪の山で通れなくなっている。やむなく引き返したが、それなりの距離は歩いた。

 川面の氷はすっかり解け、ゆるやかな春の流れである。木々はまだ固く閉じているが、芽吹きは近い。暖かな日和だ。長い冬がようやく終わった。

2008年3月13日木曜日

余程のこと

 このブログにはコメント欄もトラックバック欄も設けていない。もちろん設定を変えれば、フツーに設置することはいつでもできる。あえてしないのだ。
 ときどきそのことを質問されることがあるが、あいまいに受け流している。「これだ」という絶対的な理由に乏しいからだが、あえて書くとすれば、以下のようなことか。

スパムコメント、スパムトラックバックが嫌だ。
(これは一番の理由かも)
誰かの反応が欲しくて、ブログを書いているわけじゃない。
(単なる強がりか?)
コメントに応えるのが面倒で、応えないとストレスになる。
(これもかなりの理由になっているかも)
結構カゲキなことも書くので、いわゆる「炎上」がコワい。
(これまたかなりの理由)

 あれやこれやそれやで、孤独に書き綴る現在の形式に落ち着いたが、この手法をとっている人は決して皆無ではない。理由はそれぞれだろうが、個の世界が確立している人ほど、あえて他の反応を拒否したスタイルをとっている気がする。
_ところがこのような一見ワガママな(私はワガママとは思わないが、コメント欄がないことを「フトドキである!」と非難しているのを以前にあるブログで読み、以後そのブログに立ち寄るのをやめた)スタイルをとっていても、わざわざメールを介してコメントをくださる奇特な方がちゃんといるから不思議。
 ブログから直接メール連絡をとれるように設定してまだ間もないが、すでに2通のメールをいただいた。

 たまたまかもしれないが、2通とも女性。どちらも、「偶然ブログを見つけましたが、以来いつも興味深く読ませていただいてます」といった主旨の心温まる内容で、あれこれ言いつつも、書いている当人にとっては大変な励みになる。
 コメント欄に匿名で気軽に書く行為より、こうしてわざわざメールを送るほうが、はるかに面倒で心理的ハードルが高いのは自明の論理。送り手にとっては、「余程のこと」なのである。

2008年3月12日水曜日

買ってくれ

「あら、このシャツ、穴があいてるわ」と、洗濯物をたたんでいた妻が言う。見ると、6~7年着ていたエンジの縦じまのシャツの襟が、完全に擦り切れている。いろいろな思い出のつまった、お気に入りのシャツだった。

 大切に着ていたが、もはや寿命。「エプロンにリフォームしてよ」と妻がせがんだが、妻はいわゆる「エプロン・オタク」。引き出しの中には多数のエプロン、スクラップブックには雑誌のエプロンリフォーム特集がびっしり。
 それでいて料理の際には、ほとんどエプロンはしない。作ってもタンスの肥やしとなるのが目に見えているので、却下。不足ぎみの枕カバーにリフォームしようかと考えた。


 仕事が一段落した深夜、ミシンを出してあれこれ試みたが、枕カバーにするには、わずかに長さが足りない。あきらめてすっぱりゴミ箱に捨て、かねてからの構想だったデジカメケースを、これまたリフォームで作った。

 使ったのは以前に買ったマイクについていたソフトケース。マイクはいつも箱に入れて運ぶので、ケースは必要ない。デジカメが故障がちなのは、まともなケースがないからかも?と考え、作るチャンスをうかがっていた。
 ファスナーつきで、長さをつめれば、デジカメにぴったり。裏返しにし、ミシンで短く縫い直したら、こちらは完璧な出来映えとなった。
 午後に歯医者に行った帰り、近くのCOOPに久しぶりに寄ってみたら、茶系の縦じまのシャツがまるで「買ってくれ」といわんばかりに、わずか399円で売っている。横にはコゲ茶のズボンが500円。
 ズボンもちょうど1本が膝に穴があきかけている。いいタイミングだと、両方とも買った。

 衣類はほとんど季節の変わり目に安く買う。今回買った品も冬物なので、本格的に着るのは秋以降か。
 衣類には、「ひとつ買ったら、ひとつ捨てる」という絶対ルールがある。無駄な物はほとんどない。だから余計な収納も必要なく、軽々とシンプルに暮らして行ける。

2008年3月10日月曜日

小さな包みが届く

 まるで「北国の春」の歌詞の世界みたいだが、首都圏に住む長男から、小さな包みが届いた。中には神戸土産がふたつ。旅行にでも行ったのだろうか、手紙は何もない。
 ひとつは私の好物のチョコレートムースで、もうひとつが妻の好物の奈良漬け。さすがに心得ている。

 今回に限らず、あちこちに散っている3人の子供たちからは、時折何かしらの心遣いの品が届く。そう高価な物ではないが、親を思う気遣いが素直にうれしく、ありがたい。
 こうしたことがあると、(ああ、我が子も一人前になったんだな…)と、しみじみ感慨にふける。


 思い返すと、私も親元を離れて東京に就職した頃、同じように何かしらの品をボーナスが出るたびに親に送ったものだ。そのことを自分の子に話したこともあったかもしれないが、だからといって、「お前たちも送れよ」と強要はしていない。あくまで子供の自主的な行動である。
 昨年暮れに作った曲にも書いたが、この世はこんなふうに、ぐるりと回ってつながっているものだよ。だから人生は正直。
 ふと思いついて、いまあるパソコンの消費電力を調べてみた。ずっと使ってきたeMacは2台とも170W。モニタがブラウン管なので、かなり電気を食う。
 対して最近3D-CGで盛んに使っているWindowsは、メイン機の本体が最大で50W、サブ機の本体が最大142W(起動時)、平均50Wとある。このほかに液晶モニタが平均で25Wなので、合計でどちらも60~75Wといったところか。

 消費電力に限れば、Windows機がMacの半分以下と圧倒的に有利である。Macで同様の効果を期待するなら、液晶モニタの最新機に替えるしかない。
 その予定は当分ないが、Macの使用頻度がこのところ下がっているので、月々の電気料は今後下がる可能性が高い。思わぬところで省エネ、節約が叶いそうだ。

2008年3月7日金曜日

ほどほどの便利さ

 8年前に出した「父が息子に残すもの 息子が父に贈るもの」という長いタイトルの本の売上げランキングをときどき検索しているが、今日の午後、仕事の合間に調べてみたら、アマゾンの総合ランキングで3万位に入っていた。
「子育てノンフィクション」の中でも2位、「スポーツノンフィクション」の中でも7位に入っている。何十万とある本の中だから結構なもので、ベストセラーではないが、細くて長いロングセラーに近い売れ行きか。

 ところが夜9時過ぎのいま再確認してみたら、なんと13,481位にまでランクアップしている。「子育てノンフィクション」ジャンルでは堂々の首位、「スポーツノンフィクション」でも2位だ。こいつはスゴイ。
_ちなみに、私の本はいまハヤリの「自費出版本」とやらではない。レッキとした企画本で、ちゃんと印税も一括払いで8年前にいただいている。
 その後韓国でも翻訳され、その時にもありがたく印税をいただいた。貧乏暮らしが信条の私にとっては、大変な「孝行息子」なのである。

 例年、卒業を控えたこの時期にランクが上昇する。推測だが、「子育てサッカー」をテーマにしたものなので、卒業の記念にまとめて買っていただいているのかもしれない。


 昨日のことだが、2台に増えたWindows機の蓋を開け、メモリを取り出して交換した。具体的には、最近1024M(512M×2枚)に増やしたばかりのメイン機のメモリを1枚取り出し、予備機の256M×2枚のうちの1枚と交換したのだ。
 メイン機と予備機は同じメモリ仕様なので、自由に相互交換が可能だ。メイン機のメモリの使用状態をチェックしてみると、大規模な3D-CGの計算をやらせても、かなり余っている。
(もしかして、512+256=768Mでも足りるのは?)と思い、具体的に試してみた。
 交換後、最近やったばかりのかなり面倒な3D-CGデータの計算を両方でやってみた。メモリはどちらも768M。すると、1.9GHzのメイン機でおよそ24分の計算時間、そして2.4GHzの予備機が19分だった。
 単純計算でCPU能力が1.26倍の予備機のほうが、計算時間もピッタリ1.26倍速い。うまくできてますな。

 メモリを1024Mにしても、予備機の計算時間は全く同じ24分。メモリ使用状況を詳しく調べてみると、768Mの場合でもまだ使用メモリには100Mほどの余裕がある。
 つまり、現在の仕事の使用状況では、メモリは768Mで充分だという結論になる。予備機のメモリを増強することも考え、下調べもしてあったが、お金の無駄である。やめた。
 結局、2台のWindows機のメモリは仲良く768Mとなった。

 それにしても、4年も前のパソコンだが、能力はどちらも非常に高い。これがわずか1万円強で手に入る。パソコンもソフトもネット環境も、もう能力的には飽和状態に達している感がする。

2008年3月6日木曜日

突然崩れる山

 昨日の徹夜仕事の反動で、またまた昼まで12時間の獏睡。「爆睡」じゃなく、「獏睡」ね。夢をムシャムシャ食べてるから。

 さて、今週末はひょっとして休めるかも…と、またまた淡い期待を抱き始めていた途端、自宅のポストに取引先からの大型封筒。遅れていた図面の到着である。
 すぐに開いてみたら、1棟だと思っていた仕事が、なんと4棟分も入っている。到着確認の電話を先方に入れつつ、納期とタッチの打合せ。急ぎではないが、来週の水曜には欲しいとのこと。またまた週末がつぶれそう。まあ、仕方ないか。


 折しも朝刊には、40年近く続いていた地元の大手住宅建設会社が倒産したとのニュースが一面に載っている。負債額もケタ外れに大きい。
 解説によると、ワンマン体制で新時代への対応に遅れをとり、昨年6月の建築基準法改正がトドメを刺した、とある。やっぱり「山はある日突然に崩れる」ものなのだ。

 実は昨年暮にも、地元の大手工務店が同様の理由で倒産している。一昨年はこの私も取引先の大型倒産でかなりのダメージを食らったが、今回は幸いに2件とも直接の被害はなかった。
 延ばし延ばしにしていては、いつまでもラチが開かないので、午後から集中的に確定申告書の書類作りをやった。夕方4時までにようやくすべてが終了。すぐに車で税務署に出しに行った。提出がこれほどまでに遅れたのは、たぶんバブル景気の時期以来。

 私の仕事は大部分がサラリーマンのように、支払金の10%が源泉税として差し引かれてくる。10万の仕事なら、9万しか入金されない仕組みだ。
 確定申告を早めにすれば、払い過ぎの税金もより早く戻ってくる。仕事の薄い冬期はその「戻ってくる税金」が大変ありがたいのだが、こうも仕事が多いと資金繰りにひとまず不自由はないので、そうあせることもない。私にしては、珍しくリッチな発言かも。
 仕事はいずれまたパタリと途切れるもの。余るほどあるうちが華です。