2007年9月7日金曜日

 久々に仕事のない週末を過ごせそうで、午後から妻の買物につき合った。行き先は都心にやや近いスーパー・イオン。デパートまでとはいかないが、食料品以外の品が豊富にそろっていて、価格もそれなり。ほとんどの用はここで足りる。

 店内を散策中、ある光景に出くわした。
 2歳くらいの女の子が、売場のスタンドに並んだ菓子に興味を示し、手にとったが、母親が先にゆくので元に戻して母親を追った。ところが菓子はスタンドにうまく乗らず、床に落ちた。ちょうどその横を妻と私が通りかかった。
(どうしようか…)と一瞬思い、母子の様子をうかがった。その子がそのまま立ち去るなら、自分が拾って元に戻してやろうと考えたのだ。

 どこの誰だか分からないヨソの子が落とした菓子など、床に落ちてつぶれてしまおうが、知ったコッチャないのかもしれない。だが、私は物事をそんなふうに考えられない、困った気質である。
(あとで聞いたら、妻も全く同じことを考えたそうだ。まさに似たもの同士)

 ところが、20代後半かと思われる若き母親、走り寄る我が子を、ややコワイ顔で押しとどめた。
「そのお菓子、元にもどしなさい」
 女の子は振り返って自分のした事に気づき、素直に言葉に従った。母親は手を貸さず、少し離れた場所からそれをじっと見守っている。
 ちょっといいモノを見た気がした。若き母親は幼き我が子に、社会人として生きて行くうえで大切な幾つかの事柄を、確実に伝えていた。
「公徳心」「自己責任」「自立心」「親子の信頼関係」等々…。
 おそらくそれは、若き母親が、そのまた母(あるいは父)から教えられたものだ。そしてその親は、またその親から、いつかどこかで同じ価値観を分け与えてもらっている。

 躾とはそのように、人から人へとひそかに伝えられてゆくべきもので、どこかで断ち切ってしまってはならないものだ。以前は親のみならず、社会全体がその大切な役目を果たしていたが、今や社会はカネもうけに忙しく、それどころではない。
 期待できるのはもはや親だけと成り果てたが、その親さえも危ういという、オソロシイ時代なのである。
「オレたちは、あの母親みたいな子育てをしてきたよな」と、帰り道の車の中で妻と話合った。いまのところ、その結果らしきものはちゃんと出ている。それで良かったのだ。