2007年9月11日火曜日

ボランティア

 1週間ほど前、下旬に訪問ライブをやる予定のデイサービスに打合せに行った。初めての会場の場合、要請があれば下調査をかねて顔合せに出向く。
 息子のような若い担当者から、「菊地さんは以前、子供のサッカー指導のボランティアもされていたんですね」と言われた。今回のライブはホームページを見ての要請で、ライブ活動以外に載っている過去の私の活動にも、目を通してくれたようだ。

「どのくらいやっていたのか」「なぜボランティア活動に興味があるのか」「どうしてサッカーからライブに変わったのか」等々、質問は矢継ぎ早。
 若い人が自分とその活動(生きざま)に興味を持ってくれるのは、我が子以外にも何かしらの生きてきたアカシをこの世に残し、伝えたいという大それた望みを真面目に思い描いている身としては、素直にうれしい。

 もしかするとその青年は、理想に燃えて「介護」という世界の真っただ中に身を投じたのかもしれない。だとすればその姿は、熱い志を抱いてエコロジー産業に飛び込んだ若き日の自分の姿と、どこか重なる。
 質問には真面目に答えたが、まだ全てを語るわけにはいかない内容もある。そもそも私自身、自分が果たして「ボランティア活動」をやっているのか否か、はっきりしない部分がまだあるのだ。
 世間の目から見ればそう見えるのかもしれないが、自分としてはあくまで自身の楽しみの延長としてやっている。お祭りのステージやライブハウス、そして路上で歌っている楽しさや厳しさと、介護施設でのそれとに、大きな差はない。これは地域の子供に9年間サッカー指導をやっていたときと、全く同じ心境だ。

 経験的に、「私はボランティア活動をやってマス」という気負いや奢りを捨て、「あくまで自分の楽しみの延長」と認識していたほうが力が抜けて長続きする気がする。
 周囲に喜んでもらえるのは、最後の結果に過ぎない。もしかすると一番救われているのは、自分自身なのかもしれぬ。