2007年9月27日木曜日

新聞のチカラ

 10年振りにチャレンジした新聞投稿が無事に採用となり、今朝の地元紙に載った。

 実はかっては「投稿魔」であった。始めたのは21歳からで、以来全国紙も含めた新聞はもとより、雑誌やミニコミ紙に至るまで、100件を超す掲載実績がある。
 全国発売誌の場合、体験記の類いが掲載されると、謝礼は数万円になることもある。一時は結構な小遣い稼ぎの手段であった。
 採用率は非常に高い、というより、ほとんどボツになった記憶がない。文章力を磨き、やがては本を出すまでに至ったのは、この投稿による力が大きい。
 投稿にはちょっとしたコツがあり、そのツボさえ押さえれば、採用の確率は飛躍的に高まる。一言で書くと、掲載媒体のニーズに合った文章を書くことだ。文章の基本的な構成力が不可欠なのは当然だが。
 たとえば今回の投稿は、水道料金体系に関する提言である。1枚の領収書から、「家計費節約」「環境、資源保護」「社会的不公平感」にまで思いを巡らせている。単なる「オヤジの遠吠え」に留まらず、視線をそこから水平に広げる。このあたりがツボである。

 ネットの普及で、誰もがも簡単に自分の意見を言える時代になった。基本的にはよいことだと思うが、ブログなどのネット媒体の場合、チェック機能がない。多くの場合、執筆者の本名はおろか、素性さえ分からない。そこにあるのは「自分」という名のフィルターのみで、ここがときに甘さにつながる。

 今やアナログ媒体の代表のような新聞だが、各紙によって微妙なスタンスの違いこそあれ、厳しいフィルターは紛れもなく存在する。記者の記事も含め、紙面に載るのは、このフィルターをくぐり抜けた文章だけだ。
「ニュースはネットで読むから、新聞は読まない」という人々が、特に若年層で増えていて、私の子供たちもそうである。しかし、新聞が未来に生き残る余地があるとするなら、この「選ばれた文章」という部分だろうか。
 過去の私の投稿がきっかけで、社会的な不公平や問題点が是正されたことが幾度もあった。ブログや日記でいくら吠えたとしても、社会を動かすパワーになることは、いまのところ難しい。しかし、新聞ならその可能性は高まる。それは第三者の視点が中間に介在するからだ。
 今回の投稿はいつも私がこのブログで書いていることの延長に過ぎないが、新聞に載ったことで、その必殺パワーが発揮されることを期待しよう。