猛烈な雨台風に襲われ、家のすぐそばを流れていた雨竜川(写真参照)が氾濫する危険性があるとのことで、増水する前に高台にある近所のイワモトさんという家に、家族で避難することになった。
子供4人と母で向ったが、出稼ぎの大工であった父がたまたま家にいて、父だけが避難せずに家に残るという。
その地はしばしば水害に見舞われ、以前にも増水した川を、家一軒が丸ごと流されて行く信じ難い光景を目の当たりにしていた。私は自分のことよりも父が気掛かりでならなかったが、3人の姉や母は特に心配する様子もない。
夕食後、大きな竹のザルに盛られた真っ赤なイチゴが振る舞われた。当時イチゴはめったに食べられない貴重な果物で、田舎暮しの子供にとっては宝石に等しい価値があった。
もしこの記憶が正しいとすると、季節は秋ではなく、おそらく夏であろう。
(その後の調べで、1955年7月3日の「雨竜川大洪水」と思われる)
一夜明けて父の事を思い出し、外に出た。雨は上がっていて、高台にあるイワモトさんの家からは自宅がすっかり見渡せる。
すると川の氾濫であたり一面が湖と化し、愛しき我が家は流されもせず、その広大な湖のまん中に、心細気にポツンと孤立している。父は紛れもなくその湖の中に一人いた。私はいまにも泣き出しそうな不安に襲われた。
ラジオのニュースでは、増水は峠を越えたと告げている。大丈夫だよ、と誰かがいい、その通り午後になると水はみるみる引いて、空はカラリと晴れ上がった。
家に戻ると、父は無事でいた。夜に水がヒタヒタと床下に迫る音が聞こえ、さすがの父も眠れぬ一夜を過ごしたという。
当時の家は河原の大きな石を並べ、その上に土台を置くだけの簡単な構造だった。現在のように家がコンクリート基礎に固定されていないから、家の重みよりも浮力が勝ると、簡単に流される。
どのような動機からだったかは定かではないが、増水する水の中で一人家に留まることを選んだ父に、何か大きな存在を感じた遠い日の記憶。