先頃亡くなった阿久悠氏の作詞による「聖橋で」という知らない曲だったが、聴き進むうち、ぐいぐい引込まれた。あわてて途中で歌手名とタイトルをメモする。
フォークギターでの弾き語りだが、演歌風でもあり、歌謡曲風でもあり、どこかフォークの匂いもする不思議な曲調だった。
とにかく上手い。上手いだけの歌い手ならいくらでもいるが、この歌手には歌に最も大切な「歌心」があった。心にずんと響くのである。ラストの一節、
「二年二ヶ月二日目に ここで逢いましょう 聖橋で…」のところで、自然に涙が流れた。初めて聴く歌手が歌う初めて聴く曲で泣けるのは、極めて稀なこと。
1番を終えて傍らの妻を見ると、妻も同じ気持ちだったようで、ハラハラと涙を流している。この夜、会場から彼女に与えられた拍手にも、他とは違う特別なものを感じた。
「雨上がり 露草ゆれる 軒の下」 |
終了後、さっそくネットで情報を集める。「あさみちゆき」という歌手だが、「公園の歌姫」というキャッチコピーで売り出し中だった。井の頭公園での定期的な路上ライブで注目されたらしい。いまでも路上を続けていて、オリジナル曲も多数持っている。そういえばいつかどこかで聞いた名であった。
新人ながら生本番でも動じない度胸と、いまどき珍しい演歌風の弾き語りギター。なるほどと納得した。
どんなに優れた詩や曲に巡り会ったとしても、それをくみ取る歌い手の心がなければ、聴き手の琴線を揺さぶることはできない。歌心を磨くには、歌の技術やギターのテクニックを磨くのとは、全く別次元の修練が必要だと私は思う。
それは人の心の裏側に潜む、ささやかでつましいものに思いを馳せる心を育てることではないか。一朝一夕で備わるようなシロモノではない。魂を揺さぶられる歌い手に、また一人巡り会った。