「踊子」というタイトルの歌はいくつかあるが、私が目下練習中なのは、村下孝蔵でも下田逸郎でもなく、50年前に三浦洸一の歌った「踊子」である。この歌は川端康成の小説「伊豆の踊子」を元に作られていて、同様の歌は他にも何曲かあるようだが、私の記憶に深く刻まれているのは、この一曲のみ。
この歌には問題がひとつあって、歌っていて思わず泣けてしまうことだ。介護施設でも最近要望の多い「千の風になって」は歌って泣けることはまずないが、この歌は違う。私自身に、小説に関わる強い思い入れがあるせいだろう。
三浦洸一の「踊子」を聞いたのと、川端康成の「伊豆の踊子」を読んだのと、いったいどっちが先だったか、自分でもよく覚えていない。どちらも小学校高学年の多感な時期であったことは間違いない。
哀愁に満ちた切ない歌詞とメロディは、小説の持つ世界をうまく表現していると思う。
このブログでもしばしばふれたが、20歳のときに企てた自転車全国放浪の旅で、どうしてもこの小説の世界を体験したく、小説の舞台に近いルートをわざわざ辿ったりもした。
43歳のときに書いた「八月の記憶」という小説は、「伊豆の踊子」に強い影響を受けている。未熟な男女の真摯な愛を描いた作品が元来好きで、三島由紀夫の「潮騒」なども同一線上にある。
小説や映画に強く感動すると、そのまま歌になることがあるのはよく理解できる。私も同じ経緯で、映画の「道」「初恋のきた道」、小説の「鶸(ひわ/三木卓)」からオリジナル曲を生み出した。
しかし、いくら感銘を受けても、「伊豆の踊子」からオリジナル曲は生まれないし、作ろうとも思わない。三浦洸一の「踊子」があまりに強烈過ぎるからで、素人があれを超えることなど不可能である。
「伊豆の踊子」は映画やテレビでも数多く観た。私自身の思う過去の最高傑作は、正月テレビで1992年に萩原聖人と小田茜が演じた作品。主演の二人が最も小説の持つイメージに近く、他の脇役のバランスも抜群だった。
次点は1963年映画の吉永小百合。文句なく可愛らしかったが、踊子の陰の部分をもっと出して欲しかった。脇役もいまひとつですか。