2025年3月31日月曜日

金婚旅行反省会

 我が人生でめったにないと思われる3泊4日の金婚夫婦旅から戻り、予想通りだったり思いがけなかったりした顛末を、反省をふまえて記したい。

《パック旅行》
 新婚旅行も含め、旅行代理店プランに完全に依存したパック旅行は、夫婦とも初の体験だった。

 事前の調査を充分にすれば、交通手段や宿泊地を選ぶ面倒がないのが最大の利点。個人では予約が難しい四つ星ホテルを確保できるのも、人によっては大きな魅力か?
(泊まる場所にこだわりがない者には、それほど意味はないが)
 欠点として、あまり興味がない場所に否応なく連れて行かれたり、逆に行きたかった場所が訪問コースに含まれていない問題がある。
 ただ、たいして関心がなかった場所が、行ってみると想像を超える魅力に満ちていた、などという嬉しい誤算もあり、一概に欠点とは言えない。ある意味、あなた任せのバクチ的な選択と言えよう。

 下調査に時間はかかるが、現地までの移動手段と宿泊先だけを確保しておき、その後の移動はレンタカーでやる方法がある。
 知らない道をナビ頼りで運転する気力体力が必須となり、事故リスクも増すが、行き先を勝手気ままに選べ、費用も安上がりかも?

《衣類と靴》
 時期的に温度差が20度近い地域を移動したため、衣類の調整には悩まされた。妻はジャンパー&ジャケット類を3着も持参したが完全に持ちすぎで、一部は旅行鞄の中でまさに「お荷物」と化した。
 私は着脱式のベスト型インナーがついた春秋物のジャンパー1着で通した。暑いときはインナーを外してベストとして利用し、うまくやり繰りできた。

 靴は歩き回ることを想定し、2人とも履き慣れたウォーキングシューズにしたが、これは正解だった。
 風雨に備え、私は帽子とストールを常用。妻は帽子を持参せず、ときに困っていたが、後半はフード付きのジャンパーで対応していた。

《カバン類》
 大型の旅行鞄を所有せず、新たに買うべきか迷ったすえ、一度も使っていないキャスター付きの中型カバンを選択し、2人分の衣類や洗面道具を収納。空港での移動時にはキャスターが活躍してくれた。
 妻が別の小さなリュック型カバンと、ハンドバック代りの小型ポーチを持参。計3つとなったが、妻のリュック型カバンが中途半端だった印象。もっと大きめのカバンにすべきだったか?

 非常用に持参した薄いエコバックは、暑くて脱いだ衣類やパンフレット類、土産物入れなどに活用。旅程をプリントした紙やパンフレット類はA4の透明フォルダに入れ、このエコバックに収納した。小さくたためて利便性が高く、肩にかけられて両手が空くのがよい。

各地で買い込んだ土産物

《PCスマホ関連》
 車での旅行には、いつもノートパソコンを持参する。3年前の8日間に及ぶ入院では、これにタブレットPCも加わり、ネットや電子本閲覧に不自由はなかった。
 今回は航空機とバスによる移動で、重さが問題になる。熟慮のすえ、3年前には持ってなかったスマホのみを持参することに決めた。軽くて機能的にもPCと遜色ない。

 普段はWiMAXによるWi-Fi接続で使っていて、旅行中Wi-Fiが自由に使えたのは宿泊したホテル内のみ。初日に今治の観光スポットでフリーWi-Fiに接続を試みたら、「通常とは異なるログインの試みをブロック」とGoogleから拒否メールが届き、接続は断念。
 以降は必要な新聞や訪問先のGoogleマップを出発前にホテル内で読み込んでおき、Wi-Fi接続なしで表示させて、ほぼ事足りた。
 倉敷での自由時間ではGoogleマップの詳細表示が必要となり、促されて一時的にモバイルデータ接続。帰宅後に使用量を調べたら計38Mに過ぎず、月に1Gまでの無料範囲である。結果としてネット関連はスマホのみで充分だった。

《記 録》
 写真はすべてスマホ内蔵カメラで撮った。予備としてデジカメも持参したが、使うシーンはなかった。
 2人のセルフ撮影に備え、組立式の自作自撮り棒も持参したが、スマホで撮ってくれる心優しき方が多数いて、こちらも使うことはなかった。

 細かい旅程は免許証などを入れてある小型のシステム手帳を使って、その都度鉛筆で記録した。帰宅後にまとめたブログは、この記録とスマホ写真に残ったタイムスタンプ、そして日時と場所の記録がある土産物店や飲食店のレシート類を元に書いている。
「トラベラーズノート」という専用の旅記録帳もあると聞くが、いまのところ自分には必要なさそう。

《健康対策》
 妻は膝、私は腰に問題を抱えていて、歩くことを強いられる旅行は大きな負担だった。対策として旅の出発時からそれぞれコルセットを装着し、冷湿布やバンテリンでの予防措置も毎日実施した。私が毎日課している各種ストレッチは、旅行中も欠かさなかった。
 おかげで4日間で42,019歩(約30km)も歩いたにも関わらず、大きな障害なしで過ごせた。

 毎日測っている血圧は旅行中はパス。妻は高血圧の薬を服用し、私は爪水虫の薬を塗布。洗面道具に入れてある常備薬のうち、初日にお腹の調子が悪くなって正露丸を2錠だけ飲んだ。
 2人とも万一に備えて旅行保険をかけて臨んだが、旅行中の健康状態は、おおむね良好だった。


《お土産》
 旅行計画はSNSを含めて一切告知していないが、旅行の緊急時連絡先は市内在住の長男に事前連絡して頼んだ。お土産は自分たちと長男一家の分だけで、1日目から目につくとこまめに買った。

 大半が食べ物で、「愛媛の海老ちりめん&せとかグミ&ゆずもろみ」「瀬戸田レモンケーキ」「小豆島オリーブチョコクランチ&オリーブナッツチョコ」「小豆島オリーブ素麺」「鳴門わかめの佃煮&青葉わかめ」といったところ。どれも美味しく、旅を思い出しつつ、楽しみながら食べている。
 このほか、倉敷物語館では私が妻に藍色の組紐で手作りした携帯ストラップを、小豆島オリーブ公園では妻が私に魔女宅ふうカエルの置物をそれぞれ買ってプレゼント交換し、金婚旅の記念とした。

《旅の総括》
 夫婦が金婚式を迎える確率は、31%だという。この数値は1975年以降、ほぼ変わっていない。(Google AIによる情報)
 実は私の両親もめでたく金婚式を迎え、子供たちで会費を集め、寿司店でささやかな記念の食事会をやった。35年ほど前のことで、当時は自分たちが金婚式を迎えるイメージを描くのは難しかった。

 5年前に夫婦で古希を迎えた際、子供たちが会費を出し合って函館家族旅行に招待してくれ、孫娘も加わって得難い時間を過ごせた。金婚式が間近に迫り、もし無事に迎えられたら今度は子供に頼らずに、自分たちで計画して金婚旅行をやろうと決めていた。
 3年前に人生2度目のガンに罹り、8日間の入院&手術。健康面で実施が危ぶまれたが、検診の徹底と日々の節制でどうにか現状を維持。無事にこの日を迎えることができた。
 目を閉じると瀬戸内の穏やかな海や街並み、そして美味しい食べ物がいまも脳裏に広がる。50年前の新婚旅行の思い出と同じく、今回の旅も我が生命ある限り、長く心に留まって明日を生きる励ましとなるに違いない。

2025年3月28日金曜日

金婚旅.4《渦巻いて旅仕舞い》

  (「金婚旅.3」からの続き
 金婚旅行最後の4日目。5:50に波音で目覚めてカーテンを開けると、鳴門海峡からまさに朝日が昇り始めたところ。旅の終わりを彩る、思いがけないご来光だった。
 未明に瀬戸内海地区でかなりの雨が降り、山火事が収束へ向かったことをテレビで知る。前日は添乗員の要望で折り畳み傘を携行しつつの観光だったが、結局雨には降られなかった。この4日間、天候にはまずまず恵まれた。


 7時からいつものパターンでバイキング朝食を食べ、8:55にホテル前を出発した。最終日の予定は少なく、バスの移動距離も短い。

 10分ほどで鳴門公園駐車場に到着。海岸に通ずるトンネルに高さ制限があり、土産物店が運行するマイクロバスに乗換えて千畳敷展望台に着くと、目の前に鳴門海峡が広がっていた。



 ここでの自由時間は30分。鳴門海峡にかかる大鳴門橋と、橋桁の間に渦巻く渦潮が見渡せるが、距離がやや遠く、展望台もそう高くないせいで、渦潮の豪快さを目の当たりにすることは叶わなかった。

 近くには渦潮を間近で見られる観潮船や、歩いて大鳴門橋の遊歩道を渡り、ガラスの床から45m直下の渦潮が望める大鳴門橋遊歩道 渦の道などもあったが、なぜか見学ルートには入っていない。
 2日目のしまなみ海道ウォーキングを終えたばかりで、似た企画を避けたのか?渦潮は高松に住んでいたときにも見逃しており、今回期待していたので残念だ。
 妻は諦めきれずに展望台にある望遠鏡から渦潮観察を試み、それなりに楽しんでいたのが救い。


 土産店で鳴門ワカメなどを買い込み、再びマイクロバスから大型バスに乗り継いで、この旅最後の訪問地となる大塚国際美術館へと移動。
 時計は9:45で、ここでの滞在時間は自由昼食を含めて3時間と長い。

 建物は急な傾斜地にあり、入口からまず長いエスカレーターに乗り、降りたところがB3Fの展示場になっている。古代の美術展示から始まり、階を上がるにつれ新しい美術展示へと変わってゆく趣向だ。


 1000点余の西洋名画を原画から直接スキャンし、特殊技術で陶板にオリジナルサイズで転写して焼いているという。フラッシュや三脚を使わなければ写真撮影もOKで、商業目的以外の使用も可。
 陶板製なので「触れてもよい」とのことだったが、ちょっと遠慮があって間近で観るだけにした。

 10時ちょうどから、仕切りや階段でざっくりと区切られたギャラリーを順に回る。B3F展示室は古代&中世美術の作品が中心で、とにかく広くて絵画の数が膨大。
 壺類に描かれた絵画もスキャンして展開され、平面で観られる工夫がしてある。古い美術品の知識はほぼなかったせいもあり、つい魅入ってしまう。一巡するだけで1時間が経過した。


 11時からB2Fへと移動し、ルネッサンス&バロックを中心に構成した展示室を矢印に従って回る。
「受胎告知」をテーマにした作品群から始まり、ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」、フェルメールやブリューゲルの作品群など、好きな画家の作品が目白押し。

「最後の晩餐」「モナ・リザ」などの人気作品前ではボランティアガイドが説明していて、多数の見物者が集まっていた。人垣越しに作品は見届けたが、写真撮影はパス。


 B2Fを一通り観終わると、妻が「お腹が空いた」と訴える。時計はすでに11:45。朝食から5時間が経っていて、その間何も食べていない。
「とにかく観るだけ観て、昼食は空港に着いてからにしては?」と添乗員から提案はあったが、空腹でこれ以上歩けそうにない。

 展示室と屋外の睡蓮池の間に「Giverny カフェ・ド・ジヴェルニー」というカフェレストランがあり、ここで昼食をとることにした。

 ボッティチェッリの絵画を模したホタテ型の皿に盛られた「ヴィーナスカレー ¥1,100」を食べる。大盛りで具も多く、サラダや漬物もついていて美味しい。ようやく一息つけた。


 食べ終わって少し元気が出て、12:10からバロック&近代の作品が中心のB1F展示室へと移動。バスの集合時間は12:55で、残り45分しかない。
 ゴヤやゴッホ、ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」、マネの「笛を吹く少年」、印象派の作品群、クリムトやムンクなど、馴染み深い作品を精力的に観て回る。好きなルノワール周辺が割と空いていて、じっくり観られてよかった。

 残り時間に追われ、最後に現代作品を展示する1Fに移動。ここでの作品は少なく、ピカソのゲルニカだけを見届けて見学終了とした。



 駆け足だったが、古代から現代に至るまでの美術作品を系統的に観られたのはよかった。世界各地に散らばっている著名な画家の作品が、まとめて観られるのも魅力。
 ただ、大きなサイズの絵にはつなぎ目があり、やはり本物とは異なる。サイズや色合いは実物同様に再現されているので、絵画の持つ空気感のようなものは、充分に伝わってくる。


 バスは時間通りに美術館を出発し、13:20には最寄りの徳島空港に着いた。添乗員が21人分のEチケットをそれぞれ手配してくれ、4日間を共にした運転手さんにも別れを告げて帰路につく。
 搭乗便はメンバーによって異なり、14:45に第1グループが日本航空で先発し、私たち新千歳空港グループは15:30出発のANA。
 行きは荷物を機内持ち込みとしたが、帰りは土産物でバックが膨らみ、サイズがぎりぎり。新千歳まで一気に運んでくれるというので、手荷物として預けることにした。

 風の影響で飛行機が遅れ、飛び立ったのが15:50ころ。乗り継ぎの羽田着陸間際にも風や空港の混雑でルート迂回を余儀なくされ、東京タワーの真上を通って20分遅れで到着。着陸場所がターミナルから離れていて、送迎バスに乗ったが、案内不足で乗り継ぎにちょっと迷った。
 最後の飛行機は羽田発18時。こちらも飛び立つまでにかなり遅れ、さらには山形上空あたりで経験したことがないほどの激しい揺れ。配られた珈琲がコップからこぼれ出すほどだった。


 最後でハラハラしつつも、20時に新千歳空港へ無事着陸。気温は3度で、出発時の徳島が19度だったから、一気に16度も下がった。
 手荷物を受け取るまでの時間に、妻は夕食を探しに出る。どうにかローソンで巻き寿司を入手し、格安駐車場の送迎バスに乗って、ようやく車までたどり着いた。冬衣に着替えるのも面倒で、20:40にそのまま出発。料金は4日で2,200円と、文字通りの格安である。

 暗い高速を慎重にひた走り、自宅到着が21:30。4日間暖房を点けなかったせいで、室温はわずか9度しかなく、暖房ボイラを最大にして終夜運転させた。
 記念すべき金婚旅行は数々の思い出を胸に刻み、こうして無事に終わりを告げた。

(4日目の歩数=10,490歩)
・4日間の総歩数=42,019歩(約30km)
金婚旅行反省会へ

2025年3月27日木曜日

金婚旅.3《海を越えたら小豆島》

 (「金婚旅.2」からの続き
 旅の3日目、前日歩き疲れたせいか、目覚めると6:20。8時間20分も寝たことになり、久しぶりの熟睡である。おかげで身も心もスッキリ回復した。
 棟方志功作による世界最大級の木版画が吹抜けに飾られたロビーを経由し、やや出遅れて7時に食堂へ。
 朝食は6:30から始まっていたが、この日はバス集合時間が25分延びて8:40となり、前日と似た洋食バイキングをゆっくりと味わう。


 
 メンバーの集まりがよく、予定より5分早く8:35にホテル駐車場を出発した。
 この日は瀬戸内海沿岸を東に走り、新岡山港からフェリーで小豆島に渡って島内を遊覧し、池田港から再度フェリーに乗って高松へ上陸。そこから南下して徳島県鳴門海峡近くにあるホテルに入るという、4つの県を一気に巡る旅程である。

 順調に走って9:20に新岡山港に着いたが、フェリー乗場の対岸の山から青い煙が上がっていて、消防のヘリが忙しく動き回っている。今治と同じ日に岡山でも山火事が発生していて、この旅2度目の遭遇だった。
 フェリー運行に支障はなく、定刻の10:10に出港して、波静かな瀬戸内海の旅を楽しんだ。


 乗ったフェリーの内部デザインがビビットで洗練されていて好奇心が湧き、あちこち探索するうち、飾ってある絵に見覚えのあるサインを見つけた。工業デザイナーの水戸岡鋭治氏で、JRなどの車両デザインで有名な方だ。
 創作活動の初期には斬新な建築パースも手掛けていて、私もかなり影響を受け、氏の本も持っている。フェリーのデザインまでやっていたとは知らず、こんなところで遭遇するとは驚きだ。

 船内を歩き回っているうち、11:20に船は小豆島西部に位置する土庄港に入った。

 世界一狭い海峡とギネス認定された土渕海峡を左手に眺めつつ、バスは20分後に小豆島大観音へと到着。ここにあるカフェ「仏陀茶房HAPPY」でローストビーフ丼の昼食となった。
「香川ブランドオリーブ牛」というふれこみだったが、あいにく私は牛肉が苦手。一切れ妻に手伝ってもらい、残りはがんばって食べた。本場の小豆島素麺の吸い物は美味しかった。


 観音様は「世界一やさしい観音」「しあわせ観音」と言われ、高さは約70mある。
 別料金を払うと内部エレベーターで展望台まで上れ、メンバーの半分は参加していたが、午後から別の展望スポットの訪問予定があり、私たちは周辺を散策するだけにした。

観音様の足元に咲く八重の紅梅

 12:40に観音様を出発。東に走って、島中央部にある渓谷、寒霞渓(かんかけい)へと向かう。
 バスを降りた山頂駅が標高612mで、荒削りの断崖や奇岩のはるかむこうに、瀬戸内海が見渡せる。秋の紅葉が見事らしいが、季節はまだ早春。この日は雨の予報が出ていて、眺めはいまひとつだった。

 撮影台にスマホをセットしてセルフ撮影していたら、若い外国人男女が「撮りましょうか?」と声をかけてくれて、ありがたくお願いする。倉敷に続いて、この旅2度目の好意だった。

 小豆島土産が充実しているという売店で、オリーブチョコ、オリーブクランチ、オリーブ素麺、鳴門ワカメなどをまとめ買い。
 そこから断崖をかすめてロープウェイで5分ほど下り、麓駅駐車場で待ち受けていたバスに再び乗る。この旅で4種類目の乗り物利用となった。


 14時に小豆島オリーブ公園に到着。ここでの自由時間は55分と短い。起伏に富んだ敷地内を精力的に歩き、まず最初にギリシャ風車に行く。
 テレビCMにも使われていて、無料レンタルの魔法のほうきにまたがって記念写真を撮る姿が多数。
 映画「魔女の宅急便」のロケ地であることにあやかったものだが、私も妻も真似をするつもりはなく、風車前で写真を撮るだけにした。

この写真は添乗員さんが撮影

 園内の「花と香りのガーデン」には、魔女宅の映画ロケで使われたパン屋が「雑貨コリコ」として土産物店になっている。
 好奇心半分でのぞいてみると、精巧なカエルの置物がいくつかあり、「カエ太」という名のスコップにまたがった魔女宅ふうカエルを、妻が金婚記念に買ってくれた。

雑貨コリコ
携帯ストラップとカエルでプレゼント交換

 道の駅でオリーブ粉末を使ったオリーブ色のソフトクリームを食べるうち、早くも集合時間。園内にはオリーブ色のポストまであって、実際に使われているとか。とことんオリーブにこだわった公園なのだ。
(人が多すぎてポストの写真撮影は断念)

 14:55にバスは出発し、池田港発15:30の高松行フェリーに乗船。小豆島滞在時間は移動を含めて4時間強の駆け足観光で、充分堪能したとは言い難い。
「エンジェルロード」「二十四の瞳映画村」「中山千枚田」など、訪れたい名所はまだまだあった。団体行動なのでやむを得ないが、いつか別の機会があればとも思う。

アオアヲナルトリゾートのロビー

 1時間で高松港に到着し、今夜の宿となる徳島鳴門温泉に向かう。
 高速に乗るまで、49年前の新婚時代に現場赴任で9ヶ月暮らした高松の街中をバスは通り過ぎ、屋島や栗林公園、百十四銀行本店のブロンズ外壁など、当時と変わらぬ風景に再会し、妻と懐かしさにふけった。

 17:45に旅行最後の宿泊地となる「アオアヲナルトリゾート」に到着。新しく近代的な四つ星ホテルだ。客室からは打ち寄せる鳴門海峡の波が間近に見られる。
 夕食はシフトの都合で19:30からとなり、まずは2つある温泉に入る。妻は1階の露天風呂へ、私は8階の展望風呂へと別れたが、日はすでに暮れていて、眼下の海は全く見えなかった。


 夕食は「阿波三昧バイキング」と称した郷土料理。鳴門鯛を中心とした刺し身や寿司、しゃぶしゃぶ、天ぷらなどが食べ切れないほど並んでいる。旅も最後なので、妻と生ビールで乾杯。
 1時間ほどで満腹となり、21時には部屋に戻った。波の音と共に最後の夜は静かにふけてゆき、23時に眠りにつく。

(3日目の歩数=7,911歩)(旅日記4日目に続く

2025年3月26日水曜日

金婚旅.2《歩け、歩こう !》

「金婚旅.1」からの続き
 早朝から妻の起き出す気配で目覚めた。時計はまだ5:30で、7時からの朝食には早すぎるが、妻もよく眠れなかったらしい。2日続けて4時間余の睡眠時間で眠り足りないが、やむなく私も起きた。

「早く並ばないと、混むわよ」と妻が急かし、開始15分前に朝食の列に並ぶ。和洋のバイキングが自由に選べて、妻は和食中心、私は洋食をチョイスした。

旅行中トップレベルの朝食

 7:15から食べ始めると、客が続々と詰めかけてくる。この日は宿泊客が多く、広いホールにあふれるほど。外国人を含めた観光客のほか、作業服姿も目立つ。
 山火事に伴う消防や電気工事関連の緊急宿泊が急増したことを、あとで添乗員から聞く。早めに並んだ妻の判断は正解だった。

 ホテル前の集合時間は8:15。大きな荷物はバス内に持ち込めず、側面のトランクに夕方まで収納するため、小物類は手元にわけておく必要があった。適当なバックの準備がなく、つぶしの効くエコバックで代用する。

今治国際ホテル

 予定時刻通りに、この日最初の訪問地にむけて出発。
 前日に夕食をとった風のレストラン近辺から、全長約60kmのしまなみ海道に架かる10本の橋を経由して瀬戸内海を北に向かって縦断し、倉敷まで進むのが2日目の旅程である。

 まず最初に、3つの橋が連なる来島海峡大橋から渡り始めた。眼下に広がる瀬戸内海と島々を眺めつつ、亀老山展望台公園のある大島南ICで高速を降りる。そこから細い道をたどって8:50に山頂に着いた。
 隈研吾氏の設計によるパノラマ展望台ブリッジからは、通ってきたばかりの三連吊橋を始め、瀬戸内海の潮流や今治の街並みなどが広く見渡せ、しまなみ海道随一の絶景スポットと言われている。

亀老山展望台から臨む来島海峡大橋

 山を下って再びしまなみ海道に戻り、橋をいくつか渡って大三島ICで降り、道の駅多々羅しまなみ公園へと入る。実はここから歩いて多々羅大橋を渡るという、しまなみ海道ウォーキングのイベントが待ち受けているのだ。
 歩く距離は5km弱で、予想所要時間は1時間。普段あまり歩く習慣のない人には厳しい距離で、しかも橋は地面のはるか上にあるから、まず上に登ってから橋を渡りきり、今度は急な階段を降りるという苦行が続く。

 バスは一足先に橋を渡り、次の生口島南ICで降りて待っていてくれる。歩き通す自信のない人は、そのままバスに乗っていればよいとのこと。腰に不安のある私と膝に不安のある妻は、前日から判断に迫られていたが、直前の最終確認で「歩きます!」と宣言。
 実は旅の出発時から2人ともそれぞれコルセットを装着し、冷湿布やバンテリンでの予防措置も万全だった。そのせいか、前日は7,416歩という普段の倍近い歩数を無難にこなしている。
 天気もよく、風もない。せっかくの機会でもあるし、集団ならばなんとか歩けるはずと考えた。

多々羅大橋を渡り始めた直後

 道の駅多々羅しまなみ公園から傾斜路をたどって多々羅橋に出て、10時ちょうどから歩き始めた。
 添乗員を先頭とする元気のいいグループが先行し、私と妻は最終グループ数人でユルユルと歩く。

 歩道は半分が自転車道になっていて、自転車がひっきりなしに行き交う。多くは外国人で、すれ違いざまに挨拶を交わし合う習慣は、20代にやった自転車旅行と何ら変わりがない。


 橋を支える巨大な塔の真下では、「鳴き龍」という現象が2ヶ所で楽しめる。音がビンビンと響きながら上ってゆくもので、専用の拍子木まで置いてある。
 私も妻も試してみたが、確かに龍が鳴いた。どこかの寺にも似た現象があったはずだが、ここのは残響音が非常に長い。

「自信がない」と言っていた同年代女性とも互いに励まし合い、途中の県境も超えて、55分かけて無事にゴール。高齢者中心だったが、脱落者ゼロで乗り切った。


 生口島にある「しまなみロマン」という食堂&レンタサイクル店で昼食となる。

 この島のある瀬戸田町はレモン栽培に力を入れている。メニューの「海鮮丼」「瀬戸内レモンポーク」「たこ唐揚げ」「じゃこ天」「茶碗蒸し」「瀬戸田レモンスカッシュ」にも、ふんだんにレモンがあしらわれていて、そのどれもが抜群の味。長い距離を歩いた直後の身体を癒やすには絶好だった。


 食事後、1時間の自由時間となり、元気いっぱいのメンバーは平山郁夫美術館などの美術館めぐりを続けていた。
 私と妻に歩く元気はさすがになく、近くのローソンで珈琲を入手し、バス駐車場そばの土産物店でレモンケーキのお土産を買ったのち、レモン色のベンチに時間まで座り込んでいた。

 13:10に2日目の宿泊地、倉敷に向けて出発。疲れと寝不足もあって、14:30に到着するまで私も妻も座席でコンコンと眠り続け、途中にあった残りの橋や景色は全く記憶にない。

倉敷国際ホテル

 倉敷ではまず宿泊する「倉敷国際ホテル」にチェックイン。荷物を置いたのち、15時過ぎから周辺の「倉敷美観地区」を散策する。

 最初に旅行社が契約するオリジナルきびだんご店に行き、フルーツきびだんごを1本食べたが、歯の弱い私には粘りが強すぎて食べられなかった。オヤツの時間帯ではあったが、この企画は不要だったかも?


 そこから完全自由行動となり、町並保存地区をあてもなしにブラブラと歩き回る。
 ホテル裏には大原美術館があったが、50年前の新婚旅行ですでに観ており、入館料は各自負担ということで今回はパス。

 当時はなかった細い横丁や店が数多く並び、多くは知らない店だったが、50年前に行った「エル・グレコ」というカフェだけが未だ営業を続けており、記憶にある外観や看板もそのまま。妻と感慨深く眺め、長い月日の流れに思いを馳せた。


 閉店間際で中には入れず、建物前で写真だけを互いに撮ろうとしていたら、長身の若い女性が不意に私たちの前を横切ろうとし、スマホ撮影に気づいて「失礼!お撮りしましょうか?」と声をかけてくれた。
 三脚や自撮り棒は持参せず、あとで合成でもするつもりでいたが、ありがたく撮っていただくことに。

「50年ぶりの訪問なんです」と妻が礼を言うと、「それはよかったですね!」と頬笑み、女性は颯爽と去っていく。その姿、まるで私たちを写すために舞い降りた天使のように思えた。


 この日の夕食は各自でとるルールで、事前にネットで調べ、駅前にあるうどん店と決めていた。スマホのナビを頼りに細い脇道を散策しつつ、ゆっくりと向かう。
 古民家を改造した入場料無料の観光文化施設「倉敷物語館」では、藍色の組紐で手作りした携帯ストラップが売っている。妻のストラップが切れる寸前で、ささやかな金婚記念としてプレゼントした。

 途中、ネット検索でマークしておいた「倉敷プリン」の店を見つける。倉敷美観地区で人気のスイーツ店で、10種類近くのプリンから「抹茶と赤いダイヤ ¥500」を購入。
 店内に席はなく、屋外のベンチで食べたが、期待を裏切らない濃厚でまろやかな美味しさだった。


 17:30に駅前の「倉敷うどん ぶっかけふるいち仲店」に着く。多数あるメニューから、「天ぷらぶっかけ ¥830」を注文。歩き回って空腹で、スルリとお腹に収まった。

 ホテルに戻る途中、ローソンに寄ってビールとツマミを購入。ホテル帰着は18時すぎで、長い1日がようやく終わりを告げた。


 長い伝統を持つ四つ星ホテルだが温泉や大浴場はなく、客室内の浴室のみ。この日も軽く乾杯し、早々に床に着く。
 前日同様、簡単には寝つけないことを予想し、スマホで新聞や小説を読んで時間をつぶしていたら、22時になって急に睡魔がやってきて、ストンと眠りに落ちた。


 歩きに歩いたこの日の歩数は脅威の16,202歩。過去に記憶がない数字で、歩幅70センチ強として、実に12km近くも歩いたことになる。
 条件さえ整えば、まだまだやれるものだと、少し自信が持てた。

(2日目の歩数=16,202歩)(旅日記3日目に続く