2021年6月25日金曜日

ケシカラン警察

 一時は東京とありがたくない首位争いをしていた北海道の新型コロナ新規感染者数が、最近になってようやく沈静化し始め、このところ全国10〜11位あたりに落ち着いている。(それでも多いが)
 長い自粛生活の反動か、今日の散歩では、すれ違った人の半分以上がノーマスク。こちらはワクチン未接種という事情もあって、常にマスクガードしているが、油断するのはまだ早すぎないか?インドを発端としたデルタ株が主流になれば、再びの感染拡大は免れないはずだが。

 マスクをしていない人、防御力の弱いマスク装着者などを非難し、時に直接とがめる「マスク警察」という言葉がある。トラブルが新聞記事になったりもする。
 そんな人に遭遇したときは、ひたすら遠ざかって逃げるのみの小心者だが、それでは収まらない人々も少なからず存在する。「このコロナ禍にケシカラン」という考えなのだろう。


 この「ケシカラン思想」はコロナに限らず、あらゆる社会シーンにはびこっているように思える。
 いまや時代の最先端ともいえるSNSもその例外ではなく、私がこれまで関わったなかでも、「YouTube警察」「ツイッター警察」「ブログ警察」なるものが確かに存在した。

 YouTubeで弾き語り動画を精力的にアップロードしていた時期があったが、コメント欄に時折寄せられるクレーム(指摘)の類に辟易し、いつしか他のユーザーが作った作品を観るだけになった。
 特定のフォロワーによるクレーム的リプに嫌気がさし、ツイッターはアカウント自体を消去してしまった。匿名アカウントを新たに作り、他のツイートを読むのが中心の面倒のない利用で充分満足している。
 ブログは最も長く続けているネット系活動だが、同様のクレーム類が怖く、コメント欄はずっと閉鎖状態。ユーザーの反応は日々の訪問カウント数確認のみで、トラブルになりそうな記事には「真似をされる場合は各自の判断で」と末尾に付け足すのを忘れない。

 SNSで息抜きをするはずが、逆に息苦しくなるという自己矛盾。社会全体が幅広くストレスに苛まれていて、そのはけ口を求めてさすらい、苦しんでいるのではないか。
 毒には関わらず、上手にやり過ごして生き抜く強かさも必要らしい。