どんな形で進めるか事前に道内在住の子供たちと相談し、墓参をかねて30キロ離れた霊園でやることに最終決定した。墓前法要は父の十三回忌に母の納骨をかねてやっていて、手順は記録に残してある。
当初は仏壇のある自宅2階でやるつもりでいた。お坊さんを呼ばず、お経は高僧のCD音源を使う予定だったから、場所の融通はきいた。
私たち夫婦は毎年欠かさず墓参りをしているが、子供や孫たちは仏壇前のお参りが大半。たまには墓参りをしたいという長男一家の意向もあり、天気予報も悪くないため、急きょ墓前の屋外で法要をやることになった。
午後一番に家を出て、帰省中の次男が長男一家を途中で拾い、車2台で霊園へ向かう。
好天のGW中でも、道は意外に空いている。静内お花見ドライブでも感じたが、忍び寄る円安物価高不況で、庶民は出控えているようだ。
予定より早めに霊園到着。墓参りが久しぶりの子供たちは手順に戸惑いがあるようで、私が中心になって水くみや清掃などの役割を分担した。孫娘も菓子の盛りつけやお茶の供え、墓への水掛けなどを進んでやってくれた。
花は事前にスーパーで買ってあり、自宅に咲いていた水仙も持参して量を補った。菓子は父が好物だった饅頭を準備した。
普段の墓参りと違うのは、父の法名軸を譜面台の脚に下げて墓前に置くこと。そしてICレコーダーに入れたお経(正信偈)を小型スピーカーにつないで流すこと。
10分くらいで準備が整い、14時40分から法要開始。持参した手製の台を墓前に置いて座り、お経が流れる中で順にお線香をあげて手を合わせる。前夜までの強風を案じていたが、幸いにほぼ無風。ロウソクの火が消えることはなかった。
15分強でお経が終わったのを機に法要を終了。関東在住の長女夫婦は参加できなかったが、他の6人全員がそろった墓前法要は初めてのこと。亡き父もきっと喜んでいただろう。
参道のトンネルと手前の水庭 |
終了後、霊園入口にあるモアイ像そばに車を停め、近くにある「頭大仏殿」を見学に行く。
コンクリート製の大仏は以前からあったが、2016年に大仏を囲むように半球形のリング状ドームと、それに続く135mのトンネル(参道)が造られた。トンネル前には御影石に薄く水を張った水庭が配置されている。
水庭に足を入れてはならず、迂回して参道に向かうことで心を清め、日常から非日常へ切り替える意味があるという。
参道のトンネルは長くて暗く、抜けるとようやく大仏像の全体が観られる仕掛け。大仏の周囲に丸く広がる空が、暗から明への視覚効果をドラマチックに演出していた。
なぜか孫娘がすっかり気に入ってしまい、なかなか帰ろうとしない。お参りしたり鐘を鳴らしたり、ロウソクに点火して願い事を書く「メッセージ献灯」を次男にねだって供えたりしていた。
前日からの諸準備で疲れていた私と妻は外で待っていると、子供たちも遅れて合流。持参の珈琲と供えたばかりの饅頭を芝生に広げ、おやつタイムとした。
帰路は私たちの車が先行出発。時計は16時を回っていて、自宅に戻る時間がない。その足で「はま寿司」に立ち寄り、夕食用の寿司を調達することになった。
17時過ぎに寿司店に到着。GW中は当日のネット予約ができず、その場で寿司を注文してプラ容器に詰め込み、持ち帰る。同じ事情から昨年8月にもやっていて、戸惑いはない。
帰ると子供たちは戻っていて、予定していた鶏の照り焼きを妻が慌ただしく作り、18時くらいから夕食会を始める。
いわゆる法事後の「お斎」と呼ばれる会食で、食べる前に施主として簡単な挨拶をし、乾杯ではなく「献杯」として故人に杯を捧げた。
メインの寿司は過去の注文を参考にして選んだ。不人気のイクラをやめ、サーモンとしめ鯖、鉄火巻を増やしたが、24皿分があっという間に消えた。鶏の照り焼き、蕗や高野豆腐の煮付けも好評だった。
デザートは熊本の親戚から送られてきた金山スイカ。午前中から冷やしておいた。甘くて美味しい。
食後は睡魔に襲われたが、孫娘が次男の持つニンテンドースイッチにすっかりハマってしまい、帰りたがらない。
1階には電子ピアノ、2階にはライブ用のマイクをセットしておいたが、前回人気だった電子ピアノは軽く1曲弾いただけ。マイクは全く使わずじまいで、音楽もTVゲームの魔力には叶わないようだ。
バスの最終便が迫り、20時40分にようやく解散となる。遅い入浴をして一息つけたが、故人を偲ぶのにも気力体力が必要だと悟った。
ともかくも、2週続いたGW中のイベントを無事に乗り切った。しばし心身を休めたい。