2021年10月6日水曜日

探訪して堪能

 以前から妻の強い要望があった旭川の三浦綾子記念文学館にようやく行ってきた。
 緊急事態宣言が解除され、コロナ禍も一段落。感染対策さえ怠らなければ、市外への移動も許される雰囲気で、出かけるなら次なる感染波が押し寄せる前のいまである。
 当初は近隣の温泉に一泊する構想もあったが、さすがに自重。感染リスクを避けて車による移動を選択し、休憩以外の寄り道はしないことに決めた。


 9時50分に自宅を出発。買ったばかりのカーナビの指示で275号線を北上する。以前にも何度か走っている想定通りの道を案内された。

 11時に道の駅つるぬまでトイレ休憩。その後1時間走って、12時に道の駅ライスランドふかがわに着く。3年前の層雲峡家族旅行の際、ここで食べた釜飯が美味しく、もう一度食べたいと思った。
 ちょうど昼時で、店内はやや混雑している。コロナ対策で入場制限があり、入口で少し待たされたが、12時20分には食べ始めた。


 店内は客も含めて全員がマスク姿。食べるときだけマスクを外すが、多くは黙食を徹底していた。
 妻は蟹釜飯1,120円を、私はキノコ釜飯890円を食べる。互いに1杯だけ交換して味見したが、上品な蟹釜飯と味わい深いキノコ釜飯が対照的で、どちらも美味しい。

 長居せず、12時45分に退出。その後12号線を北上して、旭川市へと入る。山々の紅葉はまだ2〜3分といったところ。道沿いの名所、神居古潭も今回は素通りである。
 事前に立てたタイムスケジュール通り、13時半に記念館到着。



 小説「氷点」の舞台になった外国樹種見本林(北海道遺産)の入口に記念館はある。天をつくようなストローブ松に囲まれ、雪の結晶をイメージしたと思われる六角形の建物が印象的だ。(設計:柴滝建築設計事務所)
 入館料700円を払って中に入ると、中央に六角形の吹抜けがあり、天頂に設けられたハイサイドライト(高窓)から光が降り注ぐ。入口から反時計周りに進み、1階を一周して2階へ進むよう案内された。


 1階の吹抜け直下にピアノが置かれ、周囲の壁にはプロジェクター映像が流れる。過去の著作が展示され、ちょっとした演奏会もやれる空間だった。
 吹抜け周囲の回廊は三浦綾子の年譜紹介が中心。過去の病歴、終戦による絶望で教師退職、婚約者の死、自殺未遂など、生誕から死までの波乱万丈の生涯が写真や各種資料と共に克明に記されている。


 2階は吹抜けを囲む回廊に、来年2月までの予定で「泥流地帯」の企画展が開催中。「氷点」の投稿時生原稿も展示されていて、導入部での実際に出版された文章との違いが確認できる。
 原稿と本とを比較すると、(どの部分がどんな理由で修正されたか?)が推測できて、なるほどと非常に興味深い。


 1時間ほど本館にいて、14時45分に玄関から渡り廊下でつながる分館へと移動。ここには三浦綾子の書斎が再現され、隣室では「氷点ラウンジ」という名の喫茶室が営業中。
 書斎を観たのち、氷点カップでたっぷり量の珈琲をケーキと共にいただく。広いガラス窓からは、餌を求めて松から松へと移動するエゾリス(木鼠)の愛らしい姿が見えて微笑ましい。


 15時に店を出て、ツタの紅葉が美しい見本林を散策しようとしたら、林道入口には立入禁止の看板が。どうやら最近クマが出没したらしい。残念だが、またの機会もある。時間も程よく、ここで札幌に戻ることにした。


 帰路は12号線を南下し、道の駅奈井江でトイレ休憩をとる。滝川市内で渋滞したせいで、時計はすでに16時40分。西に走って275号線に戻ると、こちらは格段に空いていた。最初から行きと同じルートを戻ればよかったと反省。

 以降は夕日を目指してひた走り、自宅帰着は18時ちょうど。走行距離は260キロで、久しぶりの長距離ドライブだったが、どうにか無事に乗り切った。
 長年の悲願が叶い、妻も満足の様子。三浦ワールドを充分に堪能して私も生きる勇気をもらった。