空は曇天だったが、幸い雨には降られず、遠い山並みの展望もまずまず。四十九日を過ぎると霊は仏に変わると言われているから、父も眺めのよい場所に落ち着き、あの世とやらで喜んでいることだろう。私も子としての責務をまっとうし、ほっとした気持ち。まずは良かった。
通夜と葬儀同様、法要も自宅で執り行った。花や供え物、法要後の食事なども、すべて自力で調達。お坊さん以外の参列者は身内だけだったので、身の丈にあったつましい形をとった。
お坊さんへのお礼は、紹介してくれた葬儀屋さんに事前に聞いた通りにし、おそらく世間並み。まだ先の話だが、来年以降の法要も同じ形式となるだろう。
実は昨夜になって、「位牌は四十九日に白木から塗りの本位牌に交換し、お坊さんに入魂していただくもの」という記述をネットで複数みつけ、あわてた。幼き頃から塗りの位牌のたぐいは見たこともなく、そんな準備もしてなかったからだ。
よくよく調べてみると、浄土真宗では本位牌は使わないとのことで、代りに「法名軸」と呼ばれる法名(他宗でいう戒名)を記した小さな掛け軸のような物を使うそう。そういえば父の祭壇にそんな掛け軸がかけてあったことを思い出した。準備しなくて良かったのだ。
今日、お坊さんに直接確かめたら、それでよいとのこと。この件に限らず、「仏壇に写真は飾らない」「新盆に取り立てて行事はやらない」等々、浄土真宗は合理的な考え方が数多く、父母が信じていたからというわけではないが、共感できる。
昨日、父名義だった土地と家の相続登記申請も無事に終わった。法務局には都合3度も通ったが、最後はスンナリと手続きが完了。素人がやるには難しいと事前に聞かされていて、確かに面倒ではあったが、とうとう独力ですべてやり終えた。
まだ少しだけ事務処理が残っているが、今日で2ヶ月近く続いた諸々の作業は、大きな山を越えた感。
「父の葬儀」という難しい状況下だったが、いまの生き方暮らし方同様、世間体にしばられることなく、「つましく、自分らしく、ひっそりと」を貫けたと思う。
道はほぼ拓いたと思うので、いざ自分の番がきても、子供たちはあわてずに同じようにやってくれるだろう。そのための資料も、より具体的な形で残しておくつもり。
まだしばらく生きられる気もするけど、明日死ぬかもしれない。あとはよろしくネ。
「生きる事と死ぬ事に、そう大きな隔たりはない」