2013年12月13日金曜日

かすかな予兆

 先月末のハナシ。メインPCであるMac-miniの起動音がまたしなくなった。「また」と書いたのは、少し前にも同じことが起こり、その際は「PRAMのリセット」という手段で回復していた。
 しかし、こうも度重なるのは、何かしらの予兆ではないか?と考えた。人間の身体と同じで、PCも弱ってくると、必ず何かしらの異常が現れる。そのかすかな予兆を見逃さないことだ。

 調べてみると、買ってからはや2年半が経つ。そろそろハードディスクに問題が起きてもおかしくない時期だ。問題点を探るため、購入時についてくるシステムDiskを入れてCDから起動させた。


 メニューから「ディスクユーティリティ」を選び、First Aidでハードディスクの診断を試みる。すると、これまで見たことのないエラーメッセージが、赤文字で次々と表示されるではないか。
 診断と修復を同時進行で行う選択をしていたので、問題点はその場で次々と修復。ほどなくして作業は終わったが、不安なので念のため、もう一度同じ作業をやった。
(さすがに2度目は「問題なし」の診断)
 ピンと感じた「予兆」は正しかったわけで、放置していたら大事に至った可能性が高い。ヒトもPCもトラブルには早めの判断と対策が必要のようだ。
_マックの場合は以上の方法でたいていの問題点は解決できるが、(できない場合、多くはハードディスクの交換となる)Windowsの場合、システムDiskで同じような修復作業は、たぶんできないはず。
 以前にブログでふれた「廃棄時にハードディスクにゼロを書き込む」という作業も、マックのシステムDiskでは可能だが、Windowsではできない。他のソフトを買ってやるしかなさそうだが、Windowsの使用頻度は極めて低いので、いまのところ準備する気はない。

2013年12月12日木曜日

CDコンポを断捨離

 今年最後の燃えないゴミ収集日である。カセットデッキとプレーヤーが内蔵されてるせいで、小型家電リサイクルで収集不可能と分かった古いCDコンポセットを出すつもりでいたが、問題がふたつあった。

 ひとつはCDコンポの大きさ。手持ちの20L指定ゴミ袋では入りきらず、分解して小さくすることも不可能。やむなく自宅木壁残材を廃棄した際に使った40L指定ゴミ袋を、再度買ってきた。
 仮に最大サイズの40L袋にも入らなかった場合、費用の高い大型ゴミとして出すしかないが、祈る気持ちでやってみると、測ったようにピタリ入った。本体寸法が33cm×34cm×高さ38cm、スピーカー2個を重ね、プレーヤーを横の隙間に差し込んだ寸法が28cm×38cm×高さ45cmである。


 さて、こうして首尾よく袋に詰め込むことはできたが、次なる問題はゴミステーションまで、いかにしてこれを運ぶかである。
 先日の大腸ポリープ摘出手術で予期せぬ生活制限がかかってしまった。「重い物を一切持たない」がそのひとつで、私の見通しが甘く、CDコンポは手術前から2階に置いたままである。

 階段の昇り降りそのものにも制限があるので、やむなく妻に前日、1階までの運搬をまず頼んだ。そして当日の今日、玄関から車までの積み込み、さらにはゴミステーションへの収納までの一切を、妻に頼らざるを得なかった。
 私のやったことは、袋への詰め込みと車の運転のみ。普通なら全てを一人でやってしまうが、生涯にそう何度もないであろう非常事態なので、やむを得ない。おかげでスッキリ断捨離して新年を迎えられそうである。
 その大腸ポリープ手術を実施してから、ちょうど1週間が過ぎた。術後の1週間は特に危険な時期と言われているが、節制のかいあって、いまのところ再出血や腹痛などの悪い兆候はない。魔の期間を無事に乗り切ったようだ。

 午後から妻と買物に行った折、特に制限のないノンアルビールを買って乾杯でもしようかと、売場前で一瞬立ち止まったが、そうでなくても妻に日々の献立等で頭を悩ませている我が身。しょせん飲んでも飲まなくてもいいものなので、結局やめた。
 いま肝心なことは、一刻も早く正常な身体に戻すことである。

2013年12月11日水曜日

カフェインの功罪

 大腸ポリープ手術後の安静を保つために、珈琲を全面的に禁じられたことはすでにふれた。20歳過ぎから毎日のように本格珈琲を飲んでいた身にとって、突然2週間も絶たれるのは、身体のためとはいえ、さすがにつらい。
 医者から聞かされた当初は、「珈琲のいったい何がいけないの?」と、不思議だったが、ネットで情報をかき集めるうち、いろいろな新しい発見があった。要は珈琲に限らず、「カフェイン」なるものの功罪に意味があるようだ。

 身近な食品で最もカフェイン量が多いのは、やはり珈琲。1杯(150ml)のドリップ珈琲に100mg含まれている。紅茶がティバック1個で35mg、およそ1/3に過ぎない。栄養士から「薄い紅茶なら飲んでいいですよ」と言われた所以。
 退院後は朝食時に300mlの湯で紅茶1パックを落とし、まず牛乳を少し入れ、残りは3時のお茶まで2回に分けて飲んでいる。


 ネットで調べると、食品全般に含まれるカフェインで最も含有量が多いのは玉露の180mgだが、私は一度も飲んだことがない。
 意外だったのが、私の好物であるチョコレートにもカフェインが含まれていたこと。一般的な板チョコ1枚55gで22mgと珈琲に比べるとわずかだが、幼き頃に「チョコレートを食べ過ぎると鼻血がでる」とかナントカ母に脅かされたのは、まんざら方便でもなかったようだ。
 そういえば「ショコラ」という洋画に、チョコレートが一種の媚薬のように扱われるシーンがあるが、こちらも同じくカフェインのなせる仕業であろう。

 かって一世を風靡した「コーヒー・ルンバ」という歌の中でも、珈琲が媚薬として扱われている。カフェインには覚醒作用があり、適度であれば認知症予防にも効果があるとか。
 カフェインの効用については多くの情報があるが、驚いたのは糖尿病、肝臓ガン、大腸ガン、動脈硬化予防にも効くという記載。まさに「薬」である。
 対して、弊害もけっこう多い。カフェインの副作用で「胃腸障害」との情報もあるので、今回の手術で禁じられた理由はこれか。驚きの連続だが、副作用のひとつに「不整脈」とあったこと。媚薬にもなり得るほどの刺激は、ときに心拍に悪い影響を及ぼすというのも、よく考えるとうなずける。
 以前から正体不明の不整脈に定期的に悩まされてきたが、精密検査でも心臓に異常はなく、原因はストレスにあると思われた。そんなときも毎日2杯の珈琲を欠かしたことはなかったが、症状のひどいときは、しばらく珈琲はやめるか減らすのが身のためのようだ。

 大腸ポリープ手術を機に、カフェインとの上手なつきあい方を学んだ。

2013年12月10日火曜日

禁欲的療養生活

 手術から5日、退院から3日経ったが、大腸内部の縫合部が大きかったこともあり、術後2週間は入院時に近い療養生活を強いられている。いま、そのまっただ中だ。
 食事や運動、生活全般に厳しい制限があり、もし守らなければ患部の再出血→再手術という、最悪のシナリオになる。それだけは避けたい。
 要点を箇条書きにしてみる。

《禁止された食品等》
・アルコール、珈琲、濃いお茶
・辛いもの(カラシ、わさび、唐辛子)
・脂っこいもの(フライ、天ぷら、ラーメン、即席麺)
・繊維質の多い野菜類(ゴボウ、山菜、タケノコ、レンコン、きのこ)
・海藻全般(わかめ、昆布、ひじき)
・生野菜、漬物、刺身等の生もの

 腸の負担となる「刺激物」「消化の悪いもの」が基準。具体的な指示はなかったが、ソバ、こんにゃく、油揚げ、納豆、貝類(牡蠣はOK)なども避けたほうが無難だろう。


《禁止された運動・生活等》
・すべての運動
・散歩、自転車
・長距離の車運転
・雪かき
・重い物を持ち上げる動作(布団の上げ下ろし等)
 腹筋に負担がかかる行為は縫合部断裂につながる恐れがあり、全て不可、という基準である。過去の症例では、要注意期間中に自転車に乗り、縫合部が切れて再手術となった例があるという。怖い話だ。
 イメージとしては、ギックリ腰になった際の生活にかなり近い。階段の昇り降りも最低限にするよう言われたので、家の中でも用事をまとめておき、階移動を少なくするよう心がけている。

 私の担当だった布団の上げ下ろしは妻に代行してもらうとして、心配なのは雪かき。腰痛もちの妻は、普段は雪かきをしない。今年の札幌は少雪で助かっているが、万一大雪となった場合、ギックリ腰のひどい時のように、妻に代わってもらうしかない。


 そんなわけで、日々の食事もまるで修行僧のようにストイックなもの。アルコールや珈琲のない生活も、いざやってみると慣れるものだが、毎食が消化のよいものばかりで、すぐに空腹となってしまう。
 手術前と術後とで、体重が2.4Kgも減ってしまい、結婚後数十年の最低値50.8Kgを記録した。食べる量を増やし、体重増に努めたい。

 術後と決めていたクリスマスの飾り付けを今年も無事に行った。いつもは1階ゲタ箱の上に飾る籐製ツリーを、今年は気分を変えて2階カウンター上に置いた。ささやかな祭り事だが、こんなことが生きている喜びなのかなと、しみじみ思う。

2013年12月7日土曜日

大腸ポリープ摘出..後編

 術後3日目の朝が明けた。なぜか誰も起こしにこないので、ダラダラと7時近くまで惰眠をむさぼる。朝食は夕食の12時間後の7時15分からだと思い込んでいたが、待てど暮らせどやってこない。
 入れ替わりに病室に現れるのは、部屋の掃除やゴミの回収、腕にはめたリングタグの確認やら、カーテンの開け閉めなど、雑多な用事の方々。看護師の検温や栄養士の食事指導もこれに加わるので、病院とは実に多くの人々が働いているのだと、入院してみて初めて分かった。

 8時15分に待望の朝食。この病院では「15分」という時刻が食事の定刻になっているらしい。
 メニューは期待したパンではなく、普通の和食。全粥に味噌汁(具は大根)、とろろ汁に焼売&蒲鉾卵巻き&野菜煮物、そして牛乳という、てんでバラバラな組合せ。食事に飢えているのできれいに平らげたが、入院中の4食のうち、最もいただけない内容だった。


 術後4度食べても全く便意をもよおさないのが少し不安だったが、その後特に出血はなく、腹部の膨張感や痛みもない。体温や血圧も正常値で、退院を阻害するデータは何もなかった。

 9時半、主治医がやってきて退院の宣告。退院後の生活に関し、特に2週間は入院時に近い安静を強く求められた。食事にも厳しい制限があり、当分はストイックな生活を強いられる。
 病理検査の結果が中旬に出るそうで、それに合わせて再受診する日が決められた。いよいよ退院だ。
 忘れ物がないよう、指差し確認しつつ部屋を点検。病室のある5階から1階へと下って、退院専用窓口で入院費の精算を行った。
 費用は52,000円強。これには寝具等のレンタル費や食事代もすべて含んでいる。面倒な手術の割には、案外安かった。最初の受診と2回目の内視鏡検査で15,000円強かかっているので、これまで病院に支払った総費用は7万円弱。

 支払いは現金のほか、クレジットカードやデビットカードが利用可能だが、今回は現金を持ち歩くのを避け、最初からカード決済でいこうと決めていた。アマゾンギフト券0.5%のポイント還元がつくUCカードを選択。
 その後、受付横にあるテレビカード精算機で残った分を精算。760円が戻ってきたので、テレビを観た時間は、2日間で5時間弱ということになる。


 10時、全てが終わって外に出ると、幸いにカラリと晴れている。帰りは地下鉄とバスと決めていたが、地下鉄はわずか一駅。階段の昇り降りが内臓の負担となるのが怖く、通りから見ると、地下鉄終点駅がすぐ近くに見える。地下鉄はやめて、1キロほどを歩くことにした。
「腹筋を使う運動はいけない」ときつく言われていたので、普段よりもかなりペースをおとし、15分かけて終点駅に到着。自宅方面行きのバス停を探し出すのに手間取ったが、運良く5分後に出るバスがあり、11時ころには自宅に着いた。

 初めての入院だったが、とりあえず無事に家に戻れたことを喜びたい。そして健康の有難味を思い知った。
 今回で第1段階はクリアしたが、患部が癒着するまでに無理をすれば、再出血再入院ともなりかねない。第2段階ともいえる今後の2週間を事故なく過ごすのが、次なる目標である。「闘い」は、しばし続く。

2013年12月6日金曜日

大腸ポリープ摘出..中編

 入院2日目。起床時間は6時だったが、ぐっすり寝込んでいて、6時15分の検温で起こされた。実は明け方3時にガスに混じって血便が少し出た。用心してティッシュ2枚をナプキン状に当てていて正解だった。
 事前に言われていた通り、すぐにトイレからナースコールし、状態を確認してもらう。当番の看護師さんは寝ずの番である。
 起床後の7時半にも軽い便意を覚えた。1日半近く食べていないので、何も出るはずがないが、トイレに走ると、また小指ほどの赤黒い血便が出た。再びナースコールして診てもらう。
 10時前に主治医がやってきて、いろいろと確認。血便は前夜の手術の残滓であろう、との話。前夜は微熱だった体温も平熱に戻っていて、血圧や血液検査の数値にも異常がなく、腹部の腫れや腹痛もない。
「患部からの新たな出血はないと判断します。退院にむけて、食事を始めましょう」との一声で、遅い朝食が運ばれてきた。


 10時に39時間ぶりの食事。定時の朝食時間はとうに過ぎているので、ロールパン2個に蜂蜜、バナナに牛乳&お茶という簡単なメニューだったが、これまでないほど美味しく感じた。
 食後、デイルームと呼ばれるフリースペースで時間をつぶす。広くて明るく、ソファやベンチが多数置かれ、飲物の自動販売機、週刊誌、自由に使えるシンクや電子レンジがある。家族の面会にも利用されており、よく考えられた空間だ。

 ここには部屋に常設のテレビ試聴用のカード自動販売機もある。1,000円で20時間視聴可能で、余った分は退院時に精算できる仕組み。
 1日目は気持ちの余裕がなく、テレビを観ようとは思わなかったが、手術も無事に乗り越えた2日目は食事が始まったこともあり、ようやくテレビを観る気になった。1枚購入し、12時15分に運ばれてきた昼食を食べつつ、NHKを1時間半ほど観る。
 BS放送はなく、小型の液晶だが、画面の方向や角度を自在に変えられるホルダーがついていて、なかなか便利である。
 昼食のメニューは全粥に豚肉の煮物、ビーフンと挽肉&野菜の煮物、キャベツのお浸しにフルーツ。ずっと食べていないせいもあり、何を食べても美味しく感じる。これぞ生きている喜びか。

 デイルームで週刊誌を読んで午後を過ごしていたら、14時頃に妻からの携帯が鳴る。どうということのない内容だったが、容態を案じている様子が言葉尻から分かる。このまま再出血がなければ、明日は退院可能であると告げて安心させる。
 当然ながら病院にオヤツやお茶の時間はなく、許されている飲物の中から「午後の紅茶」を自販機で買い、飲みながら病室でアマゾン・キンドルからタブレットPCに入れてあった「フランダースの犬」を読む。

 実は物心ついてからの入院は今回が初めてで、何かと戸惑うことが多い。小旅行と同じ備品を準備したが、歯磨き用のコップやキシリトールガム、爪楊枝などの細かい日常生活用品を忘れた。
 時間のつぶし方も難しく、テレビは普段あまり観ず、この病院ではネット接続も不可能なので、もっぱら本である。紙の本は2冊で、「無名」の他は三木卓の「野鹿のわたる吊橋」。
「無名」は妻の勧めで初めて読んだが、「野鹿…」は10数年前に一度読んでいる。記憶が薄いので持参したが、ラストが不条理ではないところが記憶に残らなかった理由だと再読して分かった。
 その他、タブレットPCに「青空文庫」からダウンロードした多数の小説を入れてあったはずが、SDカードのエラーで全データが消えていた。事前のチェックを怠った失敗。
 本で時間をつぶそうとするなら、最低でも300枚前後の小説を、入院日数分は持ってゆくべき。電子本のほうがかさばらず、暗くても読めるので重宝するが、媒体の充電器も忘れないこと。


 18時15分に夕食が運ばれたが、相変わらずの全粥。おかずは鱈のピカタ(美味)、豆腐と挽肉&野菜の煮物、キュウリ&トマトの甘酢あえ。読書と並んで、食事は入院時の大きな楽しみであると悟った。

 9時に消灯し、30分ほどラジオを聴いて寝ようとしたが、なぜか寝つけない。普段ではありえないが、丸一日何もせずにゴロゴロしていたせいかもしれない。起きて枕元のスタンドを点け、11時過ぎまで本を読んでいた。
 希望していた4人部屋の空きがなく、付加料金なしで個室を使わせてもらったので、かなりの気ままができた。ラッキーである。
(「後編」に続く)

2013年12月5日木曜日

大腸ポリープ摘出..前編

 10月下旬の5日続きの血便症状から病院へ、そして11月上旬の大腸内視鏡検査による2個の大腸ポリープ発見という急な流れにより、この日ポリープの摘出手術をする手はずになっていた。
 本当は11月下旬に実施するはずが、あいにく以前から予定されていた息子夫婦の帰省とぶつかってしまい、順延。病院の手術日程は決まっていて、「いつでもOK」とはならない。今回診てもらった病院では、「手術は週末の午後」が基本だった。

 内視鏡検査と同様、前日から検査食を食べて準備。就寝前に最初の下剤を飲み、翌朝6時に薬を飲んで、7時から次の下剤を飲む段取りも全く同じだ。幾分慣れたとはいえ、検査食も下剤もつらいことに変わりはない。
 特に1.8Lの下剤をトイレに駆け込みつつ1時間強もかけて延々飲むのは、やはり「苦行」に近いものがある。
 この日は妻に休暇をとってもらった。内視鏡とはいえ、レッキとした手術である。出血やせん孔により、命を失う可能性もゼロではなく、手術前に提出する同意書には、その旨がちゃんとうたってある。
 検査のときは午前中に来院を促す電話があったが、今回指定された時間は14時半。早朝から準備していたので拍子抜けしたが、タクシーを呼んで早めに行くことにする。(車での入院は禁じられていた)


 受付で諸手続きを済ませ、着替えて手術用待合室に入ったのが15時ちょうど。なぜか私以外にも2人の患者がいて、まず呼ばれたのが80歳前後の男性。20分ほどで終えて、いよいよ私の番か?と思ったら、次は同年代の中年女性が呼ばれた。
 この女性が入ったきりなかなか出てこず、ひたすら待つ。途中で「遅れてすみません、もう少しお待ちを」と、係員から告げられたが、ようやく呼ばれたときの時計は16時を指していた。
 手術台に上がってすぐに手術は始まった。大腸自体に神経はないらしく、麻酔はナシである。痛むのは器械の出し入れ時や、内視鏡が腸壁に当たったときだけ。すんなり進むはずが、出口に近いほうにある2センチ近いというポリープの摘出でかなり手間取った。
 ポリープが予想外に柔らかく、施術中にちぎれてしまったらしい。腸内にちらばった破片を集める手段に関し、医師2人と看護師が協議。急きょネットを使って集めることになり、内視鏡の出し入れが繰り返された。

 1つ目のポリープ処理だけで、およそ1時間が経過。2つ目は5~6ミリの小さめなポリープだったので、30分ほどで終了。これほど長くかかるとは思ってもみなく、私が最後に回された理由を、このときようやく知った。
 両ポリープとも、根本に太い血管があったそうで、その止血処理にも手間取ったらしい。開いた傷口は、内視鏡先端につけられたホチキスのようなもので10ヶ所近くも固定された。
(「カチッ」と止める音が耳元でする)
 車椅子に乗せられて病室へと移動し、ベットで1時間の安静。その後ようやく水を飲んだり、立って歩いたりが可能となった。妻は入院関連の荷物持ちを担当。付き添いはやはり必要だった。
 辛抱強く立ち会ってくれた妻は、翌日の勤めもあるので18時で帰宅。この日は全く食事ができず、16時から始まった栄養剤の点滴を延々と受けつつ、ベット上で持参した本を読んだり、タブレットPCでゲームをしたりして時間をつぶす。
 入院の連帯保証人になってもらった長男に携帯のCメールで報告。息子からはすぐに返信がきた。この夜読んだ本が、父の入院から死までを息子の視線で描いた、沢木耕太郎の「無名」である。偶然だが、不思議な因縁を感じた。

 消灯は21時。神経がたかぶっているので眠れず、持参のラジオで22時まで音楽を聴いていたが、やがて睡魔に襲われる。早朝から心身を消耗していたせいか、そのままストンと眠りに落ちた。
(「中編」に続く)